2014年12月4日木曜日

人を育てるということ。選挙番外編

新聞数紙が書いている。議席予測を。自民300越えとか迫るとか。
なんとも言い難しの感。

政治が劣化している。多くのひとがそう言う。異論はない。
マスコミも劣化したと人は言う。たしかにそうだ。

誰が劣化させたかが問題だ。国民の劣化がそうさせたのだ。
「劣化」の伝染・・・。いや連鎖。

こんなことを考えてみる・・・。
例えば音楽家。耳の肥えた聴衆がいることが、その音楽家を育てる。いくら上手な先生に付いても、技術を学んでも、感動を聴衆に与えなければその音楽家は成功したことにはならない。

上手なコーチが技術を教えても立派なスポーツ選手が育つとは限らない。
選手を上手くさせるのは、選手にその楽しさを教えることが先だともいう。

敵味方に分かれていても、サッカー選手が意識するのは観客だ。フアンだ。

フィギアスケートは、お客さんの反応がその選手の力量を決める。

技術よりも「楽しさ」。それが選手にあるかどうか。お客を楽しませることが出来るかどうか、それが一流の必須条件。」

「お客が役者や演奏家、選手を育てる」ということ。

かつて経営の神様と言われた松下幸之助。彼が常に口にしていたのが「お客様が」だったと聞いた。

だから・・・。

政治家を育てるということ。誰が政治家を育てるのか。どうやって政治家は育つのか。
政治家を育てるのは選挙民だ。利益誘導だけを政治家に求めている限り、その政治家は利益還元しか考えない。
永田町という狭い範囲でしか日常を過ごしていない人。そこからは国全体が見えない。

例えば松下政経塾というのがある。政治家への一つの登竜門だ。しかし、そこで政治のテクニックだけを学んでも、まともな政治家にはならない。
誰とは言わないが、思い当たる節もある。

政治の劣化とは何か。視野狭窄に陥っていることもその一つだ。
そして、その座にいることに連綿としているその価値観だ。

「自民党の中に人がいなくなった」。党の幹部すらそう公言する。
なぜ政治家は育たないのか。

選挙制度に問題があるのだ。そう、今の小選挙区比例代表制。
小選挙区は一つの選挙区で一人しか当選しない。そこには「勝てる」と思われる候補しか立てない。あげく比例代表、重複立候補。落ちても当選という馬鹿げた仕組み。

小選挙区制。それにより政権交代をより可能なものにする二大政党の実現。
旗を振ったのは小沢一郎だった。今、かれはどういう境遇に置かれているのか。

中選挙区制に戻そうよ。定数3人のところに一つの政党が3人立ててもいい。
そこには切磋琢磨が生まれるし。仮に5人立ったとしよう。落ちた2人は選挙を経験する。
その経験が、次の選挙に役立つ。やがて日の目を見たときには、すこしはましな政治家になっているはず。

有権者の選択の幅も広がる。自民党支持でも、そこに立っている候補者には入れたくないという人も多い。棄権はしたくない。なくなくそこの一人の自民候補に入れる。
嫌な人は選挙に行かない。棄権する。選択肢を広げた方が投票率は上がるのだ。


定数と合わせて、選挙制度を大本から変えるべきなのだ。ダメな奴は落とせるのだ。

同期の人間でこれはと思うやつを二人競わせる。同じ社内で、組織で。指定席は作らない。それが企業の発展への人材育成策でもある。

多くの若者が選挙に無関心だと言う。僕はそう思っていない。関心はあるが入れたい人がいないのだ。若者代表が入り込む隙が無いのだ。
小泉進次郎などは稀有な例なのだ。

若者が入り込める余地をつくること。それが政治家を育てるということにもつながると思っているのだが。

そうなのだ。後から来る者の為に、道を空けて置かねばならない。のだとも。

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