2014年12月10日水曜日

「産んだらどうなるのか」。麻生発言から見える世相

特定秘密保護法が今日から施行される。
何が秘密なのかは秘密と言う法律。少なくとも公務員を縛るなら、現行の法制で十分だと思うけど。

報道だって、一発の「恫喝」で委縮しているわけだし。

選挙報道らしい報道が無くなったテレビ。最近はもっぱらゴマスリにも見える。
媒体としてのテレビへの依存度、視覚、聴覚に訴えてくるメディア。
そこで連日垂れ流されている番組。

視聴者から、国民から、「考える力」を奪っているような。

選挙の真っ最中なのに、話題はもっぱらノーベル賞。それも衣装がどうだ、晩さん会がどうだと。視点がおかしい。

なんか息苦しい世相となったもんだと。

麻生太郎がまた「暴言」を吐いた。
「アベノミクスで効果を出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力が無いからだ」。
そして・・・。少子高齢化に伴う社会保障費増について・・・。
「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいるが、子供を産まないのが問題なんだ」と。


斜に構え、マフィアもどきの格好をして、やくざまがいのべらんめえ口調。

本物のヤクザ屋さんの親分も言って来た。「とっちゃん、ありや無いぜ」と。

産まないのが悪いとしよう。ならば産んだらどうなる。
誰だって子供は産みたいんだよ。そのために涙ぐましい努力さえしている人もいる。

そして親は必死になって子どもを育てているんだ。

友人が息子さんを亡くした。37歳の息子さん。手塩にかけて育て、結婚式に招かれた彼。

親の悲嘆を思うと、筆舌には尽くせない。

「産む」、「生」と言う字に重なる。生ということにこだわる。

「生」とは政治の基本なのだ、

”生ましめんかな“。栗原貞子という被爆詩人の書いた詩。実話だ。
原爆投下後、防空壕の中で一人の妊婦が産気づいた。大けがをしていた産婆さんは、身を引きずるようにして、その赤ん坊をとりあげた。産声を聞いてその産婆さんは息を引き取った・・・。

子を産む、生むとはそういうことなのだ。

日本のこどもの6人に一人は「貧困」なのだ。満足にものも食えないのだ。
平均所得半分の収入しか得られない働く母親。おかずの無いおにぎりが精いっぱいのご馳走だという。
昼飯は食べていないとも言う。

「おにぎりパーティだよ」と言って親子が励ましあっていると言う。

週一回のボランティアによる「満足な食事」の提供、それがその子たちの栄養を支えている。

産んでも育てられない社会システムなんだよ。政治の貧困が、劣化が招いた。

ボクは餓えの苦しみを知っている。食べ物が無いと言うことがどんなに辛いのかを知っている。

3・11後の避難所の光景も知っている。まず問題になるのは、一番欲しいのは食べものだということを。

生きるために人は物を食べている。

いくら釈明会見をしようと、その言は「放たれた矢」なのだ。看過できないことなのだ。

麻生の“暴言”には馴らされてしまっているのか。この発言問題をメディアは大きく取り上げない。釈明会見を小さく扱って「お・わ・り」。

これも恫喝の為せる業か。

なぜ麻生があんな事を言ったのか。政治をやぶにらみ的に見れば、財政政策では安倍と麻生には考えの違いがある。財務省のドンは、いきなり増税派だ。安倍は1年8か月延期した。

遠回しな安部への牽制球かもしれないが。

産まないかではない。産ませられないかが問題なんだぜ。

たらふく贅沢している政治家には、食えない子どもがいることなど念頭にないのかもしれない。

余計なおせっかいだったかな。おぼっちゃま方。

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