2014年12月12日金曜日

「原点は“福島第一”にある」ということ

この選挙、「争点」に原発問題がなることを期待していた。淡い期待を抱いていた。やはり見事に肩透かしをくった。
なんら争点どころか、話題にすらあがらなかった。

再稼働云々の前に「福島」の問題があるはずだ。「福島」が突き付けた問題は、国の有り方を考える問題のはずだから。

安倍の土俵に乗るべきではないと言った。しかし、野党は見事に乗った。勝てるはずの無い土俵。

安倍は横綱相撲を取り、野党は幕下以下のような相撲。

3年9か月前、日本中は「原発」の恐ろしさを感じ、怯え、ふりかかる火の粉を払うのに必死だった。

やがて、「福島」のことは「福島だけ」のこととされた。

「福島」は福島県から立候補している人達の間でも正面切っての的にされない。

一応触れてみる。といった程度。

原発問題は「福島」を通り越して、再稼働論議に収れんされて行った。

どこの議席がどうだ、情勢がどうだとマスコミやネットが湧く中で、こっそり決められていたことがある。選挙で無ければ大問題にされているようなことが。

規制委が原発作業員の被ばく限度を引き上げた。年間100m㏜から200へと。

被ばくの健康への影響、いまだその実相はわからない。200に上げて大丈夫なのかどうかも。

なぜ引き上げたか。作業員、特に熟練作業員が限度越えで“戦線離脱”を余儀なくさせられているからだ。
作業員確保のためには、そこに留める算段をしなくてはいけないからだ。

遅々として進まなく見える”廃炉“に向けての作業。荒れ果てたままの”無人地帯“。
常磐道の開通時期を早めたと誇示するだけの首相。

再稼働目前の鹿児島川内原発。そこに応援に入った首相は、原発のことはほとんど素通りだということ。

「原発事故」は汚染や廃棄物や、健康被害だけで語り得るものではない。

国の根幹、「人心」に関わる問題なのだ。

風評を生み、差別を生み、忌避を生む。人間の「賤しい部分」が露呈される問題なのだ。

もはや「福島の問題」は、一部の地域の問題とされてしまったのだろう。

もし、もしの話しはしたくないが、再稼働があって、いや、再稼働が無くても、福島以外の原発が事故を起こしたらどうなるのか。この国が。

ちょっと想像力を働かせればわかること。

オール沖縄というスローガンが沖縄での選挙戦では使われている。自民が(除名されたから元自民か)共産の候補を支援し、共産も自民候補の支援をする。
思想は違うが沖縄を思う心では一致すると。
70年以上にわたる沖縄県民の苦悩が、知事選でも国政でも「オール沖縄」という根源的な部分で合致する。

「オール福島」だってあっていいはず。党派を超えての「県民意識」があっていいはずだと思うが。少なくとも彼ら候補者は、福島の実態を知っているはずなのに。
選挙戦で応援に引っ張りだこの小泉進次郎だけか。福島に言及しているのは。

国の衰退にも関わる原発問題。その原点は「福島」にある。

あの時の“当事者”のせいだけにしていても始まらないのだ。当事者の一人である海江田にしても福島を語らない、語り得ないということ。

数合わせ要因としてだけ必要とされることを受容する福島県5選挙区の候補者。

選挙の二日前にこんなことほざいたとて、いかなるものでもなかろうが・・・。

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