2013年4月22日月曜日

犬が見た光景

昨日、録画しておいたテレビ番組を見た。

NHKの「21頭の犬、ふるさとへの旅」。岐阜県のNPO法人日本動物介護センター、そこに原発事故後、全村避難によって住めなくなった飯舘村の犬たちの一部が保護されている。その中の21頭が一時里帰りした。
センターの理事長の決断によって。そのドキュメンタリー。

岐阜から飯舘まで800キロ。いわきで一泊しての長旅。滞在は、家族との再会の時間はわずか3時間。その記録。

犬達だけの話しにする。とにかく「そういうこと」があったという。

テレビから聞こえる犬の鳴き声で、寝ていたゲンキも起きだし、座ってじっとテレビと見ていた。ゲンキにその番組がどう見え、どう思え、彼が何を感じたかはわからないが・・・。

長旅の末、およそ2年ぶりに帰ったふるさと。飼い主たちとの再会。もちろん犬達は喜ぶには喜んだが・・・。

何にかが違う。みんなそう感じていたのだろうか。飼い主とじゃれながらも、住み慣れた家に行くと様子が違う。
よく遊んでいた、散歩に行っていた場所に連れていっても、様子が違う。家に見向きもしなかったり、自分の小屋に一瞥をくれただけだったり。

いつも飼い主のお父さんが乗せていた軽トラの荷台にだけはあがりたがる。そこで好物だった食パンをむさぼるように食べる・・・。

見慣れていたはずの光景に違和感を持つ。多分、見えるものが違っていたのだろうか。何かを感じていたのだろうか。マーキングした跡が消えたのか。

“汚染土”として、剥ぎ取られ、野積みにされた土の山を異様に感じたのか。

たぶん、犬から見た光景と人間達が見る光景が違ってしまったのかもしれない。
余人が介在していたからかもしれない。

とにかく犬には「ふるさとに帰ってきた」という実感が湧かなかったのかもしれない。わからない。

犬は賢い。3時間で「帰る」ことがわかっていたのだろう。飼い主との再会を喜びながらも、割り切れない思いが支配していたのだろう。飼い主を恋焦がれていたのだろうが。

帰る時間になった時、犬達は、当然のようにバスに乗り込んだ。狭いケージに入った。躊躇するそぶりも見せないように。

番組の最後。一人の飼い主が匂いを染み込ませた敷物をあげた。岐阜のセンターに帰った後、彼はその敷物だけが頼りのように、その上で寝息を立てていた。

まだ里帰りする前、飼い主が送ってきた新しい首輪をうれしそうに、本当に嬉々としてまとっていた・・・。

犬は本能的に自分がおかれた運命や環境を理解している。そのはず。岐阜のセンターが自分の住むところだと思ってしまった。「仮設」であっても。

5年前、東京の家を完全に引き払って郡山に“永住”することになった。東京の家を離れる時、普段は絶対に車に乗ることを拒否していた澪が、黙って車に乗った。ゲンキもそれに続いた。
心配していた東京から郡山までの車中。おとなしかった。郡山に着いた時、車から降りると、真っ先に「家」に向かって玄関で開くのを待っていた。
玄関のドアをあけると、二人は家の中に駆け込み、全部を“点検”し、自分たちの居場所を決めていた。

毎日の散歩。数日で、二人は光景や匂い、道を見分け、すべてを決めていた。東京とは全く違う家を自分の家と認識していた。
震災の前年、澪は死んだ。その顔は安らかだった。

ゲンキは車に乗りたがる。いや、澪が死んでから、一人にされるのを極端に嫌がった。車で出かけ、帰って来る時、寝ていたはずが、家が近くなるとむっくと起きだし吠える。家が近いということがわかるから。

飯舘村の犬の話を見ながら、ゲンキは何を思っていたのだろう。こころなしか、傍を離れないぞという素振りを見せたような・・・。

飯舘にいた犬達。もっと悲しい目にあった犬もいる。一人、留守を守っていた犬も。放浪せざるを得なくなった犬も。

“人生”を狂わされてしまったのは犬も同じだ。

とにかく、今日は「犬だけ」の話を書いた・・・。Dog is godとあらためて思いながら・・・・。

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