2015年5月3日日曜日

あなたは「憲法」を知っていますか

今日は「憲法記念日」だ。行楽の週間に挟まれての、この国にとっての大事な記念日だ。
せめて1年に1日だけでも、憲法について考える日があってもいいと思う。

たとえば・・・。
小学校の公民の授業で憲法を教わってきた子どもが父親に聞いた。
「憲法って、国の基本を定めたものでしょ。それをなぜ変えようとするの」
「その内容が、今の時代にそぐわなくなってきているからじゃないか」
「それって戦争のこと?」
「それもある」
「憲法って”平和憲法“なんでしょ。平和じゃいけないの?」
「平和が一番だ」
「じゃ、なんで、戦争という言葉が出てくるの?戦争をしがっているわけ?」
「したがっているわけじゃないだろうけど」
「自衛隊さんて、国を守るのがお仕事でしょ。それがなんで戦争に行くの?」
「アメリカとの間に安全保障条約ってのがあってね、アメリカと同盟関係にある日本はアメリカに要請されれば、外国にもいかなければならないのだよ」
「じゃ、戦争になったら自衛隊さんだけが戦争に行くの?」
「最初はそうだろうけど・・・」
「お父さんも国を守るために戦争にいくことがあるの?僕も行くの?」
「・・・・・」
「戦争って国と国との喧嘩でしょ。喧嘩をしてはいけないと先生は言っていたよ。なのに、なんで大人は喧嘩をするの、戦争をするの?」
「・・・・」

こんな家庭での親子の会話があってもいいと思う。子供の素朴な質問に親がどう答えるかということだ。
こどもの質問に答えられるように親は憲法について知っていなければならない。

去年、AKB48の内山奈月という19歳の子が「憲法主義」という本を学者に聞きながら書いていた。彼女は暗記好きの子だったという。方丈記を暗記して、それを覚えた。そして古典に対する彼女の興味は広がっていった。
たまたま学校で、公民の授業で彼女は憲法を教わった。なぜか興味が湧いて、憲法を前文からはじまって103条まで暗記した。

そして、それを知ることによって、彼女は憲法についていろいろ考えるようになった。

改憲論議の焦点は憲法9条だ。戦争放棄を規定した条項だ。
改憲を言う人は占領軍からの押し付け憲法だから、自分たちの手で、自主憲法を作ろうと言う。9条を無くすとも言う。

なぜ、アメリカは9条で戦争放棄をさせたのか。日本軍が怖かったためだ。再び日本に戦争を起こさせれば怖いと言う危惧があったからだ。代わりに安保条約で日本を守ると言った。
いま、アメリカはそれを押し付けたにも関わらず、それを無かったことのように、同盟と言う名のもとに、アメリカが行う戦争に日本を巻き込もうとしている。そんな見方だって出来る。

憲法全部が連合国による押し付けではない。原案になかったものを日本の憲法学者が盛り込んだものもある。第25条に規定された「生存権」だ。

最近、立憲主義という言葉が頻繁に使用される。

「日本国憲法は立憲主義にもとづいている」と。
立憲主義とは、権力を持たない人びとが、権力者に「憲法を守れ」と命令することだ。
「権力者が勝手なことができないように、国民が憲法で国を縛る、権力に制約をかけるということだ。

その精神が揺らいでいる。

もう一つ。憲法で保障された「自由」。この自由は国民がかちとったものではない。いわば「与えられた自由」だ。
だから、その自由を国家が剥奪することを暴挙とは思わないらしい。


憲法の英訳はthe constitution だ。
Constitutionは構成、組織という意味であり、さらには体質・体格という意味を持つ。
改憲論議。それは、脈々としてある“国の体質”なのかもしれない。

安倍訪米で露呈されたこと。それは「対米隷従」ということかもしれない。

そして、戦後を通じて身についてしまった、染みついてしまった日本人の体質、いいかえれば空気。
それは「受け身に楽観主義」。いってみれば、言われるがままに暮らしているほうが、安泰だという保身主義。

9条だけではない。前文含め、国の最高法規である憲法を、もっと知ることをしなければと思う。

めぼしを付けたように、若い女の子に向かって、そう内山奈月と同じような年頃の女の子に向かってテレビはマイクを向ける。
「あなたは憲法を知っていますか」と。「え~~、知らない、それって何~」との答え。そのテレビが狙っていたような答え。それが国民の一部だと言わんばかりの“演出”。

マイクを持った人に言い返せよ。
「あなたは憲法の前文だけでも言えますか」と。そんな光景があったらいいなとも。

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