2015年5月10日日曜日

「生まれた場所で死にたい」とその人は言った


去年5月のある日、福島から鳥取県に避難していた老人が、顔見知りになった人にこうつぶやいたという。

「生まれたところで死にて~んだよ」と。

生まれた場所で死にたい。重い言葉だ。さまざま考えさせられる。

人は生まれてそして死ぬ。これ以外の「絶対」は無い。

しかし、どれだけの人が生まれたところで死んでいけるのだろうか。死んだのだろうか。

自分に置き換えてみる。
生まれたところでは死ねない。

生まれたところは大阪の上野芝というところだと言う。親に結婚を反対され、いわば駆け落ちしていた父と母の間に生まれた。
子どもが生まれたということで、“勘当”が解け、姫路の実家に帰ったらしい。

長らく本籍地だった姫路の家は戦争で焼かれた。ほどなく上京した。上京後しばらくして初台に住んだ。家は買ったが土地は借地だった。
地主とのいろいろがあり、郡山に住み着くことにした。

たぶん、特別の事が無ければ、ここ郡山で死ぬのだろう。墓は東京の八王子にあるが。

だから、生まれたところは知らない。名称は聞いているがどんなところかもわからない。もちろんなんらかの“痕跡”とて無い。

生まれたところに愛着は無いということだ。

今、福島で、生まれたところを追われて、先祖からそこに住んでいた場所を離れて、異郷にいる人は少なくない。
理性では、それが叶わないということを理解出来ていたとしても、本能が言わせるのだろう。生まれたところで死にたいと。

勝手に想像してみる。それは「土」に由来するのではないかと。

避難している人の多くは農業を営んで来たひとだ。子どもの頃から土に触れて来た人だ。
土は新たな生命をはぐくむ。そして、季節と共に、その地で命を終える。その自然の摂理が身についている人は、「土に還る」ということの意味を自然に受けいれて来た人だ。

自分が還った土が新たな命を生むと言うことを長年、見て聞いて、知っている人たちなのだ。

僕は生まれたところでは死ねない。それが「特別に悲しいこと」だとも思っていない。
だけど、そうではない人もいるということ。

今、世界では、各地で戦争や紛争が起き、5,000万人という難民がいると言う。
難民はどうにかして生き延びたいと思っている。生きることに全力を注いでいる。
横道のようだが、日本という国の難民受け入れ態勢は、およそ「先進国」ではない。たぶん、受け入れたのは60人くらいだとも聞く。

排外的思想が支配している。

ある作家が言っていた。
「物語というのは土地に根差したものだ。個別の土地と人間を描いて掘り下げていくと、普遍的なものにつながる」と。

それは物語や小説に限った話ではない。人それぞれの話なのだ。

パール・バックの小説「大地」。貧農から富豪に上り詰めた人の話し。その主人公は老いて死に行く前に息子たちにこういったという。

「私たちは土から生まれて、嫌でもまた土へ帰るんだ。お前たちも土地さえ持っていれば生きていける。誰も土地は奪えないのだかから」。

その土地が奪われてれてしまう時代になった。

その土地を奪われまいとして戦う「あさこはうす」のことに想いが行く。

そして考える。「生まれたところで死にたい」と言った普通の老人の言葉を。

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