福島県の南相馬市にあった「特定避難勧奨地点」がきょうをもって解除された。
142地点、152世帯が対象だ。
これで県内にあった特定避難勧奨地点はすべて無くなったことになる。
こう書くと、いかにも「復興」なるものが「復旧」なることが進んでいるように受け取られるかもしれない。
解除を決めたのは政府の原子力災害対策本部だ。この夏に実施されてモニタリング調査で、年間の積算線量が20ミリシーベルトを下回ることが確実になったというのがその理由。
年間10ミリ、一日0,23μ㏜。この数字が、除染を含め、“被害”の基準だったが、これも20ミリに引き上げられた。
帰還に向けた住民説明会は数度行われてきた。そのたびに住民からは「まだ線量が高い。なぜ解除するのか」という疑問が多く出されてきた。
最後の説明会でも反対一色のような空気だったにも関わらず、国は解除を決めた。
国の真意がわからない。
ほとんどの住民は帰還しないという。「住民の理解が得られないままの解除」ということ。そこに住むのは、その住民だった人のはずなのに。
そこに住むべき人たちは「納得」していないということなのだ。
避難指示は解除された。でも誰も帰らない。
いわゆる「ホットスポット」なるところを巡る福島の中の「小さな実相」。
納得と言う言葉の意味を考える。そこにある「線量」の実態を問題とするのか、国の方針、説明を指すのかも含めて。
「丁寧な説明をしていく」。もう耳にタコが出来るほど聞き飽きた言葉。その説明がなされたのだろうか。今回だけのことでは無い。たとえば中間貯蔵施設をめぐる動きだってそうだ。
都路地区への帰還の時のそうだった。
南相馬市だって、国と住民の間にたって有効な施策はとれない。市は健康調査などの検査体制を充実させると言うが、それは「納得させる」手段足り得ない。
特定避難勧奨区域に指定されていたところは、たとえば川内村の一部や伊達市にもあった。解除されている。でも、帰る人はほとんどいない。
「帰れるけど帰らない」。
そこには“賠償金”の問題もあるかもしれない。
国を一方的に責めてもラチがあく話でも無い。
4年という歳月が生んでしまった事象なのかもしれないが。
歳の瀬になって、揺れ動く南相馬の7つの行政区の人たち。
どんな思いで新年を迎えようとしているのだろうか。仮住まいで年越しのささやかな準備をして気を紛らわしているのだろうか。
国にすれば「年内決着」ということなのだろうか。
2014年のうちに特定避難勧奨区域が無くなった。
誰がそれを誇らしげに言うのだろうか。
152世帯の苦悩する人たちが存在するということ。
住民合意を言い、丁寧な説明と言う言葉に内在する“民主主義”。そんな観点からこの事象を見るのは大仰なのだろうか・・・。
2014年12月28日日曜日
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