12万人と言われる福島原発事故による避難者。いまだにその人たちのほとんどは仮設住宅暮らしだ。
仮設に小さな鯉幟があがっていた。五月のシンボル、鯉幟。
言い続けている憲法と福島。
憲法25条にある生存権。それは彼らにとって奪われたままだということ。
健康で文化的な最低限度の生活。それが「何ほどのもの」か、もちろん規定は無い。
最高法規である憲法を為政者がどう読むかにかかっている。
福島だけでは無い。
被災3県、「健康で文化的な最低限度の生活」からほど遠い状況にある。
憲法に理念からかけ離れたところに置かれている。
そして、それが日常化してきているということ。
そのことに学者も含め「異」を感じないということ。
憲法が保障している国民の権利。それがないがしろにされている。
まさに国は違憲だ。
これっておかしな“理屈”だろうか。
福島という地は、なんらかの形や意味で、憲法にゆかりが深い土地だ。
かってあった自由民権運動。発祥は板垣退助だが、その運動はこの東北、福島の地にも大きな影響を与えた。運動は議会の開設や憲法制定を、民主的憲法の制定を求めた。
福島からは、数多くの“民権運動家”を生んだ。いわば東北の民権運動の発祥の地ともいえる。
運動家たちは、たびたび投獄にもあった。治安維持法で検挙されて。喜多方事件などはその象徴なのかもしれない。
その運動家の一人に、苅宿仲衛という人がいた。浪江の出身だ。小学校の教員を経て、自由党の県議として、自由と人権のために闘ってきた人だ。
3・11で、浪江にあった彼の墓石は倒壊した。未だ帰還出来ない浪江。
彼の墓は今、どうなっているのか。
墓石の倒壊が、改憲への動きを深めるこの国の在り様を物語っているようにすら思えてならない。
そして在野の憲法学者だった鈴木安蔵。鈴木安蔵は今の南相馬市小高区の出身だ。
多くの憲法学者と交流を深め、新しい憲法草案の想を練りに練った人だ。
彼の憲法草案の“理念”は、現行憲法に随所に生かされているはず。
単純に「押しつけ」とレッテル貼りをして正論とする改憲論はどう受け止めているのだろうか。そんな人がいた。そんなことを考えていた人たちがいたという歴史の事実を。
アメリカ案にあった憲法草案。その中には25条は無かった。それを入れさせたのは広島の社会学者、森戸辰男。森戸と安蔵は肝胆相照らす仲だったという。
苅宿の名前も、安蔵の名前も改憲論争の舞台には登場してこない。
皮肉交じりに言おう。「福島はわすれられた存在」なのだからと。
そして、この二人の名前すら福島県人の多くも知らない。
三春の運動家には河野広中という人がいた。その銅像は県庁の前に建っている。
広中は福島民友新聞社を作った人だ。そのことは社史にどう記されているのだろうか・・・。
憲法と福島。その歴史の一コマをちょっと考えてみる五月の昼。
「初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うる この子どもらに戦(いくさ)あらすな」。
美智子皇后の歌だ。あすは端午の節句、子どもの日・・・。
2015年5月4日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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