今の相馬市と,相馬中村藩の藩主だった相馬家との関係は詳しくないが・・・。
少なくとも、相馬の伝統行事、それは、あの3・11のあった年にさえ行われた「野馬追い」。それの総大将は相馬の殿様が代々受け継いでいる。
今の相馬家の当主は34代目の相馬行胤(みちたね)さん、38歳。父親の和胤さん時代から北海道に移住し、牧畜をやっているというが、相馬市と縁が切れていたわけではないはず。
相馬と北海道を行ったり来たりしていたとも聞く。相馬市で農園を開くなどしていたとも聞く。
去年の野馬追いも総大将をつとめた。いや、彼の決断でそのお祭り、伝統行事が行われ、避難していたり、被災した住民を力づけた。
その行胤氏が「放射能が心配」という避難者の声を受けて、自ら、一家で広島県の神石高原町(じんせきこうげんちょう)に移住した。
知り合いの家族や、それを聞いた地元の人たち20~30家族が夏にかけて移住するという。
移住先はいわゆる過疎地。双方の想いが一致したということか。過疎の町に「新しい相馬」が出来ることになる。
新聞に載っていた小さな記事から引き出した話しだが。
分家ではない本家だ。そのいわば藩主の末裔が、その地を“捨てて”他に移住するということ。
相馬市の住民はどう受け止めているのだろう。野馬追いの総大将は・・・。その土地のものではないが、この話、複雑な心境で聞く。
移住を“逃げた”と言うつもりはないが。
郡山市長選、当選した候補の選挙カーには赤地に白抜きの文字が大書されていた。「逃げない!」。その選挙カーが走り、連呼が続いていた。
何を意味するのか。ここでも書いたが。相手の現職が放射能に怯えて、家族を県外に逃がした。本人も・・・。そんな噂が選挙以前から市内に蔓延されていた。たまたま出席した町内会の集まりでも、訳知り顔のおじさんが、奥さんどもに“逃げた”と“洗脳”していた。奥さんたちは深く頷いていた。やんわり止めたが、すでにその奥さんには「刷り込み」が出来あがっていたようだ。
きょうの新聞各紙、昨日あった当選者の記者会見の模様を書いている。やはり、記者達も疑問に思っていたのだろう。逃げたという事が選挙の争点にされているような雰囲気に。その点に質問が集中したようだ。釈明にならない釈明に終始していたような感がある。「非常時にトップとしての在り方を申し上げたかった」。勝てば官軍ということか。
朝日新聞は書く。「著しく品位に欠ける戦術だった」と。そして毎日の記者のコラムは秀逸だった。市民に広がった流言と題する記事。
「放射線と暮らす市民は、多かれ少なかれ、“逃げない”という言葉に刺激を受けた。投票行動にどう表れたかを測るのは容易ではないが、市長選の空気をいつになく不穏にしたのは確かだ」と結ぶ。
数日前にも書いたと思う。郡山市民は「風評被害」にあの事故以来悩まされ、怒っていた。苦しめられていた。他県からの風評被害。風評なるものがいかに根拠が無く、デマに等しいものかは身を以って感じていたはず。
それが、自らの地の自らのための選挙で、地元から“風評”が撒かれ、それを信じていたという事実。その多くが風評被害を無くそうと言っていた人たちだったということ。
郡山市民の民度が図らずも試された、小さな、全国紙にも記事としては載らない市長選。
この国の縮図をあらためて郡山に見た。
己を利するためには手段選ばず、なんでもやるという、ある意味選挙の常とう手段。
相馬の殿様は、相馬市民はどう思っているのだろうか・・・。逃げてはいない、新しい村の建設だというだろうが・・・。