朝日新聞の福島県版に「みつばちの目」という小さなコラムがある。総局の記者が持ち回りで書いている取材後記と言えばいいのか。
福島市の水道原水から極微量のストロンチウムが検出された。それをめぐって市の対策本部会議があった。
市長の代わりに出席した副市長が口を開いた。「井戸水はどうなのか」「市の測定器では計れないです」。「じゃ検査する体制をすぐに検討して。県や国に頼ってばかりいるのでなく。福島市民を守るのは福島市しかないのだから」。
いつになく厳しい口調だった。
未曽有の原発災害から3年目。市民に一番近い自治体の最前線に立つ職員に、行政マンの原点を喚起させる発言だった。
以上、コラムの要旨。
市民を守るのは市でしかない。災後つくずく感じたこと。町民を守るのは町、村民を守るのは村。
県や国がいかに機能していなかったか。記事には書けなかった取材記者の本音の感想だったのではと。
郡山にそんな副市長がいたのだろうかと。
折しも今は郡山の市長選。“争点”は逃げた、逃げない。
現市長は、少なくとも国の反対を押し切って小学校の校庭の表土剥ぎをやった。
市が市民を守る。当たり前の事だが。
被災地には様々なケースがある。それは、福島ではこれからももっと深刻化する。そこに問われる行政の在り方。
3・11が突き付けた「行政とは」という問題。行政マンそれぞれの在り様。
逃げた、逃げないで争われているような感のある郡山市長選。それは、即ち郡山市民の“民度”ともつながるような。
今月1日付けで会社も行政も多くの人事異動があった。
新しい職場に移って、その行政マンたちが、何をそれぞれ考えているのか。
新聞社でも異動があった。朝日を書いたついでに朝日に一言。つまらなくなった天声人語。
連日、花鳥風月を書く新執筆者。寸鉄人を刺すような言説が見られない。
現場の記者に信を置かざるを得ないということ。