2013年4月18日木曜日

「土」の行方

長塚 節(たかし)の小説に「土」という名作がある。その本自体は、文章は難解であり、読みづらくあるのだが・・・。

その中にこういう一語がある。「世間が俄かに心細くなった」。

会津若松市に作られようとしている災害復興住宅。その建設予定地の土砂から環境基準値をわずかに超える鉛の成分が検出された。その鉛汚染土を処理出来る業者は残念なことに福島県内には無い。山形県米沢市の処理業者に処分を委託しようとしたところ、県の指示で処理、持ち込みを拒否された。

環境基準は1リットル当たり0,01ミリグラム。検出されたのは0,012・0,026ミリグラム。その数値をどう見るかはわからないが・・・。

その鉛が原発事故によってまき散らされた放射性物質に含まれていたのか、もともとそこの土壌に在ったものなのか。不明だ。その土砂に含まれているかもしれない放射性セシウムの検査も山形県に断られた。

山形県の担当者は言う。「震災瓦礫と異なり、放射性物質が検出されなくても、福島から土砂を持ち込むと言うだけで、県民から過敏な反応を受けるおそれがある」と。

県知事や米沢市長の見解は、残念ながら目にしていない。福島県知事が山形県知事に何か言ったのかもその情報には接していない。

山形県は福島からの自主避難者を多く受け入れてくれている県だ。
謝すべき隣県だ。

そんな寛容さを持ちながらも「土」はダメだということ。

会津若松と米沢は、喜多方を挟んで“隣接”している県である。明治の時代、時の福島県令、三島通庸は中央政府の命により、米沢と会津を結び、東京に通じる道路建設を完成させている。そのころ「土」という小説も書かれている。

宮城、岩手の瓦礫処理の時もそうだった。すべてが放射能汚染と言うレッテルを貼られ、処分を拒否された。自治体が受け入れようとしても、「住民」がそれを拒否した。

県内。遅々として進まない除染なるもの。剥ぎ取られた土は、いわゆる仮置き場に置かれる。
家庭ではどうか。自宅の庭に積まれる。
それらを“拒否”する人達もいる。どっか処分場に持って行くべきだと。

土は行き場を失っている。

人間は土が無ければ生きていけない。

きょうのNHK、被災地からの声は宮城県栗原市からの声だった。原発から数百キロ離れたそこでも、牧草に出荷制限がかかり、山菜、きのこの類も出荷制限、禁止。

山菜はいわずもがな、土がなければ生まれない。山菜採り、それはまさに旬の物を食べると言う楽しみの極致。「身土不二」そのものなのに・・・。

会津若松の土砂受け入れ拒否。その裏にはもしかしたら、他の思惑や事情もあるのかもしれない。処分業者も含めた。しかし、公にされて“事実”はそういうことなのだ。

何回も言う。地図上でひかれた線が意味するものは何かと。県境とは何かと。

長塚の小説の冒頭。
「烈(はげ)しい西風が、・・・痩(やせ)こけた落葉木の林を一日中苛め通した」。

擬人法的な小説の作法として読めば、何やら言い得て妙とも。

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