2015年5月21日木曜日

「つまびらかにしていません」という言

聞き間違いで無ければ、きのうの党首討論で、ポツダム宣言について問われた時、安倍の答えは「つまびらかにしていません」だった。だからこれ以上は喋れないという。

「つまびからにする」、詳らかということだ。つまり字面からすれば事の詳細はよく知らない。わからないということだ。

上手い「逃げ」を打った言葉だ。後から、またこの問題は追及されるだろうが、こういう言い訳が“用意”されている。
「ポツダム宣言について知らないとは言っていません。その宣言の一文一句、詳細は読んでいませんという意味だ」と開き直れるからだ。

少なくとも「ポツダム宣言」という言葉自体を、その宣言の存在自体を知らなかったとすれば、それは即刻辞職に値する。

しかし、共産党の志位委員長はうまいところをついたものだ。安倍の“弱点”を熟知ひているかのように、その認識の無さを知った上で、討論のテーマにしたのだろう。

党首討論は国会の質問とは違う。事前に質問要旨が出されるものではないはず。だから御側の方々も殿に入知恵することが出来なかったのではないかと。

事実、以前にも安倍はポツダム宣言について語っている。しかし、それは歴史の事実として、時系列にみて完全に間違っていた。

ポツダム宣言が出される。日本にも通達される。時の鈴木貫太郎内閣はそれを黙殺する。降伏に応じない日本に対して原爆が投下される。
ヤルタ宣言、ヤルタ協定含めて、ポツダム宣言の扱いは最高戦争指導者会議の議題ではあったはずだ。

それを伝える「公電」がどこまで届いていたか、どこが無視、黙殺したかも含め、それは日本の命運を決めた出来事だったのだ。

今度、安倍に「ヤルタ協定」のことについて誰か国会で質してみればいい。スターリンがそれに密かに参加していたことも含めて。

ポツダム宣言、それは学校でも教わることのはずだ。教科書にのっているはずだ。
しかし、戦後70年、その時の経過は、その日本に降伏を迫った宣言があったことすら知らない人を作り出してしまった。

この論法が正しいかどうかはわからないが、1945年8月15日に出されて天皇の詔書は終戦の詔書だ。敗戦国となったのは、そのポツダム宣言受諾を決定し、サンフランシスコ講和条約に調印した時が、敗戦国として国際社会に認められた時なのだ。

だから学者の中には戦後70年ではないという、戦後63年だという人もいるくらいだから。

戦後70年談話を出すと息巻いている人が、この歴史の経過、認識をつまびらかにしていないというのは、それこそ無知蒙昧、不見識、不合理そのものなのだ。

安倍が「つまびらかにしていない」と言った時、この“某重大発言”があった時、閣僚席は5月の穏やかな陽気の中で、戦中、戦後に、講和条約に関わった吉田茂のお孫さん含め、ほとんどが“居眠り”をしていた。安倍の「失言」に眉をひそめ、眼をつぶっていたのではない。まどろんでいたのだ。

安倍の発言も然り。その閣僚の姿も然り。これが今の日本の姿であり、改憲、安保法制をめぐる「ぐるぐるまわり」の「二枚舌」がまかり通っている当事者の光景なのだ。

憲法を知らずして憲法を語る勿れ。と書いた。さらに書き進めよう。「1941年から1945年、すくなくともポツダム宣言をつまびらかにしないで歴史認識を語る勿れ」と。

国際舞台に於いて安倍が「フクシマはどうなっているのですか」と問われるとする。それにも「つまびらかにしていません」ときっと答えるのだろう。

もっとも、僕は安倍晋三なる政治家について、その本性をまったく「つまびらか」にしてはいないが。そして安倍のこの発言についてマスコミの多くが「つまびらか」に伝えていたとも思えないが・・・。

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