2015年1月31日土曜日

「ネット社会」のテロリズム

「イスラム国」問題。メディアは“こう着状態”だと報じる。それはひとえにあちらからのメッセージがないからだろう。“沈黙”しているからだろう。

いわば、こちら側は「受け身」の立場に立たされているとうことか。

ネット社会、それは「饒舌な社会」である。饒舌であるがゆえに「沈黙」を恐れる。その「沈黙」の意味を探ろうと必死になる。

この「イスラム国」事件、いわばネットによる、それを“武器”にした「神経戦」であり、「情報戦」であり、「消耗戦」だと思う。

拘束されている後藤さんが、いかなる精神状態でいるか。精神力を保っていられるかが気になるということも含めて。

日本中が、いや、世界も含めて、「ネット社会」になったのはいつの頃からか。
たかだか20年くらいではないのか。

今、我々は「席巻されたネット社会」に暮らしている。インターネットによって世界は動く。

ちょっと前までの、中東地域の情報は「アルジャジーラ」というテレビ局に“依存”していた。

今は、この事件に関してはネットですべてがやりとりされている。

そしてネットを介在させた「戦略」は、どうも向うの方が上のようだ。

ネットにはあらゆる情報が流れている。無限といってもいいだろう。
無限とは、ある意味「ゼロ」に通じる。

その無限ともいえる情報の中から、たとえば”真実“や”事実“を、どう探り当てるのか。
イスラム国事件でもそうだ。ネットに流される情報の真贋を誰が見極められるのか。その中から彼らの“真意”をどう見つけられるのか・・・。

ネット戦争・・・。その最たるものがサイバー攻撃というものだろう。
武器を使わなくてもいい。サーバーを、相手国の枢要のサイバーをダウンさせれば、その相手国はパニックに陥る。

ネットがダウンする。パソコンが機能しない。それがどういう影響を及ぼすか。
電気だって容易に止められる。交通機関だって動かせない。全てがネットで、パソコンで管理されているからだ。

死者だって容易に出る。たとえば病院のサーバーをダウンさせたらどうなるのか。手術中の患者はどうなるのか・・・。

人間は便利なものを発明した。そして、その便利なものに支配される。

思考停止と言われる。その一因には「ネット」があると思う。ネットに横溢する情報を見ていれば、自分が何かを考えるひつようが無い。その無限とも言われる情報から好みのものを一つ取り出して自分の考えにすることも容易だ。

別の面からみても、あまりにも情報なるものが横溢していると、真反対の意見や論調が同時に入ってくると、何を選択するのかに困惑する。

考えることに疲れてくる。だから「考えること」をやめる・・・。

ネットは21世紀に於いては有力な武器になったということ。

そしてそのネットを有益なものとして活用するのか、一つの“有害”なものとして距離を置いて接するのか。

今、その“選択”が試されているのかもしれない。

ネットを使ってこれを書きながら、ネットに対して敵意は持たないものの、懐疑的になっている自分。それは以前からそうであったのだが、それとても“思考”の停止までは行かなくても、大いなる逡巡に材料になっているようにも思う。

こんなことを書きながら、後藤さんの安否がネットで伝えられる時を待っているというおかしさ。

そして「情報」をめぐり、それを必要とし、そしてそれに振り回されている福島。それは今でも同じだということ。

2015年1月30日金曜日

「事実」と「真実」と

後藤さんと湯川さんがオレンジ色の服を着せられて座り、真ん中に黒い覆面をした男がナイフをもって喋る。「72時間以内に2億ドルを払え、そうでなければこの二人を殺す」。

そいう画像が公開されたことは事実である。その動画があるということは。

それが画像として「真実」であるかどうか。合成だと分析された。影を検証して。
それよりもなによりも、ナイフを頭の上で動かされて、なんら表情を変えていない二人。背景の砂漠の砂は動いていない。

あの写真は「真実」とはほど遠い。

合成とすぐばれることを承知で「イスラム国」があの映像を公開したことの「真意」、「真実」はわからない。そこからすべての“推測”が始まる。

殺されたとみられる湯川さんの写真を持った後藤さんの画像が公開された。それも事実だ。

しかし、身代金要求が、死刑囚釈放に“変更”されているということの「真実」はわからない。

後藤さんの声が公開された。それも事実だ。でも、そこにある真実はわからない。見えない。

後藤さんの奥さんの声にしてもだ。

ヨルダン政府が「死刑囚」はまだヨルダン国内にいると言った。その発言があったことは事実だ。しかし、真相、真実はわからない。

「事実」と「真実」。

原発事故があったのは事実だ。しかし、その「真実」は誰もわからない。隠されている真実もある。
県民の健康被害に関しても「真実」はわからない。

人々は真実を求める。“真実”と銘打った「情報」が流され、拡散される。
実に多くの「真実」という名の情報。
そこに確かな一つの真実があっても、それを見つけ出すのは至難の業だ。

安倍が昨日の国会で、今回の事件を念頭に、2年前に起きたアルジェリアの日本人人質事件を引き合いに、「邦人救出のために、他国の手を借りて救出された人を、自衛隊が“輸送”するだけでいいのかどうか」とし、消防士の例をあげて、リスクを恐れて何もしないでいいのかというと、そうではない」と言った。

そのために、法整備をして邦人救出に自衛隊があたるとも。

この発言があったことは事実だ。国会答弁なのだ。

しかし、この発言が「イスラム国」を刺激することになるのかどうか。安倍が実際の本音で何を考えているのか、「安倍の真実」はわからない。

「事件」はこう着状態だと伝えられる。動きが伝わってこないから。しかし、その中で何が動き、誰がどうしているのかという真相、真実は見えてこない。

イスラム国と称する“テロ集団”がいることは事実だ。しかし、その「イスラム国」なるものの「真実」はわからない。もしかしたら、当の本人たちもわかっていないのかもしれない。この事件を「指示」している人達の真意も。

事実としてきょうも人が殺されている。エジプトのシナイ半島で。兵士が警察官が死んでいるという事実。犯行は「イスラム国」に関係する組織だと伝えられる・・・。

日本の中でもある。「人を殺してみたかった」と供述している女子大生の老女殺人事件。殺人事件があったことだけはまぎれもない事実なのだが・・・。

「真実一路の旅なれど、真実鈴ふり思い出す」。山本有三の有名な作品「真実一路」。

偽りの対極に事実がある。そして「事実」の向こうに「真実」がある。そう読み取ればいいのかどうか・・・。

2015年1月29日木曜日

あらためて「宗教を現代に問う」。

3・11後、二回ほどこのタイトルで書いた記憶がある。

「宗教を現代に問う」。昭和50年代、毎日新聞が連載した企画だ。
その後本になった。全5巻だったと思う。

連載が始まった時代、ジャーナリズムとして「宗教」を考えなければならなかった。宗教からその時代を読み解こうとしたものだった。

3・11後、宗教に「救い」を求めた。あの破壊と混乱、原発事故と言う文明の結末。

宗教者が何を語り、行動するのか。我々が「こころの問題」として、あの事をどう捉えればいいのか。そんな思いからだった。

錫杖を持って瓦礫の中をひたすら歩く僧の姿が伝えられていた。瓦礫の中で、海にむかって深々と礼をするその僧。

その写真から何かを読み取ろうともがいていた自分・・・。


科学は無力であった。学者の言辞も無力であった。「こころの問題」が数多く残こされた。

この国が、“破壊”されようとしている、いや、破壊寸前になった。

一つの心の拠り所として、宗教を問うということは必要なのではないか。

宗教とは何か。哲学なのか。任せるということなのか。あらゆる角度から宗教を取材し、彼らが何を思っているのか、それを書くことは、現代のジャーナリズムの“最後の砦”なのかもしれない。

そんな思いがあったのだ。

今、また宗教が問われていると思う。「イスラム国」の問題が表出してから。
彼らはイスラム教の信者だと思う。しかし、その行動はイスラムの教義に反してはいないのか。

シャルリ・エブドの事件の時もそうだ。

根底にある宗教対立。イスラムとキリスト教。怨念に近いような対立。イスラムもフランスも、アメリカも、基本的には一神教の国だ。

湯川さんと後藤さんの写真が公開された時、あの集団は安倍の演説に食いつき、日本は十字軍に属したと言っていた。

十字軍、言わずと知れた、もう10世紀も前に、キリスト教徒が十字軍というのを結成し、イスラエルの民が暮らす、聖地パレスチナ、特にエルサレム“奪還”を目指す戦争だった。

「広義には、一般的に中世のカトリック教会が異端の徒や異教徒に対して行った遠征を指す」。広辞苑に記載されている。

オスマン帝国の歴史もそうかもしれない。イスラムにとっては。

日本は汎神教の国だ。キリスト教からイスラム教から仏教から、それを宗教というかどうかは別にして神道も。

歴史の過程では、十字軍にしてもオスマン帝国の問題にしても、カトリックとプロテスタントの“宗教改革”にしても、宗教をめぐる“戦争”が“殺し合い”が数多くあった。

宗教対立は血を伴ってきた。

フランスでは異教徒、特にイスラム教徒に対しての差別が激しいとも聞く。
アメリカに於いてもだ。

シャルリ・エブドにしても、「イスラム国」の問題にしても、そこには宗教の万台が内在している。内在というよりは根底か。

今、あらためて「宗教」の在り方が問われている。

東京では、数日前、キリスト教、仏教、イスラム教の聖職者たちが官邸前に集まり、後藤さんの解放を求めて祈りをささげたと言うが。

宗教の根源には「寛容」という考えがあるはずだ。その寛容さは、互いに「排除」の論理に支配され、存在しないような言葉にすらなった。

「無事を祈る」と誰しもがいう。祈るということ。それも極めて宗教的行為だと思うのだが。

あらゆる宗教に於いて、根底にある哲学、思想は「同一」のようにも思えるのだが。

たとえば仏教においても宗派間の“対立”があるということは承知した上で。

2015年1月28日水曜日

異形の国・・・

国会で「論戦」がはじまった。ほとんど“不毛”に近い。今の政治の実相。

一昨日の召集日、議事堂前で記念撮影が行われていた。
超党派の国会議員でつくる「和装振興議員連盟」が、和装で並んでいる写真。約70人いたとか。ど真ん中にはあの「キン目大臣」もいた。

この議員連盟の会長は前衆院議長の伊吹文明氏。通信社の記事によれば、「国民衣装である着物を着て、国民が一致結束してテロ組織に対応している姿を示す」と語ったという

テロ組織と和装とどういう関係があるのか。

ばかばかしいの一言だ。

国会の召集日、天皇陛下をお迎えしての開会式。和服の「正装」の人は昔からいた。正装としての和服だ。
福島県選出の民主党議員もいた。

その正装である和服。着物と言えばいいのか。

明治維新後、明治天皇には洋服を着せた。薩長による新政府は。なぜ天皇に洋服姿にしたのか。
そんな「歴史」も思い起こしてほしい・・・。

和服、着物を否定しているわけではもちろん無い。
僕が持っている着物は祖母の仕立て直ししたものだ。
子供の頃の冬は綿入りの「どてら」だったし・・・。

和服とテロ。なんの関係性も無い。

共産党の議員が、「イスラム国」の事件をめぐり、安倍の発言を、エジプトでの発言を批判した。志位委員長はそれを叱り、削除させた。

これが何を意味しているのか・・・。
批判されて当然のことだと思うのだが。
共産党よ、お前もか・・・。

毎日新聞の編集委員がコラムにこんな事を書いていた。
・・・政界屈指のアラブ通、小池百合子元防衛相(62)がこう言っている。
「イスラム国っていう言葉、私は使わない。国だという彼らの言い分を、こちらからわざわざ認めることはないでしょ?」
 日本のニュースは「イスラム国」と伝えるが、英語圏では「ISIS」か「ISIL」である。・・・

たしかに自民党内では「イスラム国」の呼称について議論が交わされていたと聞く。

それでだろうか。毎日新聞は「イスラム国」(IS)という書き方を始めた。

安倍がエジプトで行った演説。2億ドルの援助。そこでは「ISIL」と言っていた。「アイシル」と。

IS・ISIL・ISIS。なんでも英語のアルファベットの頭文字表記を好む今の日本。

この表記をどれだけの人がわかるのだろう。
いまだにTPPという表記の日本語訳もわからない人がいるというのに。

じゃ、なんでアメリカをUSAと書かないのだ。漢字で米国なのだ。イギリスをUKと書かないのだ。英国なのか。

これって屁理屈かな・・・。

不毛と書いた国会論戦。きのうの本会議。安倍は認めた。去年の11月に後藤さんが不明になっていることを把握していたと。
直後に対策室を立ち上げ、ヨルダンに現地対策本部を立ち上げたということを。

「事案」を承知しているにも関わらず、ISLSに言及した安倍。官房長官は、これまで「承知してない」の一点張りのようだったが。

本会議で言明したということは、「イスラム国」を念頭においてのことだろう。

あの集団の情報収集力は鋭い。知らぬよりも知っていたと言うほうがよしと判断したからか。

そしてヨルダンに、目下は全てが委ねられる状況になった。ヨルダンは苦悩している。

アメリカが言った有志連合。日本も含め、あの集団に“翻弄”されている。
身代金から人質交換。何が狙いなのか・・・。
これまた、異形な「国」だ。

沖縄、福島の諸問題。そこに目を向けねばいけないのに。
あの集団のことが連日伝えられる、それを書いている自分。

これとても異形なのかも・・・。

2015年1月27日火曜日

「テロリズム」という言葉・・・。

なにも大仰なことを言うつもりではないが。

21世紀と言う時代は、テロリズムと向き合う時代になったということだ。

「イスラム国」によるテロ、テロという。僕もそう書いている。しかし、よく考えたら彼らはテロリストであり、思想としてのテロリズムに該当する集団なのだろうか。ふとそう考えた。

ちなみに、それが万能では無いという前提をおいても広辞苑にはこうある。

テロ・テロル・テロリズム。テロとはテロリズムの略語ということ。
テロリズムとは・・・。

① 政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向、その行為。
暴力主義。

「イスラム国」のやった行為。湯川さんを殺害し、後藤さんの身柄を盾に、最初は身代金、そしてヨルダンに収監されている死刑囚との「交換」。
そこに政治目的というのがあるとみるかどうか。

日本を始め、ヨルダン含め、アメリカなどの政府を混乱させている。政府を相手にしている。それは政治目的だろう。

が、やっていること言っていることは単なる集団殺人者、その集団、犯罪集団ということかもしれないと。

② 恐怖政治ともなっている。しかし、彼らは政治としての恐怖ではない。少く
とも他国に対しては。

テロ・・・。“体験”したテロは山口二矢による浅沼稲次郎の刺殺だった。

そして歴史の中では水戸藩の浪士による井伊直弼殺害、桜田門の変か。事例として挙げれば。

「テロルの決算」という本がある。ノンフィクションライターの沢木耕太郎が山口二矢の事を書いた本。1年間の取材を積み重ねて書きあげた「テロル」の根底、底辺にあるもの。
昭和53年に書かれたものだ。

桜田門外の変は、幕末期の開国か攘夷かをめぐるものだった。一言で言うなら。テロという言葉が無い時代。「変」と呼ばれてきたが。

「オウム事件」もテロだったのかもしれない・・・。

テロリズムを是認するものではない。「イスラム国」なるものをテロ集団と見るかどうかはともかくだ。

僕の中に「テロ」という言葉が芽生え、内的なテロリズムの衝動にかられた時がある。
2011年3月後半から4月以降の、この国の、国家としての有り様、右往左往するだけでなんら有意な対応を、国民を守る政治をとれなかったあの時の政府、そして「福島」をいわれなく悪しざまにいう人達の群れを見た時だ。

原発事故はテロではない。人がその意思をもって起こしたことではないから。
しかし、あの事故は、「カネ」を、経済成長という美名の中で「平和」というまやかしの言葉で人心を惑わせて作られた歴史の中での、「見えざる手」によってのテロだったと言えないことも無い。

その後遺症は大きい。未だもって。

今回の「事件」でも、政治は有意に作用しているのか。表面はともかく、手の打ちようが無い混乱に為政者たちは陥っている。
この国において、「外交」は働いていたのか。

2011年、2015年。どこか重なる。2011年当時、欧米からのさまざまな申し出があったことを含めて。

そして、21世紀のテロは「諜報戦」とも「情報戦」ともいわれる。日本の動きはあの集団には筒抜けだ。

あの集団に対して、日本がどのような「情報戦」を仕掛けられるのか。
国内の情報統制に走っているだけではないのか。

思いつく事象だけを列挙しているみたいだけど。

脈絡なく、太平洋戦争時の「東京ローズ」、米軍兵士の望郷の念、情感に訴えたあの唯一ともいえる“情報戦”のことが浮かんでくる・・・。

2015年1月26日月曜日

「なぜ“ジャーナリスト”は戦場に行くのか」

ジャーナリストという言葉が一人歩きしている。それに定義は無い。例えば、最近話題の人であって池上彰もジャーナリストと呼ばれた。
本人がそう言っているかどうかはしらない。
「イスラム国」というテロ集団に拘束されている後藤健二もジャーナリストと呼称されている。

大方のイメージとしては、どこかのマスメディアに所属している人ではなく、単独で自由に取材活動をしている人のことを指すのだろう。
マスメディアの会社に所属して、給料を貰っている人を指すのではなくて。

なぜ多くのジャーナリストと呼ばれる人たちが戦場に行くのか。戦争を取材に行くのか。
それも、今は、書くだけの取材ではなく、映像を捉えに。

振り返れば、ロバート・キャパというカメラマンが戦場の記録を撮っていたように。

それは、本人にそれを、戦場の実態を伝えたいと言う“欲望”があるからだ。
この”欲望”とは全く持って悪い意味では無い。

その戦場というところの画像、映像を、それで実態のいくつかを知りたいという見る側の“欲望”が重なる。

その見る側の“欲望”とは、「消費する欲望」だ。いつの頃からか言われるようになった「知る権利」なる欲望だ。

人は時として、破壊や破滅、悲惨な映像を求める。ある種人間が持つ本能的なものかもしれない。

そして「消費される」ということは、決して悪意ではないものの、それを見て、見ることによって、どこかに一種の「満足感」を覚え、やがて「忘れる」ということだ。

「消費される映像」。3・11で十分に経験した。映像が3・11の惨さを伝え、それが人々の心に刺さり、行動も起こさせるし、心の変革をもよびさまさせた。

しかし・・・。それは多くの人達にとって、「消費する側」には、やがて忘れられる。

会社に所属する取材者は、会社の指示もあるだろう。戦場の真っただ中には行かない。
原発事故当時、70キロとか50キロ以内には入ってはいけないと厳命したように。

「消費者」を満足させたいメディアは、いいおい、後藤さんのような「戦場カメラマン」のその仕事を託す。
前払いのような支度金を渡し、戻ってくればその映像を買う。その映像を流す。伝える。メディアの使命として。

戦場の映像。そこに映像をめぐる消費者と生産者の関係が成り立っているということ。

後藤さんはシリアに入る前のビデオメッセージで「すべて、どういう結果になっても自分の責任です」と言っていた。
それを仕事とし、生業とする者の、一つの覚悟の表れとして。

だから彼らに「自己責任」という言葉を浴びせ、すべてを転嫁するのは違うと思う。

その反対側には、知りたい、見たいとする我々の“欲望”があったのだから。
まやかしの平和の中に身を置いて、その地のことを知りたいと言う意志が働いていたのだから。

後藤健二とう人の中には、「子どもを救いたい」という意志が強く働いていたと聞く。自分の取材した映像が、何らかの形で子供を救う手立てになればという意志。

身の危険を知りながらそこへ行く人。危険があるから行かない人。

この事件の報道の裏には、そんなメディア側の「いささかの負い目」もあるのかもしれないとも思える。実態をメディアの側は承知している・・・。

メディアが手段として進化した中での一つの縮図だとも思えるのだが。

2015年1月25日日曜日

今、僕が考えていること

「イスラム国」事件、湯川さんは殺害された。後藤さんはテロリストたちの“メッセージ”を「代読」させられている。

犯行グループは「イスラム国」というところに所属しているどこの国のどういった人物達なのかはわからない。

身代金要求をヨルダンに収監されている女性死刑囚との「交換」に変えた。
犯行グループの目的は、カネではなかった。日本政府を、それを通じての欧米諸国、反「イスラム国」などを標的にした卑劣なテロだ。

今、僕が考えていること。それは「日本」という国のことだ。

たまたま、昨夜、ネットで“事件”のその後が流され始めた頃、テレビを観ていた。Eテレの「日本人は何を目指してきたのか」。三島由紀夫の話だ。

三島が結成した「盾の会」。そこには友人もいた。あの“事件”のことは知らされていなかった奴だが。

三島の書いた本はほとんどを読んでいた。夜中、それを探したがみつからなかった。まただ・・・。

番組を通して、三島は「日本人とはなんだ」「日本と言う国は」と問いかけていた。

戦争体験者としての三島。天皇を象徴としての「神」とすべきだと考えていた三島。

彼の眼には、戦後の日本、経済成長を遂げて行く日本。そこから「日本らしさ」がことごとく失われていく。その危機感に耐えがたいものを感じていた。

「今の日本人は、今のことしか考えていない。今日がよければいい。そんな国になった。過去を忘れ、未来のことも考えなくなった」。あの時代を見た三島の眼。

まさに40数年後の今を語っていると思えた。

三島は一縷の望みをもってか、自衛隊の決起を促した。しかし、自衛隊員はいわば無反応だった。森田必勝とともに自決した。東部方面総監室で。

8500キロも離れた遠い国であった中東が、身近な問題となってきた。その時に憂国の三島の番組を見ていた。

ケースも事例も全く違うものの、どこかに「相似」するものがあったのだ。

三島は「変わろうとしない国日本」を憂いた。変わらない国・・・。

「9・11」という驚愕の大規模テロがアメリカであった。アメリカはそれを恐れ、報復に出た。イラクという国を壊滅するくらいに攻撃し、アルカイーダを民主主義の敵とした。

そして、アメリカは「変わろう」とした。でも変わらなかった。強国として世界に君臨しようとした。軍事力がすべてを解決する手段だとした。

そして報復の連鎖が続いている。たとえ「イスラム国」が、あの勢力の第二世代に位置付けられるものとしてもだ。

「3・11」で日本は変わると思った。変わろうとした人たちもいた。いたずらに経済成長を追い求めることを良しとしない考えも生まれた。

でも、結局何も変わらなかった。「三島」は「三島的」な人はもういない。

戦後と今。「イスラム国」の問題は、それを我々に突き付けている。

きょう未明の記者会見で安倍は言った。
「このようなテロ行為は言語道断の許しがたい暴挙です。強い憤りを覚えます。断固として非難します」と。

それがあのテロリスト達にどう受け止められるかだ。
「非難される」ことに彼らは存在意義を感じているかもしれない。

安倍の論理は飛躍する。
「こういった事件を起こさないためにも集団的自衛権の法整備をすることが必要なのだ」と。

政権内部では「自己責任論」が声高に言われている。この事件を“奇禍”として、安倍は「軍事国家」路線へのアクセルを踏むかもしれない。

今、僕が生きている「日本とは」。どこかで三島を追慕するような感覚で考えている。

そうだ、三島が一番衝撃を受け、人生観、世界観を替えるかもしれない旅があったということ。それは「インド」。ガンジス川のさまざまだったと言っていたこと・・・。
僕の考えは「死生観」にも及んでいくような・・・。

2015年1月24日土曜日

そこでは「祈り」が捧げられていた

子供の頃の遊び場。東京渋谷区の初台、幡ヶ谷、西原、上原、大山、そして明治神宮・・・。

前にも書いた。代々木上原に、近所の人が言う「フイフイ教」の教会があった。
イスラム教の、信者のモスクだ。

先週の安息日、そこでは日本に住むイスラム教徒が祈りをささげていた。
指導者は説教でこう言っていた。「命の尊厳」をテーマに。

「イスラムの教えは、迫害や暴力を認めていない。1人の人間を正当な理由もなく殺害することは、全人類を殺害することである」と。

その後、教徒たちは一斉に、人質2人の解放を祈ったという。

「同じイスラム教徒として事件は本当に残念。イスラム教という宗教がテロと暴力というイメージで見られ、偏見を助長しかねない」とそこの担当者は話していたという。

イスラム教徒と「イスラム国」を混同する人も中にはいる。中東は日本にとって馴染みが薄い国だからかもしれないから。

寛容という言葉がある。

シャルリー・エブドの事件も、今回の日本人拉致、殺害予告も、イスラム過激派という集団のやったこと。

あの自由を謳うフランスだって、9・11後のアメリカだってイスラム教徒を偏見の目でみた。警戒し、時には「排除」の論理さえ持出されていた。

日本でもそれがあるかもしれない。今のこの国は「排外主義思想」がまかり通っている空気なのだから。

同じイスラム教でも国によって、シーア派とかスンニ派とか、「原点」は同じであろうに、激しく対立している。争いも絶えない。

キリスト教でも、カトリックとプロテスタントでは対立がある。

仏教でも宗派によって時には“異端視”することさえある。

ユダヤの民同士でも争いが絶えない。

宗教とはあまねく「寛容」を求めるものであるとも思うのだが。

寛容の対義語は不寛容だ。

不寛容・・・それは福島でも存在するということ。意味合いは多少違っていたとしても。

テロは断じて容認できない。が、しかしだ。

アメリカは“正義”の名において、今回の事件が起こる以前から、「イスラム国」への空爆を行ってきた。イラクに対してもそうだった。
シリアの民兵組織に軍事訓練をほどこし、地上攻撃への備えもする。

壊滅、殲滅という暴力的言葉を使う。

拘束されている二人の日本人の安否が気になる。
日本人に対する殺害予告が為されたのは安倍のエジプトでの「演説」が引き金になっていたとみるのは妥当だろう。
アメリカに追随するかのような集団的自衛権なる発想も、テロ集団にすれば、日本もアメリカやヨーロッパ各国と同様と見られたのだろう。

テロ集団に寛容さを求めているのではない。しかし、欧米があの集団を、イスラム過激派を空爆する限り、その巻き添えを食った多くの彼の地の民間人、子どもが常に犠牲になっている。まるで大量虐殺が如くに。

犠牲になる、殺される一般の人たちのほとんどもイスラム教徒であるということ。

イスラエルとパレスチナとの関係に於いてもだ。

戦争の無い世界。それはもはや「絵空事」となってしまったのだろうか。

平和憲法なるものもを基本理念として持ってきた日本と言う国が、好むと好まざるとにかかわらず戦争に巻き込まれて行くということ。

寛容と不寛容という対極をどう埋めればいいのかということ。日本が排除すべき「テロ」に巻き込まれてしまったということ。

中東の地図を見ながら、“もろもろの想像”を“宗教の在り様”を“なぜテロが起こり、そこに他国の人間までがはせ参じるか”などなど。
整理が出来ないままの経過する時間・・・。

2015年1月23日金曜日

言葉の「不自由さ」


言葉は人間の意志を伝える手段である。
コミュニケションのツールである。最大の。

「はじめにロゴス(言葉)ありき」なのだが。

しかし、時として言葉の「不自由さ」を感じる。

「話せばわかる」と乱入者を諌めようとしたした首相が“問答無用”とばかり撃たれたように。

万国共通の言語は無い。言葉で意思を、その通りに伝えられるかというと、そうもいかない場合もある。言葉ではうまく表現出来ないという場合も。



「イスラム国」に拘束されている後藤健二さんの母親が記者会見の臨んだ。

外国特派員協会の要望によるものか、自身の意志でそういう場を選んだのか。
経緯はわからないが。

石堂順子さんというその母親は、息子のことを縷々説明し、イスラム国に入った動機も説明した。
母親として息子の無事と解放を訴えた。

彼女の意志が「イスラム国」に通じるだろうか・・・。

他国の人と会話する時には通訳が必要となる。その通訳が、真意をきちんと汲み取り、相手側に伝えられるかどうという問題もある。

後藤さんが「イスラム国」に入って拘束された時、その意思が人道支援であるといくら言ってもあの集団には通じなかった。通訳がそこに居たかどうかも含めて。

「不自由さ」とは、思うままにならない、不便だという解釈で書いている。

安倍がエジプトで行った演説、ISILに言及した部分も、ある意味不自由さによろものかもしれない。こっちは「そういうつもりで言ったのではない」といい、あちらは「あきらかに敵視したもの」と受け止める。

だから安倍は言葉を選ぶべきだったのに・・・。

言葉の行き違い。という事がままある。言葉のやり取りで人間関係が阻害されることも日常多々ある。

ウエブサイトからは「イスラム国」のメッセージが伝えられる。殺害を断行するというような。

その言葉の真意を我々は理解できない。

石堂さんは記者会見で「しゃべり過ぎた」とも思う。多くのことを語り過ぎたの感ありだ。非難しているわけではないが。

“原発”に言及すべきではなかったと思う。反原発を言えば、同じ国民の側からも「反発」が出る。政権だって面白くないだろう。

母親として「情に訴える」ということだけでよかったのではないかとも。

彼女の会見は「記者団」を納得させたかもしれない。

しかし、母親の訴えがあのテロ集団に届くとは思えないのだが。

彼女の言っていることは正しいと思う。
でも、時と場合で言葉を選ぶべきだったのではないかとも。

テロリストたちに通じる言葉はあるのか。話し合いの余地はあるのか。言葉による。
交渉とは話し合いとは違う。交渉には「カネ」が伴う。今回は特にだ。

テロ集団が信じる言葉はイスラムの預言者の言葉だけだろう。それとても勝手に解釈されているように。

傍観者のようなことを書いている。傍観者でしか在り得ないから。

言葉の不自由さ、不自由な言葉達。そこからの“出口”は見いだせないままの“言葉”をめぐる一つの問いかけ。

2015年1月22日木曜日

「日本もテロの標的になった」ということ

テロには屈しないと政権は内外に宣言した。身代金の支払いに応じるという事は「屈する」ということになるだろう。

解放に向けてあらゆるチャンネルを使って努力するという。しかし、その「チャンネル」なるものを持っているのか。
多少はチャンネルがあるかもしれない。それは他国に依頼、依存するということか。

これまであの過激集団と交渉事をやってきた人でも「イスラム国」とは無理だという。

そして何よりも、「イスラム国」という集団から、日本という国がテロの標的にされるだろうという危惧。
欧米を敵視してきた彼らから日本は「欧米」という枠の中に入れられてしまったということ。

拘束されている日本人が二人いる。一人はジャーナリスト。家族には身代金要求がきていたということ。それを外務省は知っていた。
政権が鳴り物入りで作った日本版「NSC」、国家安全保障会議もそれを知っていたはず。

にもかかわらずだ。
あの過激暴力集団を甘くみていたということか。

安倍の今回の中東歴訪、イスラエル訪問。
エジプトでの演説が問題だ。
2億ドルの供与。難民支援というのが本旨だろう。

積極的平和外交なるものを標榜しているのだから。

しかし、そこにあった“一行”。

「パレスチナでは、保健医療、水道整備や西岸とガザの難民支援など、民生安定に役立つ施策を明らかにします。イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」

ISILもISISも同じだ。「イスラム国」と始め、中東のイスラム過激派を指している。

これにあの集団が敏感に反応したということ。

なぜこの一文を、ISILがもたらす脅威、ISILと闘う周辺各国という一行を演説に入れたのだろう。

演説原稿は外務省が書く。それを入れることがどういう影響を及ぼすかということを外務省は「想像」できなかったのか。国家安全保障会議にしてもだ。

彼らは「敵視」されたと見るのだろう。解釈したのだろう。

それは人質問題からはじまって、テロの標的としての日本となるやもしれずだ。

すでにして皇居や官邸、国会周辺は警備を強化している。
国内での動きにも対策を急いでいる。不穏な動きがないかどうか。
国際空港でも検問も強化されている・・・。

そして、原発も、かねがね言われている通り、テロの標的にされるのだ。

原発の安全基準の中にはテロ対策が枢要な位置を占めてくる。

日本の中にも「イスラム国」へのシンパシーを持っている人がいないとも限らない。いや、居た。事前に察知されたが。

「イスラム国」の兵士には、中東、北アフリカ、ヨーロッパなどから若者が参加している。アメリカではその数1万5千人とみている。

なぜ彼らが「イスラム国」の参加するのか。貧困か、思想か、破壊への、戦争への夢想か・・・。

平和な国ニッポンから、平和な環境に身を置きながら、近くなった過激派組織の脅威を考えている。

テレビは画像の解析に余念が無い。100%合成だと言う。それに何の意味があるのか。それが何の役に立つのか。
日本のテレビをモニターしながら、ターバンの中の狂気の眼が嗤っているのかもしれない。

とにかく、「対岸の火事」でなくなったことは事実。・・・。

官邸で苦悩しているだろう亭主をよそに、「パレスチナにて、学校、難民キャンプ等を訪問した際の写真を何枚か。」とフェイスブックに投稿しているご夫人・・・。みんな笑顔だったような。

2015年1月21日水曜日

「困惑」は恐怖を伴ってやってきた

「イスラム国」と名乗る過激派テロ集団のこと。安倍のイスラエル訪問にあわせたように、いや、合わせたのだろう。日本人二人の映像を公開し身代金を、安倍が難民支援のためにと申し出た同じ金額235億円を要求し、「殺す」とまで言っている。

恐怖だ。恐怖以外の何ものでもない。テロという手段。

これをどう「理解」すればいいのか、読み解けばいいのか、解決策は。
まさに「困惑」の一語だ。
有効な手立てもあるわけではないし・・・。

少なくとも「イスラム国」の問題は、意識としては“遠い”存在だった。日本人が“被害”に会い、日本を攻撃し始める。完全に“近い”問題になった。

テロには屈しないと世界に向けて表明している以上、身代金の支払いに応ずることはなかろう。交渉するルートもことこの「狂気の集団」との間には無いに等しい。

欧米諸国と連携をとる。そこに交渉の余地は見いだせるのか・・・。

我々はことの推移を見守っているしかないという現状・・・。語るべきものを持ち合わせていないということ。

宗教の問題として見ていけばいいのか。この集団のことを。違うだろう。

欧州からもこの集団に加わっている若者が多いという。なぜなのか。


穏健派といわれる、普通のイスラム教徒への迫害だっておこりかねない。

人種、宗教、貧困・・・。多くの課題をめぐる対立、争いと抱える21世紀の世界。

オバマは一般教書演説で、「イスラム国」の殲滅を宣言した。空爆が地上軍にまで進展していくのか。

もしかしたら、この種のテロが日本国内でも起きるかもしれない。そんな危惧さえ覚える。

フランスのパリでも「テロ」はあったのだから。その理由のいかんを問わず。

日本と言う国も、もはや中東情勢と関わりあいを持たざるを得ない国になった。された。

友好的とさえ言われていたのに・・・。

この事件の“遠因”には、もしかしたら、パリの事件、「シャルリー」の問題も潜在的に絡んでいるかもしれない。

各国の国を挙げてのイスラム批判。

あのパリでのデモが影響を与えたのかもしれない。
「私はシャルリー」という“大合唱”が。

シャルリー・エブド紙に対して持っている大きな違和感がある。
根底にある「言論の自由」ということとあいまって。

それは、あの週刊新聞社が、「福島」を書いたと言うことだ。その描き手は福島を知らない。見ていない。

しかしそこに書かれてあった画。

その諷刺画とされるものの“標的”とされた福島。忘れられない侮辱的な一枚を覚えている。

相撲のデッサンみたいな画だ。やせ細った骨だらけのような力士が二人土俵に上がっている。片方の力士は足が三本。遠景には原子力発電所の煙突が煙をあげている。
土俵脇に立ったフランス人のレポーターがマイクに向かってこう言っている。
「「福島のおかげで相撲がオリンピック競技になりました」。

21世紀の西洋文明とはこんなもんだなと思った。

何が自由・平等・博愛だとも思った。あきらかに「差別意識」がその根底にある。

「フクシマ」を揶揄することによって、発行部数を伸ばせるとでもおもったのだろうか。

商業主義の塊のような、フランスにあった“ジャーナリズム”。

ジャーナリストを捉え、“処刑”の対象にすると宣言するイスラム国。

餌食としてのジーナリスト、ジャーナリズム。それが「イスラム国」というテロ集団。

理解し難いイスラム原理主義。カネかどうかはいざ知らず、自己を主張し、何ものをも屈服させようとするあの集団。そこに「オウム事件」を相似形として見るのは往き過ぎか・・・。

困惑、混沌、怒り、不安・・・それらの坩堝に置かれている。



2015年1月20日火曜日

また「原発作業員」が亡くなった・・・

東京電力福島第一原子力発電所。その廃炉工事にあたっている作業員がタンクから落下し亡くなった。

第二原発でも“労災事故”が起きた。作業員は意識不明の重体だと言う。きょうの話しだ。

作業員の死亡事故は2件目。けが人は去年だけでも40人、前年に比べて3倍も増えている。

こんなにも“犠牲”も伴っているのだ。

今日亡くなった方は広野町のゼネコンに所属している55歳。

もちろん「労災事故」だ。労災事故は言ってみればどこにでもある。あってはならないことだが。

「原発構内」でも事故を同一には語れない。そこは過酷な現場だということだけでも。

亡くなった方はロープを付けていなかったと東電は発表している。その人が高所作業に熟練したひとなのかどうか、単独で作業していたわけではなさそうだ。
一緒にいた人たちは・・・。東電の管理担当者は・・・。

地元紙にはこう書かれている。

『東電は労働災害の増加について、1~4号機建屋周辺の地盤を凍らせ地下水の流入を遮断する凍土遮水壁の設置工事や原子炉建屋内のがれき撤去が進んだことから「汚染水対策などの本格化に伴う、作業員数の増加によるもの」と分析する。東電は、作業現場の安全確認が十分にできていない点も課題に挙げる。3月には大型休憩所が完成する予定で、全面マスクを外すことが作業員、社員間のコミュニケーションや作業管理の改善にもつながるとみている』。

作業員の人数を確保しないと作業は進まない。”寄せ集め“のような人もいると聞く。練達の士は少なくなっているとも聞く。
過酷な労働条件、労働環境。うっかりミスだって相次いでいる。ミスにつながるは必定なのだ。

天候不順な時には海風だって強い。体を支えるだけで精いっぱいの時もあるだろう。

重い、重い、重い・・・。

事故と脈絡は無いが、一人の高校生の詩がまた思い起こされてきた。以前にも引用させてもらったと思うが・・・。石巻西高校の生徒の想いだ。




潮の匂いは世界の終わりを連れてきた。
僕の故郷はあの日波にさらわれて、今はもうかつての面影をなくしてしまった。
引き波とともに僕の中の思い出も、沖のはるか彼方まで持っていかれてしまったようで、もう朧気にすら故郷の様相を思い出すことはできない。
 
潮の匂いは友の死を連れてきた。冬の海に身を削がれながら、君は最後に何を思ったのだろう。
笑顔の遺影の口元からのぞく八重歯に、夏の日の青い空の下でくだらない話をして笑いあったことを思い出して、どうしようもなく泣きたくなる。
もう一度だけ、君に会いたい。くだらない話をして、もう一度だけ笑いあって、サヨナラを、言いたい。
 
潮の匂いは少し大人の僕を連れてきた。諦めること、我慢すること、全部まとめて飲み込んで、笑う。ひきつった笑顔と、疲れて丸まった背中。
諦めた。我慢した。“頑張れ”に応えようとして、丸まった背中にそんな気力がないことに気付く。どうしたらいいのかが、わからなかった。

潮の匂いは一人の世界を連れてきた。無責任な言葉、見えない恐怖。否定される僕たちの世界、生きることを否定されているのと、同じかもしれない。
誰も助けてはくれないんだと思った。自分のことしか見えない誰かは響きだけあたたかい言葉で僕たちの心を深く抉る。
“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。“未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。お前は誰とも繋がってなどいない
、一人で勝手に生きろと、何処かの誰かが遠まわしに言っている。一人で生きる世界は、あの日の海よりもきっと、ずっと冷たい。
 潮の匂いは始まりだった。
 潮の匂いは終わりになった。
 潮の匂いは生だった。
 潮の匂いは死になった。
 潮の匂いは幼いあの日だった。
 潮の匂いは少し大人の今になった。
 潮の匂いは優しい世界だった。
 潮の匂いは孤独な世界になった。
 潮の匂いは――――――――。

地上10メートルのタンクの上で、亡くなった作業員は潮の匂いを感じていたのだろうか・・・。

2015年1月19日月曜日

「消費者」という“お化け”

3・11以降、「生産者」とう言葉、いや、立ち位置か、それと「消費者」という言葉、立場が、ともすれば対極として語られ、反目しあうような世相になった。

誰が生産者で誰が消費者か。

都会と農山漁村か。電気の生産と消費か。生産者だって自分が作るもの以外を買うときは消費者になるのだし・・・。

「消費者は王様だ」。こんなことが言われてきた時代。生産者優先の社会から消費者優先の社会になるという学者さんらの指摘があってからもう何十年。

それは依然続いている・・・。

消費者って誰だ。透明人間のように、その実態はわからないの感。

先週、オーストラリアとの間の関税協定、EPAが発効した。牛肉が安く入ってくることになるという。オーストラリアから輸入する冷蔵牛肉はとりあえず358,5%の関税引き下げ。それがそのままスーパーなどでも価格値下げになるか。
あたかも円安の時、実際に“消費者”が買える値段は、そんなには下がらないはず。

このニュースを伝えていた深夜のTBSのニュース23。女性キャスターは言う。
「我々消費者にとっては価格が安くなることが好ましいんですがね・・・」。

あなた方はたしかに“消費者”だ。しかし、高額の所得がある。我々消費者は・・といわれることにいささか抵抗がある。

なにかあると「我々の税金が・・・」という。たしかにあなた方も納税者だ。しかも多額納税者かもしれない。でも、その負担感は僅少ではないのかと。

安い牛肉が、その価格がどれだけ安くなるかはともかく、スーパーには並ぶ。
「うちは大家族ですから、食費が大変なので安くなるのは大歓迎です」と“街の声”は言う。

知っている限りでは、東北の、福島の畜産農家の経営は苦しい。円安で輸入の飼料の価格が上がる。ようやく持ち直して来たとはいうものの、セリにかけられる牛の価格は安い。

撤退する酪農家も多い。国内の牛肉生産農家は経営に瀕している。生産者としての酪農家の苦労は、この議論の中に入っているのかということ。

米の価格でもそうだ。今年度の買い取り価格。去年よりも大幅にダウンしている。10キロ(一俵)あたり7,200円。農家に儲けはほとんどない。

これが続けば農家はどんどん減る。効率化させた大規模農家以外は。

王様で有り続ける都会の消費者、そこそこの金持ち含め。安心。安全・低価格。三拍子揃ったものを「善政」とする。

物を買うとき、電気を使う時、どれだけの人が、「生産者」を思い浮かべているのだろうか。

先日、福島の石川町の市場で、牛のセリが行われた。そこに連れて来られる牛は、すでにして“商品”。
牛は生き物だ。それは売る方も買う方も十分承知している。牛の目は可愛い。
牛だけでは無い。豚だって鶏だって・・・。

手塩にかけて育てた牛を商品として売る生業。だから彼らには牛への「感謝」がある。それをわかっている消費者だって、売り場に肉として並べられた時、食べる時、売り物に「なる」前の牛の姿を想像するだろうか。

消費者という人達が、好んで廉価な食品を買っているとき、安ければ、そして美味ければ外国産であろうとなかろうと。国内の生産者は、生産者の家計は苦しくなっているという現実。

「食べる」ということは・・・。

消費者団体という大きな圧力団体が存在していた。存在している。

「我々消費者は」となにかと声を大にして言う。その実相が見えない「消費者」と言う名の“お化け”に、世の中が動かされているという世相・・・。

もちろん、ボクも年金生活者という、一人の消費するだけの人間でしかないのだが・・・。

「いただきます」というのは「命を戴く」ということなんだと思うのだけど。

2015年1月18日日曜日

貫く棒のような“歌”~満月の夕~

まったく恥ずかしいくらいに、そんな歌があることを知らなかった。
昨日の夜中、それをテレビで知った。
阪神淡路大震災を歌った曲だ。被災者を慰問し、励まし、慰める歌だ。

20年前に作られてこの歌は、多くの人に聴かれていたという。ライブも何百回か行われていたという。

そして。そのバンドや歌い手たち、作った人達は、「3・11」後、東北に駆け付けたという。福島の相馬でもライブをやったという。

会場の人たちも一緒になって歌ったという。

「満月の夕(ゆうべ)」という曲。1995年1月17日の夜、神戸の空には満月が輝いていたという。

その歌詞を書き写す。


♪風が吹く 港の方から 焼けあとを包むようにおどす風
悲しくて すべてを笑う 乾く冬の夕

時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子は鳴らす “今”を刻むため

飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら車道 (みち)をゆく
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕

星が降る 満月が笑う 焼けあとを包むようにおどす風
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 三線鳴らす 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
解き放て いのちで笑え 満月の夕

沖縄民謡のような曲調。ギタリストはギターを三線に持ち替えていた。
ロッミュージシャン。

祖父を津波で亡くした女川の漁師は、この作者と出会う。この曲を知っていた
から。彼は3・11後音楽と接してなかったという。接する気分になれなかっ
たという。ある日、車の中で、思いついたように持っていた音楽プレーヤーを
動かしたという。そして聞いたのがこの曲だった。

涙がこみ上げ、運転は出来なくなり、車を停めて30分号泣した。そして何か
が吹っ切れたと。
そう、彼らを繋いだのは、瓦礫の中にあったその漁師のターンテーブル。それ
を作者が写真に撮ってネットに上げたのがきっかけだったとか。


その番組を見ながら、曲に接しながら僕も目頭を熱くしていた・・・。

作者は沖縄出身なのか・・・。歌詞は、沖縄戦にも通じる。戦後の焼け跡の光
景にも通じる。そして「1・17」がそこにある。「3・11」にも通じる。
同じ光景だ。

2011年3月11日の夜は満月であり、星もあった記憶・・・。

「解き放なたれ、すべてを笑う。解き放て、いのちの笑い。いのちで笑う」。

そうだ。沖縄、戦後、大震災・・・。貫く棒のようなもの、皆、解き放たれよ
うとしていたのだ。時代の呪縛から。
そして笑うということは、明日を生きるということの“約束”なのだ。

そんな風に勝手に解釈していた・・・。

福島県の川内村では満月祭りというのが行われていた。そんなに古い話ではな
い。その日は全国から“ヒッピーもどき」の人たちが集まってきていた。
獏原人村へ。

“ヒッピー”と呼ばれていた若者たち、自らをそう呼んでいた人たち。発祥は
アメリカだが。

彼らが求めていたものは、あらゆる意味での「解放」だった・・・。

今、この国は実に「息苦しい」。さまざま息苦しい。生き苦しい。「解き放て」
というメッセージ・・・。“2015年”も歌っているように聞こえる。

この歌と、もっと早く出会っていたらなぁ・・・。知らなかったことへの悔い。

満月の夜、オオカミは月に向かって吠えるともいう・・・。

2015年1月17日土曜日

20年という「節目」

歴史にも、人生にも節目というのがある。しかし、それは区切りではない。

ふとそんなことを考えている。

それにしても不思議な数字だ。1月17日午前5時46分。

20年前の今日、一本の電話でたたき起こされた。会社からだ。マスター(主調整室)の当直者からだ。

「地震速報が来てます。関西方面です。大きいみたいです。」。

今はどうだか知らないが、当時は速報スーパーを出すのはそれぞれの局に委ねられていた。その判断が。とにかくすぐに着替えて会社に向かった・・・。

記憶としては断片的だが、テレビ画面を見ているだけのような状態だったが、やがて映し出されてきた映像に息を飲んでいた。応援取材クルーを出すことを東京や大阪と相談していた。


徐々に判明してくる神戸の様相。それは、まさに70年前の東京大空襲の後を思わせる光景であり、それがもっと「巨大化」されたような光景だった。

「破壊」の一語でしかなかった。

20年と言う節目の今日、5時46分に合わせて神戸も郡山も、いや全国各地で祈りに包まれる光景があった。


どこから頼まれたのかは覚えていないが、「大震災と方丈記」という原稿を書いた。

「大地震(おおない)ふること侍りき」の段を引用し、冒頭の有名な一文に及んで。たしか「3・11」後にも、“方丈記”を引っ張って来たと思う。そして書いた。

3月11日、午後2時46分。東日本大震災・・・。

なんで同じ「46分」なのだろう。9・11も「46分」だった・・・。

その46分と言う時間を指示したまま止まっている時計、それは、いまだに神戸にもある。もちろん東北被災3県にもある。

阪神淡路大震災は「ボランティア元年」ともいわれる。多くのボランティアが、神戸に入った。「民の力」が役立った。

でも、もうちょっと前を思い出してみよう。原爆が投下された広島でも、「うましめんか」の詩にあるごとく、人は人を助けるということを。役立とうとすることを。

20年前に生まれた子供は20歳になった。被災した子供たちは、経験として多くのものを学んだ。肌で感じたこと、見たこと。

「3・11」後、神戸から多くの若者が東北に来た。「ボランティア」という言葉でくくるのはどうかとも思いつつ。彼らがしたことの一つに、「話を聞く」ということだった。実際に見る、会う、話す。共に涙する。
そのことの「意義」を知っていたから・・・。

「話す」「語る」ということは感情を吐露することだ。生身の人間同士が。
そしてはじめて「つながり」が生まれる。

阪神大震災のことはテレビで見た。新聞で読んだ。書物として読んだ。
あの年の8月、やっと現地に行くことが出来た。「長田の商店街」を見た。戦後の新宿の焼け跡、そこから這い上がって来た人。同じものがあった。感じた。

過去の歴史は書かれた文字でしか知ることが出来ない。でも、東日本大震災の爪痕は、光景としてではなく、人の思いはまだそこにある。見ることが出来る、語り合うことが出来る。

文学者の堀口大學がこんなことを言っている。

「 由来言葉は語られる為であって文字で書かれる為ではない文字は言葉を囚人(とりこ)にする文字は言葉の牢獄だ。文字は言葉を木乃伊(みいら)にする。文字は言葉の墓穴だ・・・」。


堀口大學の文章の“真意”はわからないが・・・。

神戸から東北を訪問した若者。見て、聞いて、語り合って。悲しみを共有して、ともに涙を流す。

東北の若者は誓う。同じようなことがまたあったら、私たちもそうすると。
ともに「次の世代につなげる」とも言う。

絆とは・・・
分かち合うとは・・・
つながるとは・・・

20年の節目を迎えた神戸。さまざまな問題を抱えている。
5年目を迎える東北、すでに問題が露呈してきている。

二つの天災、それは経験した若者を強くしている。強靭な精神力を蓄えた。
多くの死を知った彼ら、喪失の悲しみを知った彼ら。人間にとって何が必要なのかを知った彼ら。

せめて、せめてだよ。そういう若者が生まれたことを、育ったことを、大参事が与えた“贈り物”として考えてもみたいが・・・。

2015年1月16日金曜日

安倍政治を“幼児性”と呼ぶは愚なりや

沖縄県知事が再三上京して安倍に会いたいという。官房長官に会いたいという。
絶対に会わない。会う必要は無いと切って捨てる。
沖縄はこの国の47都道府県の一つの県だ。そこの知事が会いたいというのを拒む。

理由はわかっている。「気に食わない」から。好ましからざる人物としているから。政権の意向に沿わない人物と思っているから。

地方自治ってなんだろう。

あげく、総選挙でも自民の候補は全滅した。そういう選択をした“沖縄県民”にまで嫌悪感を持っているのか。

なんと前知事と約束した「振興予算」を減らすという挙に出た。
「カネ」を道具にした沖縄県民へのゆさぶり。

あらためて言う。「平成の琉球処分」だと。歴史にある琉球処分と同類のことが数年前は福島にも行われていた状況があった。

沖縄返還を政治的悲願としていた佐藤栄作。安倍の「親戚」だ。公開された外交文書でアメリカの異議によって演説内容の変更を強いられたという。

佐藤栄作の沖縄訪問。1965年8月。それに同行していた。当時はそんないきさつなんて知らない。

「沖縄返還が実現しない限り我が国の戦後は終わらない」。これを社に電話で吹き込んでいた記憶。

沖縄・・・。あの時は「異国」だった。アメリカが発行した「パスポート」が必要だった。
飛行場には「PX」があった。関税免除の売店。アメリカ煙草やウイスキーが安く買えた。

沖縄戦やその後、それ以前の琉球処分の顛末。それまでに読んだ本で、それなりの“知識”はあった。

現実に持たされた「パスポート」。違和感を通り越してやはり理解することへの混乱があった。

当時の記録としての取材メモ帳はもう持っていない。記録はないから記憶に頼るしかないのだが。

パスポートを必要とするところに日本人が生活している。他国への移民じゃないよ。れっきとした本土決戦の防波堤になり、語るも悲惨な戦禍に覆い尽くされた県があるということ。

気に食わないから会わない。約束したカネのことも反故にして憚らない。
「幼児性」と言うは愚か。

辺野古では、今日も一部住民と警備にあたる側で「諍い」が続いているはず。
きのうはけが人も出たという。

警備会社の人間や、警官隊。どこの人なのだろう。沖縄県警の人だと思う。概ねが。最前線にいるのは。

辺野古問題を巡って沖縄県内でも「賛否」はある。では警察官はどう思っているのだろう。ウチナンチューがウチナンチューを実力でごぼう抜きに排除することを。幼馴染を立場を異にしているかもしれない。可愛がった近所の子供とおばさんだっているかもしれない。

もろもろ「三里塚闘争」を思い出す。まだ“過激派”が全盛だったころの。

昨夜、安倍は韓日議員連盟の会長らと会っていた。朴大統領との会談実現を要望したと聞く。

会いたいとう自国の首長には会わない。謝絶する。なかなか会えない他国の人にはぜひ会いたい、話合いたいという。
もちろん日韓首脳会談が実現し、友好関係が実現する事になんら異存は無い。そうあるべきだと思う。

会談実現は自分の手柄になるからだろう。お子ちゃまだな、全くもって。と思ってしまう。

次元は違うが反韓を叫ぶ、ヘイトスピーチなるものを好む人達はどうみているのだろうかなとも。
沖縄県人も「在外特権」を持った異民族とでも思っているのかなとも。

沖縄戦でその最後を見取り、濠内で拳銃で自決した海軍の太田実中将。海軍次官に宛てた最後の電報にはこうある。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。

2015年1月15日木曜日

「失われた時を求めて」・・・本の話し。

皇居で歌会始めの儀があった。今年のお題は「本」。

皇后陛下の歌に魅了された。

「来(こ)し方(かた)に本とふ文(ふみ)の林ありてその下陰に幾度(いくど)いこひし」。

皇后陛下はこれまでどれくらいの本に接しって来られたのだろうか。
本に対する敬意と感謝の念をよまれたものだという。

折しも、昨日、東洋大学の「現代学生百人一首」の入選作が発表された。応募作品6万首余り、入選作は100首余り。

応募作の中にこんな一首があった。

「心地よい紙の香りに包まれて活字の世界を私は旅する」。東京の女子高生の句だ。

どこか皇后陛下の歌と表裏をなすもののような。
この子の旅路が美智子皇后のような“帰結”になることを願う。

3・11を詠んだ句もある。

「あの日から土だけになった街跡を見ていて思う“震災終わらぬ”」
岩手県の高校1年生の句。

“ネット”に覆われて今を詠んだ句もある。

「手のひらの中の小さな画面よりこっち見てよと言えぬ私は」

「液晶に絶えず目をやる人々の心の富はいかほどばかり」

今時の高校生は・・・なんて言わない方がいいと思う。彼らの感性は世相を把握し、喝破している。

その世相。社会の“空気”にも見事に反発する。

「苦しいなどこまで上がるか消費税不安が増える一人の暮らし」
 福島県立平工業高等学校 3年生の句だ。

「右向け右いつか習ったこの言葉それが僕等の特性なのか」

「正義って何だろうね」とつぶやいて歴史の教科書めくってる君


若者は決して不作法では無い。

「席ゆずり静かに聞こえた“ありがとう”疲れた体少し和んだ」


歌会始めの話しに戻る。

なぜ美智子皇后の歌に惹かれたかだ。本と自分との来し方を思ったからだ。

始めて本というものを知って、買ってもらって、買うように、買えるようになって、何冊の本と接して来ただろうか。
最初に買ってもらった本は覚えている。「家なき子」だった。

何時しか書棚が出来、そこに読み終えた本が並ぶ。本に囲まれるようにして眠る。傍に本があると言うのが一番落ち着く場所となった。

引っ越しのたびに本を整理する羽目になった。東京の家をたたみ、郡山に居を構えた時、多くの本を処分した。処分せざるを得なかった。スペースの問題、あとは心のどこかにある複雑な心情。

郡山のマンションでも何時の間にか一部屋は本で溢れていた。それらの大半も処分した。

その処分してしまった本の中に後悔の念に堪えない本がある。マルセルプルーストの「失われた時を求めて全巻」。多分10数巻あっただろうか。
今、あらためて束の間でもいい、その黄ばんだページに接したい本だ。

気は付けば大事な本も無くなっている。五味川純平もいない。吉本隆明もいない・・・。
源氏物語全巻もいない。

そして今、書棚の前面には「3・11後」の本が並んでいる。読んだものも、そうでないものも。
まさに本を買うことによって、家計のプライマリーバランスは崩壊している。

それらの本の背表紙を見るだけで、失われるかもしれない時を止めることにもなる。背表紙が「忘れる」ことを忘れさせる。
事務所に置いた本も、もう置き場が無くなっているような。

でも、また「紙の香り」に包まれたいとおもうだろう。買うだろう。

本って何なんだろう・・・。

歌会始めの選者、永田和弘宏が詠んだ句。

「本棚の一段分におさまりし一生(ひとよ)の量(かさ)をかなしみにけり」。

2015年1月14日水曜日

「カスバの女」

ここ数日、頭の中に浮かんだ歌が、浸み込んでしまったように離れない。
時々ある“現象”なのだ。記憶に浮かんだ歌が離れていかないという現象。

高校生の頃か、大学に入ってからか。いや、もうちょっと後か・・・。
「カスバの女」という歌がはやっていた。
ラジオからも流れていた。

その歌詞を記憶しているという不思議さ。こういうことがなぜ起きるのか脳科学の先生に教えてもらいたいくらい。

「涙じゃないのよ、浮気な雨にちょっぴりこの頬濡らしただけよ。
ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く
酒場の女の薄情け」。
「歌ってあげましょ、私でよけりゃ。セーヌの黄昏、まぶたの都。
花はマロニエ、シャンゼリゼ 赤い風車の踊り子の
今更かえらぬ身の上を」。
「あなたも私も買われた命、恋してみたって一夜の火花
明日はチェニスかモロッコか 泣いて手をふる後ろ影
外人部隊の白い影」。

なんでこの歌が浮かんだのか。フランスで起きた”テロ“と言われる殺人行為。
犯人はアルジェ出身者であるとうこと。
欧州各国首脳が先頭に立ち、パリの街中を大行進した群衆がいたということ。

フランスとアルジェリア。植民地、独立戦争・・・。

フランスは「移民」の国であり、自由、平等、博愛を掲げている国であるということ。
その移民の多くがいわゆるマイノリティーとして貧困層の中におおかた区分けされていたこと。

200万人とも300万人余りとも言われる人たちがその大行進に参加し、参加した人達が「私はシャルリ」という襲撃された出版社の社名を掲げていたこと。
この問題、テロという犯罪を内蔵させながら、その恐怖を覚えながらも、どこかに別の怖さも感じるのだ。

歌にありように、外人部隊としてのフランスはアルジェリアもモロッコもチュニジアも、かつてその「支配下」に置いていた。

アルジェリアの都市、カスバ・・・。どこか戦後の新宿を思わせるものがある。踊り子、酌婦、迷路のような路地。

列強と言われる国は、ヨーロッパの国は、世界に植民地を広げていった。
大英帝国はオーストラリアを先住民を追い出して植民地化した。
統治の象徴として提督を置いた。
香港も長らく英国の植民地だった。

日本も満州を植民地化しようとしていた。

あの大行進を、言論の自由を高らかに叫ぶ大統領をはじめとした大群衆。
アルジェリア戦争と同時代を生きたフランスの哲学者であり社会学者のギュスターブ・ル・ボンが喝破した「群衆とは・・・」という論考。

その一行にはこうある。

「群衆は同一化する」と。さらには「群衆は感染する」とも。イスラム排除の動きが高まるのだろうか。

ル・ボンが存命ならばこの様相をどう考察しただろうか。同一化されたとしか見えない群衆・・・。テロに抗議する“正義”の群衆ではあるのだろうが。

英語は海賊の言葉、ドイツ語は馬と喋る言葉、そしてフランス語は愛をささやく言葉。昔、そういっていたフランス人もいた。第二外国語、僕は「馬」を選んだのだけれど。

フランスには二回行っている。ホテルのロビーで「エビアン」を手渡された。
生水は飲んではいけないとして。
加工された水しか飲めない国なんだ・・・。あの「硬水」はどうもいただけなかった。そして僅かの滞在であっても、どこかで日本人を見る眼が“違って”いたように思えた。もうずいぶん前の記憶だが。

フランスの悪口を書いているのではない。

なんか「わだかまり」を覚えるだけだが・・・。

今もきっとあると思うが、東京の代々木上原に、大山町と隣接したところにイルラム教のモスクがあった。中学生の時、その界隈によく出かけていた。夜のランニングコースでもあった。
その寺院を、モスクを、なぜか「フイフイ教」と教わっていた。その界隈で時々出会うイルラム系の人。その来ているものかぶっているものをなんだか「奇妙」な人達として見ていたような覚えがある・・・。

もしかしたら、あのモスクも「警護」の対象にされているのかもしれないなとも。なんたって「排外主義」が支配する空気が強まっているような気がするから・・・。

きのう駐日フランス大使が1Fを視察した。完全にコントロールされていると感想を言っていたという。

2015年1月13日火曜日

表現としての「フクシマ」。

3・11後、原発事故後。福島をフクシマと仮名表記することを、されることを極端に忌避した人達がいた。

カタカナ表記するということに、侮蔑とか差別の感覚があるものとしてだろうか。

福島、福島県、ふくしま、フクシマ。その時の“用途”によってそれらを使い分けてきた。

原発、原発事故。それを語るには、行政単位としてある福島県ということでは、何も本質は見えてこないと思ったから。

災後、最初に接した本は鐸木よしみつという作家の書いた「裸のフクシマ」という本だった。川内村に在住していた。
たしか県人でもあろう開沼博も「フクシマ論」と題して書いていた。

数日前の新聞への投稿があった、歌壇に載った句。

「フクシマはいつも三月 夏も冬も 今日も明日もいつもあの時」

いわき市の方の句だ。

「封筒も線量計も我が名前 みんなカタカナ これがフクシマ」

福島市の方だったと。


日本語という文化は、文字は、多彩であり、それを使い分けることで、さまざまな伝えられ方があると思う。

あえてカタカナ表記をすることによって、作者の意図が伝わる場合もある。

1Fを福島原発と呼ぶな、書くなという言辞も数多く見られた。あの頃は。

東京電力発電所と言うべきだ。福島という呼称を外せと。

そう、「風評被害」が満ち溢れていた頃だった。

事故の何を語るかによって、許された表記は、表現の手段としてあるべきだし、前記の句のように、カタカナの方が、訴える力は強い。

「みんなカタカナ、それがフクシマ」。そうだと思う。満腔の抗議の意思を示す上でも。

世の中、カタカナが溢れている。カタカナだらけだ。
それらは主として外国語を日本字化したものであり、時には略語として、時にはネット特有の言語として。

コミケだ、ステマだ、コスプレだ。

ほんの一例に過ぎない。カタカナ文化に支配された国。

漢字というか国字というか。その字の由来、成り立ちを含めて、それらが持っている言葉の、字の豊饒さ。それが無くされていうことの方が問題だ。

音があり訓があり、偏がありつくりがある。豊かな言語なのだ。

楽という字がある。らくとも読むし楽しむとも読む。それをどう読むか、読ませるかによって伝える意味合いは大きく違う。
音楽と書いた時の「楽」は何を意味するのか・・・。

それにしても、福島・ふくしま・フクシマ・・・。
昨日はどう今日につながり、きょうはどう明日につながっていくのか。いるのか。

五里霧中とかいてフクシマとルビをふってみるか。そんな嘆きの冗談すら言いたくなるような。
何があっても決して「風刺」の対象にだけはされたくないと。

2015年1月12日月曜日

「成人の日」に思うこといくつか

今日は成人の日だという。だという・・と書いたのは昔人のようだが、成人の日というのは1月15日だと決まっていかたら。成人、二十歳になるということが一つの節目であるように、15と言う日は節目としてあったのだけど。

成人式はきのうから各地で催されている。式典が。晴れ着の若者が集う。
この人口減、少子化の流れの中で、今のような催しがいつまで続くのかなとも思ってしまう。

メディアは、特にテレビは相変わらず「奇異」な成人式の模様を追う。それに狙いを定めているかのように。“大人”の眉をひそませるような様子を追う。

最近の若い者は・・と思わせたいような。

全国ネットで伝えるテレビのワイドショーやニュース。
被災3県の成人式の様子をきちんと伝えてはいかがかと。

あの時16歳だった若者たち。もうすでに、“大人”は彼らにずいぶん教えられて来たはずだ。成人であるはずの大人が大人らしいことをしなかった。出来なかった。
若者の教えられたことは数々あったはずだ。
知っている光景。郡山の野球場の避難所。そこで一番働いていたのは高校生だった。

僕には成人式の記憶が無い。たぶん、あのころはそれがあったのかどうか。
少なくとも20の僕は、折に触れて安保反対のデモに行っていた。
どこかのセクトに加わってなどいなかった。全くの「個人」としての社会への意思表示だった。
警棒で殴られ、水を浴びせられ・・・。
普通の学生をやりながらも、そこは自分のいる場所であったような気がしていた時代・・・。

デモと言えば、フランスでは「テロに屈しない決意を示す大規模な行動があった」。新聞記事にはそうある。イスラム過激主義を背景に表現の自由を踏みにじり、17人の命を奪った現実に抗議の意思を表明したとも書かれている。
200万人が行進とも。そして、フランスのオランド大統領は「団結こそ力だ。国民よ立ち上がれ」と訴えたという。

「団結は力だ。学生よ立ち上がれ」。二十歳の頃、そんな言葉もあったな・・・。


テロは勿論許せない。まして人の命を銃で奪うなんてことは許されない。それとは別次元で物を見る。テロも怖い、しかし、この200万人の行進、ヨーロッパ各国首脳が参加した行進。それをデモとは言わないまでも、それもなんだか怖い。マスコミは“絶賛”しているように見えるが。

何が怖いか。原理主義者、過激主義者への「抗議」が、いつしか反イスラムとなり、フランスに数多く住んでいる、フランス国民でもあるイスラム教徒への排撃につながるのではないかという一つの危惧。

各国首脳たちも口を揃えたように「言論の自由」を言う。ならばあなた達は言論の自由を守ってきたのか。

安倍も言っていた。言論の自由への挑戦は許せないと。ならば、あの選挙時、メディアに圧力をかけた仕業こそ言論の自由への介入ではなかったのかと問いたい。
特定秘密保護法を強行採決までしておきながらだ。それが言論封殺につながりかねないという危惧がある中でだ。

それぞれが、それぞれに言う「言論の自由」という“御旗”。

「佐賀の乱」と称されることがあった。自公推薦の候補が敗れ、農協が推した候補が当選した。
「佐賀のことは佐賀に」。当選の弁だ。
福島を除いて(それはまったくの相乗りだった)知事選は総選挙を挟んでことごとく自公の敗北に終わっている。

なぜか。中央の地方への強度な介入を否とする“民意”がそこにあったからではないか。候補者の瑕疵が問われた結果ではない。介入への嫌悪感なのかもしれない。

どこかで「幕末」の空気も感じる。

なぜ安倍はあれほどまでに「農協」を嫌うのか・・・。規制緩和という政治目標の為か。TPPへと繋げたいからか。

フランスの民衆のうねりに見えてくるもの、成人式の画一的な報道。だれもが皆「目先」だけを追って、奇をてらっているような気もして・・・。

二十歳になった若者としての成人。成人にとっくになっている“大人”たちの振る舞い・・・。

2015年1月11日日曜日

11日、それは“不条理”の始まった日かもしれない

今日は1月11日。あれから3年8か月の11日。あと二月で丸4年、5年目になる11日だ。
1という数字は物事の始まりの数字、記号だ。
ではそれが二つ並んだ11は・・・。アメリカの9・11もそうだったのかもしれない。“不条理”がはじまった、まかり通るようになった「悲劇」の象徴としての数字かもしれない。

あの日生まれた子供たちがいる。その子たちは、あるいはまだ母親の胎内で、あるいは保育器の中で、あるいは母親の腕の中で、母親の怯えと恐怖、守ってくれる愛情。それらを覚えているはずだ。
皆、すくすくと育ってくれているだろう。

福島県相馬市小高に住む老詩人の作品を書き写す。若松丈太郎という詩人の「不条理な死が絶えない」。


戦争の無い国なのに町や村が壊滅してしまった。
あるいは天災だったら諦めもつこうが
いや、天災だって諦めようがないのに
核災は人々の生きがいを奪い未来を奪った

2011年4月12日、福島県相馬郡飯舘村
村が計画的避難区域に指定された翌朝
百二歳の村最高齢男性が服装を整えて自死した
「生きすぎた おれはここから出たくない

2011年6月11日、相馬市玉野
出荷停止された原乳を捨てる苦しみの日々があって
40頭を飼育していた54歳男性が堆肥舎で死亡
「原発で手足ちぎられ酪農家

2011年6月22日、南相馬市原町区
家族と別れ自宅でのひとり暮らしもしたりして
93歳の女性が遺書4通を残して庭で自死した
「さようなら 私はお墓に避難します


2011年7月1日、伊達郡川俣町山木屋
計画的避難区域内の家に一時帰宅していてのこと
失職中の58歳女性が近くの空き地で焼身した
「避難したくない 元の暮らしをしたい

2012年5月28日、双葉郡浪江町
商店を営んでいた町が警戒区域となって1年2か月
62歳の男性が一時帰宅中に倉庫内で自死した
「もうこのまま戻れないんじゃないか

遺族たちが東京電力を提訴・告訴しても
因果関係が立証できないと却下されるだろう
生きがいを奪われた人びとの死が絶えない
戦争の無い国なのに不条理な死が絶えない


2012年8月に書かれたもの。

今も不条理な死は絶えない。直接死ではなく災害関連死の人の方が増えた。
まだ、それは続くのだろう・・・。

メメント・モリ。死を想う。

自分自身、時々自分の死を考える。歳をとって行くということは確実に死に近づいていることだと思う。

でも、抗うわけではないが、出来るだけ長生きをしてやろうと思っている。生き長らえて、今もある、これからもある様々な“不条理”を見届けてやる。
何の力も無いが“不条理”に抵抗し、指弾して行こうと思う。

「倚りかからず」の精神で。

不条理な死を受け入れた人たちへのせめてもの手向けとしてもだ。

やがて来るかもしれない大きな不条理に対してもだ。

「3・11」を体感して、やっと“不条理”ということの意味を知ったという、その遅すぎた知能への後悔の念も込めながら・・・。

今日も辺野古では“不条理”がまかり通っている。海の向こうからも“不条理”な出来事が伝えられてくる・・・。

2015年1月10日土曜日

“いじめ”の対象としての沖縄

どうも安倍晋三と言う人は、“陰湿”な性格を持っている人のようにも見える。

選挙前の民主党攻撃、口激は凄かった。まさに目の敵。世の中の「悪」はすべて民主党にあるかのような。何があれほどまでの「民主党憎し」の感情を生んだのかはわからないが・・・。

そして民主党は「粉砕」されつつある。安倍の攻撃に耐えられるような政党ではなくなった。

今、政策決定にあたって、予算決定にあたって、安倍の標的は「沖縄」に向かっているようだ。

あれだけ多額の、その人をもってして「大きなお年玉をもらった」と言わしめたほどの振興予算。
沖縄県民には感謝されるとでも思っていたのだろう。

選挙の結果は、選挙区では自民党候補が全員敗れた。
選挙で絶対多数を確保したにも関わらず、いや、だからこそだろうか。
“沖縄憎し”の感情が溢れているのだろう。

知事選の結果に続いての沖縄の「造反」。ならばどうする。
「いじめ」に入ったのではなかろうか。

県知事が上京して会いたいと政権幹部に言っても、党幹部に言っても会わない。会わさせない。
なぜかを問われた菅官房長官は「政治判断」だという。

そして、振興予算の削減に踏み切った。辺野古移転は“粛々”と進めるという。

「俺に弓引く奴には・・・」とうでもいうことか。

卑怯な振る舞いというは言い過ぎか。

イソップの寓話、「北風と太陽」が浮かぶ。徹底して北風を吹かせるつもりなのだろう。

一国の指導者として、権力者として、辺野古移転を含め、沖縄の米軍基地への対応は、すべからく「太陽」でなくてはならないと思うのだが。
それは戦時中のことにまで遡ってだ。

この一連の安倍の対応を米国はどう見ているのだろうか。寡聞にしてそれは耳にすることもめにすることも無いが。

もしかしたら、沖縄県民の中にも、選挙結果は知事選含め、間違った選択をしたという空気が生まれていないとも限らない。
目先の経済、目先の生活。それが優先された総選挙であったという空気の延長として。

「いじめ」「お仕置き」。

福島県に対しては中間貯蔵施設に対策費として2,500億円が補正予算に盛り込まれた。原賠法にもとずく賠償金も690億円が計上された。

県はもろ手をあげて歓迎している。

少なくとも選挙で福島県の有権者の多くは安倍に弓引くことはしなかったからか。

原発事故後、沖縄は多くの福島からの避難者を受け入れてくれた。

選挙前、政権内や永田町では、選挙に勝つ「秘策」として拉致被害者問題があると言っていた。それなりの動きも見せてはいたが・・・。

それこそ「拉致問題」を「政治利用」しようとした形跡がある。

選挙が終わってから、拉致は言の葉に上らなくなった。メディアもそうだ。
拉致問題は蚊帳の外にされているの感。

襟につけているブルーリボン。野田も付けていた。何もしなかった、出来なかった。安倍もたぶんつけているはずだ。
あれは単なるアクセサリーなのか。

利用できなくなったものは放置ってことか。

民主主義とは選挙の結果であるという。ならば沖縄にとっての民主主義ってなんだろう。
沖縄の「民意」はどうされるのだろう・・・。

ああ、また安倍のことを書いてしまったけど・・・。

2015年1月9日金曜日

「和の民」としての東北

昔々、大昔のことです。今の山陰地方に「和」という国がありました。
出雲と言う国です。まだ日本と言う国が出来ていないころです。

因幡の白ウサギのおとぎ話で有名な、童謡にもなっていたところ。そこには大国主命、因幡の大黒様がいました。神様です。

そこに暮らす人たちは、“平和”な営みをしていました。

ある時、大陸から卑弥呼という人を親分にした大勢の人達がやってきました。

出雲の国を「支配」しようとしました。戦争をしかけてきたのです。

「和の民」は、居酒屋チェーンの和民ではありませんよ。争いを好みませんでした。

故事にある「出雲の国譲り」をしたのです。

その地の人達は卑弥呼に国を譲り、全国に散っていったのです。神様の全国に散りました。八百万の神となって。

だから、年に一回、散った神様たちは出雲に帰ってくるのです。神無月と言われる十月、神様たちは出雲大社に帰ってきます。そこだけは「神有月」と古くから言われています。

和の民の多くは陸奥の国、東北地方にやってきました。邪馬台国を名乗っていた卑弥呼の軍勢も来ないような遠隔の地です。

だからでしょうか。出雲弁と東北弁には似通ったイントネーシンや“単語”があるのです。

蝦夷の地、陸奥にやってきた和の民。その精神は蝦夷と合致するところがありました。
「戦」を、自分たちから“侵略、侵攻”していくのを好みませんでした。

宮城県に大和という町があります。「タイワ町」と読みます。町史を調べたわけではありませんが、国譲りの後、卑弥呼が大きな和の国を作ったと大陸に報告するため、その支配下にあった地域を「大和」としたいと申し出たこともありましたが、その時は「大和」は認められませんでした。

それ以降出来た「大和朝廷」からも、奥州はなにかと目の敵にされてきました。
権力の長は征夷大将軍という地位に任ぜられ、そう奥州は「夷敵」とされてきたのです。

中国では蛮族とされた民族とみなされていたのです。

鎌倉時代以降、奥州は幕府から侵攻されます。

奥州藤原三代。攻撃され続けてきました。平泉を中心にした栄華を極めた都。
莫大な金を埋蔵している地。

阿弖流為の時代には銅などの鉱物資源も持っていました。

滅亡された藤原一族。末裔は日本各地に散りました。多くは南下して、今の福島県いわき地方に住み着きました。

いわきの中心部、平という地名です。JRの駅もちょっと前まで平でした。

「平泉」を引きずる藤原一族は、その名前の半分の地名にしました。

極楽浄土を具現化したと言われる中尊寺や毛越寺。そこの庭園。それを模して白水阿弥陀堂を作りました。
白水・・・泉を二つに割った字です。

正確な歴史物語ではないかもしれません。僕が半ば勝手に作った珍説、模作かもしれませんが・・・。
おおむねあたっているのかもしれません。


国を追われる・・・。福島県の人達も国を追われました。あの「原発」というもののおかげで。その大きな力によって。

足尾銅山事件とうのが明治の時代にありました。鉱毒の垂れ流し事件です。
その足尾に住めなくなった人達、追われた人達は北海道にわたり、その地に足尾という地名をつけました。

国を追われる・・・。そんな“歴史”が続いているかのような。

東北人は我慢強い。怒らない。そうよく言われます。もちろん気候風土の問題もあるでしょう。越後人にも匹敵する。

原発事故もそのことが巷間よく言われました。

本当は皆怒っているのです。でも我慢しているのです。そして静かな怒りは蓄えたままでいるのです。

ふと思った「東北」のことです。“おとぎ話”としての。

2015年1月8日木曜日

「怒り虫」

昔はいろんな虫がいた。癇癪虫、癪の虫。疳の虫(かんのむし)とか怒り虫。

よく泣く子は疳の虫が強い子と言われていた。

そして回虫もいた。回虫を持っていた。親も時々癇癪を起していた。怒っていた。
野菜、特にキャベツの中には必ずと言っていいほど虫がいた。
学校では回虫検査があり、虫下しを飲まされていた。

で、癇癪虫を退治する薬ってあったのだろうか・・・。

そんな虫を抑えるように、人々は尺取り虫のように、一歩一歩、歩き始めていた時代もあった。

やがて少なくとも回虫はいない時代になった。「衛生的」になったのである。

公徳心なるものがどうかはともかく、食品に対してだけは神経質になるくらい「うるさい消費者」が生まれた。

卑近な例では「マック」の“事例”。もちろんとんでもないことだけど。
マックの当事者は記者会見で、「解答を差し控える」を連発していた。

なんで控えるのか。それを聞くべきなのに、どうもその先には行かないような。

それはともかく・・・。

今はまた僕の中に一匹の虫が住み着いている。怒り虫だ。あの日以降住み着いてしまった虫だ。
その虫に対して、僕は虫下しを飲まない。飲むつもりはない。その虫のおかげで、ストレスが極端に溜り、体調不良になったとしてもだ。
怒るということはからだによくないと知っていてもだ。

何に対しての「怒り虫」か。何に対して怒っているのか。

嘘ばかり平気で言う奴らに対してだ。「東電」という会社の体質に対してだ。
弱いものを“見殺し”にするかのような労働条件も含めて。
コントロールされてなんかいないのに、されているように言う、体面を取り繕う「国」という巨大な権力へだ。

有ったことを無かったことのように言う。そこにある実態を見て見ぬ振りをする、見なかった振りをするその欺瞞性に対してだ。

あらゆる、それはほぼでっち上げに近い「風評」という“お化け”に対してだ。
訳知り顔に、福島を語る奴らにだ。
同情する振りをして、善意の人間を気取っている奴らにだ。
それこそ、福島産の食品には「虫」が入っているように言い放つ、言い募る奴らにだ。

どうも、僕の中に住み着いた怒りの虫は、成長しているようだ。怒りが激しくなってきているようだ。

それでも、ずいぶんと抑えているのだけれど。

怒りを無くすということは忘れるための心の“行為”だ。忘れるとは亡くす心と書く。

怒りを無くせば沈黙せざるを得ない。沈黙は何を招くか。忘却だ。忘却は風化につながる。

怒ることを忘れた人たちが、怒りを無くしてしまった人達が、今の世には多い。

それは70年前の戦争につてもあてはまる。沖縄についても、長崎、広島についても、食に関わることならば水俣に対してもだ。

怒りを忘れるということは、権力に盲従するということだ。盲従する民、それは収容所に向かう列車に唯々諾々として乗るユダヤ人の姿を連想させる。

猛獣とは言わないまでも、権力を批判してきたマスコミという輩も、徐々に盲従になろうとしている。

腹の虫が治まらない。

「12人の怒れる男」という映画があった。裁判ものだ。陪審員の話しだ。
ヘンリーフォンダにはなりきれない。なれない。11人の多数意見を覆すような力量は無い。

この映画の監督は、民主主義と言うものへの限りない期待感を持ってこの映画を作ったのではないかとも思う。

せめてその映画の陰のスタッフでいたいとも思っているのだが・・・。

それにしてもなんでこの映画は12人だったのか。陪審員が。
まさか「12使徒聖人」を意識したのではないかと憶測しても始まらないが。

2015年1月7日水曜日

“ホームレス歌人のいた冬”

以前もこのことを書いたと思う。新聞に毎週のように投稿し、ある日突然消えてしまった歌人のこと。

その名前は、それがペンネームかどうかはもちろん知らないが「公田耕一」と言う。職業欄には「ホームレス」とあった。

時の政権は麻生内閣だったと思う。

最初に出会った歌。
「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」

柔らかい時計、サルバドール・ダリの“時計”である。記憶の固執に描かれたモチーフである。

この時計が意味するものは何か。このホームレス歌人は、何をそれで伝えたかったのか。炊き出しに並ぶことの忍耐力か、空腹の中で時間が溶けてしまったことを言いたいのか。
いずれにしてもダリの時計は通常の時間とは違う進み方をする。

今は冬季の閉館になっているが、ダリの作品を収蔵している屈指の美術館。裏磐梯にある諸橋近代美術館。

「ダリと三つのスフィンクス」という作品が掲示されているはずだ。

「核」に対する“警告”。ビキニの核実験、アインシュタイン。

ダリを“熟知”している「ホームレス」・・・。


東京の渋谷で、年末年始、ホームレスがねぐらにしていた公園から締め出され、あるいは閉じ込められ、炊き出し活動に支えられていた。炊き出しはカレーだった・・・。

ホームレス、いつの頃から“誕生”した言葉だろうか。いつの頃から“出現”したのだろうか。

戦後は乞食といわれ、ルンペンとも言われていた。高校生の時、毎朝見る光景。
戸山ハイツの脇にあった職安。仕事にあぶれた日雇い労務者がたき火を囲んで所在なさげに佇んでいた。

山谷にはドヤ街というのがあった。大阪には釜ヶ崎というのがあった。時折「暴動騒ぎ」を起こしていた。

ホームレスとは・・・なんでそれが生まれるのか。

会社が倒産した。会社をリストラされた。家族が離散した・・・。

この「豊か」で「富んで」いて、飽食の時代とも言われ、社会保障が制度としてある時代に、なぜホームレスというのが出来るのだろうか。

それぞれに理由があるのだろう。

中には、それこそダリの時計ではないが、束縛から離れて、精神的自由を選んだ人もいるかもしれないが・・・。

公田耕人という人の話に戻る。

歌壇には「返歌」が寄せられていた。
「炊き出しに並ぶ歌あり住所欄(ホームレス)とありて寒き日」

歌壇を見るのが習慣になっていった。なるべく見落とさないようにもした。

その度に、見た範囲で歌を書き留めていった。

「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか」

人物像を考えた。かなりのインテリジェンスを持った社会人であったであろうと。

「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」

読書家でもあったのだろうとも。

「美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻」

音楽に造詣も深い人だったのだろう。

時には横浜にも居たようだ。浜のドヤ街に。

「哀しきは寿町と言ふ地名長者町さえ隣にはあり」。

今ここで「格差社会」と問うことはしない。「貧困」についても語るまい。

民主党政権時にも、日比谷公園での「越冬炊き出し支援問題」もあった。

暖かい部屋にいて、三食のメシを食い、風呂にも毎日入れる。そんな生活に慣れてしまっている身だからこそか。
ホームレスという言葉を眼にするたびに何か「走る」感情がある。

今日は寒い。まさに冬そのもの。季節が呼びさまさせてくれたホームレス歌人のこと。

2015年1月6日火曜日

「礼」ということのあれこれ

礼に始まり礼に終わる。スポーツでよく言われる言葉だ。その祖は柔道のようだが。

それは対戦相手に対しての「礼」だ。

「礼」。そこには一つの精神世界があると思う。それは「敬意」を表するという意味でも、自分に対してでも。

初詣。社殿の前でたとえば二礼二拍の所作をする。そして手を合わせて拝む。
「礼」という所作は美しい。八百万の神への感謝と祈願、そして自分への願い、誓い・・・。

朝、犬と散歩している時、寺の境内に寄ることがある。本堂にむかって一礼をする。その場は礼をするのにふさわしい場所と思うから。
3・11後は特にそうだった。静謐が支配する境内。
とにかく祈っていた。

スポーツの話しに戻る。

駅伝、マラソンを見るのが好きだ。ゴールテープを切る、ゴールする。走って来た道路に頭を下げて礼をする選手を見かける。その選手が好きだ。

サッカーでもいる。選手交代時、ピッチに礼をしてベンチに帰る選手がいる。そんな選手を見ると涙ぐむ。

フィギアスケート。演技を終えてリンクを出るとき、必ずリンクに向かって礼をする選手がいる。
最近見た中では、そうしているのは男子では羽生結弦と、女子では本郷里華だったような。
観客にでは無く、リンクに礼をする。リンクに出て行くときも戻ってきたときも。一人一人の演技だ。対戦相手がいるわけでも無い。

走らせてくれた道に対して礼をする。滑走させてくれたリンクに対して礼をする。

高校野球の選手もそうだ。
必ずグラウンドに対して礼を欠かさない。

もちろん試合の前後には相手チームの選手同士で礼を交わす。


3・11以降、行かなくなったスポーツクラブ。そこのコーチの一人の女性は、スタジオに入ってくるとき、必ず一礼をしていた。
レッスンが終わってからもスタジオを出る時、振り返って礼をしていた。

ある時、その人に聞いた。礼をするわけを。

「あまり意識はしていませんが、なんとなくそうなるのです。これからの時間が、その場が自分にとって大事な場所だろうと思うから。そして、そこで“仕事”をさせて貰ったことに感謝したかったからでしょうか」。

その人のレッスンは必ず受けたいと思った。

礼をする。それが軽く頭を下げるだけの行為であっても、その意味合いは大きい。その若いコーチに教えられた。

「礼」とは相手があってすることなのだろうか。そうでもなさそうだ。

学生時代、教室に入るとき礼をしていたか。していなかった。
学びの場に対して、そこに礼をするということは無かった。
有ったのは先生が壇上に立って、起立、礼の級長の掛け声があった時だけ。

その場に対して礼をする。頭を下げる。それは「自分自身」への事なのだろうと。

テレビで初詣の光景を見ながら、ふと思ったこと。なぜか。
「礼」をする人が少なくなったからかもしれない。

かつて、国会で本会議場に入るときは、与野党問わず議場に向かって礼をして入っていた。着席する時も議長席に向かって礼をしていた。
単なる慣行だけだったのだろうか。いや、「議場は神聖なもの」という意識があったからではなかろうか。

格差社会である。

その中にあって「ノブレス・オブリージュ」は、それを果たすことは富める人の一つの「礼」ではないだろうかとも思う。

礼儀も礼のうちではないだろうか。

どんな小さな集まりであっても、その中で決められた自分の役割を果たすということ、それは仲間に対する「礼」ではないだろうか。
身近な些細なことからも「礼」ということを考える・・・。

2015年1月5日月曜日

「亀裂」と付き合いながら・・・

久しぶりに事務所に。
事務所といっても六畳一間くらいのアパートだけど。

壁にある、入った「亀裂」はそのままだ。あえてそのままにしている。
「あの日」を忘れないためにも。
モニュメントとしての亀裂。

六畳一間に刻まれた亀裂から、今の世の中にある亀裂を垣間見えるような「気がする。

日本社会に走っている三本の亀裂。

富裕層と貧困層の、貧困までいかなくても、いわゆる低所得者との間にある所得の亀裂。

東京を筆頭にした大都市圏と地方との間にある地域間の亀裂。

そして三つ目は高齢者と若者の間に微妙に存在する世代間の亀裂だ。

亀裂は広がる。広がれば分断になる。

分断、ひとつの良い例が沖縄だ。

そして福島にはもう一つの亀裂がある。県民同士、被災者同士、避難民同士に生まれた心の亀裂だ。
それは、あのバリケードで仕切られた、そのことが象徴するかのようなもの。

放射能のへの考え方、賠償金をめぐる誹り。避難するかどうかの家族間の亀裂。

それぞれがそれぞれの価値観を持つ中で、一度生まれた亀裂は、分断に突き進んでいくかもしれないと言う危惧。

福島にあって、今年のキーワードは「亀裂と分断」なのかもしれない。

亀裂は埋めなくてはならない。それが染みついてしまわないうちに。

でも、誰が、どうやって埋めて行くのか。

個々人の考えか、国家の問題か。

この国の今の政治が、その亀裂を埋める作業に真剣に取り組んでいるとか思えない。
政治の為の政治でしかないと思えるから。

自己保身と一部の人達を念頭に置いた、その場しのぎの「まつりごと」としか見えないから。

例えば「教育」の問題にしてもそうだ。最低限の教育は保障されている。しかし、教育の場にあって、貧困の子どもたちは“差別”という範疇に置かれる。

ゲーム機を持たない子どもたちは「孤」の空間にしかいたられない。

塾に通わなければ、上の学校には入れない。塾に通うにはカネがかかる。勢い、大学に進み、それも東京の大学に進み、大企業に就職するとか、官僚になるとか、嫌味ではないが「支配層」に属するためにはカネがかかると言うこと。

その子たちのせいではないが、貧困を知らない若者が、支配層になるということ。価値観の中に「貧困」が入ってないという人達が君臨しはじめるということ。

それは「戦争」についてだって言える。戦争を知らない人達が指導者になっている時代。
全ての戦争は「自衛」という名分から始まっている。

どうやってこの「亀裂」を埋めるのだ・・・。

福島の亀裂だって、科学者や医学者の、科学的知見、医学的知見と言う「虚構」の論理の中でもたらされてはいないか。

政治を見捨ててはいない。政治家に覚醒を求めたいのだ。民のための政治とは何かを、原点を学んで、考え直して欲しいのだ。

政治だってどうしようもないこともある。ならば個々人が考え直すことは多いはず。

唐突だが、歌壇にあった一つの句。
「復興の願いを友は語れども、4度目の冬も二間の仮設」。

この句から亀裂の兆しを感じるは愚なりしか。

亀裂を「共有」する方途はありやなしやとも。事務所の壁の亀裂は今年もそのままにしておく・・・。

2015年1月4日日曜日

「自由」という言葉に思うこと

1900年代、ファシズムが横行していた時代に、反ファシズム、レジスタンス運動家だったフランスの詩人、ポール・エリュアールはこんな詩を書いている。

年始、古い手帳を繰っていたら、その片隅に書き留めてあった詩だ。

「僕のノートの上に、僕の机、僕の樹の上に、砂の上、雪の上に、僕は書く、君の名前を。
読みつくしたすべてのページの上、まだ書いてないすべての上に
石や皿や紙や灰に、僕は書く、君の名前を。
密林の上、砂漠の上に、巣の上に、エニシダの上に
幼い日のこだまの上に、僕は書く、君の名前を。
夜毎の奇蹟の上に、日々のパンの上に、季節季節の上に、僕は書く、君の名前を。
そして、ただ一つの言葉によって、僕はもう一度人生を始める。僕は生まれたのだ。君を知るために。君に名付けるために。“自由(リベルテ)”と」。
自由。日頃、何気なく使っている言葉になった。
憲法でも保障されている。さまざまな自由が。思想・信条の自由かたはじまって。

今年は、その憲法をめぐる動きが、より加速化されるだろう。改憲に向けての動きが。

そんな「空気」を慮ってか、察知されたか、天皇陛下は改憲に、語れる範囲ぎりぎりで、言葉を選びながらも釘を刺している。
去年の誕生日にあたり述べられた言葉だ。

「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と述べられている。そして「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていく」とも明言されている。

改憲を声高に言う人たちは、この陛下の言葉をどう受け止めたのだろうか。
そこには「大いなる齟齬」があるように思えるのだが。

天皇陛下は、新年にあたっての感想でもこう述べられている。
そこにあるのは、世上にある“空気”への柔らかな警鐘だと受け取る。

「東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています」。

この言葉の前には、去年あった多くの自然災害のこと、それの犠牲になった人達への想いも語られているのだが。

明治時代、民主主義を求めた自由民権運動というのがあった。板垣退助が首唱し、各地でそれに呼応する人が立ち上がった。
福島県浪江には狩宿仲衛という人がいた。三春には河野広中がいた。

仲衛の墓石は「3・11」で倒壊した。まだそのままなのかもしれない。

戦後の憲法制定にあたり、自ら「草案」を書いた人もいる。相馬の小高出身の人だ。
安蔵の草案にある精神は、今の憲法にも生かされている。

多分、陛下はそのこともご存知だったのかもしれないが。

こんな「現代史」は教科書には載っていないのだろう。現代史に行き着く前で終わっているのかもしれない。

言論の自由という。もちろん、その意味をはき違えている人たちもいるが、本来的な意味での「言論の自由」は、束縛される時代になってしまった。

その「自由」は、戦争というとんでもない惨禍を代償として“獲得”したにも関わらずだ。

職業選択の自由だって、そこには大いなる障害が生まれている。社会的な「壁」となって。

自由の女神像を「国家のシンボル」として掲げるアメリカにだって、どこまで自由が存在しているのか。

フイーダムかリバティーか。
自由とは普遍的なものか、可変的なものか。

手帳の片隅に書き留められていた詩。たぶん、30年も前に写したものだと思うけど。

2015年1月3日土曜日

「からから亭」という“居酒屋”のこと

2005年11月。小さな“居酒屋”がオープンしました。
その場所は?住所は?。ありません。ネットの中だけですから。

会社員時代から、漠然と思っていたことがあります。会社員を終わったら小さなカウンターだけのバーをやりたい。バーのマスター、一人だけの。
薄~くJAZZが流れていて、老マスターが、一人で来たお客さんの話し相手になれればいいな。なんという妄想。

会社員を終わてみれば、店を出す資金とて無し。そして気が付く体力の衰え。
物理的に無理だとわかったのです。

で、考えたのがネット居酒屋。酒は飲んだ気分。直に話さなくてキーボードでの会話。“下手な考え休むに似たり”でしたが。

「からから亭」という“屋号”で始めてみました。バーではなく居酒屋に見立てて。
からから亭というのは、ウイスキーのグラスの中で氷が「カラカラ」と音を立てている。そんな意味合いからつけたものです。

会話の糸口は毎日10行ほどの酒談義が中心。そんなに飲めるわけではないのに、酒好きのふりをして。

最初の口上が残っています。

「お店、きょうから、開店しました。まだお客さまはいらしていません。
そりゃそうですよね。レセプションの通知も差し上げていないのですから。
会社の中での息抜きに、晩酌のついでに、ナイトキャップのつまみさがしに
当店を覗いていただけたら幸いです。
郡山は風の季節になってきました。きょうも一日枯葉舞っていました。
郡山は風の街です。これからの季節、いろんな風が吹くでしょう。
枯葉は風を楽しむように、それぞれが踊っているようでした。
枯葉はやがて腐葉土になります。新しい生命を生むために土にかえります。
枯葉には枯葉の役割があるのだと思います。だから、見る人間にとっては淋
しい光景であっても、枯葉ちゃんにとっては、喜びの舞かもしれません。
今夜はヨセフ・コスマの名曲 ♪枯葉♪ を・・・」。

こんなことで始まった“店”です。ネットにかまけてないで、食うための仕事をすべきだったのですが・・・。

常連さん含め、お客さまが、ブログ「からから亭」に立ち寄ってくださる方があっと言う間に増えていきました。

ある日はこんなことも書いていました。


「亭主謹白 すべて人間の一生は 神の手によって書かれた 御伽噺にすぎない。アンデルセンの言葉です。出来上がったばかりの店に多数お立ち寄りいただき、恐縮しきりです。
公開コメント以外にも多数のメールいただきました。目薬片手のPC作業。出てくるのは目薬のしずくか、はたまた感動の涙か(^-^)。
ちょっと御伽噺の世界にいるような心境です。
笹の川の熱燗でいっぱい。十四代の焼酎で〆と行きますかな。今夜は。それにしても神様はいい仲間を
くれたもんだと思うことしきりです」。


そんな日々を送りながら楽しんでいました。やがてなんでだか、居酒屋談義を逸れて辛口を言うようになっていました。

年中無休でやっていましたが、週に数日開店という時もありました。そんなこんなで数年。あの日が来ました。2011年3月11日。

それ以降、長文を連日書くことになりました。というより、そう自分で決めたのです。それしか出来ることは無いから。字数はとてもじゃないが増えました。

今年で「開店10年」です。しんどくもあり、億劫に思う時もあり、書かねばならぬと奮起するときもあり。

「3・11」前の常連さんはお見えにならなくなりました。

時流に乗ったわけではありませんが、ツイッターに「告知」したり、フェイスブックが出来ると、それにリンクを貼ったり。

もう少し、からから亭は”営業“します。
永井荷風の断腸亭日乗の想いに似て、「からから亭日乗」と店名変更。断腸の思いの日常があったからでしょうか。

開店当初風に書いてみます。
「国民的行事、NHKの紅白歌合戦の視聴率が新聞に載っていました。サザンが出た後半は42,2%だったということです。視聴率も世論調査も、少ないサンプル数から割り出した数字。安倍内閣の支持率には及ばなかったような。それはともかく、今年も開店時間は気ままな当店ですが、ぜひご贔屓に」。

こんな具合だったのですが・・・。

2015年1月2日金曜日

「ピース」と「ハイライト」は煙草の銘柄では無かった

初めて吸ったフィルター付の煙草はハイライトだった。
若いころ“業界人”を気取ってピー缶を持ち歩いていた・・・。
だから♪ピースとハイライト♪という曲名を目にした時、煙草の歌かと思っていたっけ。

旧臘の話だ。

大晦日、飲み物が欲しくて下の居間に降りて行った。テレビでは紅白歌合戦をやっていた。
長淵剛をやっていた。なんとなくVTR臭かったが・・・。
「明日へ続く道」。被災地応援ソングだ。彼流の。

2011年5月。長淵が被災地救援にあたる自衛隊員を激励するために格納庫か体育館かでやっていたコンサート。塾生達と集まり、長淵の歌を歌った。
込み上げてくる感情を抑えながら・・・。

紅白はサザンオールスターズ、桑田圭祐に変わる。31年ぶりの出場とか。それも“特別企画”として。
横浜アリーナのライブ会場からの中継。付け髭の桑田が立っていた。

司会者が言う。交渉を重ねていて、二日前に決まった出場ですと。

そして歌った曲が♪ピースとハイライト♪
字幕を追いながら歌を聞いていて驚いた。2013年に作られた曲だというが、会場で、放送に合わせて歌詞を多少いじったのかどうかは知らないが。
完全な「安倍批判」だ。
ネットで引っ張り出した歌詞を写してみる。記録としてもだ。

♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた
今までどんなに対話(はな)しても それぞれの主張は変わらない
教科書は現代史を やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに 何でそうなっちゃうの?
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(Blue)
絵空事かな?お伽話かな? 互いの幸せ願うことなど
歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても 心開かない 都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)
20世紀で懲りたはずでしょう?
燻る火種が燃え上がるだけ 色んな事情があるけどさ
知ろうよ 互いのいいところ!!
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ 悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?愛することを躊躇(ためら)わないで♪

安倍批判というより、今の世相に、一部の世相にぶつけた渾身の“抵抗”だ。
彼も思っていたのだ。連想していたのだ。「裸の王様」を。

そして知った。ピースはもちろん平和、ハイライトは極右だということを。

2万人弱の横浜スタジアムを埋めた観客は、歌詞を噛みしめたかどうかはわからない。でも、その歌に歓声を上げ、酔っていた。
3千人余りのNHKホール。なんか“空気”が違っていた。

なんか考えてしまった。桑田は去年の、紅白で言えば、その年、紫綬褒章を受章した稀代の歌手だ。
「権威」が好きなNHK。秋の叙勲の受章者をどうしても参加させたかったのだろう。桑田はなぜかNHKが嫌いだという話だ。だって31年ぶりの出演というのがその証左だ。

司会者が言っていた「調整」とは何か。NHKの放送時間に制約されるライブ。それを嫌ったということもあるだろう。でも承諾したのだろう。二日前、それはカメラや音声をセットするためにはぎりぎりだったはずだし。
桑田の条件は、自分が歌いたい歌を歌うということだったのではないか。

紅白のプロデューサーやディレクターは、局内調整に精を出したのだろう。上層部の意向を忖度しながら許可を得るために。

数日前、安倍は桑田のコンサートに行った。そこで歌われて曲。「爆笑アイランド」。安倍が来ているのを知ってか、桑田は歌詞の一部を替えた。「衆院解散なんてむちゃを言う」と。

安倍はのけぞっていたと新聞報道にはあったが。

たぶん、桑田のところにはそちらの“勢力”から激しい非難が寄せられていることだろう。フアンである安倍は紅白を見ていたのかどうかしらない。
なんの反応もされていないようだ。

年始明け、閣僚や党幹部の記者会見で、この大晦日の事が話題にされるのだろうか。桑田批判の声が上がるのだろうか。

かつて放送禁止とされて歌がいくつもあった。局側の自主規制も含めて。この「タバコの歌」がこれからも電波に乗って歌われるのだろうか。
封印ってことになるなんてあるのかな。

“デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた私が、このような高貴な章をいただけるとするならば、そんな音楽を喜んでくださったたくさんのファンの方々と、大衆芸能を導いて来られた数多の偉大なる先達たちのおかげであると、心から感謝いたしております。
これからも、みなさまに喜んでいただける音楽を創り続けていけるよう、日々励んでいく所存です。日本が、そして世界が平和でありますように”。

紫綬褒章受章にあたっての桑田のコメント。

あの歌は下劣極まりない音楽だったのだろうか・・・。なんか桑田が好きになってきたような・・・。

もうピースはおろかハイライトも吸えない。とてもじゃないがきつくて。
一番「軽い」、1ミリの煙草が定番な亭主。

2015年1月1日木曜日

「貫かれた棒・・・」

“去年今年貫く棒の如きもの”。高浜虚子の句だ。

年賀状に時々引用させて貰っていた。

その賀状も2011年の正月で欠礼を決めた。古稀の故をもってして。
世間とのつながりを絶とうとしたわけでは決してない。
賀状は、無沙汰の知人、友人の消息を知ることが出来る在り難いものだったが。

欠礼の理由は敢えて書くまい。その風習を決して“否定”するわけではない事だけは確かだが。

もし、賀状を続けていたら、2012年の元旦に何を書けばよかったのだろう。
少なくとも、冒頭に「おめでとう」という言葉は書けなかった。

欠礼を“宣言”しておいてよかったと思う。

昨夜、カレンダーを替えた。12月が1月になった。
玄関の正月飾りも30日に飾っておいた。一夜飾りはいけないと親に言われていたので。
その母の仏壇に「南天」の実を手向けた。今朝、手を合せた。

虚子の句に戻る。貫く棒とは何かを考える。

年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
ということなのだろう。

「棒」とは何か。「棒」とは多分、“時間”なのだろう。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れるということか。時の流れだけは止まらないということか。

今年は戦後70年と言う節目の年だ。70年・・・。

沖縄返還が無ければ日本の戦後は終わらないと佐藤栄作は言った。返還が決まった時、戦後は終わったと彼は言った。

では、沖縄の「時間」とは・・・。沖縄で変わったものとは・・・。

明治維新から70年後、太平洋戦争が事実上始まった。それが終わって70年。
これからの70年は・・・。
福島の70年後は。核のゴミの70年後は・・・。

たしかに、生活感覚としての時は流れていくのだろう。毎月一回暦を繰る度に。
春夏秋冬、四季を感じる度に。

一昨年だったか。毎月書いている随想もどきに「止まったままの時計」という一文を書いた。その年の「書展」に、書家はその一文を大書して、会場の正面に置いてくれていた。

散文調で書いた。「あなたの時計は今何時ですか。あなたの時計は動いていますか。僕の時計は止まったままです・・・」などと問いかけながら。

やはり僕の中には「止まったままの時計」があるようだ。まさに固い棒のように。

あの日のあの時間のままで止まり、放置されている時計が、まるで「モニュメント」のように、言葉を発しない無言の「抗議」の意志を示すかのように。

あの時計が動き出さない限り、僕の中の「時計」も止まったままなのかもしれない。

 時間という奴は、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。
半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。

和らぎとしての時の移ろいは歓迎するのだが。

被爆70年の年、年頭にあたり天皇陛下が詠まれた句。
「爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往(い)にし彼の日を」

時計は止まったままだが、確実に言えることは一つ。わが身の老い。その老いの中に身を置くことを潔しとする。

皆様のご多幸を祈りつつ。