1900年代、ファシズムが横行していた時代に、反ファシズム、レジスタンス運動家だったフランスの詩人、ポール・エリュアールはこんな詩を書いている。
年始、古い手帳を繰っていたら、その片隅に書き留めてあった詩だ。
「僕のノートの上に、僕の机、僕の樹の上に、砂の上、雪の上に、僕は書く、君の名前を。
読みつくしたすべてのページの上、まだ書いてないすべての上に
石や皿や紙や灰に、僕は書く、君の名前を。
密林の上、砂漠の上に、巣の上に、エニシダの上に
幼い日のこだまの上に、僕は書く、君の名前を。
夜毎の奇蹟の上に、日々のパンの上に、季節季節の上に、僕は書く、君の名前を。
そして、ただ一つの言葉によって、僕はもう一度人生を始める。僕は生まれたのだ。君を知るために。君に名付けるために。“自由(リベルテ)”と」。
自由。日頃、何気なく使っている言葉になった。
憲法でも保障されている。さまざまな自由が。思想・信条の自由かたはじまって。
今年は、その憲法をめぐる動きが、より加速化されるだろう。改憲に向けての動きが。
そんな「空気」を慮ってか、察知されたか、天皇陛下は改憲に、語れる範囲ぎりぎりで、言葉を選びながらも釘を刺している。
去年の誕生日にあたり述べられた言葉だ。
「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と述べられている。そして「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていく」とも明言されている。
改憲を声高に言う人たちは、この陛下の言葉をどう受け止めたのだろうか。
そこには「大いなる齟齬」があるように思えるのだが。
天皇陛下は、新年にあたっての感想でもこう述べられている。
そこにあるのは、世上にある“空気”への柔らかな警鐘だと受け取る。
「東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています」。
この言葉の前には、去年あった多くの自然災害のこと、それの犠牲になった人達への想いも語られているのだが。
明治時代、民主主義を求めた自由民権運動というのがあった。板垣退助が首唱し、各地でそれに呼応する人が立ち上がった。
福島県浪江には狩宿仲衛という人がいた。三春には河野広中がいた。
仲衛の墓石は「3・11」で倒壊した。まだそのままなのかもしれない。
戦後の憲法制定にあたり、自ら「草案」を書いた人もいる。相馬の小高出身の人だ。
安蔵の草案にある精神は、今の憲法にも生かされている。
多分、陛下はそのこともご存知だったのかもしれないが。
こんな「現代史」は教科書には載っていないのだろう。現代史に行き着く前で終わっているのかもしれない。
言論の自由という。もちろん、その意味をはき違えている人たちもいるが、本来的な意味での「言論の自由」は、束縛される時代になってしまった。
その「自由」は、戦争というとんでもない惨禍を代償として“獲得”したにも関わらずだ。
職業選択の自由だって、そこには大いなる障害が生まれている。社会的な「壁」となって。
自由の女神像を「国家のシンボル」として掲げるアメリカにだって、どこまで自由が存在しているのか。
フイーダムかリバティーか。
自由とは普遍的なものか、可変的なものか。
手帳の片隅に書き留められていた詩。たぶん、30年も前に写したものだと思うけど。
2015年1月4日日曜日
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