2013年4月4日木曜日

棄民が”棄民”であることを自覚したということ

最近、酒量が増えてきているような気がする。街で飲むのではない。そんな余裕は無い。家で、風呂上りに飲み始める普通のウイスキー。
かたわらではゲンキ(犬)が寝ている。テレビからは嬌声が聞こえている。CMも楽しそうだ。

自虐的なのだろうか。こんな穏やかな夜を過ごしていていいのだろうか。テレビのニュースを見ながら思ってしまう。もう、大震災も原発事故も、多くの避難民のことも「忘れられて」いるんだなと。

もう一杯、もう一杯と手が伸びてしまう。そこに何の意義もないのだが。
自分が安穏とした日々を送っていることへの「うしろめたさ」のようなものがあり、住む家を追われた人達が、どんな夜を送っているのだろうかという勝手な想像、そして、それが怒りに変化し、酒に行く。そんな日々か。

きょうは木曜日。NHKで、あの番組の日。被災地からの声。本宮の仮設に暮らす浪江から避難させられている人達の声だった。
70代後半の女性がフリップに書いていた。「棄民」と。棄てらた民と。どこから棄てられたのか、国からか。津田キャスターは上手いことを言っていた。いや解釈していたと言うべきか。

相手は国だけではない、日本人全員がそのことを考えなくては・・・と。

ボクはここで何回も棄民という言葉を使ってきた。書いて来た。塾でも話した。
棄民という言葉や字は、そう、ボクもその一人かもしれない「当事者以外」が使い、メディアのごく一部も使い、言論人なる人も使ってきた。使っている。
でも「当事者」が棄民と自らを言ったことはまず無かったような気がする。

なぜか。棄民と認めたくなかったからだろう。国民としての、いや、人間としての自尊心や自負心があったからだろう。そして、かすかな“希望”みたいなものがあったからだろう。

「私は二回棄民を経験しています。まだ小さかったけれど、戦争。そして、今度」。「我々の人生って何だったのだろう。そう思うだけです」と。

浪江の避難区域は再編された。「日帰りで帰れるからって、誰も喜んではいませんよ。一時のなぐさめ、まやかしに過ぎないですよ」。

他者が棄民と呼んでいた人達。それをその人達が口にしたということ。あれから2年経って。人ごとながら悲しく悔しい。

津田キャスターは鋭い。こう言っていた。
「この番組ではこれまで1800人もの人の声を拾ってきました。聞いてきました。しかし、“棄民”という言葉を聞かされたのは、今回が初めてです」。

80歳を越えたその人の旦那は言う。「除染って言ったってさ、俺たちは農家だけど、土を掘って、どっかに持って行くってことだべ。嫌だね、おれはその土を返して貰いたいのだ。先祖代々耕して来た土を返してくれって言いたいんだよ。虫けら以下のように荒れ地なげだされて・・・」。

土には農民の魂が宿っている。しかし、そんな“魂”の話は、部外者も、行政も一顧だにしないはず。

「戦争が一回目の棄民」、そうだよ、沖縄もそういう意味では棄民だったのではないか。国というのは棄民を作ることによって成り立っていくものなのか。

明治維新後にあった自由民権運動。福島でのその運動の発祥の地は浪江だった。
苅宿仲衛という人が、そのリーダーだった。
その運動があったことももはや忘れ去られている。中央政府に依存し、それに抵抗しようという勢力もリーダーも、今やこの地には存在しない。

基地問題で揺れる沖縄。政府に抗する仲井真知事。平成の“民権運動”の祖となってくれぬか。いや、そうであって欲しいとも思う。

沖縄も言ってみれば「忘れられた地」。

「その事」があった事を忘れたがっている人達もいる。それには断固逆らう。
それを考えながら、今夜も酒が進むのかもしれない。美酒ではない。苦酒だ

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