2015年5月31日日曜日

「抑止」あるいは「抑止力」ということ

昨夜のマグニチュード8の地震、震度5強の地震。広範囲な揺れ。誰しもが驚いたはず。その前日には鹿児島の南端の島での新岳の噴火。
誰しもが地中で変動が起きていると感じているはず。
明らかに“異変”が起きているとういうことを“認知”しているはず。

火山学者も地震学者も予測出来ない自然の働き。火山列島でそれらの動きがあることは“当然”のことであるかもしれないのに、いや、今までが異常なほどに散発的に異変が起きてはいたが、それが“例外”な何年間、何十年間、何百年間のことであって、“当然”が起きたと言えなくもない。

でも、「きっと、我々がいきているうちは、このさきしばらくは“3・11”のようなことは無いだろう」と、自分に思い込ませている。自分の心や頭の動揺に「抑止力」を働かせている。

噴火も自身も、そのこと自体を「抑止」することは不可能だと知っているから。
「抑止」出来ないものは「抑止」出来ないのだ。

安保法制を巡って、日米同盟の強化は我が国にとっての抑止力という観念、視点、価値観によっての議論が交わされている。いや、交わされているというよりある意味不毛な言葉のやりとり。激しい口調での応酬。

「抑止力」という言葉に戸惑いがある。

かつて言われた抑止力。それは「核の抑止力」だった。「核の抑止力としての日米安保」であり、日米のイコールパートナーシップだった。

冷戦時代、米ソは核兵器開発に奔走していた。もしかしたら核兵器が使われていたかもしれないキューバ危機を除外しておことしても。

だから、唯一の被爆国である日本は「非核三原則」を国是に掲げた。
核兵器を搭載しているかもしれないアメリカの艦船、空母の寄港に耳目が集まった。

核があまりにも強大、強力な兵器であるからこそ「核抑止」という“論理”が成り立っていたのだ。

やがて東西冷戦の終結。核の抑止力という視点は消えた。
今、交わされている安全保障論議の中にもそれは登場しない。それを見据えている人たちがいようともだ。

核をもって核を制す。武力をもって武力を制す。戦争をもって戦争を制す。
愚かな「発想」だと思うのだけれど。

平和のための核という思考がまかり通り、多くがそれに“洗脳”されて出来たこの国の“みせかけの繁栄”。とどのつまり、それはあの爆発とともに消え去った。消えたはずだが・・・。

原子力発電における核。それに抑止力の思考はあてはまるのか。核発電所を「抑止」出来るのか。

人知がそれを為せると思っている傲慢な人間。あの管理された核であっても、いったん事あらば「暴走」を止めることは出来ないのだ。

通常兵器による戦争だって、いったん始まれば、それを終わらせるためには限りない犠牲者を出さねばならない。戦争は人間が起こす行為だ。しかもそれに勝手な大義名分を付けて。

その戦争を抑止できるには人間だ。抑止とは、それが始まる前に止めることを言うはず。

だから、飛躍した論理ととられようとも、戦争を志向する安倍の“暴走”を抑止するには、日本人でなければならないはずなのに。
安倍にマインドコントロールされたように、それを支持する人も多い。その人たちの思想、思考を抑止することは出来るのか。

「抑止」と言う言葉から、天変地異という現象から、それを敷衍した先が見えるとも思えるのだが。

昨夜、電車は止まった。繁栄の象徴のような高層ビルには多くの人が取り残された。あの規模の揺れであってもだ。
頭の中での「抑止神経細胞」をもうちょっと活発化させてはいかがかと。

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