二本松市の米農家から、また国の暫定基準値をわずかに上回る放射能が検出された。一戸だが。
もしかしたら、まだ、検出米は増えるかもしれない。「福島県産」というひとくくりにされ、米は行方を失い、農家は途方に暮れる。福島県の“受難”は、もしかしたら、始まったばかりかもしれない・・・。
いったん安全宣言を出した福島県知事はきょう、「もっと細かく専門家の意見を聞けばよかった」などと述べ、「反省している」とボソボソ声で釈明していた。
反省だけなら猿でも出来る。そんな平時に流行った言葉を持ち出しても何の意味も無い事承知だが。
3・11。総理大臣が菅直人であったことの“不幸”と同じく、いたそれ以上に、県知事がたまたま佐藤雄平という男であった事は、やはり、県民にとって最大の不幸だった。
5年前、佐藤雄平を県知事に選んだ。長い間、渡部恒三の秘書として、カバン持ちとして仕えてきた身、県知事をどれだけ所望していたかはしらない。経過をふりかえれば「たまさか」という気がしてくる。前知事の「逮捕」という事件がなければ変わっていたかもしれない。
知事就任以来、雄平知事から県政の確たるビジョンを聞いたことがない。すでにして沈滞気味だった福島県をどうするかというビジョンを。
知事はじめ、県の役人は、原発事故後、何をしてきたのか。避難民のほとんどが、いや、全員が語る。「県からは避難そのたについて何の指示もなかった」と。
顔の見えない知事だった。知事の“罪”は大きい。
彼の任期はまだ3年もある。3年間、この知事のもとで、暮らしていかなければならないのか。県民の多くがそんな疑問をより強く抱くようになった。
反原発のスローガンを掲げ、東京でデモをする県民がいる。座り込みをしているグループもあると聞く。それはそれでいいのだが。
県知事リコールという声は聞かない。声が出ない。頭では思っていても行動におこせないのか、口にしないのか。
原発事故後、数カ月は知事も県庁も県民も東電を敵としてやってくれなよかった。外の敵に目が向きすぎて、身近にいた役立たずどもにあまり気が行かなかった。もっとも、3・12、13、14と行く先も見えぬまま夜道を流浪していた避難民たちは気づいていただろうが。
役立たずどもが権力を持ち続けて、試行錯誤の除染活動をやっていて、県外に脱出する県民が次々と出ている現実を目の当たりにして、農業県の農家が苦境に立たされているのに、ひとかけらの“光”も与えられない行政・・・。
昨夜たまたま、要職を歴任してきたベテラン県議と懇談の機会があった。彼の持論。「歴史を動かすのは、よそ者、バカ者、若者」。
自民党籍を持つ彼も、大阪の橋下を支持するという。
福島県を変える、県の歴史を大転換させるようなよそ者、バカ者、若者はいないのか。
亭主が見回したところその該当者は見つからない。でも、いるはずだ。橋下は副市長に中田前横浜市長を取り込むという。大阪にとってはよそ者。しかし若者。
県内にその意気ある者ありや。県議という地位に甘んじている奴らにはいない。
よそ者でもいい。火中の栗を拾う人はいないものか。
亭主はよそ者、バカ者。しかし、若者の範疇からは大きくはずれているし・・・。
2011年12月8日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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