2014年12月25日木曜日
「決められない自分の人生」
きょうもまた見ることが出来た。NHKの「被災地からの声」。
本宮の仮設住宅が“舞台”だった。浪江から移ってきた人たちの声。
11人家族だった人が3人暮らしになっている。
語る言葉も持たない人も。
本宮で友達が出来た人も。
浪江のほとんどの場所は帰還出来ない地域だ。解除準備区域や居住制限区域もあるが、宿泊は出来ない。家を見に、片付けに日帰りで数回行くしかない。
家は大方が荒れ放題だ。人影の無い町だ。
「帰る」という命題。仮設に居る人たちは「帰りたい」という。でも、本心では諦めている。一時立ち入りで見た光景を思えば諦めが支配する。
でも、戸惑っている。頭の中ではわかっている。帰れないということを。でも、心の奥襞の部分では、やはり「帰りたい」という願望がある。
新しい生活を始めた人もいる。その人たちも将来の生活がどうなるかは不安で一杯だ。
仮設がいつまであるのか。帰れないならどこへ行く。自分の生き方を自分では決められない人達がいるということ。
この番組を「お涙頂戴」と言った人もいる。東北だけの放送をさして「傷のなめ合いだ」と言った人もいる。
そこに居る人たちは「奪われた日常」をどうにかして取り戻したいと思っている。仮設暮らしが「日常」だと思っている人はいない。日常視化されてはいるが。
そして、奪われた日常の中で、どうにか支え合って生きている人達が居る。そのことは“忘れられて”いる。
そういう人達が居ると言う“現実”を付きつけてくれるだけでもこの番組には意味を見出すのだが。
南相馬の原町区に住んでいた若松丈太郎という老詩人がいる。
「3・11」後、詩人が書いた「神隠しにあった街」という一文に接した。
それはチェルノブイリの後、現地を訪れて書いたものだが、そう15年以上も前に書かれた彼の地の描写が、そのまま、3・11後の福島に当てはまっているということ。
災後、彼は詩を書かなくなった。書けなくなった。ようやく、新たな詩集を書いた。「我が大地よ、ああ」という詩集。
装丁に書かれている言葉。「原発爆発しっちまって」。
「ひとのあかし」という詩が載せられている。
“ある時以降、耕作地があるのに作物を栽培できない。家畜がいるのに飼育できない。魚がいるのに漁が出来ない。ということになったら、人は人であるとは言えないのではないか”
双葉郡8町村から避難してきている人には、賠償金というカネの話がついてまわっている。それを巡っての反目しあう人間関係も生まれた。
“奪われた日常”。その不条理、理不尽。それはカネ目では償えないものなのだ。
仮設の集会所では、支援や慰問が行われている。多くが「励まし」だ。
考える。
それは行われているかもしれないが、この詩人の詩を朗読するってことはあったのだろうか。それを読むことは避難者の心の傷に塩を塗りこむってことになるのだろうか。
悲しみや苦しみ。それはどん底までいかないと“再起”にはつながらない。
哀しい時に悲しい詩を読みふけり、自分をどん底に追い込んできた人生をやってきた覚えがある。
自分の人生を自分で決められない。当ても無く待つだけという現実。
他人事だけど、哀しい。
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