2015年5月31日日曜日

「抑止」あるいは「抑止力」ということ

昨夜のマグニチュード8の地震、震度5強の地震。広範囲な揺れ。誰しもが驚いたはず。その前日には鹿児島の南端の島での新岳の噴火。
誰しもが地中で変動が起きていると感じているはず。
明らかに“異変”が起きているとういうことを“認知”しているはず。

火山学者も地震学者も予測出来ない自然の働き。火山列島でそれらの動きがあることは“当然”のことであるかもしれないのに、いや、今までが異常なほどに散発的に異変が起きてはいたが、それが“例外”な何年間、何十年間、何百年間のことであって、“当然”が起きたと言えなくもない。

でも、「きっと、我々がいきているうちは、このさきしばらくは“3・11”のようなことは無いだろう」と、自分に思い込ませている。自分の心や頭の動揺に「抑止力」を働かせている。

噴火も自身も、そのこと自体を「抑止」することは不可能だと知っているから。
「抑止」出来ないものは「抑止」出来ないのだ。

安保法制を巡って、日米同盟の強化は我が国にとっての抑止力という観念、視点、価値観によっての議論が交わされている。いや、交わされているというよりある意味不毛な言葉のやりとり。激しい口調での応酬。

「抑止力」という言葉に戸惑いがある。

かつて言われた抑止力。それは「核の抑止力」だった。「核の抑止力としての日米安保」であり、日米のイコールパートナーシップだった。

冷戦時代、米ソは核兵器開発に奔走していた。もしかしたら核兵器が使われていたかもしれないキューバ危機を除外しておことしても。

だから、唯一の被爆国である日本は「非核三原則」を国是に掲げた。
核兵器を搭載しているかもしれないアメリカの艦船、空母の寄港に耳目が集まった。

核があまりにも強大、強力な兵器であるからこそ「核抑止」という“論理”が成り立っていたのだ。

やがて東西冷戦の終結。核の抑止力という視点は消えた。
今、交わされている安全保障論議の中にもそれは登場しない。それを見据えている人たちがいようともだ。

核をもって核を制す。武力をもって武力を制す。戦争をもって戦争を制す。
愚かな「発想」だと思うのだけれど。

平和のための核という思考がまかり通り、多くがそれに“洗脳”されて出来たこの国の“みせかけの繁栄”。とどのつまり、それはあの爆発とともに消え去った。消えたはずだが・・・。

原子力発電における核。それに抑止力の思考はあてはまるのか。核発電所を「抑止」出来るのか。

人知がそれを為せると思っている傲慢な人間。あの管理された核であっても、いったん事あらば「暴走」を止めることは出来ないのだ。

通常兵器による戦争だって、いったん始まれば、それを終わらせるためには限りない犠牲者を出さねばならない。戦争は人間が起こす行為だ。しかもそれに勝手な大義名分を付けて。

その戦争を抑止できるには人間だ。抑止とは、それが始まる前に止めることを言うはず。

だから、飛躍した論理ととられようとも、戦争を志向する安倍の“暴走”を抑止するには、日本人でなければならないはずなのに。
安倍にマインドコントロールされたように、それを支持する人も多い。その人たちの思想、思考を抑止することは出来るのか。

「抑止」と言う言葉から、天変地異という現象から、それを敷衍した先が見えるとも思えるのだが。

昨夜、電車は止まった。繁栄の象徴のような高層ビルには多くの人が取り残された。あの規模の揺れであってもだ。
頭の中での「抑止神経細胞」をもうちょっと活発化させてはいかがかと。

2015年5月30日土曜日

「国家の品格」、「院の品格」そして「宰相の品格」。

20年ほど前か。ベストセラーになった本に「国家の品格」と言うのがあった。
著者は藤原正彦。新田次郎と藤原ていを親に持つ本業は数学者だった人。

その国家の品格という本の巻頭にはこんな一文があった。
「日本は世界で唯一の“情緒と形の文明”である。国際化という名のアメリカ化に踊らされた日本人は、この誇るべき国柄を長く忘れて来た。
“論理”と“合理性”頼みの“改革”では、社会の荒廃を食い止めることは出来ない。いま日本に必要なのは国家の品格を取り戻すことである」。

まもなく6月。田んぼの稲は育っている。田園風景が望める。その光景を見ながらもこの本の題名を思い出したのだ。

数学者が説く国家、その品格。その指標としてたとえば独立不羈を挙げ、「自らに意志に従って行動できる国、守ってくれる国があるなからその言いなりになっていればいいというものではない。注意すべきは、確固たる防衛力は、隣国への侵略力にも通じかねない」と指摘していた。
そして、「美しい田園が保たれていると言うことは、金銭至上主義に侵されていない美しい情緒がその国に存在する証拠です」とも書き、美しい田園風景があるということは、農民が泣いていないということだが、ここ10年ほどで田園風景や農民の暮らしはすっかり荒らされてしまったとも書いていた。

いささか「つまみ食い」の感ありの引用だが。

彼の言葉を借りるなら、「国家の品格」はとっくに失われてしまったのだ。その本が話題になったのは、日本人がうすうすそのことに気付き始めていたからかもしれないのだ。

「国家の品格」の欠如、それはあらゆるところで今も露呈されている。

「国会」というところの品格、議員が保たねばならない院の品格もより灰燼の帰した感ありだ。あの居眠り議員の姿がそれを象徴している。

そして何よりも「宰相の品格」。安倍は品格無しの政治家の典型だ。自らを最高権力者と豪語してはばからず、自らに意のままにこの国を動かそうとする。
彼の頭の中には議会制民主主義という言葉だけはあっても、その理念が備わっていない。
その典型が首相席からの野次のこと。
委員会の秩序は委員長が司る。彼はそれをも自らが“支配”しようとする。

連日のように露呈する我儘さ丸出しの安倍の野次。

国会法や衆院規則を精査すれば、かれの野次は「懲罰」に値するものだ。野党は懲罰動議を提出してもおかしくない。
週明けには「謝罪、釈明」をして一件落着とするようだが、それとても院の品位にもとることなのだ。

野次だけにはとどまらない。自己撞着に陥った答弁の数々。意味不明の言葉の羅列。委員長が指名したかどうかはわからないが、閣僚に対する質問を、答弁を遮るようにしゃしゃり出てくる自己過信・・・。

彼の言動の多くは二枚舌であり、論理的構成も支離滅裂であり、勝手に思い込んだ自己主張を「丁寧な説明」と換骨奪胎をはかる。

これほど「品格の欠如」した宰相を見たことはない。

一言余談、横道。安保特別委員会の浜田委員長も辛かろう。野次を制し、委員会の秩序を保持するのは。だって、彼の父親、ハマコーは予算委員長だった時に共産党に対して、宮本顕治を指して「殺人者」と言い放ち、その職を棒に振った前歴があるのだから。

それはともかく、結果「強行採決」となるであろう安保法制。その時に「暴挙」だとか、議会制民主主義を踏みにじるとか、国会の品位、品格のことを定型文みたいに非難しても、すべては「あとのまつり」ということ。

国家の品格を取り戻すのは「今しかないでしょ、やるなら今でしょ」って流行り言葉でとりあえずの絞めなり。

2015年5月29日金曜日

「バターはどこへ溶けた?」

Where has my butter gone?

バターはどこへ溶けた?。そんな題名の本があった。チーズはどこへ消えた?の後に。
著者の名前はあるが、カタカナで、外国人を思わせているが、本の中ではいきなり「老子」の名言を登場させたり、坊主と名乗っていたり、どうも日本人ライターのようだった。

このところ日常生活の話題に登場しているのが「バター」の欠品。それこそバターが消えたということ。

需要と供給のアンバランスというか、確実に酪農家、乳牛農家は減っている。国内の牛から生産される牛乳の量、それで作られるバターが減っているということ。

酪農家は採算に合わない。輸入に頼る飼料代がバカにならない。かたやバターの消費量は増える一方。“ケーキの時期”ともなればなおさらということらしい。

福島にも酪農家は多かった。その酪農家は原発事故で激減した。乳牛はどこへいったのか・・ってこともある。
全体の需要からすれば、それがバター不足の主たる原因ではないが、一端はそこにもあるはず。

餌代の高騰。それは円安。そう円安とは「庶民」の生活を直撃している。バターだけではないそれを塗るパンもだ。原材料の小麦が円安で高騰しているからだ。

市場の実態を知った政府は外国からバターの緊急輸入をするという。その中に影を落とすかにような関税、TPP。

バターの話しが本旨ではない。その本のタイトルにある「溶ける」という言葉にひっかかっただけだ。

鹿児島県の口永良部島で大噴火が起きた。全島避難。火砕流、溶岩流が海まで到達していると言う。

いつ噴火してもおかしくない新岳という山。このところ多発している火山の不気味な兆候。箱根からはじまって・・・。御嶽山が引き金だったかどうかはともかく、火山列島であることを事実が示した。

それが桜島でも起こり得る可能性は大だと思う。しかし、川内原発の再稼働に向けての動きは急だ。
火傷を負った島民もいるが137人の全島民は全員屋久島に避難したという。
再噴火の可能性は大だと言われる。

もしかしたら、人の帰れない島が生まれるかもしれないのだ。そしてまたも大量の「避難民」という人が生まれる・・・。

福島第一原子力発電所。2号機から溶け出した核燃料。その核燃料が何処に溶けていったのか。わからない現状。そう「デブリはどこへ溶けたのか」と。

まさか、その核燃料を「バター」と呼んだひとはいないけれど、いや、もしかしたらそんな“暗号”があるのかもしれないというばかばかしい妄想。

その本は21世紀初頭に書かれたものだ。二匹のネコと二匹のキツネが主人公の、まさに現代の「寓話」だ。
ネコにとってのバター、キツネにとってのバター。それをめぐる「ごたごたした話し」。

わずか80数頁の巻末にこんなことが書かれている。
「バターがあることもあればないこともある。バターがないことを気にして、いつも神経を尖らしていてはほんとうの喜びは味わえない。
バターはやがて無くなるから美味しいのである。バターを求めて走っていては、気づかないこともある。
バターなんか無くても、自分にとって大切なものさえあればそれでいい。
欲望にはきりがない。バターはいくらでも欲しくなる。バターなんかなくても、よく晴れた朝、なんとなく感じる幸せをよろこべ」と。

示唆に富んだ寓話だ。いや、寓話とはそういうものであり、それは空想では無くて時には現実になる。

何かを手に入れるために大切な何かを失っていませんか。そんな問いかけの本。

3・11後に問い掛けられていることの本質。

鹿児島県南端の島の噴火は寓話では無い。明日、身の回りの、身近な山で起きるかもしれない。マグマの活動は人知の及ぶべきことでは無い。

「バター」という言葉を聞くと「進駐軍」と結びつくと言うある意味での“キズ”を思い起こされることでもあるのであり。


2015年5月28日木曜日

「リスク」という“日本語”

リスク。英語である。Riskと書く。広辞苑には「危険」とその意味が載っている。別の辞書には「危険。危険度。損害を受ける可能性」とある。さらに「自然現象や人間の行為が、人間の生命、財産、生存環境などに損害を与える恐れがあること」と書かれている。

危険と言う英語にはデンジャー、dangerという言葉もある。英和辞典で引くと、「程度のいかんを問わず、危険の意味をあらわすもっとも一般的な語」とあり「リスクは自己の責任において犯す冒険」とある。

リスク。今、世の中のもっとも氾濫している言葉だ。

その意味は誰も全くわからないわけでは無い。でも、その意味や内容は漠然としたものであり、曖昧なものであり、取りようによって、使い方によっていささかおもむきが違ってくるものでもある。

余りにも「一般化」され、誰しもが概念としてとらえている言葉だから、それを使っているのだろうが、どうも“違和感”があるのだ。
一般的と言うことばにしてもそうだが。

安保法制をめぐる国会論議。質問者も答弁者も「リスク」を多用する。
「リスクは残るが、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、自衛隊員には負ってもらうものだ」。安倍の自衛隊員のリスクについての答弁。

「日米同盟を強化する。それにより抑止力が高まれば、日本が攻撃を受けるリスクは一層下がる」。
「法整備により得られる国全体、国民のリスクが下がる効果は非常に大きい」。これらも安倍の答弁。

ここにあるリスクとは“生命、財産、生存環境が損害を受ける可能性”ということなのだろう。

自衛隊員のリスク。国民のリスク。

中谷防衛大臣は「撤退するからリオクは無い」というような発言をする。派遣された自衛隊員について。

リスクの有る無し。どこか答弁が食い違う。野党はどうも攻撃の目標を防衛大臣に据えたようだ。だから、安倍は中谷に対する質問にも自分にむけてでは無いのに、答弁を買ってです。「こいつはこころもとない」とでもいわんばかりに。

安倍の“野望”の前に中谷のクビも危ないのではないかと思わせるような光景。

「リスク」というわかっているようで誰もわかっていない言葉の応酬。だから余計にこの法制や議論を分かりづらくしているような。
だから「漠然とした言葉のやりとり」とも思われてしまう。

言葉が命のメディアにしても然りだ。「当然の日本語」のように連日、あらゆることにリスク、リスクという「カタカナ」が登場する。

リスク社会を生きるから始まって、ネット社会のリスク、車社会のリスク、空き家のリスク・・・。挙げればきりがない。

原発のリスク。この言葉も誰しもが使う。そこでいわれるリスクなることには、さまざまなケースが存在している。
“一括りのレッテル貼り”じゃいけないんだけど。ま、安倍の言を借りればだけど。

直接被ばくによる作業員のリスク。間接被ばくというか内部被ばくによる「健康へのリスク」。
生存環境が損なわれたというリスク。
膨大な費用を要するカネのリスク。あらゆる生命体へのリスク。

そうなんだよな。簡単な「カタカナ語」に収斂されてしまっている「日本を語る言葉」。

リスクという言葉の実態が曖昧模糊だ。
ストレスというカタカナ語でもそうだ。曖昧模糊とした言葉の中に全ての解決をさせてしまう。

国の将来を決めてしまう法案の審議でほとんどの議員が居眠りしている「リスク」。本会議を抜け出し、議場の外で談笑したり、スマホをいじっている議員が多いと言う「議会制民主主義が崩壊寸前」というリスク。

ま、ありきたりのことで言ってしまえば、安倍が最高権力者(自称)である限り、アベノリスクはついてまわるのだけど。
ついでに言ってしまえば言語の対米追随だ。

言葉を出汁にした笑い話にするのはよくないこととは承知の上で。

2015年5月27日水曜日

そもそも「戦争」とは

 「戦争」をめぐる議論が盛んである。その議論はほとんど噛み合っていない。
戦争をしたい人とまでは決めつけたくないが、明らかに政権は好戦論だ。
疑念を呈する人はあくまでも疑念を持ち出す。

自説、持論の繰り返しということか。

そして、その議論は、戦争法案をめぐる議論は、すべからく、法的問題や、国際的問題、あるいは歴史的問題含めて“技術論”なのだ。

本質論はされていない。それは憲法論議がそうであるように。
そもそも「憲法」とはという議論を聞いたことが無い。
憲法論議は前文と9条をめぐる「法理論」の話しだ。

戦争とて然りだ。戦争とは何か、なぜ戦争が起きるのか、なぜ戦争を必要とするのか。そんな「そもそも論」は「いまさらバカなことを言うな」とばかりに一顧だにされないだろう。

安倍政権が撒いた「戦争論議」の土俵に野党は知らず知らずのうちに乗せられて、それこそ“戦争に巻き込まれている”のだ。

戦争の反対語は平和なのか。平和のための戦争って有り得るのか。
安全保障問題が政治の俎上に上がってから久しい。しかし、それの「入り口論」を確とした論議を聞いたことが無い。

さっき民主党の岡田代表が「平和主義」とは何かと問いかけていたけれど。

3・11があって、原発事故があって、事故を起こした現場は、まさに戦場のようなありさまだった。
人は「原発戦争」とそれを呼んだ。もちろん、原発そのものをめぐる論議も武器を持たない戦争のようなものではあったのだが。

決死隊という言葉が溢れ、特攻隊という言葉も無責任に使われ、命を落とすのは誰だとも言われ、「戦場のような光景」とどのメディアも書いていた。

平和な核、平和なエネルギーが“牙”をむいた。平和なはずのエネルギーが戦争を生んでいた。

70数年前、日本は戦争をした。そして敗れた。戦後は平和がもたらされたという。70年の長きにわたって。
憲法は平和憲法と呼ばれ、平和に耽溺する若者と揶揄され、平和ボケなどという言葉も生まれた。

その世相の中で、しかとした戦争の“牙”は磨かれていたのだ。

アメリカが戦後の平和をもたらした、という。ならばアメリカは本当に平和国家なのか。
違う。国内では自由平等、人権国家としながら、あの当時、アメリカ国籍を持っていた日系人を差別の差別し、収容所にまで送り込んだ。
黒人差別は後を絶たない。自由平等なのかどうか。

朝鮮戦争に参戦し、ベトナム戦争に参戦した。多くの彼我の兵士が死に、民間人も犠牲になった。
近年は、アフガン戦争に介入し、イラク戦争を引き起こした。アメリカの行為が平和をもたらしたか。

逆に悪化させている。それは同じ民族同士を戦わせることに象徴されているように。
アメリカは平和国家というよりは好戦的な国家なのかもしれない。誰かは「世界の警察官」と名付けていたが。

沖縄はじめ日本各地に米軍基地が存在する。彼らは何のために日本に基地を置いているのか。日本を守るためか。日本にとっての抑止力か。

違う。極東(古い表現だが)に睨みを利かせ、アメリカの戦争をするためにいるのだ。
アメリカに頼らず、なぜ日本の自衛隊が日本を守れないのか。その日本を守るための自衛隊がアメリカの要請で、同盟という名のもとに海外に戦争に出かける。

この「ばかばかしいカラクリ」を本当の保守は見抜いている。見抜けない、見抜こうともしないのが安倍政権、それに連なる与野党の国会議員、そして目先のことしか伝えない、いや、伝えたともいえないくらいの、視野狭窄にも等しいマスコミだ。

戦争とは人が人を殺すことだ。
その殺すという行為はいささかの罪科にも問われない。

戦争とは人間の持つ“欲望”を成就させる場だ。
領土、資源エネルギーの確保・・・。
すでにして経験済みの事。

テレビ中継の委員会の場では激しい言葉のやり取りが交わされている。
しかし、議員傍聴席に人はいなかった。なんかやはりむなしいのだ。

2015年5月26日火曜日

地名はその土地の歴史である

福島の詩人、若松丈太郎は「神隠しされた街」という詩の中に“地名”を綴っている。

 “半径30kmゾーンといえば
 東京電力福島第一発電所を中心に据えると
 双葉町 大熊町 富岡町
 楢葉町 浪江町 広野町
 川内村 都路村 葛尾村
 小高町 いわき市北部
 そして私の住む原町市がふくまれる“


原町の地名を列挙した詩もある。
南柚木(みなみゆのき)、八沢浦(やさわうら)、北屋形(きたやかた)、北海老(きたえび)・・・。
その地名から、その土地の歴史が伺えるからだろう。

もしかしたら、それらの地はいずれ「忘れ去られる」名前だとも考えたのだろうか。

例えば、郡山に芳賀という町名がある。昔、そこは墓場だったらしい。墓と呼ばれる地名だった。その呼び名を快くしない人達が目出度そうな芳賀という地名に変え、そこの“歴史”は知る人ぞ知るになった。

幣導内という地名があった。近くにある赤木神社で祭祀がある時、神主が幣束を持って奥の院にお参りしたという謂れからだ。
そこは今、若葉町というまったく味わいの無い町名になっている。

奥州藤原三代。頼朝追われて残党はいわき市に逃れた。藤原の名残を残すべく、平泉の極楽浄土の夢を捨てがたく、平という町名を作った。
そして、南に下ったところに泉の名を残すべく、しかし、それは「隠れごと」のようにしなければならなかったのか、白と水という字に泉を分けて白水阿弥陀堂を作った。

「地名はその地の歴史を雄弁に物語る。人の営みが歴史となり、その土地が歴史を育む」。
郡山の地名と題された口承文芸刊行物の巻頭にそう記されている。

一つの気概だ。

原発事故で将来を見通せない相双地区。埋没したもの含めて、文化財の保護に取り組んでいる人達もいる。

歴史は人の営み。

若松丈太郎の詩に「ひとのあかし」というのがある。

 ひとは作物を栽培することを覚えた
 ひとは生きものを飼育することを覚えた
 作物の栽培も
 生きものの飼育も
 ひとがひとであることのあかしだ

 あるとき以後
 耕作地があるのに作物を栽培できない
 家畜がいるのに飼育できない 魚がいるのに漁ができない

 ということになったら
 ひとはひとであるとは言えない
 のではないか 

その詩に後書きに作者はこう書いている。
 「フクシマ原発の事故に意味があるとするなら、それはわたしたちが変わってゆくためのまたとない機会を得たことです。ながい将来にわたって放射能を出し続ける膨大な量の廃棄物を後代に遺すことは、不遜と言うべき行為だと、わたしは考えています。これから来る人たちへの責任と生き方を、すべてのわたしたちは求められているはずです」。

変わるというのは地名を言っているのではない。社会のありようを言っているのだと思う。

せめて最後の砦ででもある「地名」だけは奪われたく無いという静かな民草の声と読む。

東京の地名の変遷にも凄まじいものがある。消えた地名のなんと多い事かとも思う。
新宿に追分という地名は残っているのだろうか。
甲州街道を下る人たちを見送りに来た人たちが、そこで別れざるを得なかった謂れ。

初台は初台の局が「おしとねさがり」で下賜された家、屋敷のあったところだ。
文京区の春日町。春日の局の墓があるところだ。
真砂町は無くなった。たぶん本郷何丁目とかになったのだろう。

西麻布は霞町であり、麻布笄町だった。笄職人が大勢いたところだ。

「歴史認識」をめぐっての論議がかまびすしいご時世。地名は、足下の「歴史認識」のよすがかとも思って。 

2015年5月25日月曜日

「シンゾウ病」が蔓延しているという

ある国に「シンゾウ病」という病が流行っているという。
巷ではそういわれているようだ。

その病の治療薬は医者も持ってないし、病原菌ふくめてよくわからないという。

その病気の特徴は、なんでもものを断定的に言う。ことさら強調する。
他人の言うことは聞かない。自分だけが正しいと思っている。
時折平気で嘘をつく。
「原発はアンダーコントロールされている」なんという類の。

自己愛、自己撞着に耽溺している。その国の歴史を自分に都合のいいように解釈し、それをねじまげ、知っていなければならないことを知らないと言ってはばからない。

そして「戦争」を「平和」と言い換えたりもする。祖父の劣性遺伝を優性遺伝だと勘違いしている。他人の喧嘩も好んで買って出る。

1900年代のイギリスの作家ジョージ・オーウエルは、まさかそんな時代が来るとも思わず、いや、もしかしたら確信していたのかもしれないが、たぶん自分が死んだ後であろう「1984年」を想定した“暗黒の時代”よ予言するかのような小説「1984年」を書いた。

彼が書いた国では、その国ではすべてが国家によって管理され監視され、地獄は天国であると教育され、戦争は平和だと教育されていた。
その国家の方針に従わないと待っていたのは“監獄”だった・・・。

つまり「あべこべ」の国だったのだ。

心臓病は医学の力で治せる。その病巣も特定出来、療法も大方は確立されている。名医もいる。心臓病による死亡者も減ってきているという。
癌もそうだ。もはや癌の死亡率は1位では無くなった。社会の癌と呼ばれていた現象はどうなっているのだろうか。

1位は脳の病気だと聞く。

「シンゾウ病」の脅威は凄い。
その病気の蔓延を防ぎ、その病気の原因を、その症状を知っている人達。すなわちメディアと称する人達。その人たちも、その病魔にだんだん侵されていっている。
病気の正体を本気で伝えようとしない。その病気を根絶やしにする努力もしない。

「1984年」から何年経ったのだろうか。その病気が蔓延する土壌がその国にはあったのだろうか。

戦争の事だけでは無い。一つ間違えばその国を滅亡に導く「原子力発電」なるものにも余念が無い。その国では「富みがすべてに勝る」という信念に貫かれているから。

誰かが「2Q84」という小説を書いたら、どんな展開になるのだろう。猫の街だって存在しないかもしれないし、青豆も天吾もいない。月だけは二つあるかもしれないが・・・。

5月の午後は微睡が誘惑してくる。そんな時に地震があった。発生は午後2時28分。スマホには次々を地震速報が。
そんな中、メール着信の合図が。午後2時29分発信、受信は午後2時52分。
官邸「新着情報」。安倍総理のメッセージ。
“党首討論に臨みました。各党の党首と平和安全法制、選挙制度改革をはじめとする、政策の大きな方向性について活発な議論が出来たと思います」だとさ。

どうも「シンゾウ病」は我が「心臓」にも悪いようだ。心臓病の主因はストレスにあるとも医者は言っているが。
心臓に悪い煙草の本数は増え、酒量も時には増えている。医者には怒られるだろうな・・・。だけどさ・・・センセイ。わかって頂戴よ。

あ、この蔓延する「シンゾウ病」なるもの、私の命名ではありません。命名権を勝手に借用したものです。

2015年5月24日日曜日

「人の砂漠」

ノンフィクションライターの沢木耕太郎が昭和50年代の初頭だったか。書き下ろした作品に「人の砂漠」という本がある。
8編の「物語」だ。

その中に「捨てられた女たちのユートピア」というのがある。
元売春婦だった女性たちが暮らす日本で唯一の場所。千葉県の館山にある施設。

いわば「囲い込まれた区域」の中で余生を送る女性たち。そこにユートピアを求めようした女性たち。
しかし、その囲い込まれた場所が、その人たちにとって、その尊厳に対して相応しいものであったのかどうかいうことも含めてユートピア足り得たのだろうかということ。
その施設を作り運営していたのはキリスト教系の社会福祉法人。そして、その
「かにたの村」という施設が今、どうなっているのかは知らない・・・。

当然、思考の飛躍でしかないのだが、「囲い込み」という言葉が「福島」を重なるのだ。「ユートピア」を求めていたという言葉からも。

大方の人は病んでいる。その中にはもちろん米軍、進駐軍の相手をしていた「オンリーさん」と言われて人たちもいる。
彼女たちを“慰安婦”と呼ぶのはいかがかと思うが、軍隊と慰安婦は、いつの時代でも「付き物」であったという底辺の一つの例だ。

ある意味戦後のこの国を「支えた」人達なのだとも思える。束の間、兵士の“欲望”を排出させ、“暴走化”を止めていたという意味でも。

その本には「視えない共和国」という沖縄の与那国島の人たちの戦後を描いたものもある。

なぜかあの時代に書かれたノンフィクションが今に重なるような気分になってくるのだ。

沢木はこの人の砂漠のあとがきにこう記している。

「アルベール・カミュは、その最後の作品集を「“追放と王国”と名付けた。追放されてしまった人間の悲哀をカミュは多様な方法で書分けようとした。しかし、追放のあとの王国は見えてこなかった。

なんと砂漠の静まり返っていることか。
すでに夜。私は一人きりだ。

おそらく人は誰しも無垢の楽園から追放され、“人の砂漠”を漂流しなければならないのだ」と。

詩人長田弘の全詩集がきょうの新聞に紹介されていた。そこにあった一節。
「人生は何で測るのか。本で測る。同じ本を読み返すことで測る」。
「一体、ニュースと呼ばれる日々の破片が、私たちの歴史と言うようなものだろうか。あざやかな毎日こそ私たちの価値だ」。

そして・・・。
「死は言葉を失うことではない。沈黙というまったき言葉で話せるようになる、ということだ」。

また読み返さなければならない本が出来た・・・。
本と時間と視力、体力とだ。

それにしても日曜の夕方の時間、あざやかな時間なのかもしれない。

2015年5月23日土曜日

「福島」の曲がり角

県は自主避難者への住宅無償提供について、来年度で終了する方針だという。
県外への自主避難者は未だ3万人以上は居ると言う。

その自主避難した人たちの考えかたや生活ぶりはさまざまだ。一括りでは語れない。

しかし何にしても住宅の無償提供が打ち切られるということは「生活基盤」をそうするかということだ。

それぞれが、それぞれの1年10か月後のことを考えねばならない。

県内に避難している人への賠償金もそのころには打ち切りとなる模様だ。東電と国が歩調を合わせるかの如く言い出している。

だから「帰還促進」の動きは急だ。帰還困難区域を除いて、期間を促す。
帰還にあたっての問題点は解決させるということのようだが、とにかく「元には戻らない」。それだけは確かだ。

「戻らないところに戻る」。そこにも大きな選択がある。

自主であろうと強制であろうと、避難者たちは、避難者の問題は「福島の大きな曲がり角」なのだ。
そして、その曲がり角には“道標”が無いということ。

立ち入り禁止という「道標」だけは立てられているが・・・。

仮設の「空き家」は3割に及ぶと言う。仮設はその耐用年数を越えている。
そこに住まざるを得ない人は多くが高齢者だ。

高齢化社会というこの列島を覆う現実。もし高齢者受難という言葉があるとすえれば、その象徴は福島にある。
避難者とその地にいた人たちの間の“軋轢”や“感情のもつれ”も、その“もつれた糸”はよりとけない様相も呈している。

人の心の曲がり角・・・。

きのうからいわき市で「島サミット」という国際会議が開かれている。
福島のでの国際会議。
どう受け止めるべきか。

晩さん会では県産の食材を提供し、「風評被害の除去」に努めているという。
いまだもって「風評被害」という言葉が、存在感を持って語られるということ。

未だ郡山市内でも除染作業が行われている。それに対して住民の多くは「無反応」だ。

中間貯蔵施設への「廃棄物」の搬入も進んでいる。しかし、その“施設”は「未完」なのだ。
その施設の予定地ではいまだ「行方不明」の身内を捜す家族の姿がある。彼らは「その土地は売らない」という。

メディアも福島をどう捉えるかに苦吟しているようだ。
「復興なった」という視点にするか、いまだ「取り残されている人たち」に視点をあてるのか。
福島への見方も曲がり角だ。

数日前、10年間郡山で生活していた人が、10年ぶりに郡山に来た。こっちにいた時の友人だ。
「郡山も変わりましたね、すっかりキレイになりましたね」と彼は言う。そうなのだ。あの震災の影響は見た目からは取り払われているから。
「車で10分も行けばまだ仮設で暮らしている人がいるんだよ」と言う。彼は驚いた表情をする。「え、もう無くなっているんではないんですか」と。

彼を責めるわけにはいかない。東京で普通に暮らしている人にとっては、積極的に福島を知ろうとしない限り、知ることは無いのだから。

未だ仮設の「延長」を求める人も多い。仮設を出て自力で住宅を確保出来た人もかなり居る。「延長」を求める人は自力では住宅を入手できない人たちなのだ。

だから、避難者も二分されていく。“路上生活”という言葉が頭をよぎるという人もいる。

「福島」は日々歩いている。目的が何であっても。その道の先に曲がり角が来ていることを知ってか知らずか。その道中は「不安」との道連れ。

「この先、1年後曲がり角あり。注意」。そんな看板を道路標識を立てなければと。

2015年5月22日金曜日

「誤りがあったとは言えない」という語。

きのう出された「イスラム国」による人質事件の政府の対応検証委員会の報告書。
「政府の判断や措置に人質救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」。

「あったとは」の「とは」とはどう理解すればいいのか。普通の日本語遣いなら「誤りがあったとは言えないが・・・そう思われても仕方ない」というようになるはずだけど。

新聞の見出しのように「誤りない」と断言したとも思えないのだ。どこかに“逃げ道”を用意したかのような。

この検証委員会には、とにかく“有識者”と称される人たちが入っている。こういう類の委員会に入れば「類似公務員」というような身分の扱いにされるらしい。守秘義務が課せられるという意味においても。

公表された報告書の中でも、その有識者と称する人達の間から、政府の対応について、いささかの“疑念”もどきものが表明されている。

それを勘案したのだろうか。「誤りない」と断言したかったのを「誤りがあったとは言えない」という曖昧な表現にしたのではないか。

いかにも“優秀”な官僚が書きそうな文章の典型だ。

とにかくこのところ、いや、以前からも「永田町・霞が関」で書かれる文章は極めて不明瞭だし、この種の第三者をいれた「隠れ蓑」のような組織が出すものの言葉は、責任逃れが多すぎる。

原発事故検証委員会、事故調がそのいい例だ。結論らしき結論を導き出せない。出さない。すべてがうやむや。

そう、隔靴掻痒。曖昧模糊。

法律にしてもそうだ。法案作成に携わる官僚の作文。その多くに「どっちにもとれる。どうにでもとれる」というものが多い。
作成の過程で、その成立を図るために、あちこちの顔を立てるために、こじつけで書かれる文章。それはもちろん、野党が念頭にあるのではなく、与党の中の「族」対策なのだけど。

そして、不可解な文章を書ける官僚が優秀な官僚とされて出世していくという「構図」。

「官語」にあって「人語」に非ずということか。

その「人語」という言葉を長年使ってきている、普段は「気の抜けたサイダー」みたいなことを書いている新聞のコラム。かつては寸鉄人を指すがごとき名文家が居たものだが・・・。そのコラムが昨日と今日は久々にヒットを放っているの感ありだ。

昨日は、数日前に、ここに書いた「戦争には絶対巻き込まれない」という安倍の言に苦言を呈したが、そのことではない原発再稼働にからめてだがこう書いていた。

「絶対に有り得ない」などと気軽に言うことの無責任さが暴かれている。「絶対は在り得ない」。

そして今日は、その担当記者の語ではないが、官僚を長年務め、国会議員も経験し、官邸にもいた慶応大学の松井孝治教授の言を借りて、安倍の「ポツダム宣言」問題を書き、“つまびらかにしていない”発言を批判しこう結んでいた。

「政治家は、言葉で生き、言葉で滅びる」と。

生きるも滅びるも今の政治家の多くは特に要職にある、大臣と言う立場に酔っている人達は自分の言葉を持たない。官僚の書いたものを読み上げることを職としているのみのようだ。

松井教授は上手い事を言っている。共産党の志位委員長を指して「この人は手練れだ」と。「まさに志位氏の術数にはまり、あたかも王手飛車取りにあった如き感がある」とも。

ちょっと前までは、昭和の時代には、国会の委員会で質問の手練れの野党議員がいた。論理的に、一つ一つの質問を重ねて、最後に答弁の矛盾点を見事に暴き、閣僚を立往生させ、廃案にまで持ち込ませるといった言論のプロ。
質問で長広舌の“演説”や“自説の開陳”はしない。短いやりとりで、こう聞けばこう答えてくる、そしたらこう出る・・・。そんな一つの“技法”を心得ていた人が何人かいた。

今はいない。だからして保守の側の学者に「手練れ」と言わしめたのだろう。

それにしても「誤りがあったとは言えない」という曖昧言語で事を決着させてしまうという事のむなしさよ。

2015年5月21日木曜日

「つまびらかにしていません」という言

聞き間違いで無ければ、きのうの党首討論で、ポツダム宣言について問われた時、安倍の答えは「つまびらかにしていません」だった。だからこれ以上は喋れないという。

「つまびからにする」、詳らかということだ。つまり字面からすれば事の詳細はよく知らない。わからないということだ。

上手い「逃げ」を打った言葉だ。後から、またこの問題は追及されるだろうが、こういう言い訳が“用意”されている。
「ポツダム宣言について知らないとは言っていません。その宣言の一文一句、詳細は読んでいませんという意味だ」と開き直れるからだ。

少なくとも「ポツダム宣言」という言葉自体を、その宣言の存在自体を知らなかったとすれば、それは即刻辞職に値する。

しかし、共産党の志位委員長はうまいところをついたものだ。安倍の“弱点”を熟知ひているかのように、その認識の無さを知った上で、討論のテーマにしたのだろう。

党首討論は国会の質問とは違う。事前に質問要旨が出されるものではないはず。だから御側の方々も殿に入知恵することが出来なかったのではないかと。

事実、以前にも安倍はポツダム宣言について語っている。しかし、それは歴史の事実として、時系列にみて完全に間違っていた。

ポツダム宣言が出される。日本にも通達される。時の鈴木貫太郎内閣はそれを黙殺する。降伏に応じない日本に対して原爆が投下される。
ヤルタ宣言、ヤルタ協定含めて、ポツダム宣言の扱いは最高戦争指導者会議の議題ではあったはずだ。

それを伝える「公電」がどこまで届いていたか、どこが無視、黙殺したかも含め、それは日本の命運を決めた出来事だったのだ。

今度、安倍に「ヤルタ協定」のことについて誰か国会で質してみればいい。スターリンがそれに密かに参加していたことも含めて。

ポツダム宣言、それは学校でも教わることのはずだ。教科書にのっているはずだ。
しかし、戦後70年、その時の経過は、その日本に降伏を迫った宣言があったことすら知らない人を作り出してしまった。

この論法が正しいかどうかはわからないが、1945年8月15日に出されて天皇の詔書は終戦の詔書だ。敗戦国となったのは、そのポツダム宣言受諾を決定し、サンフランシスコ講和条約に調印した時が、敗戦国として国際社会に認められた時なのだ。

だから学者の中には戦後70年ではないという、戦後63年だという人もいるくらいだから。

戦後70年談話を出すと息巻いている人が、この歴史の経過、認識をつまびらかにしていないというのは、それこそ無知蒙昧、不見識、不合理そのものなのだ。

安倍が「つまびらかにしていない」と言った時、この“某重大発言”があった時、閣僚席は5月の穏やかな陽気の中で、戦中、戦後に、講和条約に関わった吉田茂のお孫さん含め、ほとんどが“居眠り”をしていた。安倍の「失言」に眉をひそめ、眼をつぶっていたのではない。まどろんでいたのだ。

安倍の発言も然り。その閣僚の姿も然り。これが今の日本の姿であり、改憲、安保法制をめぐる「ぐるぐるまわり」の「二枚舌」がまかり通っている当事者の光景なのだ。

憲法を知らずして憲法を語る勿れ。と書いた。さらに書き進めよう。「1941年から1945年、すくなくともポツダム宣言をつまびらかにしないで歴史認識を語る勿れ」と。

国際舞台に於いて安倍が「フクシマはどうなっているのですか」と問われるとする。それにも「つまびらかにしていません」ときっと答えるのだろう。

もっとも、僕は安倍晋三なる政治家について、その本性をまったく「つまびらか」にしてはいないが。そして安倍のこの発言についてマスコミの多くが「つまびらか」に伝えていたとも思えないが・・・。

2015年5月20日水曜日

「生と死」、そして時代

生と死。それをどう考えるかどう捉えるか。人間にとっての究極の「課題」。
なにも大それたことを言うつもりではないが。

昔、茶の湯について小文を書いた時、「生と死の狭間にある静謐」という言葉を使った。
利休七哲と言われる高弟がいた。その多くは戦国武将だった。

戦に向かう前、その武将たちは静かに茶を点てたと言う。その静謐な茶室にあって、いや本陣の中にしつらえた茶の場にいて、彼らは何を考えたか。
現実のものとなる「死」についてだったのではないだろうか。

そんな話だ。

昭和という時代、今の平成という時代。そこにある生と死。

戦後、人々はどうやって生きるかを、「生きる」ということばかり考えていた。
戦争と言う死の恐怖から解放されて。
黒沢明の映画「生きる」。それはこの国の官僚主義への抵抗がテーマではあったが。
♪命短し恋せよ乙女・・・♪。ゴンドラとブランコ・・・。

より豊かに生きるための経済成長。
死の対極としてあった生。

戦後という時代を表層する言葉は「生」だったと思う。

戦前、戦中。「死」とう言葉は“美しい言葉”だとされてきた。隣り合わせに常に「死」があった。多くの国民が、兵士が、死の覚悟を強いられてきた。
いや、強いられたのではないかもしれない。当然のこととしてあったのかもしれない。

「生きて帰ってこい」という家族の願いは“小さな願い”だったような。

戦時中を「死の時代」と呼ぶならば、戦後は、その70年にわたって「生の時代」とも呼べる。

そして、対極にある「生」と「死」。やはり対極にある「戦争」と「平和」。
それが今は「並立」しているかのように語られる。

「3・11」。多くの死者を見た。死を見た。知った。多くの「死」があったから「生」への渇望が生まれた。
身近に、当事者として「死」に遭遇した人達は、強く生きることを誓った。

原発事故は、その直接被ばくだけではなく、内部被ばく、食品による健康被害、子供に危惧される甲状腺癌への懸念を生んだ。

被ばくから逃れるために避難した人達には、さまざま環境の変化による「不遇の死」を迎えた人も居る。

織田信長は「人生わずか50年」と謡った。その時代を共にした利休は72歳までは生きた。
人生50年と言う時代は長く続いた。
そして今は平均余命、平均寿命は80歳を越えた。
80歳を越えても「生きる道」を模索している。

「3・11」によって、あまりにも多くの死を知った人たちは、死生観を変えていったのだろうか。変えたと思う。
にも関わらず「死」に直結することが、70年前に回帰するかのように、言葉として弄ばれているようだ。

戦争と平和は共存しない。トルストイが言葉として並立させただけだ。

あの「3・11」で、死に対してあれだけ恐怖を覚え、生きる算段に腐心したにも関わらず、「人為的なものとしての死」が、それは連日伝えられる殺人事件とは全く別物として、それが指呼の間に生まれるかもしれないのだ。

平和のための戦争。そんな論理は成り立たない。国が生きるために兵士が死ぬ。それだって不条理なのだ。

だから、死を不条理なものとしないようにしなくてはならないのに。
だからあらためて考える。死とは何か、生とは何かということを。
あくまでも「生きるための時代」であって欲しいものだと。

「生きる時代」とは、あくまでも「死の可能性」を限りなく排除していくことなのだとも思うのだけれど。

「生きている限り、人間は未完成」。103歳の芸術家、篠田桃紅の言葉を考えてみる。「いつ死んでもいい」なんて嘘、その言葉も併せて。

2015年5月19日火曜日

この国を「支えてきた」人とは

午前中、いつもの病院に行った。
「経年劣化が進んでます。疲れています。目が見えにくさが進行しています」。
「とにかく眠くて眠くて」。
そんな“症状”を言う奴は病人では無い。単に加齢が進み、正しく老いているだけだ。
常用の漢方薬の処方箋を貰う。ツムラの1番と46番。葛根湯は1番だ。最初に出来たツムラの漢方薬かもしれない番号だ。46番は「ホチュウエッキトウ」。
元気を増す漢方薬。

漢方薬、葛根湯の話しから、そして今、社会問題、医療費問題の“核”になっている「投棄薬」「捨てられる薬」の話しになり、それが配置薬の話しになる。昔、日常の中にあった富山の薬屋さんのこと。
月に一回訪問、使った薬だけ清算して補充していくと言うシステム。

配置薬屋さんとソーシアルワーカーとをうまくドッキングさせて、訪問介護士もマッチングさせて、独居老人宅や高齢者の家を、「見回り」かたがたクスリを媒介にしての“支援”が出来たらどうだろうかなどと勝手にほざいて来た。

昼メシを食べに蕎麦屋に行った。ちょっと偉そうな態度の、でもまだ現役なんだろう70前後のオヤジが若い人相手に大声でしゃべっていた。
「お前な、あの高度成長期や田中角栄の日本列島改造論が盛んだった時代、そりゃ儲かったもんだぜ。俺らの若い時代はな」なんてほざいている。どうぞご勝手にだ。

こういう薀蓄垂れるオヤジが嫌いなもので、睨みつけてくる・・・。

蕎麦を手繰りながら読んでいた新聞記事は、川崎の簡易旅館の火事のことが書かれていた。

少なくとも5人が焼死している。多くが高齢者であり、独居であり、体が不自由であり、生活保護を受けている人達の、ある意味「終の棲家」だった簡易旅館。身寄りの無い人達。

火事があった川崎のあの一角。昔から、労働者のねぐらだったところだ。そう、労働力がいくらでも必要だった時代。ひくてあまただった時代。
そこから出ていけた人もいる。そこに残らざるを得なかった人もいる。

そこに住んでいた人達、そこで生きてきた人達。日本の高度成長を支えてきた人たちなのだ。労働力として。繁栄の礎だった人たちだったのだ。

なんか、たまらなく悲しい。この国を支えて来た人たちの末期が三畳一間の焼死とは・・・。

今、東京は建設ラッシュだという。東京オリンピックを目指して。そこに吸い寄せられた労働力は、東北の被災地に向かうはずの支えだったのかもしれないのに。
莫大なカネがつぎ込まれる東京オリンピック。それがすでにして計画の杜撰さが露呈し、メイン会場は屋根無しになるという。

舛添都知事ですら、その招致計画ふくめ、政治の対応に憤懣やるかたないと言う状態だ。政権に対して「万機公論に決すべし」と言わしめたほど。「最終的に誰が責任を持つのか」とまで言わさせる代物。

福島県内には、川崎に類似した簡易宿泊所が741カ所あると言う。県や保健所、消防署ではその点検に乗り出したというが。

その簡易宿泊所の多くの利用者は除染作業員だと言う。
その除染は「質」や「量」含めて、その有り様には様々問題点を伴い、帰還問題とも関係してくるのだろうが、こと“除染”にあたって福島を支えているのは簡易宿泊所を仮の住まいとしている人達だ。その人達が福島を支えているのだ・・・。

原発だってそうだ。労働者が支えている。”底辺“の労働者が。

川崎の火事。その現場にはいくつもの「物語」があるのだろう。いや、「あった」とするべきか。
他人事として語るには重すぎる。罪の意識すら連れてくる・・・。

2015年5月18日月曜日

“傍目八目”としての「橋下維新」

橋下劇場は終わったとか、時代の寵児はなんとかともいわれるが、「大阪都市構想」をめぐる橋下が仕掛けた住民投票は、ま、なんともはや・・・。

余りにの僅差。夜中の会見で橋下は「民主主義」という言葉を連発し、政界引退を表明し、半年間の“レイムダック”状態。

傍目八目の本来の意味とは違うけれど、基本的には「大阪のことは大阪が語る」という意味で。

住民投票と言う、いわば直接民主主義。さまざま考えさせられることもある。
昨夜のテレビ中継を見ていて思ったこと。
やはりテーマの「都構想」なるものが市民にもよく理解されていなかったということ。「よくわからないけど・・・賛成に入れました。よくわからないけど反対に入れました」。

二重行政なるものの“恩恵”を受けていた人、それに“違和感”を感じていなかった人。その行政下に住んでいないとわからないことが多々ある。

見ていて興味があったのが、賛成派が多かったのがおしなべて「キタ」の地区。
官庁街であり、高層ビルが立ち並ぶ、いわば“エリート”の地区であったこと。
商人の地区、えてして貧困層の多い、庶民の地区である「ミナミ」は反対が多かったという結果論。

立て板に水のような橋下会見を聞いていて、まさに口説の徒だと再認識。何処までが彼の本音、実像なのか、どこまでが、演技、虚像なのか・・・。

極端に言えば、大阪維新、維新の党に、この国は振り回されて来たの感ありなのだ。特に、安倍政権との“蜜月”。共通項としての「改憲」。
維新は安倍自民の補完勢力だったのかどうかという事。

今は首都を名乗る、いや日本の首都の東京都。そこだって昔は東京市であり、東京府だった。歴史をさかのぼれば、さまざまなことの発祥は大阪だった。
例えば新聞社でもそうだし、大企業の多くも原点は大阪。

あそこはパワーみなぎる不思議な街なのだ。お笑いだってそもそもの原点は大阪、今は吉本。食べ物にしても然りだ。東京が首都となり、人口が増えたことによって、それらが東京に進出して来たに過ぎないとも。

それはともかく、この住民投票の有り様や結果を見て、「予想される」改憲の国民投票とイメージが重なるのだ。
「よくわからないけど」といったキーワード。

改憲は国会議員の三分の二の決議で国民投票に付される。間接民主主義、代理性民主主義の結果で誕生している国会議員。彼らは「国民の代表」とされている。三分の二の数の国民の代表、それを過半数の国民投票、直接民主主義で成否が決められるということ。
あらためて「知憲」に思い至った次第。

反対に回った自民党の大阪府連を政権はどうするのか。公明党だって然りだ。

これを以て安倍の威信低下とは言わないが、改憲に向けての影響は大きいだろう。
江田が辞任した。後任は松野だと言われる。寝業師で名を馳せた親父の頼三さんの“遺伝子”を息子がどれほど受け継いでいるのか。
いや、それよりも橋下の傘の下で、“庇護”のもとで議員になった所属議員はどう動くのだろうか。

今日の永田町は動きが慌ただしいとも聞く。

昨夜の橋下会見、よく言ったもんだ。
「僕みたいな危険な男はワンポイントリリーフでいいんですよ。長くおいておけば危険なんです。権力者は使い捨てがいい」。それは虚勢なのか箴言なのか。それとも負け惜しみなのか。時代は「危険な男」を必要としていたのか。

住民投票。原発問題だって然りだ。ある意味怖い。なぜか。大阪でも、あらゆる手練手管が弄されたという。恫喝まがいのこともあったという。
ま、すでにしてそれらしきことはあるはずだが。
権力は怖い。そして民主主義って難しい。
「大阪」から何をくみ取るのか。それもじっくり考えるべきこと。

はい、すべて傍目八目でございまして。

2015年5月17日日曜日

「絶対」という言葉

先日の安保法制閣議決定後の会見で安倍はこう言っていた。

「アメリカの戦争に巻き込まれると言う漠然とした不安をお持ちの方にここではっきり申し上げておきます。そのようなことは絶対ありません」と。

安倍の言葉にはいつも漠然とした不安がつきまとう。

会見もプロンプターに書かれた字を読み上げていた。その原稿は官邸内やそれに連なる誰かが書いていたものだ。
安倍は読み上げているだけ。

だから、安倍の口から発せられた言葉は、本人の“言葉”そのものとは思えない。
大方わかる。他人が書いた原稿を読み上げている時は、いわゆる“滑舌”が悪い。アメリカでの演説の時もそうだった。

自分の素直な言葉ではないから喋り難いのだ。

「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対に無い」。その断言した言葉をどれくらい信用すればいいのか。

官僚が書いた言葉は、言葉としてあまりにも未成熟だ。その言葉の持つ意味がわかっていない。なんでも断言調に言ってみたりする。
平和とか安全とか、誰でもがわかりやすいような言葉を安易に使う。

でも、その言葉の持つ本意は脇に置かれているし、その言葉自体が探求されていない。

人にとって「絶対」とは何か。

それはこの世に生を受けた者がやがていつかは死ぬ。それだけが唯一の「絶対」だ。

絶対に裏切らない。そう聞かされて裏切られた人が何人いることか。
絶対にキミを幸せにする。守る。そういわれて結婚して何人の人が別れる道を選んだことか。

「死」以外に絶対と言う言葉は無い。

「絶対」を絶対守れるのか。保障出来るのか。


備える・守る。こういわれてそれを否定する人はいない。抑止論とても異論は持てない。その言葉に限れば。
否定できない言葉を並べて事を単純化するのが今の政権の「一つの手法」なのだ。

心と感情に訴える言葉を並べても、それは現実論の中では意味をなさない。

福島の原発事故。第一次安倍政権下、あの事故をまったく想起させるような質問があった。冷却機能の問題。全電源喪失。

安倍は答えている。「そのような事態にはまったくならない」と。
この“食言”の追及は曖昧なままだ。
今は、「安全問題」をすべて規制委に丸投げしている。

この安倍政権、どうも“二枚舌”の感ありだ。御側用人、自分の意見を持たない官房長官は「オスプレイは横田には配備されない」と言った。
数日後、アメリカは横田配備を言明した。聞き苦しい言い訳に終始していた。

とにかく、議事録が残る「国会」で、国権の最高機関である国会を軽視しようが無視しようが、その場で「絶対に巻き込まれない」と言明させて欲しい。

その「絶対」をアメリカがどれだけ重視しているのか。していないだろう。
強力なものになった日米同盟を盾にとって、「アメリカの戦争に参加しろ、協力しろ」と言ってくるだろう。

その要求を無視できるはずもない。

官僚が書いたものであろうがなんであろうが安倍の「言葉」は“軽い”のだ。
しかし、単純化された言葉にこそ大衆はなびく。ということ。
かなりのアジテーターなんだろうな。

でも、安倍はある意味「利用」されているのかもしれない。それに本人が気づいているかどうかでもあるし。

それにしても空は青く穏やかなのだけど。

長田弘の詩、「最初の質問」。
その結びの部分。
“時代は言葉をないがしろにしている。あなたは言葉を信じていますか”。

2015年5月16日土曜日

19歳のアイドルが「知憲」であるということ

昨日の続きのような話ですが・・・。

AKB48というアイドルグル―プがいます。そのグループというか、歌というか、その“現象”にはまったく興味はありませんが。

そのグループに内山奈月という19歳の子がいます。この子は憲法を暗記しています。「第何条を言え」と言われると即答出来ていました。

この子が南野 森という憲法学者、九州大学の教授と憲法について対談し、まとめた本に「憲法主義」という本があります。

それこそ憲法とは何かという議論からはじまって、人権と立憲主義・国民主権と選挙・内閣と違憲審査制・憲法の変化と未来。そんなことを語り合っています。

「街場の憲法論議」だと思うのです。例示含めてわかりやすいのです。

AKBフアンの人は一読されたはいかがかと(笑)。

AKB世代でない、いわばこの子の親の世代の人も。「教わること」は多いと思います。

ここで思ったことはこの子が今は19歳だということです。選挙権が無いのです。もっとも来年二十歳になれば選挙権は与えられるのですが。

選挙権の無い世代の、年齢の子が憲法を知悉している。長年選挙権を持っている人が選挙にいかない。憲法をよく知らない。

なんだか不思議な感覚に捉われるのです。

自分事で言えば、高校時代、つまりこの子の歳より下だったか。毎日のように憲法を読んでいました。暗記はしなかったけれど。
大学に入って、時々、安保闘争のデモに参加していました。
選挙権は持たない身でしたが。

単純な話、憲法を知れば日米安保に「違和感」を持たざるを得なかったからです。

改憲に向けて、国民投票の選挙権年齢を18歳に引き下げるとか。普通の国政選挙の選挙権年齢はそのままにして。これにも「違和感」があるのです。

いや、もう18歳と言えば立派な大人です。政治に対しても理解できる能力を十分に持っています。

しかし、ですよ。

学校教育で「憲法」について、ちゃんと教えるのでしょうか。それこそ憲法とは何かということから始まって。

道徳教育が言われています。その中に憲法は入ってこないでしょう。それは科目としては「公民」の授業であるから。

道徳とは人間がそもそも持っているべき規範です。いわば「心の問題」です。それを法律で明記するってことって、なんか可笑しくないですか。

国民投票の選挙権を18歳に引き下げるなら中学・高校で憲法のことをしっかり教えるべきなのです。

でも教育現場では、きっと乗り気じゃないでしょう。改憲・護憲と世論が別れ、政権が改憲をごり押ししている中で、憲法を教えると言うことに「ためらう」先生が多いのではないでしょうか。

またも自分事です。高校はいわゆる復員服を着た社会科の先生がいるような、まったくもって悪い意味での保守的な学校であり、定義は難しいのですが「右寄り」の学校でした。憲法は勝手に読んでいました。大学受験で必ず出る問題であるとされていたから。学校の授業。「論語」が正課としてありました。論語に関しては優秀な生徒でした。好きだったから。その内容が。

この話、笑えませんか。
麻生太郎が喋ったことです。
「安保法制について国会議員の奥さんがほとんど知っていないと言う。この問題で全然地元では説明できない。説明してほしいと言われた。国会議員に説明させようとしたが、都合が悪く、安保法制を作った専門家中の専門家に説明させた。だが反応は“全然わからなかった”だったという」。

安保法制とは改憲と密接不可分なもの。いや、いわば改憲そのもの。改憲の「本丸」としての。わかりきったように改憲を言う議員の奥さんが、説明を聞いてもさっぱりわからなかった。ブラックジョークでは済まされない。麻生はなんでもついうっかり喋ってしまう“正直”な人なのかもしれません。

もし戦争になったら・・・。自衛隊員やその奥さんは、どれだけ「そのこと」をわかっているのでしょうか。

それやこれや、なんとも摩訶不思議なことなのでありまして・・・。

2015年5月15日金曜日

「知憲」のすすめ

福沢諭吉の名著「学問のすすめ」という本の名前をパクってみたものです。
諭吉先生は、学問のあるものは富貴な者になり、学問の無いものは貧乏のままだみたいなことを書かれており(これは曲解かもしれないが)、さすがお札の肖像画になるお方だとお見受けしましたが・・・。

当時は富貴な者として議員さんが入っていたのかどうかはともかく。

安保法制関連法案11本が閣議決定された。憲法との関係においても大いに疑義のあるものが。安倍の会見はなぜか憲法への言及を避けていたようだった。

憲法。改憲・護憲に国論は二分されているようであり、なにかと一部では、この一部と言うのは国会や永田町、メディア、学者さんのことを指しているのだが、大方の国民は憲法というものを未だよく知らない。

「憲法って知っているか」と聞く。全員が「知っている」と言う。そりゃそうだ。公民の授業で習っているはずだから。
「憲法って何だ」と聞く。答えは返ってこない。「憲法の精神とは」と聞いてもだ。
まして、「憲法は何条から成り立っているか」と聞くと、9条と答える人もおり、いや50条くらいかなという人もいる。
憲法を“通読”した人はあまりいないということだ。

「憲法を知らずして、憲法を語る勿れ」だ。

それは今の憲法論議が戦争か平和かという、つまり前文と9条の事だけに「矮小化」されてニュースとされているからだ。矮小化というのはいささか語弊があるかもしれないが。

たしかに、政権や野党も含めて、改憲とは9条の戦争放棄をめぐる話であり、武力行使の話しだとばかり言っているから、いや、それだけを目指しているからそうなるのかもしれない。

押し付け憲法論議もそのことに収斂されている。

その前に、日本人として、日本国憲法とは何か、何が記されているのかを知っておかねばならないと思うのだ。
「六法」とは何かと聞く。今や「六法」をその法の名前を挙げられる人も少ない。六法全書なんていう分厚い本をいつも机の前に置いていたこと、小六法を持ち歩いていた頃とは雲泥の差の感がある。

議員手帳というのがある。衆議院議員には衆議院手帳が交付される。参議院議員には参議院手帳と言うのが交付される。
その手帳は、国会内の書店に行けば買える。おそらく政治記者はそれを持っているはずだ。用途は単なる予定を記した手帳であるとしてもだ。

その手帳には憲法と国会法が載っている。手帳の中にそれがあるのだ。
国会議員のどれだけが、憲法を読んでいるのだろうか。通読しているのだろうか。はなはだ疑問なのであり。

公明党の言う「加憲」なんて、現行憲法の25条を敷衍した法律を作ればいいのであって、まさに“まやかし”論なのだ。

立憲主義、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権。その原理を理解するという事、それが憲法の本質であるという事。
「そもそも憲法とは」という“そもそも論”、“本質論”をわきまえないでの憲法論議には「うんざり」してくるのだ。

それが原発についても当てはまる。
再稼働派は言う。エネルギーの確保、それによる経済成長を。反対派は言う。再び福島のような事故が起きないように。

そのいわば二項対立で終始しているの感。

原発の本質は何か。その危険性の本質とは。すでにして六ヶ所村の地中に置かれている、行き場の無い放射性廃棄物の存在なのだ。何世代にも亘って背負い続けなければならない“業”のごときもの。

もはや、再稼働があろうとなかろうと、すでにして貯蔵されている「核のゴミ」。それは海外からも持ち込まれているし。

それを論議の俎上に上げるひとは少なくなってきた。
「カネ」と並んでの原発の本質論なのに。

目先論に終始している。

原発からは今の科学や人知では処理しきれないであろう「廃棄物」が出るという事。役人も学者もそれを知っているのに口をつぐんで言わないということ。

だから、もう一回、原発の「そもそも」を、「本質」を知ろうとしないと。
「知原発」のすすめだ。「知憲」とも重なる視点なんだけど。

2015年5月14日木曜日

「不信」が渦巻く国にあって

「信なくば立たず」という言葉がある。論語にある「民信無くば立たず」から来た言葉だ。
社会は政治への信頼なくして成り立つものではない。という意味だ。

政治かの多くがこの言葉を「座右の銘」として、議員会館の自室に掲げている図はよく見かける。

それは「見かけ倒し」か「これ見よがし」にしか見えないのだけど。自分を律するためではなく、来客を意識した・・・。

自民党の東日本大震災復興加速本部が福島県内の避難区域について、来年度をめどに一部を解除すると決めた。政府に提言するという。

長引く避難。その「弊害」を無くす為だと言うが。

避難解除の地域とは居住制限区域と避難解除準備区域だ。
富岡の一部、浪江の一部、南相馬、飯舘村。対象は約5万5千人。

2万4千人が対象の帰還困難区域は触れられていない。

解除の条件として線量の低下、生活インフラ整備を挙げている。

そして“住民との十分な協議”をも。

これまでも居住制限区域については、解除に向けた国の説明会は開かれていない。
これまでも解除準備区域では、川内や都路で指示が解除された。

「帰っていいですよ」と言われて帰った人はわずか住民の4割だ。住民とは説明会含めて、帰還に向けての話し合いがもたれたが、多くの住民は国の説明に納得していない。

もう、あらゆることで、耳にタコが出来るくらい聞かされてきた「丁寧な説明」。
それが行われた試は無い。

「丁寧な説明」。その意味合いが全く違っている。

来年度の帰還実現。つまり再来年の3月までだ。それまでに“地元との十分な協議”がなにほどなされるのだろうか。

それこそ、この避難に事だけに関しても、突然、避難を言い渡され、バスに乗ってあちこちと連れまわされ、あげくちりじりになって来た経緯。

避難の事だけでは無い。原発事故後の国の対応、国から出される不適格な情報の数々。

国や県に対して生まれた「不信感」はもはや拭いようが無い状況にあるのだ。

「念の為」「今のところ」・・・。あの会見を聞かされていた県民。あの言葉を連日発して、混乱を起こさせていた張本人は、今は民主党の幹事長だ。
「政治不信を招いた元凶」だ。それが責任をとって議員を辞職するどころか、要職に留まっている。

時の総理大臣は、ようやく当選してきた。ぬけぬけと暮らしている。

政治不信が生まれるのは当然なのだ。

そして、政権が代わっても集中復興期間は今年度中だとして、予算を削減してくる。

かつて戦時中、「大本営発表」という政府広報に多くの日本人は騙されてきた。
それが、今につながる「政治不信」への、近代史の中での軌跡なにかもしれない。

「お上は嘘をつく」。

福島における民主主義。丁寧な説明と言うなら、国の担当者がそれこそ一軒一軒を回って連日のように”説得“し、”納得“を求める。
そこに誠意を感じ取り、国のいう事はまだ賛成しかめるが、あなた方がこれだけの努力をしてくれたその“誠意”は認める。
納得はしないが反対はしないでおく。そこまで住民との十分な協議がなされるのか、丁寧な説明なるのものが行われるのか。

またも不信の連鎖に陥るのではないか。全くの「想定内」だ。

避難者たちは「袋小路」の中にいる。

「生まれたところで死にたい」「早くふるさとに、我が家に帰りたい」。そう願望している奴らが、いざ、帰れますよと言ったら、なんだかんだと不平、不満をぶつける。けしからん!!。なんて短絡的にこれらの事を捉えないでほしい。

でも、そういう声が聞こえるであろうことも「想定内」なのだ。

論語が「空文化」して欲しくは無いのだが。

「信」と言う字は「人の言」と書く。

2015年5月13日水曜日

一つの“事件”が物語ること

そう、それは法的に言えば傷害事件であり、傷害致死が適用されている”事件“ではある。

でも、その事件の加害者を、僕は一概に“犯罪者”とは呼べない。福島県の相馬市であった出来事だ。

相馬市に原発事故で避難している72歳の男性が66歳の妻を酒に酔って殴り、死亡させたというものだ。

その夫は南相馬の小高区で酪農を営んでいた。畜産農家だった。
原発事故で避難を強いられ、相馬市の避難者用借り上げアパートに妻と住んでいた。

妻は交通事故で足が不自由だったという。
一昨年あたりから、その夫は避難のストレスで心身に不調を来たし、近隣トラブルを起こしていた。
ふさぎこんで家にこもりがちになり、昼間から酒を飲んで出歩くようになったという。

市内の居酒屋では他の客から「避難者は賠償金がいっぱいもらえていい」などと言われて殴り合いとなり、ビール瓶で額と手の甲にけがを負ったという。

その話を本人から聞いた同郷の40代女性は「ふだんはおとなしい人。狭いアパートで農業もできなくなった。その鬱屈(うっくつ)が、交通事故で足が不自由になった悦子さんに向かったのでは」と推測する。

新聞の報じるところではこういった“事件”だ。

その記事は相馬市の診療所で原発事故避難者らの心のケアに携わってきた精神科医コメントも載せている。
「DVやアルコール問題は故郷を奪われ、長期間避難生活を強いられている人たちが抱える典型的なストレス反応だ。避難先での新たな人間関係の確立こそが急務だ」と。


致死に至らないまでも、避難者の「ストレス」のよる自死からはじまって、この種の痛ましい事件は後を絶たない。

昨夜の塾で、こんな話を投げかけてみた。「交通事故では年間に5,000人もの死者を出している。原発事故では死者は出ていない」。政治家や一部識者と言われる人の中にいまもってある議論。
「交通事故の、車社会のリスク」と「原発事故のリスク」の”数“による比較。
「車の方がリスクは多いのに誰も車を廃止しろとは言わないではないか」という“視点”。

それに対しての作家の村上春樹がしていた反論。
「もし、あなたやあなたの家族が、突然の政府の通達で、明日から家を出て行って下さい」といわれたらどう思うのか。
家族はばらばらになり、心労によって自殺する人、命を縮じめる人、仮設で孤独死する人、直接死はいないとしてもいわゆる関連死はどうなるのか。

事の本質は数の話しではなく、「国家の基幹と人間の尊厳に関わる包括的問題なのだ」と。

原発とカネ。原発の恩恵に浴してきた人もいる。月10万円の賠償金を貰っている人もいる。たしかにそれで「遊んで」いる人もいないわけではない。
しかし、カネが絡んでくると、人は、感情や人間関係を危うくする。時としては人格否定に及ぶような問題なのだということ。

前記の中にある居酒屋での諍い。「避難者は賠償金をいぱいもらえていいな」という“尺度・価値観”。そこが一番大きな問題なのだ。
いわき市でも郡山市でも、この議論が未だに続いている。時としてはそれが大声で。避難者を非難する声として。
しかも、賠償金を貰っているのに遊んでいて・・・という“正義”の問題としてもだ。

その辺を村上春樹はこう言っている。
「被災者や避難者の、人生の“質”や、国土が世代を越えて汚染されたという“時”の議論を、あたかも隠ぺいしているようにさえ見える。問題を矮小化しているようにも見えるのだ」と。

居酒屋でこの夫をなじった人を一概に責めるつもりも無い。しかし、何があってもこの国は「カネ」「カネ」「カネ」の世の中になっているということ。
目先にある現実だけを見てすべてを論じようとしていること。

カネを介在させての人同士の軋轢が生まれているということ。

「今が良ければ」という価値観に捉われているということ。そこから抜け出せなくなっているということ。

この“事件”を続報無き一過性のものとして扱って欲しくない。この事件から見えてくるものは余りにも大きいのだと思う。

だから言う。「福島ではまだ何も終わっていない」と。

2015年5月12日火曜日

「戦あらすな」と皇后は詠んだ

田植えの季節である。ここ郡山という小都市でも、街中にいくつかの田んぼが散見される。
今年も稲作に踏み切った農家は田植えに余念が無い。
やがて緑の風景が広がるはず。

東京でも丸の内のオフイスビルの屋上で、近所の保育園の子どもたちの参加を得て、陸前高田のブランド米“たかたのゆめ”の田植えがあった。
昔ながらの姐さんかぶりの衣類にたすき掛けをした姿の女性が手助けをしていた。

平成7年、全国植樹祭に招かれた美智子皇后がこう歌を詠まれている。

「初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子どもらに戦(いくさ)あらすな」。

「戦あらすな」。皇后はもとより天皇陛下、皇太子の願いである。美智子皇后が詠んだ、その“小さな願い”は、届かない。

戦の方向にこの国は進んでいるのだ。

天皇陛下も去年の誕生日に、それこそ言葉を選びながらも“戦争”についてこう語られている。

「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。
その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います。
日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとよりできるだけ多くの世界の国々と、共に支え合って歩んでいけるよう切に願っています」。

明らかに“戦争”への可能性を高めようとする「安倍政権」へ向けたメッセージだった。

しかし、陛下のこの“切なる願い”も、もはや、日米同盟強化と言う大義名分に酔い、憲法の精神を逸脱するかの如きことを、なにがなんでも成し遂げようとする彼らにとっては「一顧」だにされていない。

昨日、安保法制に関わる11の法案が自公で合意された。法案は今週にも国会に提出される。
11の法案。どれをとってみてもかなりの国会審議を必要とするものばかりだ。
それが一括で、一括りで提出される。
そして今国会での成立を目指すときた。

なぜなら安倍がアメリカで大見得を切ってしまったからだ。

会期延長はあるだろう。しかし、結局は強行採決される。

国の命運にかかわることが「議会制民主主義」の場で強行採決されるということ。

国会のチェック機能と言ったって、1強他弱と揶揄される国会の勢力分野。
まして、どこを向いているのか、何を考えているのかわからない一部野党。

提出、イコール成立と「安倍政権」は“たかをくくっている”はず。

かつて安保体制の論議の焦点は「専守防衛」だった。これからは、法案が成立した暁には、とりあえず自衛隊は、アメリカのお供でどこの戦地にも行ける。

「戦争」に関しては、日米の間に、その体験や認識に於いて大いなる隔たりがあるはず。
少なくともアメリカ本土は戦争の被害を受けていない。アメリカにとっての戦争とは常にどこかに出かけて行って行われる戦争。
兵士は帰る故国を持つ戦争。

敗戦国日本。本土も焦土と化し、沖縄では言語に絶する残酷な戦争。そして原爆。

戦争とういうものについての「そもそも」の認識と経験、理解、体験が違うのだ。

認識の違うものを「同盟化」するというのは無茶な話なのだけど。

安保法制論議、今朝の新聞はどこも大きく取り上げている。それは「当然」のことだけど、どこかで“うんざり”している自分がいることに気付く。

うんざりした時に救いを求める美智子皇后の歌・・・。

「福島」にも、うんざりすることが多い。またあらためて書くが。

「笑み交わしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」。
美智子皇后の歌にまたも救いを求めている自分・・・。

沖縄を詠んだ昭和天皇の一句。

「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを」。

2015年5月11日月曜日

「福島」の歌人

福島出身の詩人、長田弘さんが亡くなった。

朝日新聞に「折々のことば」という小欄がある。そこに昨日、長田弘のことばが書かれていた。

「見えてはいるが、誰もみていないものを見えるようにするのが、詩だ」。

読むことは旅をすることという詩集から引いたものだ。

見えているのに、見ようとしないものがある。歴史の時点でもそうだ。だから見ることにはそれなりの努力がいる。私にとっては哲学の定義でもある。

選者の鷲田清一が書いていた。

見える物を見ない、見ようとしない。見るべきものを見ようしない。見たものを見えなかったかの如くふるまう。
「3・11」後におしなべてあった空気だ。

そんな空気への“抗議”を詩人は語っていたのだ。今を予見するかのように。

そんな思いを持ってその欄を読んで考えていた。その日の午後、彼の訃報が流された・・・。
言葉には出来ない“衝撃”のようなものが去来した。

3・11後、あの年の5月3日に彼が書いた詩がある。

<人はじぶんの名を>

「2011年3月11日、突然、太平洋岸、東北日本を襲った思いもよらない大地震が引き起こした大津波は、海辺の人びとの日々のありようをいっぺんにばらならにした。
そうして、一度にすべてが失われた時間の中に、にわかに驚くべき数の死者たちを置き去りし、信じがたい数の行方不明の人たちを、思い出も何もなくなった幻の風景のなかにうっちゃったきりにした。
昨日は1万1111人。今日は1万1019人。まだ見つからない人の数だ。
それでも毎日、瓦礫の下から見出された行方不明の人たちが、一日に100人人近く、じぶんの名前を取り戻して、やっと一人の人としての死を死んでゆく。
ようやく見出された、ずっと不明だった人たちは、悔しさのあまりに、誰もが両の手を堅い拳にして、ぎゅっと握りしめていた。
人はみずからその名を生きる存在なのである。じぶんの名前を取り戻すことが出来ないかぎり、人は死ぬことができないのだと、大津波が奪い去った海辺の町々の、行方不明の人たちの数を刻む毎朝の新聞の数字は、ただ黙って語り続けるだろう。昨日は1万1019人、今日は1万808人。」
(2011年5月3日朝に記す)。

長田弘が癌で亡くなったのはまさに5月3日だったと報じられている。

死亡記事が載っていたきょうの新聞。奇しくも俳壇・歌壇の中に囲みで「福島発の歌は問う」というのがあった。

「ふるさとの地形に線量記されていて天気予報のごとく見てをり」

「同じ地にゐながら高き萱草は母とわれとのあひを繁りぬ」

“あひ”とは間ということだろう。母と娘との原発事故をめぐる葛藤、同じ県民同士の軋轢・・・。

「福島は“入る”べき域となりゆきぬ辛夷の花のぼうぼうと白」

行くでも帰るでもない“入る”べき区域・・・。

「目に見えぬものに諍(いさか)い目に見ゆるものに戦(おのの)くまず雪を掻け」

雪とはまだ溶けぬ問題の象徴なんだろうか・・・。

長田弘の詩にしても、これらの短歌にしても、問いけるものは大きい。

だから自分に問いかけてみる。「お前はいったい何者だ。何をしているのか」と。

苦渋の問いかけに“救い”を求めているだけのものでしかない「あべこべのまち」の住人・・・。

2015年5月10日日曜日

「生まれた場所で死にたい」とその人は言った


去年5月のある日、福島から鳥取県に避難していた老人が、顔見知りになった人にこうつぶやいたという。

「生まれたところで死にて~んだよ」と。

生まれた場所で死にたい。重い言葉だ。さまざま考えさせられる。

人は生まれてそして死ぬ。これ以外の「絶対」は無い。

しかし、どれだけの人が生まれたところで死んでいけるのだろうか。死んだのだろうか。

自分に置き換えてみる。
生まれたところでは死ねない。

生まれたところは大阪の上野芝というところだと言う。親に結婚を反対され、いわば駆け落ちしていた父と母の間に生まれた。
子どもが生まれたということで、“勘当”が解け、姫路の実家に帰ったらしい。

長らく本籍地だった姫路の家は戦争で焼かれた。ほどなく上京した。上京後しばらくして初台に住んだ。家は買ったが土地は借地だった。
地主とのいろいろがあり、郡山に住み着くことにした。

たぶん、特別の事が無ければ、ここ郡山で死ぬのだろう。墓は東京の八王子にあるが。

だから、生まれたところは知らない。名称は聞いているがどんなところかもわからない。もちろんなんらかの“痕跡”とて無い。

生まれたところに愛着は無いということだ。

今、福島で、生まれたところを追われて、先祖からそこに住んでいた場所を離れて、異郷にいる人は少なくない。
理性では、それが叶わないということを理解出来ていたとしても、本能が言わせるのだろう。生まれたところで死にたいと。

勝手に想像してみる。それは「土」に由来するのではないかと。

避難している人の多くは農業を営んで来たひとだ。子どもの頃から土に触れて来た人だ。
土は新たな生命をはぐくむ。そして、季節と共に、その地で命を終える。その自然の摂理が身についている人は、「土に還る」ということの意味を自然に受けいれて来た人だ。

自分が還った土が新たな命を生むと言うことを長年、見て聞いて、知っている人たちなのだ。

僕は生まれたところでは死ねない。それが「特別に悲しいこと」だとも思っていない。
だけど、そうではない人もいるということ。

今、世界では、各地で戦争や紛争が起き、5,000万人という難民がいると言う。
難民はどうにかして生き延びたいと思っている。生きることに全力を注いでいる。
横道のようだが、日本という国の難民受け入れ態勢は、およそ「先進国」ではない。たぶん、受け入れたのは60人くらいだとも聞く。

排外的思想が支配している。

ある作家が言っていた。
「物語というのは土地に根差したものだ。個別の土地と人間を描いて掘り下げていくと、普遍的なものにつながる」と。

それは物語や小説に限った話ではない。人それぞれの話なのだ。

パール・バックの小説「大地」。貧農から富豪に上り詰めた人の話し。その主人公は老いて死に行く前に息子たちにこういったという。

「私たちは土から生まれて、嫌でもまた土へ帰るんだ。お前たちも土地さえ持っていれば生きていける。誰も土地は奪えないのだかから」。

その土地が奪われてれてしまう時代になった。

その土地を奪われまいとして戦う「あさこはうす」のことに想いが行く。

そして考える。「生まれたところで死にたい」と言った普通の老人の言葉を。

2015年5月9日土曜日

そんな「借金」した覚えは無い

この国の、成長していると言われる、実は頓挫している国の借金は1053兆円となったという。

すぐそれは国民一人当たりではと換算される。

1人あたりは約830万円だそうだ。

世間の常識では借りた金は返さなければならない。返せなければ夜逃げというのが“常識”だった。

それがいつの間にか返さないでもいいような算段が出来るようになり、返さないのが当たりまえのようになった。

子どもの頃、父親が“借金”をした。借金と言うより会社の連帯保証人になっていた。返せない。
差し押さえという処分をくった。

大した家財があったわけではないが、タンスや長持ち状のような物入れすべての“赤札”が貼られ、開けてはいけないということになった。その中には多分、子どもの衣類の少しは入っていたかもしれないのに・・・。

借金の怖さをまじまじと知った。住宅ローンや車のローン、給料天引きで返せる範囲での“借金”はしたが、それ以外には借金はしていない。

そして、今は、細々と年金で暮らしている。生きている間はずっとこの生活が続くのだろう。
年金制度が破たんしなければ。

それがいきなり、いや、いきなりではない、予測されてはいたことだけど、借金830万円。

そんな大金返せるはずないでしょ。

どうやら「財政再建」なんてことは政権にかかかわる人たちの頭からはとりあえずはすっぽ抜けているのかもしれないと思ってもしまう。

金額の違いはあるけれど、これが地方自治体だったら、かっての夕張市のように「赤字自治体」とされて、それこそ町が一つ無くなってしまうような話だ。

国の借金の穴埋め。来年には消費税を10%にするんだろうな。
景気状況を見ながらなんて言ってはいるけど、街角景気は良くなってはいない。
大企業だけは儲かっている。

トヨタの営業収益のとんでもないような増加。メディアはそればかり言う。見てる方は“錯覚”しちゃうぜ。景気は良いんだと。春闘のベアの時だってそうだった・・・。

あまり文句ばかり言っていると跳ね返ってくる。「あんたの年金は国の借金で賄われているんだぞ」と。

国の収入は税金だ。その税金のムダ使い。後を絶たないし、自ら範を垂れるべきお上は戴けるものは何でも戴こうとばっかりに懐を肥やし、使いに使う。

オスプレイを10数機買うと言う。3,600億円を使って。
その緊急な必要性があるのかないのか。それほどこの国のために必要不可欠なシロモノなのか。

これって安倍訪米によって確定された、「日本へのお土産」じゃないのかな。

入るを計り出を制す。そんな教えがあったはず。「入る」は税金。「出る」は制しない。
これをもって古人は言う。「苛斂誅求」だと。

買うのではないがオスプレイが横田基地に配備されるという。沖縄に飽き足らず横田までもか。沖縄を減らして持ってくるというならともかくも。

横田基地、それは、かつてあった立川基地が移ったところだ。
立川基地を巡っては「砂川闘争」があり、多くの血も流されてところだ。

地裁は違憲判決、最高裁は司法判断に馴染まないと差し戻しを決めた「屈辱の司法」の歴史があったところだ。

被災地の「復興予算」は来年から減らされる。足りないところは地元で賄えと。
ままならない生活を強いられている12万人の避難者。
金食い虫のように収束に向けて、収束の名のもとに1Fにつぎ込まれるカネ。

国直轄の除染や賠償金なで9兆円の借金。東電に貸したという借金。返せる訳がないでしょ。東電には。

830万円の“借金”には「証文」はないけれども・・・。

2015年5月8日金曜日

頑張っている「地方紙」のジャーナリズム

インド生まれでイギリスの作家ジョージ・オーウエルの言葉にこんな言葉がある。

「1984年」を書いた作家だから余計に納得できる部分もあるのだけど。

“ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない”
言われてみればその通り。「広報」としてのジャーナリズムのなんと多い事か。
この国では・・・。

新聞にはジャンル分けとして全国紙、ブロック紙、地方紙というのがある。

全国紙の中には完全に「広報」と化した新聞もある。
ジャーナリズムを追求していた全国紙も、なにやら論調は変わり、どこかで「両論並立」、その社の主張が見えなくなったところも多いと感じる昨今。

政権の異常なまでのマスコミ介入、あげく、さまざまな手法を講じての、いわば“脅し”。

今、この国の姿がそうであるように、本来のジャーナリズムが持つ「不撓不屈」の精神は薄らいでいるようだ。

とにかく「政権」からの“圧力”を恐れ、かろうじて“他言”を引用することによって、どうにかその体裁を保っているような。

全国紙の全ての記事がそうだとは言わないが、明らかに自粛し、“茶色化”しているようにも思えて仕方が無い。

それに比べて地方紙の中には説を曲げない、ジャーナリズム精神を貫いている新聞が見られる。
例えば東京新聞。例えば神奈川新聞。その論調は政権に対して厳しい。厳しいという事は「健全」だということだ。なぜなら、そうあるべきだから。本来は。

先の戦争。その戦争責任は時の政権や軍部だけにあるのではない。新聞が煽った世論。軍部が火を点け、それの呼応した報道。引くに引けなくなった世論の醸成。

今、沖縄では琉球新報と沖縄タイムスが気を吐いている。

政権にとって書かれたくないことを堂々と報じている。

ブロック紙もしっかりしている部分がある。例えば西日本新聞や北海道新聞。

新聞の経営は購読料と広告収入から成り立っている。
その論調によっては収入源が左右されることだって必至だ。

その推移がどうなっているかは知る由もないが・・・。

「3・11」。河北新報の記事は際立っていたと感じる。地元宮城県だけにとどまらず、原発をめぐる不条理や問題点のさまざまを書いた。

福島の地元紙はどうか。その論調はよく見えない。大震災や原発事故の「記録」を残したと言う点では価値があるものだったと思えるが・・・。

テレビでも然りだが、いや、もうNHKには辟易した。全くの広報だ。
番組だって、どこかで“検閲”が入っている感もありだし。

民放も政権与党の手中に落ちた。かろうじてTBSの報道系番組が気を吐いているようにも受け取れるが、それもどうなって行くのか・・・。

民放は広告収入が、その経営のカギを握っている。広告主は直にテレビ局にクレームは入れない。新聞だって然りだ。

誰も指摘しないが、表面だって言わないが、見落としているのが広告代理店の存在。例えば電通。巨大な権力組織となった。選挙ともなれば政党の選挙も全面的に支援する。電通の意向に刃向えるメディアは・・・。

無理だ。

テレビ局の幹部の子弟は電通に就職する。いや、就職出来る。電通の幹部の子弟はテレビ局に入れる、入る。

それを「相関図」とは言わないが・・・。

「3・11」の直後、被災した地方紙は、手書きの新聞を作って避難所に張り出していた。
必要な情報を提供すべきとの使命感によって。

その頃、その会社の、全くのローカル紙だった新聞社の記者は言っていた。
「我々は、今は、ジャーナリストではありません。ローカリストです」と。

そのローカリストに救われた被災者も多かったと聞く。

2015年5月7日木曜日

事の端緒は「2011年」だったということ

2011年の東日本大震災。未曽有のような自然災害。それを引き起こしたとされる「地殻変動」。

日本列島だけでは無い。地球規模での「地球」という惑星の変動。東日本だけではなく、あの時、長野県の栄村の大地震や、関東圏のあの液状化も含めて、それは、もしかしたら、前兆は阪神淡路大震災だったのかもしれないが、どうやら「地球」は動き始めているのかもしれない。

2011年後、日本での地震も頻繁に起こっている。それは、それまで専門家が指摘してきた南海大地震では無く、別の場所でだ。

箱根の噴火。火山列島の日本。蔵王、吾妻山、御嶽山、桜島・・・。
火山活動が活発化していることには間違いないはず。

それらの「引き金」としてあった3・11ではないのか。

ネパールの大地震、パプアニューギニアの地震。スマトラ島の地震、津波。

なんか地球は変なのだと思う。そして、それらは科学者の手によっては予見も出来ないことなんだということも。

2011年は「警鐘」を鳴らしていたのだ。

当時、悲観的観測として、3・11は危機の前兆として感じていた人もいた。
それが、いつの間にか忘れ去られた。

箱根、大涌谷。折からの行楽シーズン。
「折角来たのに残念だ」。そんな声をテレビは拾う。

その日一日のスケジュールが、楽しみが不意になったという、今、その時だけのことに思考が巡る。

それよりも現場の近くに行って、自然の脅威を感じたことを是とできないのだろうか。
大涌谷から離れたところの箱根の人は、町役場の人も「風評被害」という。

観光客が来なくなることを風評被害だという。
分らなくはない。

しかし、3・11で言われた風評被害とは違うように感じる。
少なくとも福島に寄せられた風評とは「デマ」の類に基づくものだったし。

3000年前に箱根山は大爆発を起こしているという。山の高さが半分になったという。でもその当時の記録は残っていない。
前例がわからないから、今度の事象の原因や見通しはわからないと学者は言う。

つまり、過去のデータが無い限りどうにもならないという事が研究なのだということ。

御嶽山の時も地震学者や地質学者、予知連の人達は、科学の限界を嘆いていた。

自然には意志は無い。

箱根は観光で成り立っていた町だ。観光客が減れば死活問題だ。そこの人達の苦悩は察するに余りある。

だけど、自然は人の営みに関与しない。

だから、火山列島、地震列島に住んでいるということを、もっとわからなくてはならないのかも。

箱根の異変は富士山に影響するのか。それとても気になる。

火山が爆発すれば大量の火山灰が飛散する。それが電線に付着すれば、大規模停電だって招きかねない。

こじつけるわけではないが、桜島が爆発して火山灰が大量に飛散すれば、川内原発への送電だって止まることにもなる。
電気が止まった原発。福島を思い返せば明白だ。

3000年前と今。その時間軸は宇宙の軸と人類の歴史地ではそれこそ雲泥の差だ。

「そういう時期に地球は入った」。そう思う以外には無かろうとも。

磐梯山の爆発、山が割れたという事実。それはまだ100年の単位であったことだ。

なぜか自然の脅威が有り得るところに観光地が共存しているという不思議さ。

箱根に、その他の火山にこれ以上の異変がないことを願いつつ・・・。

2015年5月6日水曜日

「夢之丞(ゆめのすけ)」に想ったこと

災害救助犬として活躍し話題になっている犬に夢之丞という子がいる。
彼はたぶん、柴犬系の雑種だ。色は若干白が入った茶色のブチ。

2010年11月、彼は広島の動物愛護センターにいた。殺処分されるはずだった。その日は処分場が彼の前の犬で満杯になり、彼の処分は翌日以降に“延期”された。

犬には予知能力や察知能力がある。たぶん、「殺される」ことをわかっていたのだろう。人並みに言えば「眠れぬ夜」を明かし、ケージの中で順番が来るのを恐れていたはずだ。

たまたま、広島の動物保護のNPO法人の人が来て、彼を連れて行くことになった。彼を災害救助犬として訓練することにした。
人間を恐れる夢之丞(この名前もNPOの人が付けた。希望を託して)は、なかなか人間になつかなかった。

まずは良好な関係を維持することから始めて、やがて災害救助犬に育った。
広島の土石流災害に出動し、一人の遺体を発見した。瓦礫の山を走りまわり、土石の隅に鼻を押し付けて・・・。

その後、フィリピンの災害にも出動した。そして、今度のネパールの大地震にも救出活動に参加、相棒のハルクと一緒に仕事をした。どうにかして人間を助けようと。

先日彼らは帰国した。今は犬舎でゆっくり休んでいるという。

人間に捨てられ、人間に殺されそうになった犬。その犬が、人間を助けようとけなげに“任務”をこなしていたということ。

そのNPO法人には福島の飯舘村から避難せざるを得なかった犬二頭を引き取っている。福島では殺処分された牛や馬や豚、そして犬も猫もいる。行き場が無くなった動物たちだ。

殺処分をせざるを得ない、ガスを流すボタンを押す係員の心中はいかばかりだろうと思う。好んでやっている人はいないはずだ。仕事として淡々とこなしているのかもしれない。

ナチスの収容所長、アイヒマンは、日常の業務として、ホロコースト、アウシュビッツで毎日殺人ガスを流すボタンを押していた。後に、それをアンナ・ハーレントは「悪の凡庸さ」「凡庸な悪」と書いた。

ドイツのメルケル首相が二月ほど前来日していた。メディアの扱いは小さかった。
メルケルは記者会見で過去を振り返り「ドイツが国際社会に受け入れられたのは過去と向き合ったからだ」と言い、ナチスの行為に反省の意を表し、謝罪した。“盲目”にはなっていなかったのだ。過去の歴史を修正することなく向き合っているのだ。

フランスの作家、フランク・パブロフが2003年に書いた「茶色の朝」という本がある。

//主人公の“俺”と友人の“シャルリー”はコーヒーを飲みながら、茶色くない犬や猫を安楽死させたことを話し合っている。
その国の政府が、ペット特別措置法を発効させ、茶色のペットしか認めないとしたからだ。
犬も猫も人間も“茶色”でなくてはならなかった。

茶色、それはナチスの制服の色。

日常は茶色に染められて行った。日常会話の中にも茶色を入れることに腐心した。そして、それに慣れて行った。違和感を感じなくなって行った。
「世の中から良く見られるし、放っておいてもらえるし」
“茶色”でいることは快適な時間だったし、街の流れに逆らわないでいることは安心を得られた」。「茶色に守られていること、それも悪くはないな」と思うようになっていた。

でも、それは甘かった。シャルリーは茶色の犬を飼う前に白い犬を飼っていた。それが罪科に問われ、国家反逆罪に問われて逮捕されてしまう。

「特別法が出来た時から警戒すべきだったのだ。抵抗すべきだったのだ。でも、面倒に巻き込まれるのはゴメンだとも思っていたし」。気が付いた時は遅かった。彼も以前は茶色で無い犬を飼っていた。ある“茶色い朝”、誰かが玄関のドアを激しく叩く・・・。

この本は反ファシズムへの寓話である。だが、しかし・・・だ。

夢之丞の話とこの本のこととはなんの連関性も無い。彼の次の出番を、それが無いのに越したことはないが。あったとしたら、その奮闘を祈る。

本の話だけにすれば、なんとなく思う。

我が家の犬は「真っ白」なんだ。

2015年5月5日火曜日

減り続ける子どもの数

きょうは子どもの日、昔風に言えば端午の節句。子どもの成長を祝う日なのだが。

15歳以下の子どもの数が34年間連続して減っている。まだまだ減り続けるだろう。
子どもの数は1617万人だという。
全人口に占める子どもの数は12,7%。65歳以上の人口は26,4%。

単純に数字だけで見る「少子高齢化社会」の現実だ。

各地で「こども祭り」が行われている。大勢の人が参加している。
その光景からは「子どもが減っている」という数字は感じられないのだが。

詳細に付き合わせたわけではないが、子どもの数の減少率は、いわゆる増田レポートにあった「地方消滅」の都道府県別の傾向となんとなく適合しているようだ。

子どもが減って行くにも関わらず、今の世の中は人口構成が今のままであるかのような考えで事が為されているようにも思える。

高齢者人口の半分にも満たない子ども人口。

それを“覚悟”した上での社会システムが構成されているのだろうか。
子どもの数の減少が、社会にどんな影響を与えるのか。

柱の傷は一昨年の五月五日の背くらべ
ちまき食べ食べ兄さんが計ってくれた背のたけ
昨日比べりゃなんのこと
やっと羽織の紐の丈

戦後、まだ人口は増え続けるであろうと思われていた時代。古い初台の家にも柱に傷が何本もあった。4人の子どもの背比べ。

大人になってからも残っていたその傷は、そこに子どもたちの“日常”があったという記録のようなものだった。

今、柱での背比べなんていうのどかな光景は無い。計測されデータとして保管されているだけ。

「3・11」、原発事故。福島県からは多くの子供がいなくなったと言われてきた。子どもを産まない母親が増えたとも言われてきた。
それは、どこかで、だれかにとっては「定説」のようにすらなったいた。

現在の福島県の子どもの人数は23万9128人だと県は発表している。
前年同期より4575人減少したが、前年同期比の減少率は1・9%だった。過去8年間で最少の減少率。
ゼロ歳児は1万4184人で微減。3・11前の水準に戻っている。

福島県も総人口は減っている。原発事故後は、それが拍車をかけていた傾向がある。
が、だんだん、あの当時に戻りつつある。

それは、いわゆる復興とか、事態収束とは全く無関係なのであり。

県の総人口は192万6961人だ。それに占める子どもの割合は12・5%。前年同期より0・2ポイントの減。

他県と同じような傾向をたどっているのだ。

ただ、この数字をどう見るか。どう読み解くかは、それぞれの親や地域の人の考え方一つだ。

事故後の親が持つ「不安」、こどもの環境の「不便」さ。それは他県とは比較できない。

子どもたちが遊び集うところには必ず設置されているモニタリングポスト。
そこに表示されている、無感情な数値。

チェルノブイリ事故では、被ばく線量は福島の10倍だったと言われる。
そして、避難したとはいえ、移住したとはいえ、その地に住む人は、事故後に生まれた子供たちは、なにかしらの「健康不安」を持っているともいう。

福島の子どもたちは・・・。将来、健康に影響を及ぼすのかどうか。
結論は「わからない」ということだ。あるかもしれない、ないかもしれない。

そして原発の収束は、フレコンバックの行方は・・・。それとても結論は「わからない」ということ。

ただ、なんとなく思う。
「福島の子どもたちは強くなっている」と。精神的に強いと。そして、将来のこの国のことについて、いろいろ考えているはずだと。

子どもの日に大人たちが考えなくてはいけないこと。それは「子どもの貧困」ということだ。
16,3%という子どもの貧困率。

それは今が貧困だと言うことだけではない。将来の人材育成にも関わることなのだ。大人が子どもとどう関わっていけるか、いくのか。漠然とした提起だけど、難しく、しかし、考え方を変えねばならない問題なのだとも。

2015年5月4日月曜日

「憲法」と「福島」

12万人と言われる福島原発事故による避難者。いまだにその人たちのほとんどは仮設住宅暮らしだ。

仮設に小さな鯉幟があがっていた。五月のシンボル、鯉幟。

言い続けている憲法と福島。
憲法25条にある生存権。それは彼らにとって奪われたままだということ。

健康で文化的な最低限度の生活。それが「何ほどのもの」か、もちろん規定は無い。

最高法規である憲法を為政者がどう読むかにかかっている。
福島だけでは無い。
被災3県、「健康で文化的な最低限度の生活」からほど遠い状況にある。
憲法に理念からかけ離れたところに置かれている。
そして、それが日常化してきているということ。
そのことに学者も含め「異」を感じないということ。

憲法が保障している国民の権利。それがないがしろにされている。
まさに国は違憲だ。
これっておかしな“理屈”だろうか。

福島という地は、なんらかの形や意味で、憲法にゆかりが深い土地だ。

かってあった自由民権運動。発祥は板垣退助だが、その運動はこの東北、福島の地にも大きな影響を与えた。運動は議会の開設や憲法制定を、民主的憲法の制定を求めた。

福島からは、数多くの“民権運動家”を生んだ。いわば東北の民権運動の発祥の地ともいえる。

運動家たちは、たびたび投獄にもあった。治安維持法で検挙されて。喜多方事件などはその象徴なのかもしれない。

その運動家の一人に、苅宿仲衛という人がいた。浪江の出身だ。小学校の教員を経て、自由党の県議として、自由と人権のために闘ってきた人だ。

3・11で、浪江にあった彼の墓石は倒壊した。未だ帰還出来ない浪江。
彼の墓は今、どうなっているのか。

墓石の倒壊が、改憲への動きを深めるこの国の在り様を物語っているようにすら思えてならない。

そして在野の憲法学者だった鈴木安蔵。鈴木安蔵は今の南相馬市小高区の出身だ。

多くの憲法学者と交流を深め、新しい憲法草案の想を練りに練った人だ。
彼の憲法草案の“理念”は、現行憲法に随所に生かされているはず。

単純に「押しつけ」とレッテル貼りをして正論とする改憲論はどう受け止めているのだろうか。そんな人がいた。そんなことを考えていた人たちがいたという歴史の事実を。

アメリカ案にあった憲法草案。その中には25条は無かった。それを入れさせたのは広島の社会学者、森戸辰男。森戸と安蔵は肝胆相照らす仲だったという。

苅宿の名前も、安蔵の名前も改憲論争の舞台には登場してこない。

皮肉交じりに言おう。「福島はわすれられた存在」なのだからと。

そして、この二人の名前すら福島県人の多くも知らない。

三春の運動家には河野広中という人がいた。その銅像は県庁の前に建っている。
広中は福島民友新聞社を作った人だ。そのことは社史にどう記されているのだろうか・・・。

憲法と福島。その歴史の一コマをちょっと考えてみる五月の昼。

「初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うる この子どもらに戦(いくさ)あらすな」。
美智子皇后の歌だ。あすは端午の節句、子どもの日・・・。

2015年5月3日日曜日

あなたは「憲法」を知っていますか

今日は「憲法記念日」だ。行楽の週間に挟まれての、この国にとっての大事な記念日だ。
せめて1年に1日だけでも、憲法について考える日があってもいいと思う。

たとえば・・・。
小学校の公民の授業で憲法を教わってきた子どもが父親に聞いた。
「憲法って、国の基本を定めたものでしょ。それをなぜ変えようとするの」
「その内容が、今の時代にそぐわなくなってきているからじゃないか」
「それって戦争のこと?」
「それもある」
「憲法って”平和憲法“なんでしょ。平和じゃいけないの?」
「平和が一番だ」
「じゃ、なんで、戦争という言葉が出てくるの?戦争をしがっているわけ?」
「したがっているわけじゃないだろうけど」
「自衛隊さんて、国を守るのがお仕事でしょ。それがなんで戦争に行くの?」
「アメリカとの間に安全保障条約ってのがあってね、アメリカと同盟関係にある日本はアメリカに要請されれば、外国にもいかなければならないのだよ」
「じゃ、戦争になったら自衛隊さんだけが戦争に行くの?」
「最初はそうだろうけど・・・」
「お父さんも国を守るために戦争にいくことがあるの?僕も行くの?」
「・・・・・」
「戦争って国と国との喧嘩でしょ。喧嘩をしてはいけないと先生は言っていたよ。なのに、なんで大人は喧嘩をするの、戦争をするの?」
「・・・・」

こんな家庭での親子の会話があってもいいと思う。子供の素朴な質問に親がどう答えるかということだ。
こどもの質問に答えられるように親は憲法について知っていなければならない。

去年、AKB48の内山奈月という19歳の子が「憲法主義」という本を学者に聞きながら書いていた。彼女は暗記好きの子だったという。方丈記を暗記して、それを覚えた。そして古典に対する彼女の興味は広がっていった。
たまたま学校で、公民の授業で彼女は憲法を教わった。なぜか興味が湧いて、憲法を前文からはじまって103条まで暗記した。

そして、それを知ることによって、彼女は憲法についていろいろ考えるようになった。

改憲論議の焦点は憲法9条だ。戦争放棄を規定した条項だ。
改憲を言う人は占領軍からの押し付け憲法だから、自分たちの手で、自主憲法を作ろうと言う。9条を無くすとも言う。

なぜ、アメリカは9条で戦争放棄をさせたのか。日本軍が怖かったためだ。再び日本に戦争を起こさせれば怖いと言う危惧があったからだ。代わりに安保条約で日本を守ると言った。
いま、アメリカはそれを押し付けたにも関わらず、それを無かったことのように、同盟と言う名のもとに、アメリカが行う戦争に日本を巻き込もうとしている。そんな見方だって出来る。

憲法全部が連合国による押し付けではない。原案になかったものを日本の憲法学者が盛り込んだものもある。第25条に規定された「生存権」だ。

最近、立憲主義という言葉が頻繁に使用される。

「日本国憲法は立憲主義にもとづいている」と。
立憲主義とは、権力を持たない人びとが、権力者に「憲法を守れ」と命令することだ。
「権力者が勝手なことができないように、国民が憲法で国を縛る、権力に制約をかけるということだ。

その精神が揺らいでいる。

もう一つ。憲法で保障された「自由」。この自由は国民がかちとったものではない。いわば「与えられた自由」だ。
だから、その自由を国家が剥奪することを暴挙とは思わないらしい。


憲法の英訳はthe constitution だ。
Constitutionは構成、組織という意味であり、さらには体質・体格という意味を持つ。
改憲論議。それは、脈々としてある“国の体質”なのかもしれない。

安倍訪米で露呈されたこと。それは「対米隷従」ということかもしれない。

そして、戦後を通じて身についてしまった、染みついてしまった日本人の体質、いいかえれば空気。
それは「受け身に楽観主義」。いってみれば、言われるがままに暮らしているほうが、安泰だという保身主義。

9条だけではない。前文含め、国の最高法規である憲法を、もっと知ることをしなければと思う。

めぼしを付けたように、若い女の子に向かって、そう内山奈月と同じような年頃の女の子に向かってテレビはマイクを向ける。
「あなたは憲法を知っていますか」と。「え~~、知らない、それって何~」との答え。そのテレビが狙っていたような答え。それが国民の一部だと言わんばかりの“演出”。

マイクを持った人に言い返せよ。
「あなたは憲法の前文だけでも言えますか」と。そんな光景があったらいいなとも。

2015年5月2日土曜日

マリオネットとしての宰相A

ま、どうでもいいことなんだけど、所詮はその程度って言えばそれまでなんだけど。

日本国の宰相、安倍晋三がアメリカの議会で演説した。その表情は得意満面と見えた。
議場内のカメラが映していた。その演説原稿を。
そこには赤ペンで語調の上げ下げや、カッコ付の日本語で、“振付”までが書かれていた。

まさにドラマの脚本だった。その通りに喋った安倍。原稿は官邸のスピーチライターが書いたものだろう。自分では書いてない。自分で書いたのならト書きはいらないはずだし。

彼の英語が上手いのか下手なのかはわからない。発音含めて。議場の議員には渡された原稿が書かれた紙を見ている人が多かったようにも見えた。

それは全て安倍の言葉として発せられたものだが、他人が書いた原稿。何処までが彼の「真意」なのかと疑いたくもなる。

その振付原稿通りに、マリオネットを演ずる安倍。それをアメリカのメディアは、新聞伝えた。
日本でもその写真は通信社によって配信されていた。

「自分の言葉を持たない宰相、自分の言葉でしゃべれない宰相」。それが恥ずかしかったのだが。

案の定と言うか、日本のメディアは、見た限りでは、その写真を伝えていない。完全にねぐった。
宰相の恥ずかしい姿を国民に見せたくないと思ったのか、載せたらお咎めが来ると自粛したのか。

予定原稿だけがニュースではない。そこで起きた“ハプニング”もニュースなのだ。

自分でしゃべれない宰相。安倍のツイッターは山本一太の“代筆”であることもばれてしまった。

そう、そんなことはどうでもいいことなのだが。

国賓待遇とやらで、ホワイトハウスを宿舎に提供された安倍。その居室に付いてきた御側議員を招き入れ、一献傾けていた。その場では“賛辞”が飛び交っていたようだ。

その場には福島県選出の女性国会議員もいた。
いつもモデル立ちでポーズを決めている人。

その人は国費でアメリカに行って、「福島」について何か語ったのだろうか。


言葉を持たない人が増えたと思う。何も考えない人が増えたと思う。
他言を引用するだけの、いわば「コピペ人間」が増えたように思う。

安倍に付き従っていれば“安心”だと思う人が多い。少なくとも国民の5割に当たる人が。
その人たちにも安倍は操られているのかもしれない。いや、やはり安倍が操っているのか。

マリオネットが舞台の上で跳ねている。

そして、きっと、アメリカは、オバマは、持ち上げる振りをして、うまく安倍を操っているのだ。安倍が気付いていないだけだ。

今、アメリカの関心事、心配事は台頭する中国だ。
日米防衛指針の改定、ガイドライン。その目論見はアメリカの「出城」となった日本だということじゃないかな。
沖縄の現実がそれを如実に物語っている。

もし、あの安岡正篤氏が、皇室や政治家に多大の影響力を持っていた氏が、碩学として洋の東西にまで精通していた氏がスピーチライターだったとしたら・・・。
そんな幻想すら浮かんでしまう。

「宰相A」、変な小説家が変な首相を念頭において書いた変な物語・・・。

2015年5月1日金曜日

今日は祝日、休日なんだろうか・・・

きょう5月1日は「メーデー」と呼ばれる。労働者の祭典とも言われてきた。
それは外国から“輸入”されたものであったが、戦後、紆余曲折をたどっての
労働者の祭典、平和の祭典と呼ばれてきた。

記憶にあるメーデー。それは戦後の、講和条約発効後の皇居前広場での「血のメーデー」。メーデー参加者と警察が衝突して、多くの死者を出した事件。

当時のメーデーは例えば米よこせだの講和条約反対だのと、常に体制・反体制が衝突するものと相場が決まっていた。

そして、統一メーデーがあり、分裂メーデーが有りと。総評、社会党系主催のものもあれば共産党主催の物もありで。
そしていつの頃からか、そのメイン会場は代々木公園になったのであり。

そして29日には連合主催のメーデー中央集会。きょうは日比谷の野音で全労連主催の集会と。

はい、全くの主観を語ります。
連合って果たして何者だってこと。労働者の味方なのか体制にくみした組織なにかってこと。

このところのメーデーってさっぱりなんだかわからないのだ。
スローガンとしては「残業ゼロ法案反対、阻止」を訴えてはいるけれど。

総評が無くなり連合になり、日本の労働運動は衰退の一途をたどっているように思えてならない。
あらゆる産別労組に於いても。

安倍政権のメディアに対する不当な介入、恫喝。それに対してNHK労組の日放労は何をしてきたか。
民放労連は何を言ったか、したか。

連合は民主党支持なのか、そうではないのか。

横道にそれる話だが、昔、コンサートは労音主催と言うのが多かったんだけど。

総評のあった時代。「労働貴族」といわれる言葉があった。企業から給料を貰いながらの組合活動専従。組織率が高かったのだろう。労組は豊富な資金を持ち、組合事務局に人を何人も書記局員として雇い、総評幹部は、どこかで“権力”と通じており、優雅な暮らしをしていた。

昼飯は大方が芝の高級フランスレストラン、クレッシェンド。お得意様ですと店のマスター。そんな現場にも遭遇したことがあるし。
労働組合同士の「内ゲバ」が日常のようにあり、鬼の動労と国鉄は言われていたし。

29日の連合の集会。参加者は主催者発表で4万人。なんとも少なくなったもんだ。きょうの野音も人はぱらぱらだ。

経営側対組合側。その対決の構図もすっかり崩れた感があり。春闘の大企業大幅ベアには歓声が沸いていたし・・・。

そして、野党といわれる勢力も権力の亡者に成り果てたごとく。また来るかもしれない甘い夢を見て、結果、国民から見放されている。
民主党の衰退がそれを如実に物語る。雲散霧消の旧社会党、社民党。

統一地方選、議席を伸ばしたのは自民と共産・・・。公明ちょぼちょぼ。

権力と、国家権力と、厳然と毅然と対峙する組織があって、初めて国家は正常に機能するのだ。
労組や野党が出来なくなったことはマスコミに託されたはずなのにそれも呑み込まれてしまった。

この国はそういう意味では「健全」ではないのだ。

メーデーは日本では「休日」とはされていないはずだ。でも、世の中の感覚は休日。大型連休が連日言われ、テレビは何のためらいもなく、何処へ行くとか何をするとか、人出はどうだとか。

休みだ、休みだ。みんな行楽を楽しもう。行楽地へ行こう。
受け容れる行楽地はどうなる。宿泊施設含め、その地の人達は、労働者は、パートさんは、皆、働かされる。なにせ稼ぎ時。
ゴールデンウイークに休みが無かった人は・・・。他の日に休ませればいい。なんだい、それじゃ不定期雇用じゃないのかい。

この議論、主観的ですが、交通事故で年間5千人の人が亡くなっている。原発事故では直接死した人はいない。
どっちのリスクが大きいかっていうあのバカげた議論とどっか似通ってもいる。

きょうも15万人の避難者がいる。暮らしている。でも、数字として連日メディアに登場するのは行楽地の人出。

なんだべな、この国の国民的行事に乗り遅れまいとするこのありさまは・・・。

そうなんだよな。メーデーっていったい今はなんだべなと。