2014年12月13日土曜日

「党首力」ということ

「党首奮戦す」「党首を追って」・・・。選挙のたびごとに登場する新聞・テレビの“企画”。内容は毎回違っているようだが、代わり映えのしない“企画”だ。
ひな形決まっているような。

「4年経ってもなにも変わっていないことを実感します。変わったものと言えば空き地が増えたくらいか・・・」。
知り合いからの新年会の案内状にあったひとこと。

選挙の実態も、選挙の在り方も、選挙報道も、ある意味「日本の分岐点」であったと思っている「あの日」が「その後」があっても、それは旧態依然であるということ。

それはともかく、選挙運動も今日かぎり。明日の朝刊には「最後のお願い」という見出しが書かれるだろう。

そして意味不明の「清き一票」。なんで「清き一票」と呼ぶのだ。「汚い一票」ってあるのか。

まだ、たぶん、票が金で買われていた時代の名残の標語なのだろう。

何も進歩していない・・・。清くても清くなくても一票は一票。

そして“正義”としての合言葉。投票に行こう。行くのは当たり前のことなのに、それが、叫び続けられているという「不毛」。

なぜ選挙に行かない人がいるのか。それは選挙が政治が「つまらない」からだ。
選挙民だけにこういうときだけ権利の行使を呼びかけるという”愚“。
選挙という手段を伴った民主主義は日本にはいまだ定着していないということか。

投票に行くことが、どちらの勢力を「利する」と言うことは別問題じゃないのか。

政治が国民の側に「降りてきて」いれば、みな選挙に喜んでいく。行かないのはそこに「多いなる乖離」を感じるからだ。

でも、あらためて言う。いささか表現を変えて。
「選挙に無関心であっても、選挙は、その結果は、あなた方にとって無関係出はない」と。

今夜、各党の党首は、遊説の締めくくりとして、おおよそが東京に集結する。
クリスマス気分の都心の繁華街に絶叫が谺する。

選挙はある意味「党首力」が物を言う。それは小泉劇評型で実証されていたこと。

安倍の選挙応援日程、大変な日程だ。東奔西走だ。新聞の首相動静を見ればその日程は克明に記されている。さぞ体にこたえるだろう。移動だけでも。でも、安倍は楽しそうだ。楽しければ辛さは半減する。
新聞の首相動静と見ればわかる。楽しければ疲れもふっとぶ。

野党の党首のとて過酷な日程であることには変わりはないのだが。それは楽しんでいるようには見えてこない。苦しそうにさえ見えてくる。
形勢が悪いからだ。

首相動静は特定秘密保護法の対象にすべきなどとのたまわった自民党の“大物女性議員さん”もいたが、その法律は今日から施行される。いつの間にか閣議で決まっていた。

そういえば、昔、応援遊説を断られた首相もいたなんて“故事”もあるが。

少なくとも「党首力」では安倍が勝っていた。常に勝ち誇っているようだった。

野党、とりわけ海江田。なぜ民主党は彼を党首に選挙をしなければならなかったか。替えておかなかったか。
常在戦場なんて言葉は与野党問わずあるはずなんだけど。

彼からは「党首力」は感じられない。完全に埋没した一部野党にもそれはある。

大勝するであろう自民、それがこれからどうしてくいるか。明日以降また考えよう。ボクから見れば、よりおかしな国、危険な国になって行くような危惧はあるのだけど。

そして、選挙後は、野党再編だな。野合ではなく、自民・公明に対抗出来る野党勢力を作くるための。

野党が存在感を示さない限り、政治は健全なこのとはならないのだ。

社会党がかつて健在だったころの日本の政治はまだ「まし」だったのだ。
自民は常に野党、社会党を意識して政治を行っていたから。

これからある会合に行く。講師は95歳。話しぶりはいささかこころもとない。
しかし、皆、その会員は心待ちにしてそこへ行く。

その人に会いたいと思っているから。一つの「人間力」だとも思う。
選挙とは関係ないことだけど・・・。

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