郡山のNPO法人郡山農学校や郡山農業青年会議所。野菜やコメ作りに日夜専念してきました。
きょうはひさしぶりの「あぐり市」。郡山の町のど真ん中での野菜の直売。寒い風が吹くすさぶ中、生者者達が手塩にかけて育てた野菜が数多く並べられました。
なにせこのご時世。野菜の販売は難しい問題。生産者達はそれぞれ独自に線量計を自腹で購入。測りに測ってnot detected。ND。未検出を確認の上での出品。
いろんな種類の野菜達が並べられ。野菜達は皆元気そう。みずみずしさをより増したような。
ここの野菜。とにかく美味です。そして安い。農家の心がこもっている。地元のおなじみさんが立ち寄り、中には旅行者の方も味見をし。
震災以来初めての市です。
亭主は相変わらず痛みを持ったからだなのですが、顔出し。農家の人や野菜クン達に声をかけて。
とにかく、市のやっている通りは寒いのです。昨夜からの突風の名残もあり。「完全武装」の生産者。誰が誰やら顔が判別出来ないくらい。でも、皆にこやか。風をものともせずの根性。販売出来てよかった。
買われる野菜たちもどことなく嬉しそうに見え。
ビルの陰に入っての一服。苦労話を聞いて。みんな放射能の事に関してはずいぶん勉強したとか。とにかく詳しいです。検査体制もちゃんとしているようです。
この人達を放射能はどれだけ苦しめたのか。でも、苦労話はしても彼らは誰も「愚痴」を言わなかった。代々、土と暮らしてきた人達のたくましさ。
時折差し込む冬の日差しが、せめてもの彼らに対する「差し入れ」か。
今夜の我が家。野菜ふんだんの鍋となる模様。ふるまわれたコシヒカリの炊きたてご飯もおいしかった。
2011年12月4日日曜日
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2 件のコメント:
亭主さま
素人ながら家庭菜園を続けて10年。やっと自分が育てた野菜に愛情が湧くようになりました。今日も水菜、里芋、長葱、春菊、ホウレン草、大根を収穫。みんなボクの可愛い野菜クンでした。形姿は悪いけど掛けた愛情(=苦労)はそのまま返ってくるのです。「おいしい、おいしい」と喜んで食べてあげるとまた来春ちゃんと育ってくれるのです。
「愛」は強し。これって真実です。真実は何にも勝る。
匿名さま
ありがとうございます。貴宅の野菜ちゃんたちに替って御礼。
おすそ分けでも待とうかな。
やはり「愛」なんですね。
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