2014年12月7日日曜日

「希望」・・・そして静夜詩、いや思。

牀前月光を看る
疑うらくは是れ地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低れて故郷を思う

朝びっくり。まさに地上の霜が・・・。冬、実感なのであります。
遠望する山の稜線は美しくありました。

昨夜、部屋の灯りを消して、ペレットストーブの炎を眺めていました。
炎は想念をもかきたてて・・・。光は、炎は希望の灯りだともいうけれど・・・。

昨日、何かと忙しくはあるのだけど気分転換に本を整理してみた。災後に買った本。
よくもまあ、こんなにと言うくらい。よく買えたもんだとも。50冊を優に越えている・・・。そんな中に、ツナミの涙含めて、あの時、あのころを記録した本も多数あった。

あの時、いや、それ以降も「本」に何を求めていたのだろうか。何かを、求めていた。

たとえば放射能の知識を得るため、たとえば、自分の“空白”を埋めるため、東北の歴史、原発の歴史を知るため、この国の姿を掘り下げるため・・・。もろもろだ。

あの頃、この国は、自分自身は勿論だが、「絶望」に支配されていた。今も続いていることではあるのだが。

「希望」と題する本が数冊あった。希望の国・希望の地図・希望の王国・・・。

絶望と希望。その対極にある二つの心理を、どう消化していくのか。
そんな心情が本を求めさせたのかもしれない。
作家が紡ぎ出す「言葉」の数々にすがりたかったのかもしれない。

希望とは何か。たとえば一冊にはこうある。

「そもそも、希望とは与えられるものなのか。自分の外で光輝いているものなのか。さらに言えば、希望とは未来にあるものなのか。
そうではない。希望はいまの自分の中にある」と。

別の本にもこうあった。
「人々の切なる声は、震災と言う試練だけではなく、大きな試練を前にした私たちに本当に必要なのは、自ら見出す“希望”であることを教えてくれた」。

だけど・・・未だに「希望」ということがわからない。
そして、作家たちも、その多くが被災地に対して「希望」という言葉を使わなくなった。

なぜなのだろう・・。そんな“哲学的”問いかけ。絶望と希望の狭間にある「現実」。

未だに「復興」ということに理解が出来ない。誰でもが口にすることだけど。

元に戻すことが復興なのか。もうすべては元に戻らないはずだし。

カネをいくら積んでも「心の復興」には行き着かない。

復興とは、想像力に基づいた新たな創造なのかもしれないし。
被災地からそれが生み出されれば復興ということになるかもしれないが。

まだ、財布の中に一枚の切符を持っている。釜石発復興未来行き。諦めない限り有効の切符を。三鉄は開通した。でも、まだ「復興駅」には行き着いていないと思うから。

きょうもまた「明日行き」の切符を思いの中で買うだろう。明日に向かう電車に乗るかもしれない。明日になって何かが変わっているとは思えないが。

すでにして、変わることを誓った人々が、国が、それを“放棄”したようにも思えてならない。
変わることを放棄した。それは思考の停止だ。
受け身の楽観主義だ。

それを排したい。そして、死を想え。メメントモリ。

真夜中の静寂はそれを思うに恰好な時間でした。

無残ともいえる写真集をも見ました。

あの光景は忘れ去られているように思える今。
そして蘇るあの日の夜の寒さ。

忘れるという字は、心を亡くすと書きます。こころよ、どこにも行くな。ここにとどまっていてくれ。そして俺をもっと、もっと悩ましてくれ。

寒いであろう街に暫時出かけます。あの頃と今の街の光景はたしかに変わったけれど。確実なのは「空き地」が増えたこと・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...