2013年4月12日金曜日

「おひさまのしずく」

郡山に「青い窓」という児童詩誌があります。それを主宰している青い窓の会が、子供達の詩を集めた「おひさまのしずく」という題名の本を出版しました。

サブタイトルは「福島の子どもたちから届いた大切な言葉」。
帯封にはこんな詩の一節が。

さくらの花がさくころは、うれしさとさみしさがりょうほう いっぺんに
やって来る。

小学校2年生の女の子の詩です。ボクが思っている気持ちをこの子は端的に言い表していてくれている。

この本には、古い詩、それこそ戦中に書かれた詩から、災後の、3・11後の詩までがおさめられています。

3・11後、子供達の詩集があちこちで発刊されていました。大手の新聞社を始め。学校でもそうです。
ただ、それらは、大人達が子供にいわば書くことを“強制”した詩。書きなさい、書いてちょうだい。気持ちを言葉にしてごらんと。それはそれで意味があることだったでしょうが。

青い窓は子供に書いてくれとは、書いてごらんとは言いませんでした。子供達が詩を書きたいと思うようになるのをじっと我慢して待っていました。

こどもたちからの詩が集まらない。隔月で出している冊子も諦めようかとも思ったそうです。

そんな時、子供たちからの詩が届けられるようになりました。活動を継続して行こう。そう大人達に決意させた詩。

被災した南相馬市を離れ、郡山にいる小学校5年生の子供の詩です。

ぼくには夢がある それは マッサージ師になること
三月十一日 震災がおきた だから 役に立てる人になりたい
それが できなかったら 車を売る人になりたい
車がきゅうにこわれたら すぐに 直せるから
こまっている人が いたらできるから
ぼくは いろいろな人が こまっている時 たすけたり
はげましたり することが好きだからなりたいんだ
まだ 震災が終わったわけではない だから たすけたい
そう思う だから たすけたい たすけたい

こどもが大人達に教えてくれているようなのです。シンプルな言葉で。

災後、特に福島では「子供たちを守ろう」という合言葉のもと、様々な呼びかけや運動が展開されてきました。今でもそれは続いています。放射能から守ろうと言うことなのでしょうが。

中にはどうしても「子供達」を前面に出し、いわば「ダシ」にしての運動や呼び掛けのように見えるものもあります。その「守ろう」ということは、物理的に守ろうということ。子供を守るという大義名分のもと、福島に住むことを悪しきことと断ずる他からの言辞も見られます。

でも、こどもたちは、確実に“未来”を捉えている、見据えている。根を張って生きようとしている。

女川中学校の一年生の子が書いた文章があります。塾でも紹介しました。
「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるのだ。人々は負けずに待ち続ける。新しい女川に住む喜びを感じるために」。

この子は復興だとか再生という大人が使う言葉を使っていません。新しく生まれかわるのだと“宣言”しているのです。

3・11が東北の地に力強い子供達を生んだ。それを見極めることも立派な「東北学」なのだと。

青い窓の創始者、故佐藤 浩さん。事故で全盲になった小学校の代用教員だった人。
彼が言っていました。
「よく見詰め、よく考え、ていねいに生きましょう」と。
そして「素晴らしい人間に出会うのではなく、人間の素晴らしさに出会う」のだ。とも。

大人達は「子供を守ろう」と言う。それは当然です。しかし、どこかで、子供たちから大きな力を貰っている、支えを得ていると思うのです。

真に子供を守ると言うことは、子供の素直な心を守って上げる。そういうことではないかと。

時々引かせて貰っている児童詩誌の話題・・・。そう、こどもたちの言葉は我々にとって、まさに「おひさまのしずく」のような気がして。

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