2013年4月29日月曜日

「通り一遍の言葉は意味をなさない」

昨日行われた政府主催の「主権回復の日」式典。安倍首相は式辞を述べた。
やおらポケットから紙を取り出し読みあげた。
「沖縄の人々の戦中、戦後の苦労に通り一遍の言葉は意味をなさない」。

まさに至言である。“がってん”がいった。通り一遍の言葉は意味をなさないのだ。あらゆる事に於いて。

そのあとに続けて読み上げる。
「沖縄が経て来た辛苦に深く思いを寄せる努力をすべきだ」と。これって通り一遍の言葉のように聞こえてしまうのだが・・・。

福島の地に居る時、福島を語る「通り一遍の言葉」のなんと多い事か。それは国から発せられる言葉だけではない。県外からだけでもない。県内からも。
多くの通り一遍の言葉。

通り一遍の言葉に我々は翻弄され、挫折を味わい、なお、それに僅かな期待をもつという・・・。

例えば「復興」。これについてはまたあらためて書く。これまでも各所で書いたが。“被災地を取り巻く通り一遍の言葉の典型”のようだ。

好むと好まざるとにかかわらず、我々は安部晋三なる男に身を託し、“支配”されている。誰が書いたかわからない原稿を読み上げる彼の言葉。紙を読んだにしても、口から出された言葉は彼の「言葉」なのだ。

これからあらゆる面で、彼が「意味のある言葉」を発し続けて行けるのだろうか・・・。時には“感情的”になって発せられる彼の本音とも思われる言葉にいかなる意味を見つけていけばいいのか。

式典に臨席された天皇陛下のお言葉はなかった。黙して語らずであった。主催者の、政府の要請が無ければ陛下は言葉を発する機会を持たない。その事情は百も承知だ。

主権回復について、沖縄について、もしかしたら、いや、当然、陛下には語りたい想いがあったのではないかと思量する。陛下に政治的発言は許されていないが、“政治的”では無いにしても、もしかしたら、陛下の言葉に政権は怖れを抱いていたのかもしれない。

陛下の政治的利用だ。そんな通り一遍の言葉では語りたくはないが。

陛下の想いを推測することは不可能だ。しかし、それが要請がなかったという事だけが主因では無く、「沈黙」を貫いていたということに陛下の無言の意思を感じる。

きょうは昭和の日とされている。昭和天皇の誕生日だ。かつて天長節と言われた。
昭和天皇は一度として靖国神社には参拝されなかった。参拝要請はあったはずだ。昭和天皇はそれを是としなかった。その一事をもってしても、そこに、戦時中からあった昭和天皇の確固たる“意志”を感じる。

辛酸を舐めた。その一語に限っても、沖縄の辛酸は筆舌に尽くしがたい。60年後の今も沖縄では多くの人が屈辱の日という。

福島の辛酸、国家によって強いられた屈辱。まだ、始まったばかりかもしれない。少なくとも“廃炉”の期限とされた40年後までは続く・・・。
通り一遍の言葉の渦の中で。

穏やかな春の日。郡山では市民マラソン大会が開催され、子供も交じって2キロから10キロを走った。福島市では10キロの歩け歩け運動が開かれている。

誰しも“放射線量”を気にしていないわけではない。いわれなき“過敏”や“中傷”を歯牙にもかけていないだけだ。
普通にイベントに参加し、春を謳歌している。
東日本駅伝の時に盛んに言われた“放射線量の高い中を走らせるなんて・・・”
という言説。

無知をもって語られる屈辱を無視するように、汗を流す県民の多く。

春の陽光は誰にでも平等なのだ・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...