「イスラム国」事件、湯川さんは殺害された。後藤さんはテロリストたちの“メッセージ”を「代読」させられている。
犯行グループは「イスラム国」というところに所属しているどこの国のどういった人物達なのかはわからない。
身代金要求をヨルダンに収監されている女性死刑囚との「交換」に変えた。
犯行グループの目的は、カネではなかった。日本政府を、それを通じての欧米諸国、反「イスラム国」などを標的にした卑劣なテロだ。
今、僕が考えていること。それは「日本」という国のことだ。
たまたま、昨夜、ネットで“事件”のその後が流され始めた頃、テレビを観ていた。Eテレの「日本人は何を目指してきたのか」。三島由紀夫の話だ。
三島が結成した「盾の会」。そこには友人もいた。あの“事件”のことは知らされていなかった奴だが。
三島の書いた本はほとんどを読んでいた。夜中、それを探したがみつからなかった。まただ・・・。
番組を通して、三島は「日本人とはなんだ」「日本と言う国は」と問いかけていた。
戦争体験者としての三島。天皇を象徴としての「神」とすべきだと考えていた三島。
彼の眼には、戦後の日本、経済成長を遂げて行く日本。そこから「日本らしさ」がことごとく失われていく。その危機感に耐えがたいものを感じていた。
「今の日本人は、今のことしか考えていない。今日がよければいい。そんな国になった。過去を忘れ、未来のことも考えなくなった」。あの時代を見た三島の眼。
まさに40数年後の今を語っていると思えた。
三島は一縷の望みをもってか、自衛隊の決起を促した。しかし、自衛隊員はいわば無反応だった。森田必勝とともに自決した。東部方面総監室で。
8500キロも離れた遠い国であった中東が、身近な問題となってきた。その時に憂国の三島の番組を見ていた。
ケースも事例も全く違うものの、どこかに「相似」するものがあったのだ。
三島は「変わろうとしない国日本」を憂いた。変わらない国・・・。
「9・11」という驚愕の大規模テロがアメリカであった。アメリカはそれを恐れ、報復に出た。イラクという国を壊滅するくらいに攻撃し、アルカイーダを民主主義の敵とした。
そして、アメリカは「変わろう」とした。でも変わらなかった。強国として世界に君臨しようとした。軍事力がすべてを解決する手段だとした。
そして報復の連鎖が続いている。たとえ「イスラム国」が、あの勢力の第二世代に位置付けられるものとしてもだ。
「3・11」で日本は変わると思った。変わろうとした人たちもいた。いたずらに経済成長を追い求めることを良しとしない考えも生まれた。
でも、結局何も変わらなかった。「三島」は「三島的」な人はもういない。
戦後と今。「イスラム国」の問題は、それを我々に突き付けている。
きょう未明の記者会見で安倍は言った。
「このようなテロ行為は言語道断の許しがたい暴挙です。強い憤りを覚えます。断固として非難します」と。
それがあのテロリスト達にどう受け止められるかだ。
「非難される」ことに彼らは存在意義を感じているかもしれない。
安倍の論理は飛躍する。
「こういった事件を起こさないためにも集団的自衛権の法整備をすることが必要なのだ」と。
政権内部では「自己責任論」が声高に言われている。この事件を“奇禍”として、安倍は「軍事国家」路線へのアクセルを踏むかもしれない。
今、僕が生きている「日本とは」。どこかで三島を追慕するような感覚で考えている。
そうだ、三島が一番衝撃を受け、人生観、世界観を替えるかもしれない旅があったということ。それは「インド」。ガンジス川のさまざまだったと言っていたこと・・・。
僕の考えは「死生観」にも及んでいくような・・・。
2015年1月25日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
年の終わりと年の始まりと
2020年が終わり、2021年が始まります。 今年はコロナに始まり、政治家は自分の言葉を持たないことを実感しました、首相は紙を読むだけの“操り人形”に過ぎないことが明らかにされました。 コロナ禍が浮き彫りにしたのは「政治家は最悪」という事実です。 安倍は「...

-
1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。 “本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、...
-
東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...
-
昔、佐藤栄作が内閣総理大臣だった時、官房長官をつとめていた人に橋本登美三郎という人がいた。富ヶ谷に大きな家を構えていた。 富さんという愛称で呼ばれていた。茨城県選出の議員。もともとは朝日新聞記者。南京支局長の経歴もある。 富さんの後援会は「西湖会」と言った。富さんは朝日新聞...

0 件のコメント:
コメントを投稿