そう、それは法的に言えば傷害事件であり、傷害致死が適用されている”事件“ではある。
でも、その事件の加害者を、僕は一概に“犯罪者”とは呼べない。福島県の相馬市であった出来事だ。
相馬市に原発事故で避難している72歳の男性が66歳の妻を酒に酔って殴り、死亡させたというものだ。
その夫は南相馬の小高区で酪農を営んでいた。畜産農家だった。
原発事故で避難を強いられ、相馬市の避難者用借り上げアパートに妻と住んでいた。
妻は交通事故で足が不自由だったという。
一昨年あたりから、その夫は避難のストレスで心身に不調を来たし、近隣トラブルを起こしていた。
ふさぎこんで家にこもりがちになり、昼間から酒を飲んで出歩くようになったという。
市内の居酒屋では他の客から「避難者は賠償金がいっぱいもらえていい」などと言われて殴り合いとなり、ビール瓶で額と手の甲にけがを負ったという。
その話を本人から聞いた同郷の40代女性は「ふだんはおとなしい人。狭いアパートで農業もできなくなった。その鬱屈(うっくつ)が、交通事故で足が不自由になった悦子さんに向かったのでは」と推測する。
新聞の報じるところではこういった“事件”だ。
その記事は相馬市の診療所で原発事故避難者らの心のケアに携わってきた精神科医コメントも載せている。
「DVやアルコール問題は故郷を奪われ、長期間避難生活を強いられている人たちが抱える典型的なストレス反応だ。避難先での新たな人間関係の確立こそが急務だ」と。
致死に至らないまでも、避難者の「ストレス」のよる自死からはじまって、この種の痛ましい事件は後を絶たない。
昨夜の塾で、こんな話を投げかけてみた。「交通事故では年間に5,000人もの死者を出している。原発事故では死者は出ていない」。政治家や一部識者と言われる人の中にいまもってある議論。
「交通事故の、車社会のリスク」と「原発事故のリスク」の”数“による比較。
「車の方がリスクは多いのに誰も車を廃止しろとは言わないではないか」という“視点”。
それに対しての作家の村上春樹がしていた反論。
「もし、あなたやあなたの家族が、突然の政府の通達で、明日から家を出て行って下さい」といわれたらどう思うのか。
家族はばらばらになり、心労によって自殺する人、命を縮じめる人、仮設で孤独死する人、直接死はいないとしてもいわゆる関連死はどうなるのか。
事の本質は数の話しではなく、「国家の基幹と人間の尊厳に関わる包括的問題なのだ」と。
原発とカネ。原発の恩恵に浴してきた人もいる。月10万円の賠償金を貰っている人もいる。たしかにそれで「遊んで」いる人もいないわけではない。
しかし、カネが絡んでくると、人は、感情や人間関係を危うくする。時としては人格否定に及ぶような問題なのだということ。
前記の中にある居酒屋での諍い。「避難者は賠償金をいぱいもらえていいな」という“尺度・価値観”。そこが一番大きな問題なのだ。
いわき市でも郡山市でも、この議論が未だに続いている。時としてはそれが大声で。避難者を非難する声として。
しかも、賠償金を貰っているのに遊んでいて・・・という“正義”の問題としてもだ。
その辺を村上春樹はこう言っている。
「被災者や避難者の、人生の“質”や、国土が世代を越えて汚染されたという“時”の議論を、あたかも隠ぺいしているようにさえ見える。問題を矮小化しているようにも見えるのだ」と。
居酒屋でこの夫をなじった人を一概に責めるつもりも無い。しかし、何があってもこの国は「カネ」「カネ」「カネ」の世の中になっているということ。
目先にある現実だけを見てすべてを論じようとしていること。
カネを介在させての人同士の軋轢が生まれているということ。
「今が良ければ」という価値観に捉われているということ。そこから抜け出せなくなっているということ。
この“事件”を続報無き一過性のものとして扱って欲しくない。この事件から見えてくるものは余りにも大きいのだと思う。
だから言う。「福島ではまだ何も終わっていない」と。
2015年5月13日水曜日
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