久しぶりに会った彼が言った。「そうそう忘れないうちに渡しておきます。CDです。廃盤と言われていたものなのですが。手に入りました」。
そう言って渡してくれたCD。ハイドンの「戦時のミサ」。レナード・バーンシュタイン指揮、ニューヨークフィル演奏によるもの。
この曲には一つの逸話、伝説がある。1973年、ベトナム戦争の最中。アメリカ大統領にニクソンが就任した。就任記念コンサートがケネディーセンターで催された。オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団。曲目はチャイコフスキーの大序曲「1812年」。
同じ日の同じ時間にバーンシュタインはワシントン大聖堂でこのハイドンの戦時のミサを振った。
雨の日だったという。大聖堂に入りきれなかった聴衆は1万2千人いたという。教会の外で雨の中で、この演奏を聴いたという。少なくとも聴衆の数からいえば、バーンシュタインがニクソンを上回った。
そして後年、手塚治虫は「雨のコンダクター」という作品に仕上げたという。
CDをくれた彼の電話の誘いは「御無沙汰しています。ちょっとお話したいことがあります」というようなものだった。会ってみると取り立てて特別な話は無かった。きっと亭主の聞き違い。「ちょっとお渡ししたいものが」ということだったのではなかったかと。
彼は当店、からから亭の常連だという。「震災後、毎日書いていますよね。凄いです。たまに更新時間が遅いと、具合い悪いんじゃないかと心配して・・・」とも言ってくれた。
そして気付きました。ブログを読んでいて、毎日怒ったり悲しんだり、嘆いている亭主の心持をおもんぱかって、労わりのプレゼントがこのCDだったということに。
あらためてゆっくり演奏を合唱を独唱をソロを聴きました。キリエからはじまる46分余り。そして案の定泣きました。肩を震わせ嗚咽しました。
クラシック音楽を聴いて泣いたのは、昔、小沢征爾が指揮した、ベルディーのレクイエムを聴いて以来2度目。
そう。我々は今「戦時」にいるのです。軍隊こそ攻め込んでこないけど。
まもなくクリスマス。街は光に彩られています。津波で街ごとなくなった南相馬市の原町地区の海岸にもイルミネーションがともされています。その海に向かって光を放つイルミネーション。そこには「ありがとう、みんながわらいあえるところにします」。そんな文字が浮かびあがっています。
親と息子が行方不明のままだというこの電飾を作った人は言います。「決して置き去りにはしないよ。元の町のような賑わいを取り戻すまで、ここを離れないで頑張るよ」。そんな想いを託したという。
今年のクリスマス。あらゆる教会でいつもの年とは違うミサが執り行われるだろう。戦時のミサの演奏はないにしても。
旧約聖書創世記。神は光あれと言われた。光は神の象徴。電飾が無い時代は神の光はすべてキャンドルだった。
聖書が書かれたヘブライ語には時間軸が無いという。過去形も現在系も未来形も無いという。だから・・・「天地創造」はもしかしたら今も続いているのかもしれない。
「戦時のミサ」を聴きながら頭をよぎったことども。
2011年12月14日水曜日
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