2014年12月9日火曜日

「矢は弦を放れた途端・・・」。

「矢は弓弦から飛び去るやいなや、もはや、射手のものではない」

ハイネの“告白”にある一行。もちろん「矢」とは「言葉」のことだ。

政治家の言葉は軽い。あまりにも軽い。
麻生太郎への、いまさらながらの苦言。

前言を恥じることなくひっくり返すし、出来もしないことを出来るように言う。
アベノミクス。

三本の矢だという。矢はすでに放たれた。的に当たったか。かすめたか。
大方は的外れだ。

外れた矢はどこに向かう。そ、その弓道場で見学している人のところか、場外にいる人か。

場外にいるあなたにですよ。矢が飛んでくるのは。
その矢を落とすこともままならないあなたへですよ。
的外れの矢にあたったらどうなりますか。

ちょっと想像してみてはいかがですか。

とにかく、放たれた矢は射手の思惑からは外れてしまっているようだ。でも、それを「当たった」と言い張っているように見える。

株高・円安。それが何を招いているのか。デフレは克服できているのか。

歓迎する向きもある。そうでない人も多い。

一部の人が、企業が富み、その他の人は貧しく、しわ寄せを受ける。

日本の縮図だ。

一部の大手企業の社員はある程度恩恵に浴した。でも・・・。

お金はそれなりに使っているが、得たものは少ない。
物を買っては見たが、楽しみは少なくなるばかりだ。
家は大きくなったが、家族の形は小さくなった。

便利なものが次々に生みだされる。でも、自分の時間は少なくなった。

寿命は延びた。でも、真の意味で生きてはいない。

コンピューターは進歩する。生み出したのはコピーだけかも。

月まで、火星まで行けるようになったのに、隣人とは、人とはトラブルが絶えない。

コンビニではなんでも売っている。でもそこの食べ物は消化が悪い。

利益、利益が優先され、人間関係は希薄になる。

体だけは大きくなっても、人格は極めて小さい人が多い。

原発は新しいエネルギーを生み出したが、失われたものも多い。

それに誰も気づいていないということ。

そんな時代なんだな。今は。

誰がどんな言葉の矢を放つのか。射手のものでは無くなった言葉をどう捉えるのか。

選挙カーは矢のように走り去っていく。
センセイはただひたすら走る、走る。握手、握手。作り笑顔。
そこには「言葉」がほとんど介在していない。

ハンドマイクから飛び出す「言葉」は無味乾燥としている。

政党を選ぶか、政治家個人を選ぶか。
自民党支持だけど安倍は嫌だ、怖いと思うか。

親からあの戦争時のことをしっかり聞いている人は、やはり安倍は怖いと言う。
言って来た。

#とりあえず自民以外で。これもどこかにある流行りを追う風潮にも見えるし。

自民党議員の、支持者のすべてが安倍支持ということなのか。

少なくとも、かつての自民党と今の自民党はすっかり変わった。
往時を知る者にはその感が大だ。

党内には自浄作用があった。胸ぐらをつかみ、灰皿が飛び交う。みっともない光景だが、それも自民党の多様性だった。

師走の風は、矢の向かう方向を間違わせているのかもしれないし・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...