2014年12月22日月曜日

「転ばぬ先の杖」という諺


昔から伝わる諺、洋の東西を問わず、そこには真理が内在している。
けだし名言というのもある。
人生の英知も、数々の教訓が含まれているのもある。


「転ばぬ先の杖」、言わずとしれた“万が一に備えて十分な準備をしておくこと”だ。

「3・11」以降、福島県民を、母親たちを悩ませている問題は、原発の爆発事故により“放出”された放射性物質、ヨウ素の問題。

県は18歳以下の子供たち36万人を対象に「甲状腺検査」を行った。ガンと診断された子や疑いがあるとされた子供の数は73人。
子供の甲状腺がんは通常では100万人に2人と言われているから、検査した数が過去と比べて多いとはいえ、やはり心配の種だ。

それが原発事故に由来するかどうなということになると、行政や医師の多くからは、「今までの知見からいうと因果関係は、放射線の影響は考えにくい」とされている。
突き詰めていくと「わからない」という領域になる。

検査体制は十分ではない。問診ですまされる場合もある。きちんとしたエコー検査を全員が受けているとは言い難い。
一つにはその検査を出来る医療機関が少ないということもある。

今、発症しなくても将来、発症する可能性だってある。それが問題だということ。
昨日のNHKスペシャルの番組。放射線が、それもヨウ素を大量に含んだ放射性物質が大量に拡散され、それが広範囲に及んでいたことが実証研究で明らかになった。ことは福島だけでは済まないともいえる。

とにかく、これだけ医学が進んだ現代にあって、未だ「わからない」という結論で済まされることへの違和感。
分らないということは可能性があるともいうことだ。

ならば転ばぬ先の杖ということにはならないか。

それが何であろうとも、この事に関しての親の悩みは尽きないのだ。

目に見える復興なるものはいささかでも進んでいるように見える。道路の開通、建物の復旧・・・。
眼に見えない復興。それを「復興」という言葉でくくるのは全くもって違っていると思うものの、それは大方為されていない。

子供支援なんとかという法律も出来た。その支援の中に、「可能性があるこども」への方策はなされているのか。
要は「医療体制の充実」ということに尽きるとも思えるのだが。

諺ではないが、慣れ親しんできた「いろはかるた」。そこにも“真理”がちりばめられている。
犬も歩けば棒にあたる。論より証拠などなど。

かるたの言葉だって、今の“悩み”を言い表しているかもしれないし。

備えあれば憂い無し。それは諺の分類か。
原発再稼働予定の地域では、自治体がすでに「安定ヨウ素剤」の備蓄は配布方法まで検討に入っていると言うし。

いろはかるたからの飛躍。薩摩に伝わる人生訓を盛り込んだ日新公「いろは歌」。
島津忠良が作った“数え歌”。今でも伝承される。

「いにしえの道を聞きても唱えても我が行いにせずは甲斐なし」ではじまるもの。
「もろもろの国や所の政道は、人にまつよく教え習わせ」というくだりもある。
国民によく知らせ、理解してもらってこそ効果が期待でいるというような意だとか。

名君いずこに有りやの心境にて。

こんなことばかり、苦言、小言ばかり言っている、書いていると、どこかから言われるかもしれない。

「年寄りの冷や水」って。カルタにはあるのです。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...