2015年5月29日金曜日

「バターはどこへ溶けた?」

Where has my butter gone?

バターはどこへ溶けた?。そんな題名の本があった。チーズはどこへ消えた?の後に。
著者の名前はあるが、カタカナで、外国人を思わせているが、本の中ではいきなり「老子」の名言を登場させたり、坊主と名乗っていたり、どうも日本人ライターのようだった。

このところ日常生活の話題に登場しているのが「バター」の欠品。それこそバターが消えたということ。

需要と供給のアンバランスというか、確実に酪農家、乳牛農家は減っている。国内の牛から生産される牛乳の量、それで作られるバターが減っているということ。

酪農家は採算に合わない。輸入に頼る飼料代がバカにならない。かたやバターの消費量は増える一方。“ケーキの時期”ともなればなおさらということらしい。

福島にも酪農家は多かった。その酪農家は原発事故で激減した。乳牛はどこへいったのか・・ってこともある。
全体の需要からすれば、それがバター不足の主たる原因ではないが、一端はそこにもあるはず。

餌代の高騰。それは円安。そう円安とは「庶民」の生活を直撃している。バターだけではないそれを塗るパンもだ。原材料の小麦が円安で高騰しているからだ。

市場の実態を知った政府は外国からバターの緊急輸入をするという。その中に影を落とすかにような関税、TPP。

バターの話しが本旨ではない。その本のタイトルにある「溶ける」という言葉にひっかかっただけだ。

鹿児島県の口永良部島で大噴火が起きた。全島避難。火砕流、溶岩流が海まで到達していると言う。

いつ噴火してもおかしくない新岳という山。このところ多発している火山の不気味な兆候。箱根からはじまって・・・。御嶽山が引き金だったかどうかはともかく、火山列島であることを事実が示した。

それが桜島でも起こり得る可能性は大だと思う。しかし、川内原発の再稼働に向けての動きは急だ。
火傷を負った島民もいるが137人の全島民は全員屋久島に避難したという。
再噴火の可能性は大だと言われる。

もしかしたら、人の帰れない島が生まれるかもしれないのだ。そしてまたも大量の「避難民」という人が生まれる・・・。

福島第一原子力発電所。2号機から溶け出した核燃料。その核燃料が何処に溶けていったのか。わからない現状。そう「デブリはどこへ溶けたのか」と。

まさか、その核燃料を「バター」と呼んだひとはいないけれど、いや、もしかしたらそんな“暗号”があるのかもしれないというばかばかしい妄想。

その本は21世紀初頭に書かれたものだ。二匹のネコと二匹のキツネが主人公の、まさに現代の「寓話」だ。
ネコにとってのバター、キツネにとってのバター。それをめぐる「ごたごたした話し」。

わずか80数頁の巻末にこんなことが書かれている。
「バターがあることもあればないこともある。バターがないことを気にして、いつも神経を尖らしていてはほんとうの喜びは味わえない。
バターはやがて無くなるから美味しいのである。バターを求めて走っていては、気づかないこともある。
バターなんか無くても、自分にとって大切なものさえあればそれでいい。
欲望にはきりがない。バターはいくらでも欲しくなる。バターなんかなくても、よく晴れた朝、なんとなく感じる幸せをよろこべ」と。

示唆に富んだ寓話だ。いや、寓話とはそういうものであり、それは空想では無くて時には現実になる。

何かを手に入れるために大切な何かを失っていませんか。そんな問いかけの本。

3・11後に問い掛けられていることの本質。

鹿児島県南端の島の噴火は寓話では無い。明日、身の回りの、身近な山で起きるかもしれない。マグマの活動は人知の及ぶべきことでは無い。

「バター」という言葉を聞くと「進駐軍」と結びつくと言うある意味での“キズ”を思い起こされることでもあるのであり。


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