2014年12月21日日曜日

“過去”と“今”はつながっているはずだが

何も大仰な事や、哲学、歴史の話を書くのではないが。

自民とはかつて派閥の集合体であった。政党とはおおむねそうだ。
派閥は“悪”と言われ、何度も派閥解消が叫ばれ、あるいは離散したり、あるいは名称を変えた。

池田派、佐藤派、河野派、藤山派と言われた時代はその区分けはついていた。今、自民党の派閥がどういう系譜であるかが、さっぱりわからなくなった。

安倍晋三は福田派の系譜である。福田派は元は岸派。いわゆる、かつてハト派とかタカ派とか多彩な自民党の中での区分けを引けば「タカ派」の延長と思う。

その派閥は何時の間にか「町村派」となっていた。派閥の長が無くなったり、政界引退をすれば代替わりをする。その結果としての町村派。

安倍は三権の長である。行政府の長である。立法府の長は衆参の、特に衆院議長だ。そして司法の長は最高裁長官。

国権の最高機関は国会。だから議長はもっとも権威ある府の長だ。

間もなく選挙後の特別国会が召集される。そこであるのは「院の構成」。当選してきた議員の議席の指定と正副議長の選出。

その衆院議長に町村派の長、町村信孝が選出されるという。正副議長は党派を離脱するということにはなっているが、要は同じ派閥の人間が行政と立法の長になるということ。

二つの「権力」を昔の福田派、清和会(これも昔の名称だが)の人が占めるということになる。

前議長の伊吹はどうも安倍にとっては「煙たい」存在だったようだ。憲法の問題や、安保政策について、その他もろもろの政治路線に異があったようだ。

同じ「村」の人が気心の知れた人が議長になる。安倍にとっては心強いことこの上なかろう。

意見の違う人を排斥するのが安倍の得意技の一つだから。

爆走は続くということか。

派閥、それは自民党史でもある。昔のことを言っても仕方がないと思われるが、昔は今につながっている。党内抗争の元も、この派閥に由来する。

昔は昔、過去は過去、今は今とよく言われる。でも、少なくとも自民党の中で、派閥の系譜は根強いものがあるはず。

新聞の小さな記事で知らされてこの議長人事。そこに垣間見えたものに驚愕すらしたのだ。

議長は、時には「祭り上げ人事」「一丁あがり人事」とも言われた。うるさ型を祭り上げて置くのにはちょうどいいポストだということで。
でも、議長がベルを押さなければ本会議は開けない。
議長とは国会の中で枢要な地位なのだ。

余談のようだが代表選を控えて民主党内の“派閥”のことを、それはグループと呼ばれているらしいが、自民党さながらの“派閥”の話が書かれている。なんか「ちゃんちゃらおかしいぜ」って思い・・・。

与野党対決時の最後のおさめどころも「議長調定」なっていうのがあったくらいだし。

政治に関して、時々「過去」を持ち出す時がある。過去の政治を語っていても仕方がないと言われる。今は安倍政治なのだからと。

でも、時には過去を手繰らないといけないこともある。
今はまさに「過去」が消されようとしている政治だから。

過去として「戦争」を葬り去り、今の“戦争”を語れと言うことか。過去にあった戦争は、消してはならないし、語り継がれなければならないことなのだが。

過去は今につながっているということだ。過去が無くして今があるわけではないし、過去を忘れないことが未来にもえいきょうするということのはずだが。

すでにして、戦争はおろか、原発事故の事も過去にされようとしている。そこから見える未来とは・・・。

「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯の今」。そんな言葉を貰ったことがある。大事にしている言葉だ。

郡山の老舗の饅頭屋さんに行ってそれを思い出したから・・・。

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