2014年7月31日木曜日

「孤塁を守る」ということ

人間、土と水、海がなければ生きていけない。土を抜きにして人間の生は語れない。
人間は土にこだわり、土に愛着を持つ・・・。

東北は、過去、決して肥沃な土地ではなかった。穀倉地帯でもなかった。肥沃な土地にするために開拓、開墾が行われてきた。
郡山の歴史。安積開拓。農民と入植者たちが鍬をふるって開墾してきたものだ。

我々が食べるということができるのは土のおかげだというしかない。海のおかげだというしかない。

青森県の大間に「あさこはうす」というのがある。
Jパワーが建設する大間原発に反対して、土地を売らなかった人。最後まで自分の土地を手放さない人。たしか小笠原あさこさんという人の持ち家。土地。

土を守るために、土を生活するために孤塁を守った人だと思う。

あさこさんは8年前に亡くなっている。娘の厚子さんが、孤塁を守っている。周り全てがJパワーの土地。
その中にある一軒の家。
大間原発建設反対の象徴のようにいわれている。でも、決して「運動家」ではなかったはず。
農民の信念なのかもしれない。

「あさこはうす」は福島原発事故のあと、急に脚光を浴びた。マスコミも一時取り上げていた。今はあまり話題にならない。

「あさこはうす」を知った時、連想として浮かんだのが、三里塚の団結小屋。

東京国際空港の建設地が、いろいろ候補があったのが、結局は千葉県成田の三里塚。御料牧場である国有地と農地。その農地は「一坪地主」に細分化され。

農民は反対運動に巻き込まれ、立ち上がり、学生運動家を中心に「援農」としての運動の激化。反対同盟と国、機動隊との連日の衝突。多くの死傷者。

農民にとっては土を守る戦い。運動家にとっては“思想”の戦い。反体制の戦い。その象徴が「団結小屋」。

成田空港から一日何百便の飛行機が離着陸し、はなやいだ雰囲気に包まれるなりた空港の日々。
そこでかつて壮絶な戦いがあったことをどれだけの人が記憶しているだろうか。

芝山小屋というのがその中心だったという記憶。

空港建設が進み、一つの団結小屋だけが、孤塁として、毅然として立っていた。
最後の“生き残り”が小屋を明け渡したのは、2年前くらいだ。

三里塚の農民たち、入植者たちにとっては「土」を守るための闘いだったはず。

その、数々の話題、学生運動にとっては“挫折”なのか。テレビ局の番組クルーが反対派の角材を積んでいるのがみつかり、それはテレビの在り方にまで波及したこともあった。

農民たちは国家によって「土を奪われてきた」ことの戦後の大きな闘争の原点。

それはもはや語れることも無くなり、忘れ去られてもいる・・・。

そして、今、土地を奪われた農民が、福島に存在する。海を奪われた漁師が福島に存在する。

そして、沖縄では、海を守ろうとするオバアが工事車両の行く手を阻むため、トラックの前に素手で一人立ち、「入るなら私をひき殺していきなさい」と静かな声で運転手を指さしている。

傍には反対派の人たちもいるが、そのオバアの姿は「孤塁」に見えるのだ。

かつて天安門広場の前で戦車の前に一人立ち向かって行くてを阻んだ若者がいた。
タイでも、軍隊の前に一人立つ年かさの女性がいた。

武器を持たない民を戦車はひき殺せない。素手ということの偉大さ。

浮かんできた「孤塁」という言葉、姿にこだわってみた。孤塁が悲しいのではない。それを思い起させる、今のこの国の姿が悲しいのだ。

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