2013年4月20日土曜日

「逃げた」をめぐる視点

タウン誌コラム校了。しばしゲンキ君と戯れてみるか・・・。彼は逃げないから。

コラムの本旨、「逃げた、逃げない」ということを巡って・・。終わった市長選だが。

逃げた、逃げない。それは一昨年のこの時期にさかのぼらなければならない。
真実は藪の中のままだが、東電は原発から逃げた。全員退避を言った。
その間に「福島フィフティーズ」の話が生まれていた。

政府もほとんど逃げ腰だった。即座の対応含めて。

それからしばらく・・・。東電に政府は巨額の融資を行った。東電を潰さないために。
国有化すべきだった。今の福島原発の現状を見るにつけ尚更。なぜ国有化をしなかったのか。あらゆる事の責任や賠償その他含めて、世間の耳目が政府に集中し、官僚機構含めて、今、東電が問われていることの様々を政府が被ることを嫌ったからだと思う。逃げたのが。国としての責任から。

国の主導のもとに行われた原子力発電政策。国は東電におっかぶせ、責任をうまい具合に転嫁した。東電はいわばスケープゴードだったのだ。

東電も何故企業の存続を求めたか。電事連はじめ、各電力会社からの“圧力”めいたものがあったからではないか。もし国有化されれば、他の電力会社に与える影響は大きかったから。たぶん、東電は逃げたかったのだと思う。本心は。
逃げ切れなかった・・・。

逃げの姿勢でしかない当事者。その中から生まれ来るもの・・・。

政府は「国民の生命と安全、財産を守る」という憲法の基本理念があるにもかかわらず、国民に対する責務から逃げた。
憲法は国民の権利のために政府に義務を課したものであり、政府が国民をないがしろにする“権利”を与えたものではない。

復興庁を作り、復興本社を置こうが、一旦逃げた人達の感覚からは、もはや立ち向かうという覚悟は失せている。

それが、今のあの福島第一原子力発電所のあの「惨状」なのだ。

東電を擁護しているのではない。東電だけを悪者に仕立てあげている政府の在り方に疑義を唱えているのだ。

それは民主党政権であれ、自民党政権であれ同じだ。所詮、こと原子力政策に於いては究極、彼らは同じ穴のむじななのだ。

何年、何十年先の事を言いながら、現実逃避を図っている。それが今のこの国の空気。

それにいかにしてあがらったらいいのか。

むき出しのままの配管やホース。シートで覆っただけの配電盤。目途のつかない汚染水の処理。

東電という一企業の限界を越えている。それを一番よく知っているのは政府・・・。

この夏の電力供給は大丈夫だとされた。電力不足にはならないと国は言った。
国民はすぐさま反応する。「原発が無くても大丈夫じゃないか」と。
政府はせめる。「コストがかかりすぎて経済成長を阻害し、電気代の値上げになる」と。
夏の電力消費量の数値目標も出さないと言う。とにかく、国民は、この夏の電力不足からは逃げられた・・・。またも湯水のようにジャブジャブと電気が使われるのだろうか。

ジャブジャブとあふれ出る冷却水問題から、土も海も人間も逃げられない。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...