2014年12月8日月曜日

地震の後に戦争が来た

1941年12月8日。あの戦争が始まった。真珠湾奇襲攻撃とともに。
ラジオが流したニュース速報。緊急速報。
「大本営発表、帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり」。

開戦の詔勅はこれと相前後して発せられた。12月8日付だ。宣戦布告。

昭和天皇はその詔勅の中で一言、「これは我が本意に非ず」と述べられている。

もちろん、その前から「事変」としての戦争は中国、満州の地であったが。

とにかく戦争が始まった日。74年前。

そん前日、12月7日、南海地震が起きている。マグニチュード7,9だったか。
その年の7月には長野を中心に大きな地震も起きていた。
1941年は列島で地震が多発していた年・・・。

昨夜テレビで安倍の安全保障ブレーンである国際大学の学長北岡伸一氏がこんなことを言っていた。

“特定機密保護法が施行されようと、集団的自衛権が発動されようとも、日本は戦争をしません。戦争をするカネが無いのだから”

カネがあったら戦争をするのか。74年前の戦争時、日本にカネはあったのか。
カネが無いから資源を確保するなどのために戦争を始めたのではないのか。

カネがある国は戦争をする必要なないのだ。

開戦時、日本のGDPはアメリカの4分の1でしかなかった。
総力戦に持ち込めばその帰結はわかりきっている。
なのになぜ、あんな長期戦になったのだ。したのだ。

勝算ってあったのだろうか。

なんとも解せない学者の理論と。

1941年の地震のことはあまり伝えられていない。今のようにメディアは進歩していなかった。口伝えのようなものだった。
NHKラジオは戦況報道一色だった。

被災者たちはどうしていたのだろう。まさに孤立無援だったのかもしれない。

今は、天災があればすぐ自衛隊が救援に駆けつけてくれる。当時の軍隊は・・・。

真珠湾奇襲成功のニュースに湧く日本を覆っていた「空気」。国民は、地震の被災者に目が行く暇も無かったのかもしれない。

「3.11」があった。でも国内では戦争は起きていない。世界を見れば、戦争では無いにしても、それに等しい国際紛争や国内騒乱はあったが。

ウクライナ、パレスチナ・・・。

火山は蠢動している。大小入り混じった地震も頻発している。

戦争は来るのかな・・・。

いや、3・11後、確実に来た戦争がある。

「原発戦争」だ。人類は原発に負けたのだ。

その後始末。そこは“戦場”と呼ぶにふさわしい。極寒の中、作業員たちが“廃炉”という見果てぬ夢を追い求めるが如く「戦って」いるという現実。

選挙戦。そこは候補者にしてみれば戦場だ。そこで飛び交っている“用語”はまさに戦争用語なのだ。

それらはいずれも歴史の句読点となる。

「戦争」を考えるには、きょうの冬の日はあまりにも穏やかなのだ。僕の身の回りの天候だけど。どこかでは大雪と戦っている人達がいるかもしれないのに。

1941年、僕はすでにしてこの世に生を得ていた。親に庇護されていた。子どもながらに、敗戦に至るまでの体験は覚えている・・・。
そして「3・11」も身近に体験した・・・。

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