この選挙、「争点」に原発問題がなることを期待していた。淡い期待を抱いていた。やはり見事に肩透かしをくった。
なんら争点どころか、話題にすらあがらなかった。
再稼働云々の前に「福島」の問題があるはずだ。「福島」が突き付けた問題は、国の有り方を考える問題のはずだから。
安倍の土俵に乗るべきではないと言った。しかし、野党は見事に乗った。勝てるはずの無い土俵。
安倍は横綱相撲を取り、野党は幕下以下のような相撲。
3年9か月前、日本中は「原発」の恐ろしさを感じ、怯え、ふりかかる火の粉を払うのに必死だった。
やがて、「福島」のことは「福島だけ」のこととされた。
「福島」は福島県から立候補している人達の間でも正面切っての的にされない。
一応触れてみる。といった程度。
原発問題は「福島」を通り越して、再稼働論議に収れんされて行った。
どこの議席がどうだ、情勢がどうだとマスコミやネットが湧く中で、こっそり決められていたことがある。選挙で無ければ大問題にされているようなことが。
規制委が原発作業員の被ばく限度を引き上げた。年間100m㏜から200へと。
被ばくの健康への影響、いまだその実相はわからない。200に上げて大丈夫なのかどうかも。
なぜ引き上げたか。作業員、特に熟練作業員が限度越えで“戦線離脱”を余儀なくさせられているからだ。
作業員確保のためには、そこに留める算段をしなくてはいけないからだ。
遅々として進まなく見える”廃炉“に向けての作業。荒れ果てたままの”無人地帯“。
常磐道の開通時期を早めたと誇示するだけの首相。
再稼働目前の鹿児島川内原発。そこに応援に入った首相は、原発のことはほとんど素通りだということ。
「原発事故」は汚染や廃棄物や、健康被害だけで語り得るものではない。
国の根幹、「人心」に関わる問題なのだ。
風評を生み、差別を生み、忌避を生む。人間の「賤しい部分」が露呈される問題なのだ。
もはや「福島の問題」は、一部の地域の問題とされてしまったのだろう。
もし、もしの話しはしたくないが、再稼働があって、いや、再稼働が無くても、福島以外の原発が事故を起こしたらどうなるのか。この国が。
ちょっと想像力を働かせればわかること。
オール沖縄というスローガンが沖縄での選挙戦では使われている。自民が(除名されたから元自民か)共産の候補を支援し、共産も自民候補の支援をする。
思想は違うが沖縄を思う心では一致すると。
70年以上にわたる沖縄県民の苦悩が、知事選でも国政でも「オール沖縄」という根源的な部分で合致する。
「オール福島」だってあっていいはず。党派を超えての「県民意識」があっていいはずだと思うが。少なくとも彼ら候補者は、福島の実態を知っているはずなのに。
選挙戦で応援に引っ張りだこの小泉進次郎だけか。福島に言及しているのは。
国の衰退にも関わる原発問題。その原点は「福島」にある。
あの時の“当事者”のせいだけにしていても始まらないのだ。当事者の一人である海江田にしても福島を語らない、語り得ないということ。
数合わせ要因としてだけ必要とされることを受容する福島県5選挙区の候補者。
選挙の二日前にこんなことほざいたとて、いかなるものでもなかろうが・・・。
2014年12月12日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
年の終わりと年の始まりと
2020年が終わり、2021年が始まります。 今年はコロナに始まり、政治家は自分の言葉を持たないことを実感しました、首相は紙を読むだけの“操り人形”に過ぎないことが明らかにされました。 コロナ禍が浮き彫りにしたのは「政治家は最悪」という事実です。 安倍は「...

-
1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。 “本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、...
-
東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...
-
昔、佐藤栄作が内閣総理大臣だった時、官房長官をつとめていた人に橋本登美三郎という人がいた。富ヶ谷に大きな家を構えていた。 富さんという愛称で呼ばれていた。茨城県選出の議員。もともとは朝日新聞記者。南京支局長の経歴もある。 富さんの後援会は「西湖会」と言った。富さんは朝日新聞...

0 件のコメント:
コメントを投稿