2012年2月29日水曜日

「闇」と「光」と

「闇があるから、光があるんだ」。プロレタリア作家、小林多喜二が“恋人”の娼婦、田口タキに送った手紙の書き出し。

「そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分るんだ。不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある。そこを忘れないでくれ」。手紙は延々と続く。

震災後、小林多喜二の「蟹工船」という本が、世をにぎわしたという。若い人も買い求めたという。そこからくみ取ろうとするものがあったのだろう。

中学生の時に、この蟹工船は“卒業”していたが、闇と光の言葉の対比は今でもよく覚えている。もしかしたら、震災後、原発事故後のいつか、このブログで書いていたかもしれない。

なぜなら、原発とはまさに「光と闇」という言葉の表現にこれほど当てはまる言葉はないと思えたから。

戦後、闇という言葉が横行した。闇市、闇成金、そしてヤミ米など。ヤミ米か。ヤミ米に関わる我が家の悲しい記憶がある。そこには。思い出した。福島県が微妙にからんでいるのだ。これは、あらためて書く。

原子力発電。その電気は、原子の火と呼ばれ、新聞も論壇もこぞって、もてはやした。未来を明るく照らす火だとされた。

未だあるのだろうか。双葉町の繁華街にあった横断幕。看板の標語。
「原子力 明るい未来のエネルギー」。
そして、その光の裏では「闇」の世界が存在し、闇が光を支え、光が闇を繁栄させていた。

世界共通の大ベストセラーとされる聖書。その聖書にも登場する。闇と光。闇に覆われていた地球に、神は「光あれ」と言い、光が誕生した。

だから、キリスト教の世界では、光は神そのものだ。その光は、心の中にある、内在する闇を救う。例え、それが一本のロウソクであろうとも、光のあるところに人は集い、生きていることを確認する。自認する。
闇に沈んだ人達を小さな灯りで弔い、慰霊する。

文明という名のもとに作りだされた光。一瞬の爆発が、新たな闇を生んだ。いや、もともとあった闇を蘇らせた。その名は「人の心の闇」。

差別、憎悪、忌避、不信、デマ・・・。

他人を不幸な環境に置くことによって、自らの“幸せ感”を確認するという醜悪な感情。

そして、苦しむ人たちにために、いささかなりとも役立とうとする、その場に身を呈しても事を為そうとする、小さな光の心を蘇らせた人々の群れ。

明日から3月。間もなく、あれから1年。光と闇が交錯する海の上を我々は漂っているような・・・。

あの当時の官邸の「闇」。力、識見貧しき人々が群れなしていた官邸。統治機構。それが暴かれ始めている。闇を暴いて、それが光につながればいいのだが。「検証」にしか過ぎない。能力無きものが権力を持っていたという悲劇。闇から闇へ葬られることもあるやもしれず・・・。

2012年2月28日火曜日

”貧しき人々”の群れ

「貧しき人々の群れ」。それは宮本百合子が書いた小説の題名。舞台はここ郡山。郡山にあった祖父母の家で書いたという。安積開拓で入植したものの、極貧にあえぐ農民を書いたもの。大正5年に。

さかのぼること明治維新。斗南藩に移封された会津藩の人達に与えられた領地は全くの不毛の地だった。そこで開墾に励み、根菜を育て・・・。青森県の三沢から北の土地。そこにいたのも貧しき人々の群れだった。

今、その地にあるのは日本原燃の六ケ所村核燃料再処理センター。全面稼働してないが。

福島の原発立地地域。貧しい村や町だった。斗南藩地に劣らないような。常磐線に乗って上野で降りて。集団就職の子どもたち。その子どもたちは「金の卵」と呼ばれ、東京の“発展”に寄与した。昭和40年代。

♪上を向いて歩こう♪。テレビで流れていた坂本九の歌は、集団就職の子への応援歌。

当時の福島県知事、東京の大新聞の社主、政治家、役人・・・。極論すれば、貧しいがゆえに、この地に「原発」を持ってきた。誘致した。
言葉は悪いが。住民だった人達は「カネ」で懐柔された。現金、施設、家、雇用・・。
電源立地3法によって「税金」も“湯水”のごとく注入された。首都圏の住民から「捲き上げた」電気料金から、この地に「カネ」が運ばれた。そして、町や村は栄えた。
誘致に反対する人たちもいた。しかし、カネの力は絶大だった。なぜか。貧しかったから。
貧しき人々の群れがそこに存在していたから。

もし、仮に、当時、湘南地方に原発誘致と言っても誰も応じなかったはず。立地としては申し分ないが、そこに住む人たちは皆金持ちであり、裕福であり、“危険”なるものに身をゆだねることなど思いもしなかっただろうから。

人間は、ほとんどの意味において「カネ」には弱いのだ。負けるのだ。魅力なのだ。

原発事故。今はある程度豊かになっていた地を、人々は追われた。昔に戻りたいという。その昔とは。ちょっと前までの昔のはず。

そして、その人たちを「賠償金」という「カネ」がまた〝襲う“。

その地の人達は言う。昔を知る人は。「俺たちはシャブ漬けにされたようなもんだ」と。
そして、今。この国に蔓延しているかのような貧しさ。心の貧しさ。心貧しき人々の群れのなんと多い事か。

放射能を忌み嫌い(好きな人はいない。医療行為だけは認める)、福島県を疎外し、流言飛語をまき散らし・・・。

国が財政危機にあるにも関わらず、政争のみに明け暮れる人たちをはじめとして。

この心の貧しさの中からは文学は生まれない。文学者といえども、「反原発」と叫ぶのみ。

福島県の農家の一人は言う。「福島に残り、放射能とともに、さまざまな批判を全部受けて、生きて行こうと思っている・・・」。この言辞、自虐的と見るか、貧しさとみるか、心の豊かさと見るか・・・。

アメリカ生まれで日本に魅せられ、在住する作家。アレックス・カーが書いた本。「美しき日本の残像」。日本の、日本人の美しさは「残像」になり、やがて彼は書く。「日本の醜さ」という本を。そしてさらに書いた。「犬と鬼」。彼の言う「犬」とは、例えば電線をうめるということであり、「鬼」とは、コンクリートの大きなハコ物だと。もちろん失われた町の景観を言ったものだが。

やがて原発がすべて停まり無くなり、心貧しき人々の群れも。その思考を止めた時、誰かが書いてほしい。「醜き日本の残像」を。

2012年2月27日月曜日

「投書」への腹立たしさ。

新聞には読者の投稿欄というのがあり、毎日、読者の投書が掲載されています。世相を見るに格好のものと思っています。

今朝の朝日の投書の一つ。東京杉並区の66歳の男性の投書、投稿。

見出しは「がれきの他県への拡散に不満」。
その要旨は・・・

震災がれきの受け入れを被災県以外の自治体に細野環境相が強く要請したと報じられた。しかし、安易な要請は納得できない。政府は、自治体に要請する前にどれだけの努力をしたのか。
こんな書き出しで始まり、がれきは被災現場で最大限処理しろ。そのための最新の処理施設を現地に新設しろ。がれきの量の意味のない計算をしている。放射性物質管理の原則は圧縮して保管のはずだ。ブルーシートで覆えば、さしあたって空間線量は低くなるであろうが、私たちが心配しているにはそんことではない。何年、何十年の間に放射能が地下水を汚染したり、大気中に飛散しないかということだ。政府はこれらの不安に対してこそ、説得力のある対応をとるべきだ。

この論調理解出来ますか。被災地以外の自治体に処理を依頼しているのは「原発もの」でななにのです。津波に流された家屋や建物の瓦礫なのです。あのうず高く積まれたがれきなのです。そこには「害」を与える放射性物質は無いのです。福島の瓦礫ではないのです。宮城・岩手の瓦礫なのです。

彼の真意はわからないし、認識もわかりませんが、他自治体に運び込まれ処理された瓦礫が、どんな放射能被害を与えると言うのか。知識を疑います。そして、その考えや価値観を。政府のせいにして実は被災地に対してとんでもない「差別意識」を持っている。

福島県は瓦礫はおろか、土壌なども含め、除染で出たものを他県に・・・なんて思っていません。仮置き場を作り、それが自宅の庭であろうとも、他人になるべく迷惑をかけない。しかも、中間地蔵施設の建設をめぐり、避難町村の間で、多くの軋轢を生じさせながらも、受け入れを甘受しようとしているのです。

無知も甚だしい。いい年こいた男が。

投稿の最後の二行。「自らの無為無策を棚に上げての協力要請は腹立たしい」。

俺はあなたの意見が腹立たしい。

いわずもがな。瓦礫を処理しないと宮城や岩手の復興は成り立たないのです。あの瓦礫の山をあなたは見ましたか。あの瓦礫に含まれているそこにいた人たちの「思い」を感じましたか。あの匂いをかぎましたか。

たしかに、復旧・復興・原発処理に関して政府は無為無策かもしれません。ただ、そのことを盾にとって、政府を攻撃しているようなふりをして、被災地の人達をどれだけ傷つけるのか。
政府が無為無策なら、その政府を選んだ国民が、やれることをやりましょうよ。何が出来るかって。思いやりと他人を思いやるこころ。自分さえよければと思っていませんか。
「負の分配」。それが日本国民に課せられているのです。

投稿者の真意を誤解しているのかもしれませんが、僕にはこの文面から「好意」は全く読みとれない。そして、なんで、こんな投稿を掲載したのか。朝日の担当者の気持ちが理解できない。多くの投書がある中で、これを採択した理由が。

公平な意見の羅列ということなのでしょうか。市民の声として活字になって発せられた言葉や意見は、それなりの「権威」を持ってしまう。そして、瓦礫受け入れ反対運動家たちの動きに火をつける。

再び、投稿者の言葉を使わしてもらい、お返しする。「腹立たしい」と。

2012年2月26日日曜日

「文化」への悲しみ

親しい人が亡くなっても、可愛がっていたペットが亡くなっても、その人の身の回りには大きな「変化」があっても、世の中は、世界は何事もなく普通に回っている。いまさらの話ではありませんが。景色は何も変わらないのです。

東京マラソン、楽しそうなレースであり、イベント。川内クンは残念だったけど、“新”も生まれたし。テレビに映し出される東京の景色。やはり、変わったなと思う。東京への懐かしさと、変貌とのギャップが埋められない焦燥感のようなものあり。

去年、福島市郊外で行われた「東日本女子駅伝」。なんでやるのかという抗議が殺到していた。福島県からは「走る文化」も取り上げられてしまうのかと思った。

福島県からも多くのランナーが参加している。東京マラソン。都民や多くの市民を巻き込んだイベント。一つの「走るという文化」が出来あがったような。
そして走ることを思う。勝ち負けではない。ただひたすら走ると言うこと。ほとんどの人が苦しくても辛くても、走ることを止めようとしない。走るという文化に身を置いたからだろうか。
多分、参加した福島県人は、多くの「文化」を持ちかえってくるのであろうと期待する。

第五福竜丸事件を題材にし、核や戦争、貧困などをテーマに数多くの作品を描いてきた画家、ベン・シャーンの展覧会が、福島開催を“拒絶”されたという。アメリカの美術館所蔵作品。彼の作品は、今の福島に一番似合う、叶うものだと思うのだが。

理由はただ一点。「放射能」。アメリカが事故後言った「原発から50マイル(80キロ)圏退避、旅行自粛問題」の余波。シャーンはもう亡くなっている。彼が存命だったら、この“措置”をなんと言っただろう。

絵画はもとより「文化」である。その文化は、いったん作家の手を離れると、作家の意思を無関係なものとし、届くべきところに届かない「文化」になってしまう。作家が作品に込めたメッセージは、届くべきところに届かない。作家の精神は、その人の外部に置かれてしまったような。人が作った文化が、人間によって壊されていく。文明は文化の「外観」。
人間が欲と二人連れで作った「文明」が、人間生活を壊し、本家の「文化」をもないがしろにしていく・・・。

新聞の小さな記事。東京である「裁判」が静かに進行しているという。原発事故の責任、民衆法廷で追及という見出し。被告は菅直人や斑目、東電社長。その公判は5月に福島でも開催されるという。刑事責任を追及するという。

有罪判決が出されても、もちろんそれの執行は無い。制度として存在する裁判所の場に彼らを告訴し、その罪状を問うことはないのだろうか。ありえないのだろうか。現下の「司法文化」の中では。我が国の文化の中では・・。

昨夜、東京から、小学校の同級会のため郡山に「帰って来た」旧友と会った。もと外交官。政治にも知悉している。
「この国にはリーダーが存在しない。政治文化が余りにも貧困過ぎる」。多くの意見の一致をみた束の間の酒飲み。外交官として多くの見聞をしてきた彼が語る外国文化と日本文化の比較。学ぶところ大で・・・。
政治の責任を問う彼の舌鋒はいつにも増して鋭かったような気がして・・・。

2012年2月25日土曜日

肩書

日本人は何につけ「肩書」がお好きなようです。外国のことはよく存知ませんが。

名刺なるものがお好きです。名刺が幅をきかせます。名刺の肩書が。肩書によって、それは良きにつけ悪しきにつけ、「人間関係」を決めます。

東京のテレビ局時代。社名の入った名刺出せば、だいたい、誰にでも会えた。電話でも社名を言えば、つないで貰えた。

「瀬川賢一」という個人の名前は無関係。社名を肩書とうかどうかはともかく、社名は効用があった。

ある時、ある政治家が言った。懇意にしてた人。「瀬川くん今更だけど、キミの会社ってどこ・・・」。いいな、この人。社名で付き合っているんじゃない。個人として付き合っていてくれる。そんなこと思ったことがあります。

郡山に来てからも。社名とその脇にある「身分」。肩書。相手は以降、その職名で呼ぶ。局長、常務、専務と。その役職名で他の人に紹介する。

なんか嫌だったのです。俺には名前がある。

7年前から「無所属な時間」の日々になった。肩書、役職無し。「オフイス・セガワ」という看板は一応掲げている。仕事場に借りたアパートの玄関に。それは、一応個人事業者としての屋号が必要だという、その道の人のアドバイス受けたから。

もの書きしている時に、どうしても「取材」が必要になる時がある。名前だけ言っても誰も相手にしてくれない。「どちらのセガワさんですか?」。必ず聞き返される。無理なんです。肩書、所属無いのだから。元何とかという会社にいた・・・。それは使いたくない。断じて。元は元。今は今なのだから。

人間関係は大きく変わった。肩書で付き合ってくれていた人は多くが去った。でも友人、知人はいっぱいいる。名前で呼び合う知人が。

元なんとか大臣、元なんとか副大臣、元議員。そんな名刺を使っている人に出会う。つくづく思ってしまう・・・・。今は・・・と聞きたくなる。

とにかく日本人は肩書がお好き。

被災地。一時数多くの避難所が出来た。公的なものもあれば私的なものも。私的避難所には、そこに数十人から、数百人の避難民がいる。突然生まれたコミュニテー。そこでは自然発生的に「リーダー」が生まれる。どっかから指名されたリーダーではなく、避難民たちの中から自然発生的に生まれたリーダー。数日間で、その人の持つ〝能力“”力量“が認められたから。

しかし、彼は、もちろん名刺を作るわけでもないし、対外的に「リーダー」なんて言わない。愛称として「リーダー」と呼ばれても「はい」と答える。名前を呼ばれても「はい」と答える。避難所の中には現役の会社社長もいる。肩書を持った人たちもいる。でも、置かれている現状は皆「避難民」。若いリーダーに従って行動し、為すべきことを為している。

新聞紙面の下にある死亡欄、死亡記事。それを載せる基準。元なんとか。肩書を持たなかった人はほとんど載らない。あの世に肩書が必要ではあるまいに。

2012年2月24日金曜日

〝右往左往”としか言えない

きのう、青森県の雪の話をちょっと書いた。沖縄の子どもたちへの雪遊び用。
イベント中止の事。

その後、那覇市は一転、「開催」を後押しすることになったという沖縄タイムスの報道。かたや、中止を貫く施設もあるという。記事によれば、その主催者は「園児に福島から来ている子もいて、給食のことにも気をつかっている。その母子の気持ちをくめば」・・・とある。福島から避難した人が、本当に青森の雪を怖いと思っているのか。その「真実」を知りたい。

雪遊びをめぐって大人たちが、行政も関係者も右往左往している。

週刊誌が、またもや訳のわからないことを書いている。子どもの甲状線の話し。
こんなもん「無視」しておけばいいのに、医師もメディアも県民も右往左往しているとしか見えない。週刊誌、とにかく多くの人を傷つけ、不安症という病気にかかっている人に、症状を悪化させようと追い打ちをかける。
そんな事は週刊誌には関係ない。センセーショナル記事で、売れればいいだけなのだ。この記事めぐり、ネット上でもわいわいがやがや。右往左往する言葉の数々。無視するに越したことないのに。うまく術中にはまってしまっている。

個々の事案を上げないかでも、政界も右往左往。だれがどっちを向いていて、それをどうしようとしているのか、さっぱりワカラン。
国の中枢がこれだから・・・。他も押してしかるべきかと。

宮城、岩手の瓦礫。これだってその処理めぐり右往左往。県知事が受け入れ表明したかと思いきや、いきなり逃げ腰。
なんで毅然とした態度に出られないのだろう。県知事も市長も、国会議員も、常に“悪魔のささやき”に脅える、気にする。「こんなことしたら、次の選挙で落ちますよ」というささやきに。

断固とした信念で、理非曲直を説けば、人の「良心」には届くものと思うけれど。「馬鹿もの、愚か者」と受け入れ反対意見を一蹴した慎太郎に、やはり1票か。毅然とすれば愚か者は引き下がる。

広辞苑にあった右往左往の引用文。「煙にまかれて右往左往する」。

震災後、この国を覆った煙。いや「空気」。得体のしれない「空気」の左右され、うろたえている人たちも見ているのが辛い。

イザヤベンダサンでもいい、山本七平でもいい。今のこの国を覆っている「空気の研究」。それを平易な文体で説き明かしてもらい、警世の書として欲しいのだが。

右往左往。これを郡山弁でいうと、多分、「あっぱとっぱ」という方言になる。褒め言葉ではない。

「あいつ、このごろ、あっぱとっぱしていて、らっちゃくっちゃねえことばかり言っている」。褒め言葉ではありません。揶揄している表現です。

らっちゃくっちゃね。もうちょと違う意味合いも。「やってられない」というようなニュアンス。

2012年2月23日木曜日

要するに「何も変わっていない」ということ

今日の朝日新聞の記事。予想はしていたものの、やはりそうだったのか。
愕然とした思い。

被災地復旧、復興のための補正予算。第1次、第2次、執行率は半分だという。
半分の金が使われていない。復旧、復興を急ぐと言いながら。

第1次、2次合わせて6兆7千億円。そのうちインフラ整備に充てる予算に至っては未執行が8割だとか。

記事によれば、地方自治体の職員が足りずに、執行するための資料作成や、申請書類が出来ないという物理的問題があると指摘する。

全国から応援の職員は派遣されているが、目先の住民対応で忙殺されているのが実情だろう。インフラ整備などの専門性を要求される職員なんて数かぎられているはず。

予算さえつければいい。それが間違いだということに国はどれほど気付いているのかと。

さらに言う。行政と住民のニーズとの間にミスマッチングがあり、進展しないのだと。大きな幹線道路の復旧より目先の生活道路を直してくれと住民は言う。

霞が関と被災地との大いなる感覚のずれ。震災直後の支援物資の配分の時も露呈した「ニーズ」と「分配」の考えのずれ。

行政の意識は、震災前も震災以降も、何も変わっていないということなのだろうか。

限りなく「行政サービス」を求める国民、住民。一方で「人員削減」を求める国民。ニーズという言葉ではくくれないこの相反議論。

東京、渋谷で岩手・宮城の震災瓦礫展があるという。写真展。そこに映し出されている写真の、切り取った画像の現状。何も変わっていない。
処理が出来ないから。

未だに「富の分配」を是とし、「負の分配」をかたくなに拒否する一部の声の大きな人々の群れ。それに屈する行政。
意識は全く変わってない。

沖縄の子どもたちに雪遊びをして貰おう。楽しんでもらおう。そんなイベントが中止になった。那覇市の児童施設をめぐる話。いうまでもない。瓦礫と同じ、「放射能」をめぐるたわごと。

これを記事にした沖縄タイムス。沖縄に避難してきている福島の母親たちの声だと。本当にそうなのか。関係者だけへの取材じゃないのかと疑いたくなる。
記事はいわゆる“雑報記事”。なになにがあったという事だけの記事。それに対する論評は無し。こんなバカげた動きを批判し、諭す記事にしてほしかったが。

気温だけではない。こころの温度差。いかんともし難いのか。冗談まじりに亭主は嘆く。風評ならぬ雪評被害だと。

青森はおろか、福島の雪の中でも、子どもたちは喜々として遊んでいる。雪遊びを楽しんでいる。子どもの笑顔に大人は癒され、明日への活力を貰う。

「自分たちさえよければ」。いつの頃からか、この日本という国にも蔓延ってしまった精神構造。

災後の今も、変わっていないのだろうか。

2012年2月22日水曜日

「マスコミ」と人間模様

「マスコミはあてにならない。マスコミは嫌いだ。嘘ばかり書いている」。そういう人によく出会う。

むかし、なんでもかんでも“批判”してくるマスコミに対して自民党はけしからん、けしからんと連発していた。
テレビ番組の出演を依頼すると相好を崩して、出演してくれた。選挙区には「見てね」と連絡して。

とにかく政治家はテレビがお好きだった。今もお好きな方は沢山いらっしゃる。言われるままに時代劇の扮装までして。

ごくごく普通の方。新聞・テレビに必ず文句をつけている。それは主に全国紙や全国ネットの番組に対してだが。嫌いだとも言う。

なにかの話題でその方に取材を申し込むと即OK。あげく、見てね、見てねのご連絡。新聞に載ればそれをネット上にアップ。「紹介されています」と。

まして、商売の宣伝になろうものなら。日頃の言動どこへやら。

ざっぱくな言い方だけど、その“心理”をマスコミの側は見抜いている。そこに“驕り”も発生する。テレビで紹介してあげる、記事に書いてあげる・・・。

マスコミの取材姿勢。全部が全部、そうではないとしても。取材にあたって、すでにして、一つの狙い、目的を持っている。

「被災者の声」。それは、そこで出くわしたものではなく、自分たちの意図にあったものでないと採用しない。採用しても編集するし、カットするし。

記者の意図と違ったことを答えれば、取材を「意図に沿わない」と“放棄”するマスコミ人もいる。
「悲しい、辛い、政府が悪い、国が悪い、東電が悪い」。そう言わないとダメ・・・。

世論調査とはちょっと違うとしても世論操作を、知らず知らずのうちにやっている。

「取材いっさいお断り」。老舗の頑固おやじに時々いるタイプ。その親父は決して普段、マスコミの悪口は言わない。

マスコミ人は常に攻める。攻めに“強い”。逆に守りに“弱い”。取材する側がされる側に回った時。その弱さたるや・・・。

そして、その攻めとは。批判のための批判であり、狭い視野からのアプローチであり、自分たちの“世界”の押しつけであり。
結論ありきの質問。そこへの誘導。そして、自己満足。

メディアとどう付き合うか。どう見極めるか。

情報化社会と言われる中で、情報の渦に流されそうになる中で、古くて新しい課題に直面しているような。

2012年2月21日火曜日

村が壊れていく・・・

昔、政治記者をやっていた頃、「村」と言えば自民党の派閥の事だった。もちろん地図にも載っていない「ムラ」。その村も、今は、その名としては存在しない。
多くの「ムラオサ」はいなくなったし。今は「オコチャマのグループ」。

自民党の「村社会」が顕在だったころ、公言はされないが、密かに「村」が作られていた。「原子力村」。その村は今も存在しているのか。在るように思える。
その村の掟。「隠す、騙す」。そして“カネ”をばらまく・・・。

原子力村の一つの拠点が崩壊したというのに、まだその村は掟を守りながら生き延びている・・。この「村」も地図のどこにも存在しない。

原発事故後、地図にある、行政区画としてある二つの村に目が行く。心が行く。気になる。もちろん事故以前にも行ったことがある村だけど。

飯舘村と川内村。

計画的避難区域と“強制”避難させられた村。飯舘の村長は、ニューヨークでも「までいのこころ」を説いていた。文明からちょっと身を引いて、身の周りを考えよう。自然とともに生きる生活を再認識しようと。

震災、原発事故直後に出版された「までいの力」という本。その巻末に飯舘村憲章という五カ条が記されている。簡単な平易な文章で。
船中八策、それもよし。しかし、その前に、飯舘憲章だな。飯舘五策。

全村避難。避難している人たちの多くに帰村願望が強いという。どぶろく特区に指定された飯舘村に買いにいったこと、相馬に抜ける時に通った飯舘。
とにかく美しい村だった。放射線量はもちろん郡山より高い。

突然、思い出す。誰かが言っていた言葉を。
「美しい村など、はじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人たちがいて、村ははじめて美しくなった」。
飯舘村は原発、東電からいっさいカネを貰っていない。恩恵に浴してない。

飯舘村を壊したくない。

川内村。村長は帰村宣言を出した。帰村に向けて役場の再興がはじまっている。すでにして村には200人ほどの人が住んでいる。
帰村に向けてマスコミが避難している村民に問う。「除染がされないと帰らない」と答える。マスコミはそれを報道する。

除染。原発事故以来、川内村の放射線量は富岡町に隣接した地域以外は低い。避難してきた郡山市よりかなり低い。

さかのぼれば、30キロという同心円のなせること。帰村に向けての村民の動きは鈍い。なぜか。帰還しない大きな原因は、皮肉にも、避難者の生活を守るための原子力損害賠償の存在だという。 原発事故による避難者には、精神的損害に対する賠償として東京電力から1人当たり月10万円が支払われているが、避難先から村に戻れば受け取れなくなる。その他にも就労不能損害補償とかもある。だから、戻らない、働かない。

川内村に住む作家は指摘する。この村は「カネでずぶずぶになっている」と。

同心円で避難させた国が、その「非」の贖罪からか、東電への賠償を強く強いたとも思えるような。

「国と電力会社によって、この村は“破壊”されていく」。作家はそうも指摘する。

賠償金の“出元”はあえて問わない。賠償金を求める村民を非難する気もない。
誰もが、そうなる可能性を秘めているのだから。

あの避難所暮らしの数か月を見てきた者として、村民には、いくら賠償しても、しきれないくらい。その他の町村とて同様。

川内村。綺麗な村だった。何回も行った。何回も通った。「普通の村」の戻るのはもはや無理なのか。本当に壊れていってしまうのか。 
少なくとも農地は、毎年「うねらす」ことをしないと、その耕作能力を失っていくといわれている・・・。

2012年2月20日月曜日

「見える」から怖い

放射能は見えないから怖い。たしかにそうだ。匂いも無いし。見えない物への恐怖。心理。当然。

飯舘村の農家の人が言っていた。放射能に色がついていたら、もっと怖いかも。半ば冗談で。

測定した数値は見える。カウンターの液晶画面で。

「正しく測って、正しく怖がろう」。去年、ある講演会での学者の結論。
農家を経営する友人。270万円出して測定器を買った。その測定器は、限りなくゼロベクレルに近いところまで測れるという。彼もその学者の意見に賛同したから。

そこそこ広い農場経営。鶏をメインに扱っていた。独自に開発した餌を使っての鶏。鶏をやめた。今後は、野菜に、それも数百種類の野菜に手をつけるという。「正しく、あらゆるところを測りまくって」。そして、その野菜作りを「実験的」なものにしようとしている。測定器は、自分のところだけでなく、近所の農家の人達にも役立てようと考えている。土壌をさらに研究し、どうやったら改良出来、どんな野菜なら作れるか。

「放射性物質は、たしかに見えないからとても怖い。だけど怯えていただけではどうにもならない。“汚染”されてしまったのだからどうしようもない。だから、どうやったらそこから抜け出せるか」。それが、今の彼の立ち位置。

彼の農場は、農薬はいっさい使わない。これまでも、これからも。そして彼は言う。「土を信じている」と。

数多くの線量計が開発され、輸入され、線量は「可視化」されるようになった。見えるようになった。見えないのは、その“影響”。からだへの。今後の。

・・・が、しかし。見えない放射線への恐怖は、見えるものの恐怖へと変わっているような。

恐怖心は何も生まない。ただ、ただ怖れ怯んでいるだけでは、すべてが衰退に向かう。
いったん、人の心の中に植えつけられてしまった恐怖心。これを取り除くことは至難の業。

恐怖心ゆえに人は立ちすくむ。あらゆる妄想も生む。お化け屋敷も然り。悲鳴をあげ、逃げるか、座り込むか。
暗闇の突然暴漢のような男出現。その恐怖心故に人はどうするか。それと同じように。パニックという簡単に使われる言葉はあるけれど。

見えない放射能、見えなかった物への恐怖。それが見えるようになった。言葉として。いや、文字として。そして書かれた文字は、大方が恐怖をあおるものであり、誇大な表現であり、一種の“商業観念”を伴ったものであり。
時には虚偽であり、デマであり、それは主にネットで“拡散”され“量産”され。

文字として書かれた恐怖。見える形にされた恐怖。それによる“汚染”。

漠然とした表現になるけれど、「見える」から怖い。ずっと続いている人間模様。
この“汚染”にはたぶん半減期はないだろうし・・・。

2012年2月19日日曜日

「欲望」と言う名の船に乗って

昔あった映画の題名。「欲望という名の電車」。
古今東西、人は「欲望」とう名の電車に乗っているらしい。停留所を教えらられたのに、それがどこだかわからなくなって・・・。

昔、総理大臣官邸には(今は公邸として使われている建物だけど)通用門のような脇の入り口から入って階段を2階に上がったところに置いてあったのが「日本丸」と書かれた大型帆船の模型。誰が作り、いつの頃から置かれていたのかは知らなかったが。

周りを海に囲まれているせいか。日本人は、国を船に例えるのがお好き。政治家もマスコミも。だから官邸に置かれてあったのか。日本丸。でも、総理大臣室でも、正面でもなかったな。置いてあるところ。

国が船ならさしずめ船長は総理大臣ということになるのだろうが。政治家や官僚が乗組員で、国民は乗船客ということになるのか。
「日本丸」の模型を横目にしながら毒づいた事もある。「嫌だよ、こんな泥船に乗りたくないや」と。

今も語り継がれる名作。小松左京の「日本沈没」。そうよね、これだって、沈没と表現するからには日本を船に見立てているんだな。

そして日本丸という船の中にはあらゆる「欲望」が渦巻いていた。日本人は知らず知らずのうちに「欲望という名の船」に乗ってしまっていた。

そして、一か月ほど前のイタリア豪華客船の座礁事故のように、船内ではパーティー。レストランには「タイタニック号」の映画が流されていたとか。

船長は我先にと逃げ出していた・・・。

この国を船に例えることに、いつも違和感ありの亭主。税金という名の乗船代払って乗せて貰っているってことかい。この船は座礁寸前なのかい。


いやだよ、やはり乗りたくないよ、船長や乗務員に信頼置けないし。

船好きな日本人。今や「船中八策」という言葉が連日紙面に躍る。橋下維新の会の政権公約なのか。

明治維新の功労者、坂本竜馬が書いたというこの八カ条の“ご誓文”。長崎から上洛する時、乗っていあ船の中で起草したものとか。
その八策めぐって、永田町もああでもない、こうでもないの合唱。

マニフェストだのアジェンダだの。公約でいいのになんであえてカタカナ語、「異人」語使って格好つけるのかなと、数年間怒っていたら、今度は日本語。しかし、歴史の「偉人」から引用。

ならば亭主も歴史から引用。貞観政要の名言。「君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」。

そうだ、我々は乗客ではない。水なのだ。舟をひっくりかえせるのだ。

原子炉の冷却水が喪失したのが大事故の原因。そして今も、水温めぐって一喜一憂。頼むよ水。あそこをもうひっくりかえさないでね。

休日なるが故の妄語。きょうはメチャクチャ寒いです。暖まりません。零下・・。

2012年2月18日土曜日

情報に接するということ

きのうの夜のテレビのニュース。「首都圏に雪が・・・」ということで大騒ぎ。
あちこちに中継車。画面見ると降っているって状態じゃない。舞っているっていう程度。
レポート役のアナウンサー。ポストの上に着いた雪をかき集めて、ほら、こんなに積もっています・・・。
やれ、交通機関が心配だ、凍った路面には注意してください。要するに「早くおうちに帰りなさい」ってことか。

雪なんてもんじゃない。東京にだって昔は、かなり雪が降った。家の庭でカマクラ作ったことも。

北海道や北日本。今日も豪雪らしい。雪による死者も100人を超えている。豪雪、豪雪。積もりに積もった雪の光景。絵になる光景を切り取って伝えるテレビ。豪雪地帯とは言え、生活道路は除雪されているのに。

やっぱり思う。自分の過去の経験含めて。

全国ネットのテレビは、東京発のテレビは、やはり「東京のテレビ」なんだと。自分たちの身近なことにはちょっとしたことでも大騒ぎ。身の周りに起きたことは重大ニュースにするということ。

豪雪地帯にいる人、豪雪ではなくとも、ここ福島でも、なんでこんな雪で・・と不思議がる。どんな思いで東京発のニュースを見ていることだろう。
それも各局足並みそろえたみたいに。中継場所もほぼ同じ。
同じことをやっていると「安心」なんだよね。

仮にもう少し降って、今朝の交通機関がちょっとでも「マヒ」しようもんなら、またもや新聞含め、「雪に弱い都市機能」なんて言って、どっかを責めるんだろうね。過去にもよくあった事例。

話は飛ぶようだけど、今朝の新聞。消費税問題と小沢裁判の関連付けに懸命。記事を読みながら、それを読み解くのに必死。

円と株価。きのうの市場は半年前の水準に。それの解説や見通しに必死。楽観論を戒める。数か月前、いや、ちょっと前までの連日の報道。株価下がり、円高進み、もう、日本経済は終わりのような論調。あれって、これってなんなんだい。

記事をそこそこ丹念に読んで、ふと目をやる本の広告欄。「新聞やテレビは平気で“ウソ”を書く」。“著名”なフリージャーナリストさんの本の広告。中味はどうも原発事故に関連することらしいが。

なんでも「センセーショナル」が御好きと来たもんだ。雪の話にしても、本の題名にしても。しかし、報道を否定されている新聞が、それを書いた本の広告載せているってのは、さすが、言論の自由を標榜する国、民主主義のお国ってことの証左か。

切り取られた断面だけで全部を判断してはいかない。その断面の向こうにあるものを見ないと。

豪雪で来るしんでいる人はたくさんいる。雪おろしもままならない人も多数。雪かきボランティア参加の方途でも伝える方が、よっぽど役立つニュースだと思うのですが。

東京からの視点、目線。雪に限ったことじゃない。マスコミだけじゃない。

国会議員さん、予算員会の質問の冒頭で、必ず震災で被災されたみなさんお見まいとか、原発事故の収束を言う。だんだん、枕言葉のように聞こえてきた。

言うなら、自分の選挙区に帰って、いや選挙区を説得して、汚染されてもいない瓦礫処理の受け入れでも働きかけることが仕事じゃないのと。

2012年2月17日金曜日

「囲い込み」

原発事故をめぐる被害者。農家はもちろん被害者であり、前を向きながらも“苦悶”の日々を送っている。そして、避難している人。県内・県外。賠償問題などをめぐって“差”がうまれているような。紛争処理センターなるものもほとんど機能していない。解決した件数はひとけただとか。とにかく東電の姿勢はかたくななように見える。

町役場や村役場とともに避難してきた自治体住民。仮設住宅に住む人たちには、それなりの“行政サービス”がある。ひとまとめにいるためになにかと“情報”含め、コミュニケーションが取りやすい。

決して悪い意味でこの言葉を使うわけではないが、いわば「囲い込み」の人達には、それなりに平等な支援や援助がある。

民間アパートなど、仮設に入らなかった人たちには、それらが届きにくい。情報も伝わりにくい。ある意味、「避難民格差」が生まれているような。

既存の行政サービスの枠組みでは、問題は解決していかない。行政も手一杯なところもあるし。みんな“苦悶”している。

囲い込み。ブルペンの中での投球練習は監督はじめ、注目が集まるが、自主トレには目がいかないような。

もちろんメディアはこの実情を知っている。しかし、論調や関心は、すでにして、事故の検証や、原発そのもの論。なぜ原発が出来たか、その過程でのカネの問題、原発立地地域への電源3法のもとずく、交付金の話などに目が行き始め。

そして、原発再稼働の是非論に、国論に視点が移り始めている。要は原発が無ければ困るか困らないかという議論。生活に欠かせない、経済活動に欠かせない「電力」「エネルギー」論に。

6万人と言う「流民」を生み、それがほとんど解決していないのに。

原発が無いと、立地地域の経済は成り立たない。たしかにそうだろう。400億円もの金が入ると入らないでは、その自治体のありようは変わる。

「一回捲かれた餌。餌に囲いこまれてしまっているから」。

電気が無いと、エネルギーが無いと成長は成り立たない。それも正論だ。しかし、正論必ずしも真論にあらず。

固定観念にだけ立って物が論じられている。その論議の中では6万人の流浪の民の存在は片隅に追いやられている。

思考が、自分の思考の囲い込みにはまってしまっている。

前提を変えて考えてみようよ。電気を確保する手段に血道をあげるのではなく、「無い」という前提に立って考えようよ。

原発はもう無い。3割減るエネルギー。その中でどうするか。それを考えるのが人間の知恵。国をあげての問題。だから、その指針、大原則を国が明確に示し、原発無しでも生きていける、繁栄が出来ると言う方途を官民一体になって考える。それが「原発事故」がもたらしたせめてもの“恩恵”。

2012年2月16日木曜日

見方を変えてみるということ

プロ野球の各球団、常春の沖縄でキャンプ中です。暖かそうで羨ましい。少なくとも、今の時期の福島から見れば。
郡山は冬に逆戻りの天候。寒いです。事務所でコートとマフラーのままキーボード打ってます。腱鞘炎になりそうです。

プロ野球のキャンプで、多分タイガースだったと思いますが、おもしろい“練習”をしているらしい。

投手が野手をやる。野手が投手をやる。試合形式で。お互い、とてもへたくそです。

選手たちにはこの練習はすこぶる好評のようです。なぜか。投手は野手の、野手は投手の立場や気持ちがよくわかったということ。見方を変えれば見えなかったものが見えてくるということ。

放射線をめぐる食品の安全の問題。少なくとも生産者は限りなく消費者の立場に立とうとしています。検査、検査、検査という大きな「コスト」を払って、なんとかして消費者のもとへ農産物を届けたいとしています。それができるかどうかは生産者の死活問題にも及んでくるからです。いわずもがなですが。

酪農家も米は買う。野菜は買う。消費者になります。米の生産農家も肉や牛乳を買います。消費者になります。

漠然とした“概念”で、消費者と言われている人たち。生産者の立場になって、見方を変えて見てもらいたい。

見方を変えれば見えなかったものが見えてくるのです。

少なくとも「ゼロリスク幻想」からは脱却してほしいのです。瓦礫の問題でも然り。

亭主の首都圏に住む知人からはあえて福島県産の農作物を“消費”したいと言ってきてくれます。米だ、野菜だと。たしかに、知人がいるというだけで、見方は変わるということもあるでしょうが。
通販生活という雑誌を発刊しているカタログハウスというところでは農作物を売っているようです。店があるみたいです。そこではちゃんと「数値」を品物に貼ってあるそうです。

今の食品の安全。暫定基準値は500ベクレル。一時期までは500以下は未検出というひとくくりにされていましたが、今は細かい数値が開示されています。県産の物には労力と手間と時間とコストがかかるけど、この数値を商品ごとに添付するしかないのです。

でもね。500ベクレル。560って数字が出ると、すぐメディアは大きく取り上げる。60という数値にどれだけの「危険度」があるのか・・・。

4月からは100ベクレルにしようとする動きがあります。国で。500と100の差は、セシュウム換算で0,008μシーベルトです。

その「啓蒙」がほとんど為されていません。島田市に運び込まれた震災瓦礫。0,04以下のμシーベルトです。マスクをかけたおかあさんたちが反対、反対と大騒ぎする光景。この数値、核実験が盛んだったころ、日本中にあった数値より低いはずじゃないかな。

なんか、多くの人達が「固定観念」や「既成概念」にとらわれているようです。

ちょっとだけ見方を変えてみれば相手の立場がわかるはずなんだとおもうのですが。

投手と野手の話のように“体験”してみないとわからなかったというなら、練習でいいいですよ。ちょこと立場を変えてみませんか。福島で一週間農業をやってみる。福島からは一週間、都会のスーパーで働いてみるとか。

2012年2月15日水曜日

標準家庭、標準世帯

もうとっくに立春も過ぎた。だけど寒い。ちょっと温かいって感じても、また寒く。将軍はいまいけど、冬兵隊さんは、いまだ常駐。北日本を襲った今年の豪雪。どうなっているんだろう。誰もが思っている。

立春を詠んだ句。紀貫之。
「袖ひちて むすびし水のこほれるを 春立つ今日の風や溶くらむ」。

夏、袖をぬらしながら掬った水が、凍っていた冬。立春の風が溶かしてくれないかという願望。

そう、昔はトイレは大方廊下のはずれにあった。手洗いの水、手水(ちょうず)場は表だった。冬の便所。寒かった。セーターの袖を濡らすと凍っていたような。

銭湯の帰り。ぬくもっていた手ぬぐいも家に着く前には凍っていた。凶器になるように固く凍っていた。

暖房は練炭火鉢、練炭のこたつ。隙間風・・・。

全部、ほとんど電気のおかげである。各家には風呂がある。トイレは暖房便座。洗面所の蛇口ひねればお湯が出る・・・。トイレから温かい洗浄用のお湯が出る。

そんな日々が当たり前だと思ってきた。当たり前だと思ってしまっていた。家の中はエアコンだ。

原発はもういいよ。少ない電気で暮らそうよ。照明考え直そう。エアコンはなるべく切ろう。じゃどうする。お風呂やトイレ。そうか、せめて便座の暖房切るか。

昔の和式便所。しゃがんで・・・。汲み取り口から冷たい風が容赦なく尻を冷たくさせてくれていたっけ。

ちょこっとでも春が来ないかな。春の歌を数曲歌ってみるけれど・・・。

原子力発電所が出来始めた頃。世の中の尺度に、国が決めた基準に「標準家庭」「標準世帯」という言葉があった。夫婦とこども3人。一家5人。それを基準にいろんなものが決められ、建てられ、数字が出されていた。電気代、標準家庭では月いくらと。
もうこの標準家庭という尺度は誰も言わなくなった。それを決めた役人はとっくに定年。
厚労省の「古文書」引っ張り出してみれば、その言葉に出会えるかも。

その頃作られた標準家庭用の団地。3DK。団地族はもうほとんどいないという。一人暮らしの老人だけが住んでいるという。

今、この時代の標準家庭って家族何人???。

2012年2月14日火曜日

カッチャンから貰ったチョコレート

近所の小学校3年生。カズキちゃん。おとなしい女の子。ピンポ~ン。
玄関を開けると黙って差しだすチョコレート。なんと彼女の手作り。
綺麗に出来ていました。

「そうか、きょうはバレンタインデーか。かっちゃんありがとう。で、これって“本命”?」。子ども相手に冗談かますくそ親父。

ちょっとはにかみながら「うん」だって。いやあ、嬉しいですな。こういうのは。

かっちゃんの家はおとうさんとおかあさんとおにいちゃんの4人家族。いや、違う、もう一人いた。犬のモコちゃん。

放射能騒ぎで苦労したでしょう。毎日のように表で遊んでいたのが、滅多に出てこなくなった。でも時々はモコちゃん連れてお散歩に。去年の夏ごろ、たわわに実った稲穂の中のあぜ道を犬と一緒に駆けていく少女。

時々見られた「いっぷくの絵」の光景。

去年か一昨年か。雪が降った朝。ピンポ~ン。お兄ちゃんのダイキくんとかっちゃん。「雪掻きしておきました・・・」。頬を真っ赤にして汗を見せながらの兄妹。

ついでに駐車場もやっておいたよ。って。

去年の夏は無かったかっちゃんの家の芝生でのバーベキュー。夏の終わりのころの亭主が持って行った花火大会。線香花火・・。

ローラースケートもやれなくなった。兄妹での縄跳びも。なんか、ちょっと見ない間にすっかり成長していたかっちゃん。

近所のスーパーで川内村から避難してきているバアチャンにばったり。娘さんと一緒。何気なく見た娘さんが持っている買い物袋には、どうやらチョコレート。仮設の中でもバレンタインの“イベント”あるんだ。ばあちゃん、俺にはくれなかったけど。

亭主はバレンタインデーといういわば「国民的行事」が嫌いです。甘いものも滅多に食べないし。

でも、いま、この時期。こんな“イベント”があってよかったとも思うのです。束の間、「日常」を取り戻せる行事があるってことが。

かっちゃんありがとう。美味しかったよ。さて・・・ホワイトデー、何を持って行こうかな。

去年、ホワイトデーにお返ししようと用意していた数個のチョコ。結局渡せず仕舞い。今も事務所の冷蔵庫の中に眠っている・・・。きっとそのチョコも悔しい思いをしながらいるんでは。

今日は塾。女性の塾生もいるけどな・・・。(笑)。

そうそう、ゲンキ君がお世話になっている動物病院。もーくんという男の子がいます。チョコ持っていきました。でも・・・なんと今日は休診日だったのです。
もーくん、ポストに入れてあるよ。

2012年2月13日月曜日

「幼稚園の砂場」

避難している小さい子が言っている。「早く幼稚園に帰ってお砂場で遊びたい」と。
郡山には子供の遊び場、ペップ・キッズこおりやまという施設が出来、そこにはお砂場も用意されている。

なぜかは知らないけれど、幼児には砂場は不可欠な“遊び場”なのだろう。

20年くらい前に出版された本。「人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ」。ロバート・フルガムという哲学者が書いたエッセー集。

そこにこんなことが書かれている。
「人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちを持って日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、私は残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。

何でも皆で分け合うこと。ずるをしないこと。人をぶたないこと。使ったものは必ず元に戻すこと。人のものに手を出さないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。食事の前には手を洗うこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。釣り合いのとれた生活をすることー毎日、少し勉強し、すこし考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと。毎日必ず昼寝をすること。表に出る時は車に気を付け、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。
不思議だな、と思う気持ちを大切にすること」。

そうなんだ。だから、子供たちは幼稚園に行きたいのだ。お砂場に行きたいのだ。遊ぶためだけではなく、学ぼうとしているのだ。

砂場遊びが出来なくなった子供たち。知らなくてはならないことを学ばないで大きくなっていくのか。

亭主は幼稚園には1年間だけ行った。お昼寝だけは覚えている。お遊戯をしたことも。すべてを学んだという記憶は無い。だから、こんな中途半端な大人になって、老いて行っているのかな。
たしかに「放射線」は嫌だ。だけど子供たちが学ぶ場を無くしていることももっと嫌だ。

ペップキッズのスタッフさん、その他の子供が遊べる施設の大人の人達にお願い。幼稚園のお砂場で学ぶと同じようなことを教えてあげてね。

2012年2月12日日曜日

朝日新聞、二つの”続きもの”

続きもの。もしかしたら“業界用語”かもしれない。連載記事、企画、シリーズもののことを指して新聞ではこう呼んでいる。

朝日新聞では、去年からかなりの長期にわたって「原発」に関する続きものが載せられている。

「プロメテウスの罠」と「原発とメディア」。

プロメテウスとは言うまでもない。ギリシャ神話に登場する火の神。人類に火という“文明”を与えた神。それが罠だったという譬え。言わずもがな、原発のことを指している。

このプロメテウスの罠、先日からは福島県の話題に入った。「原始村に住む」。今日で6話目。「原始」と「原子」をかけたのか。川内村の漠原人村の話で始まったのが、高知にいるもと元東電作業員の話に。どういう展開になるか・・・。F1の内部に詳しい10年前に東電やめた木村俊雄の“証言”。

驚くべき東電の虚偽体質、隠ぺい体質。そのまま受け取るか、フィルタリングして読むかはそれぞれの勝手。

なぜ、今、暴くのか。暴露、内部告発するなら、10年前にやってほしかった。
していたのかもしれないが、誰もとりあげなかったのかも。

先日までの話は官邸の5日間。その“狼狽ぶり”を当時の関係者の“証言”をもとにまとめていたが、受けた印象。かなりの「菅擁護」「東電・保安院への批判」。

公式な議事録無いのに、民間による議事録もどきとも。多分、そのうち本になるだろう。

年賀状。亭主は去年から勝手に「御遠慮」を願いでているが、旧知の朝日新聞記者から便りがあった。そう、もうこの20年以上も賀状交換だけの間だったが。その賀状にあった添え書き。「続き物で苦労しています」。それが何だったわからなかったが、最近気付いた。「原発とメディア」の執筆者になっている。
編集委員 川本祐司と署名入りで。以前は違った記者が綴っていたようだが。

朝日新聞が原発とどういう姿勢で取り組んできたかといういわば「自己批判」記事。データベースから過去の記事や社説を引っ張り出してきて、すでにOBであろう先輩記者に取材して書いている続き物。読み甲斐はある。

朝まで生テレビのことも書かれていた。そうだ、20数年前、彼はテレビ担当だった。

そして驚く。社内政治も含めて、新聞社のありようや論調。当時の認識に。

そして意地悪く思う。プロメテウスの罠は新聞社に仕掛けられていたのではないかと。

東電の「真実」。たぶんそれは未来永劫わからないかもしれない。

きょうもF1、2号機の水温上昇が伝えられている・・・。

またも駄弁弄した心境にて。

2012年2月11日土曜日

「知る」と「分かる」と

何かのコラムで懐かしい言葉に出会った。ジャーナリストから政治家に転身して、フランスの首相になったジョルジュ・クレマンソーの名言。

「ポアンカレは何でも知っているが、何もわからない。ブリアンは何も知らないが、何でもわかる」。

ポアンカレはクレマンソーに首相を乞うた大統領。ブリアンは彼の後の首相。

日本の政治家にこの言葉を当てはめたことがあった。
「宮沢は何でも知っているが、何もわからない。田中角栄は何も知らないが、何でもわかる」と。

宮沢は東大出身の大蔵官僚。毎朝読む新聞は英字紙。知識は凄かった。しかし、政治のことは分かっていなかった。

田中角栄は宮沢を評して言った。「所詮は公家の学問」と。

片や田中角栄。中卒の土建屋あがりの政治家。学問の無い事の”コンプレックス“を見せつけられたことがしばしばあった。内容は書かないが。

何もといえば大袈裟だが、知らなかった角栄は政治のことは分かっていた。その要諦を。決断と実行。彼の信条だった。

今の政治家にこの言葉をあてはめる気はさらさら無い。例えるのもはばかられる。

だから代わりに当てはめる。

「専門家は何でも知っているが、何もわかっていない」と。そして続けたい。
「農民は何も知らないが、何でも分かっている」と。

何も知らない、知らされていないけど、生きる術は分かっている。土のことは、作物のことはわかっている。

わかっているがゆえに苦悩している。

2012年2月10日金曜日

「ヒロシくん」が走って行った・・・

ヒロシくん、事務所の近くのワタナベさんが引き取った被災犬である。もとの名前はわからない。被災地に行って引き取ってきたワタナベさんが勝手につけた名前。

ヒロヒクンはすっかりその名前が気にいっているらしい。「ひろしくん」と呼びかけると尻尾を振って挨拶してくれるから。

きょうの郡山は朝から快晴。今は気温2度。雪の名残が残る道を、走ってくるヒロシと出会った。走っている。ワタナベさんと一緒に。じゃれつきながら走っていく。ボクとの挨拶もそこそこに。嬉しいんだな。

ワタナベさんはヒロシくんのリードを放さない。しっかり握っている。リード、それは「絆」の語源。ワタナベさんとヒロシくんの間には「絆」が厳然として存在している。ここだけには。

瓦礫処理の問題ひとつにしてもそう。「絆」という字は、意味を持たない単なる「字」としてしか存在しなくなった今の日本。いや、それは言いすぎだ。
被災地をめぐる個々の絆はある。生まれる。社会全体としては・・・。ない。

キーボードの脇にある澪の写真に見入る。ずっとこっちを見ている。いつものように。「何をしているの」と問いかけているような。

澪とは毎日走った。雪の日も走った。雪の中を駆ける澪の雄姿は美しかった。懸命に後を追うゲンキはたまらなく可愛かった。

雪の川内村や、冬の警戒区域。まだ犬がいるという。いや、犬だけではあるまい。ネコもいるかも。馬は。豚は。牛は。寒さをしのいでいるはず。

川内村。凍てついた道。たまたま通りかかった車に犬が寄ってくるという。尻尾を振りながら。飢えているのだと。車を見れば必ず姿をあらわすという。飢えているのだ。食物にも人の愛情にも。

犬や猫や馬は放射線のことはわからない。知らない。知っているのは突然神隠しにあったように消えてしまった飼い主のこと。

多くのペットが“救出”されたというが、全てではない。

久しぶりの晴れ間。ヒロシくん、走れ、駆けろ。大丈夫だ、外気をいっぱい吸い込め。君が走ればワタナベさんもいくらか痩せるかも。

復興庁が出来た。大臣は福島再生をメインにあげる。マスコミはけなす。寄せ集めで何が出来るのか。縦割りを壊せないなどと。その役所のは期待できないと。不信をあおる。何の意味があるのか。

F2の内部が公開された。「紙一重だった」と所長は言う。

テレビのキャスターはしたり顔で言う。「今、この時期に公開する意味ってなんでしょうかね。思わず裏に何かある、思惑を考えてしまいます」と。
じゃ言え。考えた内容を。語れないくせに。裏を言え。

不信をあおる。不信の連鎖。そこからは何も生まれないと思うのだが。

ヒロシ君はワタナベさんを信頼しきっている・・・。明日で11カ月・・・。

2012年2月9日木曜日

「福島」と「沖縄」

以前も書いたような気がするが・・・

亭主が主宰する塾で、去年話したことがある。まずフクシマとヒロシマ。「原子力」による被害者として、いわれなきレッテルを貼られ、いわれなき「差別」に身を置くことになったという共通項。

歴史の事実としてある「ヒロシマ」を我々は語る資格を持ったと。

そして、放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物。仮置き場、中間貯蔵施設、最終処分場。政府が何十年先の事を言っても、県外に持っていくことは無理だ、不可能だ。多少なりとも“危険”を伴うということは、それが善悪を問わず、思いこみであったとしても、受け入れはあり得ないと。

福島原発が供給する電力は首都圏のためのものだった。その延長線には全国がある。需給バランスが国中で確保されていた。にもかかわらずだ。

国会。衆院予算委員会。普天間基地をめぐる論議が交わされている。
今の日米交渉の話はともかく・・・。

沖縄の米軍基地。日米安保条約にもとづいた基地。数多くの危険性をはらむ。米軍基地のプレゼンス、存在は日本という国にとって“有益”とされている。
しかしー。沖縄の負担軽減ということでの県外移転。それはどこも応じない。かたくなに拒否する。“危険”を沖縄県民に押し付けたまま。

このところ「沖縄問題」が再燃してきた。再燃と言っては間違いだろう。継続案件だったのだから。

普天間海兵隊の一部を岩国基地に移転という話がまた浮上した。岩国市長は断固拒否という。なぜか。危険だからだ。封じ込めなのだ。

岩手や宮城の瓦礫でさえ受け入れ拒否を言う人たち。まして福島のものを。あり得ない。福島県内封じ込め。

苦しみを全国民が共有する。そんなことは多分絵空事。

沖縄には基地を持つがゆえに国から金が交付金が渡される。原発地域にも金が渡されていた。今も渡されている。寄付金という形の不透明な形で。電力会社からの。

基地とカネ。原発とカネ。悩ましい問題だ。少なくとも原発賛成と言っている人にカネがわたっているという前提での議論は間違いだ。政治の世界でもどこでも、カネは反対という人を懐柔するために使われる場合がままある。

田原総一朗が最近“暴露”した事実。当時の野中官房長官から内閣官房機密費1,000万円を持ちこまれたという話。田原は政権に与していたわけではない。むしろ大いなる批判派だったから、彼の“言論”が宮沢内閣退陣の導火線だったという、“権力”にとっては“敵”だったから行われたカネの問題。

TBSで放送中の「運命の人」。沖縄返還協定の密約を暴いた毎日新聞政治部記者だった西山太吉がそのモデル。そのドラマの中に記者とカネの話が登場しているらしい。読売のナベツネがそれに喰いついている。「俺はカネを貰ったことはない」と。場外乱闘、どんな展開になるのか。どうでもいいことだけど。

西山太吉は旧知である。しかし、彼については何も語りたくはない。

西山太吉、澤地久恵、山崎豊子・・・。
沖縄と福島と。ようやく、文壇や論壇で語られ始めてきた・・・。

2012年2月8日水曜日

“神隠し”

福島県の小学生が前年度に比べて約8%減ったという。9、240人がいなくなったという。
去年5月時の文部科学省の調査。原発事故による避難が大きく影響しているという。

もちろん居場所はわかっているが、子どもが消えてしまった町にいるものとしては、まるで“神隠し”にあったような気がする。

ほんと当時は突然に消えていたのです。そしてどこかで神様がかくまっていてくれる・・・。こっちにおいで、おいでと呼びよせた。

まもなく新学期。新入学も。それに合わせて帰って来た子もいればそうでない子も。

幼児の数は・・・。11%減の7311人。

今は数字や様子は変わっていますが。戻った子もかなりいるようですが。

郡山でも小学生は減っている。ただ、避難してきた人たちの子どもがいる。差し引きを計算するのは愚だが、人口的にはどうなっているのか。

世は挙げて高齢化、少子化が大きな社会問題に。この事態の影響は・・・。

神隠し。千と千尋の神隠し。神様の領域へ誘う場所のモチーフとして、小高い丘に点在する住宅地から、坂を下り、坂を上がり、橋を渡り、古道を通って森への道が描かれていた。その途中の路傍には、祠や道祖神が描かれていた。

結界を結び、注連縄をはれば神隠しは防げるのか。放射能に対する“恐怖心”を解きほぐす手段にはならない。

子どもと同じように、我々はもう一つの神隠しを体験した。“神隠しの時間”。
2011年3月11日、午後2時46分以降・・・。

あらゆるものが、またたくまに、こわされていく。その時間はまさに神隠しの時間としかいいようがない。
直接目の当たりにした人も、テレビの画像を直視した人も、凝視した人も、思わず目をそむけた人も。

我に返って気がついた時、その神隠しにされた時間は、神様の仕業でも、天狗のいたずらでも無かった。

時間がとまったままの人もいる。ゆっくり時間を取り戻そうとする人もいる。

自分たちの時間を隠されては困る。
神隠しにされた時間を取り戻そうと、人々は、いまだもがき苦しんでいる

2012年2月7日火曜日

マスコミに対してのちょっとした駄弁

F1(レースじゃありません。福島第一原発)2号機の炉心温度上昇。
このところ鳴りをひそめていた東電担当、原子力担当記者さんたちは昨夜から書くこと、書くこと。情報開示とまたまた大騒ぎの態。

もちろんこの事象を過小評価してるんじゃありません、常にF1は気になっているのですが。

過日、知人に頼まれてあるシンポジュウムのパナラーとやらをやるはめになりました。
「福島の復興を考える」というようなテーマだったと思う。風評被害を吹き飛ばそうという会の主催だった。その会のことはよく知らなかったのですが。

ほとんど突然に、「風評被害と報道について」という話をしろとコーディネーターから言われ、とっさに思いつくままこんな話をしてきました。

「風評被害の原因にマスコミがあるには事実です。悪意はないが、報道の仕方によって、伝える視点によって、伝え方によって風評被害が起きている。

よって、マスコミはけしからん、けしからん。大嫌いだ。そういう人も大勢います。

原発事故が起きる前、ずっと前からマスコミに対しての風当たりはありました。特に「知的水準」の高い人ほどマスコミに対して批判する人が多かった。批判する人の言い分や考え方を聞いていると、その奥底に、自分の意に沿わないという意識が働いている。
マスコミは嫌いだ、テレビは嫌いだと言っている人ほど、いったんマスコミの取材があると、喜んで受ける。出演する。
紙面に載ればそれを大事に切り抜いて保管し、コピーしてまわす。テレビだと放送時間を聞いて、それを触れ回る。ましてテレビで紹介されるということが商売上の利点になるものなら、いや、たしかに瞬間的には、一時的には“誘客”になる場合が多い。

自分の利点になるならマスコミ大歓迎、そうでないと大嫌い、けしからん。そういう風潮がある。
風評被害という事で言うなら、こんなに困っている人がいるということで例えばテレビがインタビューに来て、大変だ、大変だ、困った、弱っていると答えれば、それが全国ニュースになって流され、いろんな意味での関心を誘う。
そして当事者でない視聴者達は思う。とんでもないことになっているんだな。やはり・・・と。
だから、吹き飛ばそうという会なのなら、風評被害なんてありませんよと笑い飛ばすぐらいの“覚悟”がないと、なかなか無くならない。マスコミっていうのは、そういうものだから。自分たちの解釈した“正義”をふりかざすのが好きなんだから」。

ま、こんなことを喋ってしまったのです。

震災、原発事故後、マスコミと被災地とのかかわりには難しい問題が多々あります。
東京で書かれている記事と現地で書かれている記事とでは当事者意識や視点が全く違う。
マスコミ、メディアの側からすれば、当然彼らなりの論理があるのでしょうが。

たまたま手にした本。フジテレビのアナウンサー、笠井信輔という人の被災地取材記。「僕はしゃべるためにここ(被災地)に来た」という本。覚悟を決めて書いたテレビ報道の裏側、震災報道の真実と銘打たれた本。
取材奮闘記。苦労や悩み。冷たく言うようだけど「当然」なのです。「当たり前」なのです。冷や水差すようだけど。

このアナウンサー知りません。朝のワイドショーに出ている有名な人らしいのですが番組見たことない。ごめんなさい。

読み進んでいるうちにどうしても気になる言葉が再三登場する。

「被災者のために取材し、報道する」というくだり。被災者のために・・・。

自分の仕事のために。じゃないのかな。

彼に対して悪意は微塵も無く、食事もとらず風呂も入らずトイレにも気を使い・・・。被災者の気持ちに寄り添おうとしているのはわかるけど、「ために」と言われると、生まれてくる違和感。

言葉は悪いけど「上から目線」を感じてしまう。

きのうまでテレビの「向こう側」に居た“有名人”。彼が放送してくれれば、いささかでもこの苦境から抜け出せるかもしれない。そう思った被災者もいるだろう。

被災地からの報道は、もちろん今でも続いている。視点はともかく。

何のために誰のために「報道」はあるのか。風評の元になっていないのか。
改めて論議されるべき古くて新しい課題と。

2012年2月6日月曜日

「安全」と「安心」の隔たり

例えば今日の新聞にあった週刊誌の広告。アエラ。朝日新聞社の週刊誌。
「安心を食べたい」 食の信念が揺らぐと書かれている。

誰が何を言っているのか、誰が何を書いているのか。あいにくまだアエラは買っていない。たぶん買うほどの“価値”は無かったと思うし・・。

いわゆる放射能問題。ある時期までは「安全」という言葉が闊歩していた。安全基準をめぐってさまざまな論議が交わされ、もちろん何も「正解」をもたないまま、基準値が作られて行った。

暫定基準値。今はまだ一般食品、例えば米は1キロあたり500ベクレルとされているが、4月からは暫定でない基準、1キロあたり100ベクレルというのが適用される。国の基準として。

この国とはなにか。厚生労働省である。

短絡的に言えば、4月以降、100ベクレルを超える米をはじめとした食品は「汚染」というレッテルを貼られることになる。100ベクレルを超えていなければ「安全」ということになる。

ND。Not detected。未検出。500ベクレル以下は当時のベクレル計では未検出だった。これからは500以下、それこそ10ベクレルまで測れるような線量計じゃないとダメ出しされるかもしれない。

一挙に五分の一の数値に引き下げられた“基準”。厚労相は言う。「消費者の安心のため」と。

安全を求めていた人たちが安心を求めるようになった。

安心とは何か。全てが疑心暗鬼に陥っている今の日本。放射性物質がゼロでないと安心とは言えないということだろうか。

今、問題になっているのはセシュウムである。放射性物質には様々なものがある。たとえばカリウム。
毎日食べる、それこそダイエット効果絶大と喧伝されるバナナ。その1本には0,1マイクロシーベルトのカリウムが含まれている。大昔から自然界に存在している放射性元素が。

タバコ一箱。一年間で6ミリシーベルト以上のポロニュウムという元素を吸い込んでいる。発ガン性物質だと言われる。

安心、安心、安心・・・。静岡県の島田市が岩手の震災瓦礫焼却を受け入れ表明。市民からは抗議が殺到しているという。震災瓦礫が放射能瓦礫とされてしまい。

何を思ったのか。島田市の広報誌には抗議のメールが掲載されているとか。岩手県は日本国民の敵というようなものもあるらしい。
岩手の瓦礫に含まれる放射線量。東京都の廃棄物と同等なくらいの線量なのに。

一つの光景を想像する。盲想かも。
朝食でバナナを食べ、コーヒーを飲み、タバコをくゆらせながら抗議のメールを打っている人の姿を。

数日前、朝日新聞にあった記事。その見出し。「福島米12市町村で100ベクレル超」。

「超」という字だけで安心を求める人のこころに与える影響は大きい。本記は“危険”を煽っているわけではないのだが。

朝日新聞のきょうの歌壇にあった一句。「友からの年始の林檎に放射能無しのちらしあり 被曝地の我に」。本宮市の人の投稿。

4月からの新基準。農家の作付に与える影響ははかりしれない。作るかつくらないか農家は割れる。

セシュウム限りなくゼロの安心。それを担保するためには農家は一生米を作れないということにもなる・・・。

郡山の農家から米を貰い、米を買い、きのうはコイン精米所に。これから郡山産の野菜を買いに行く。新鮮な野菜の美味さ。すべて美味しい料理の基本は食材にあり。その食材を堪能出来る幸せ・・・

2012年2月5日日曜日

被災地自治体のこと

郡山も被災地です。市役所の本庁舎は地震で使用不能。そこにあった機能はいろんな建物に分散されています。

先日、用事があって長寿福祉課というところに行きました。もともとはその本庁舎にあったのですが、今はミュージカルがくと館という分庁舎に。音楽練習場として作られたばかりのところ。

そのいわば分庁舎、そこはまさに被災地の役場という様子です。並んだ部屋にはいろんな課が置かれ、狭い部屋の中で職員が仕事。

一階に入って驚いた。なにやら大勢の人が。ボランティアぽい制服を着た人達が大勢おり、その前には市民が・・・。なんと線量計の貸出業務。思ったほど人はつめかけていませんでしたが。

2回はさながらいまだもっての“災害対策本部”。そこには市民からの「苦情」が寄せられるとか。応対する職員は大変らしいです。とにかく「お前ら~~」という怒声で始まるらしくて。

市役所というところは今は市民を「お客様」扱い。昔の区役所は怖かった。

市役所や町役場など地方自治体のありかたについては震災後、いろいろな形で問題視されたり、評価されたり。

以前にも書いた支援物資の件。そこにいる避難民の数だけ揃わないと受付けられないと断られたという話。

役所の平均的感覚は公平、平等なのです。避難民に優先順位はつけられない。やったら後から怒られる。

慣行、規則、指示。それらにがんじがらめにされて、それらの中で動いているのが優秀な公務員。そんな感覚が抜けない人たちが、被災地にも居た。
片や、こんな非常事態だ。市民の感覚で、規則を柔軟に解釈すればもっとできることがある。そんな人たちも居た。両者の中で、目に見えない暗闘があった。そんな感想を持っています。

ビッグパレットの広場には去年までは川内村と富岡町の役場が並列で置かれていました。「帰還困難」が予見される富岡は大槻町というところに役場を新設移転させました。去年の暮。場所はひろくなりましたが。

ここの職員も大変です。休みが無い、夜中まで働く、仮設にいる、みなし仮設に住んでいる町民から苦情がくる。職員は不眠不休の様子。

明らかに体調に変異を起こしているような顔中吹き出物だらけになったような女子職員もいるとか。

三陸地方も当然ですが、役場の人間もほとんどが被災者なのです。そして、長引く避難生活で、いつの間にか、窓口の職員は苦情の吐け口にされてしまう、なってしまう。

この人たちへのこころのケアをしないと、みんな病気になってしまったら、どうにもならない。

復興への長い道のり。それは自治体と住民が一体になっていかないと進まない。
「医者の診断書あれば休めるのでしょうが、僕はそれはやりたくないのです」。かたくなまでの“使命感”を持っている人もいる。

たしかに、他県からの公務員の支援、応援も来ている。しかし、被災者と直接向き合って話せるのはやはり地元の職員なんです。

とかく忘れられがちになる自治体の職員。彼らも被災者なんだけどなあ。

豪雪被害の報、続々。そこも被災地。町や村の役場も大変なんだろうなと。

きょうも日曜返上。彼らの多くは働いています。

2012年2月4日土曜日

「顔」の話

このところNHKの福島ローカルか東北ローカルに出てくる男性アナウンサーの顔がどうしても嫌なのです。顔、顔つきも嫌だし、声も話し方も。なんか地獄の底にひきこまれそうな・・・。

ごめんなさい、他人の顔や人相のことをとやかく言える「顔」では無いのですが。亭主。顔を褒められた経験もないし・・・。

今はコラムニストを名乗っている天野祐吉さんが上手い事を言っています。
「顔は広告だ」と。さすが広告批評家。

顔はその人の広告だ。その人の人となりが、一番正直に表れるのは、髪型よりも服装よりも、やはり顔だと思う。少しでも人によく思われたいという無意識の意識も手伝って、顔はその人の最もストレートな広告になる。天野さんの言です。

「社長は会社の顔だ」。そんなことがよく言われます。しかし、どこにも出向かず、明快なメッセージも発せず、一日パソコンに座って数字を並べている社長。誰もその顔を知らない社長。それは顔ではない。だから亭主は言った。「この会社の顔は受付嬢だ」と。はい、感じのいい娘だったのです。二人。以前の話しですがね。

政治家だってある意味顔が勝負。野田の顔を云々するつもりはありませんが、勘弁してほしいのは谷垣と大島の顔。大島はいわゆる悪党づら。あ、またやってしまったゴメンナサイ。

選挙の時、意中の候補者がいないとき、女性は顔で判断するそうです。定説。だからポスターには“厚化粧”の、修正ほどこした候補者が作り笑顔を浮かべている。

被災3県の知事の顔。う~ん、天野さんの例えを借りるなら福島県はふくれ面に横柄面か。宮城県はとぼけ面か。誠実さはかんじるけど。岩手県はあまりおみかけしない面。

東京都知事は横柄面、だから都民はみな横柄に見えてしまうのか。愛知はおっちょこちょい面。だから愛知県人はみんなおちょこちょいに見えてしまうのか。
大阪は・・・・、やめておこうっと。

顔には泣き顔、笑顔、怒り顔などなどあります。泣きっ面というのもあります。
被災地の人達はいろんな顔を見せてきました。

テレビ。どういう顔をした人が喋っているか。それで伝わり方がかなり違います。もちろん、人の好き嫌いは百人百様ですが。

嫌いな顔立ちの人が何を言っても伝わらない。亭主の悪い性分。顔立ちや喋り方によって全部ウソっぽく聞こえたり(笑)。

アナウンサーはもちろんコメンテーターや解説者や「専門家」まで。誰とはいいませんが。

保安院もあのかつらの西山だっけ、あの審議官が広報担当でずいぶん信頼おとしたような。だっていつもニヤニヤしているように見えた。
東電も武藤副社長で損した・・・。

飲み屋さんだってそう。笑顔でキビキビと接客してくれるバイトの子が好感もてるかどうかで行くか行かないかを決めてしまうし・・。

このところ連日集中報道の直紀や真部。いやな顔してるよね。

2012年2月3日金曜日

「ビジネス」ということのいろいろ

いうまでもなく、福島県の最大の問題は除染。課題も除染。除染なくして次の一歩が始まらない。

「除染ビジネス」という言葉が毎日登場する。ビジネスとは事業という事だろう。昔は一時、サラリーマンがビジネス満と呼称されたし、スーツ姿はビジネスマンルックとも言われた。

いつの頃からか、起業という言葉がはやり、ITビジネスなんていう言葉が生まれ、それらの人達は一夜にして大金持ちになったりして。それからかどうか、ビジネスという言葉にはその裏に「金儲け」というイメージが付きまわってくるようになった。

メディアも好んで「ビジネス」という言葉を使う。事業とはなかなか言わない。

除染ビジネス。だから、除染に名を借りた金儲けと受け止められかねない。いや、実際にそういうのもある。

楢葉町の中心部の除染作業。環境庁の事業。入札の結果、前田建設工業というところが落札。1,650万円。大手ゼネコンの大林組は1億2千300万、大成建設は2億7千7百万での応札。環境庁は問題ないと判定したというが、この金額の開きは何だろう。

いわゆる警戒区域などの除染はおおかた全国区の大手ゼネコンが、例えば郡山は地元の建設業者などにという構図が出来上がっているらしい。

大手が受注した除染事業。人の手当からはじまって、下請、孫請けと行くはず。雇用にむすびつくのかどうか。いや、それ以前にちゃんとした除染が出来るのか。この落札価格に地元の業者は首をかしげる。
「いや。最初はこの価格でやって、あとの事業をどんどん受注し、トータルで儲けってことじゃないかな」と見通す人も。

南相馬市、大手のゼネコンのJVに全域一括除染作業発注。400億円。ここは自治体が主体となって発注。費用は国に請求という仕組み。森林にまで及ぶというが。

うまくいってくれればいいのだが。もう高圧洗浄機の除染は効果無しと判断されるに至っている。特殊技術がないと除染はうまくいかないらしい。

良い意味でも悪い意味でも除染ビジネスは進行する。

「ビジネス」の食い物にならないこと祈るのみ。

岩手、宮城でも「復興ビジネス」というのが取りざたされている。そして、自然エネルギービジネス。再生可能エネルギービジネス。エコビジネス。大震災を契機にいろんな「新しいビジネス」が誕生している。

ビジネスには金儲けがつきものか。岩手・宮城の瓦礫。東京都と島田市がその処分、処理を受け入れた。さっそく反対運動渦巻く。

あげく、「産廃受け入れは、その裏で多額の収入が業者に入り・・・それが・・・」のような訳知りの報道も。たしかに産廃ビジネスは活況を呈しているらしい。知人の業者も言っていた。

被災者の感情からすれば、瓦礫処理で多少の“不透明なカネ”の流れがあったっていいじゃないかと。処理しないと何も始まらないと。

一部メディアは「処理」には目がいかない。“不透明”だけ暴こうとする。それが正義だといわんばかりに。

災後のビジネスをいろいろ考える。

2012年2月2日木曜日

川内村は苦悩する

きょうも寒いです。昨夜の雪のせいか道路は渋滞。家から事務所まで1時間・・・。
去年の3月11日は30分で帰れたのに。

もう寒いのに飽きました。そんなこというと怒られそうだけど。飽きとの格闘中というところか。

水道管凍結の話があちこちから伝わってきます。飲み水は確保出来ても、風呂に入れないとかも。

川内村は村長が「帰村宣言」を出した。4月までにそこそこの除染をして4月1日からは村で役場機能を再開させると。
「2~3年かけて戻ってもらえれば・・・」村長の弁。

きのう、ビグパレット脇の仮設に住んでいる川内のばあちゃんに早速電話した。
「どうするんだい?帰るのかい?」と。ばあちゃんはよどみなくこたえる。
「帰らない」と。

今、川内村には200人くらいが住んでいるという。「裸のフクシマ」という本を書いた鐸木能光さんも住んでいる。そして発信している。

「あの本も返さなくちゃいけないし」。ばあちゃん。そう鐸木さんの本は貸したままだった。道路渋滞で仮設行きはきょうは断念。水道管は大丈夫らしい。

「帰ったって何もないし、生活が不便だと思うんだ。それにじいちゃんを抱えてるし」。そう、じいちゃんは医者がいないとだめ。酸素吸入つけたままの人だから。その身でよくもあの段ボールハウスの中に数カ月いたもんだと今でも思う。時々入院してたけど。

「買い物行くんだってどうなるかわからないし・・」。と、ばあちゃん。どうも郡山生活に慣れてしまったみたい。買い物はスーパー近いし、ビッグパレットの周辺にはいろんな施設もあるし・・。

ばあちゃん、ひ孫までいる。一家を挙げての帰村。なにかと難問だらけ。

戻れる人、戻れない人。さまざまなのです。遠藤村長の「自主判断」という言葉を捉えて「無責任」と批判する新聞記事もありましたが、それこそ無責任だと。

川内村の中心部の放射線量は平均して郡山よりも低いのです。全村避難で荒れ果ててしまっているけれど。村は昔日の面影を残しているかどうかはわからないけど。

帰れる人は帰る。誰かが先鞭をつけないと後に続く人は出てこない。画一的にひとからげで物事は進まない。

帰ろうとする人を“支援”するような報道をするのもメディアの役目じゃないのかと。なんでも批判はもはやいらない。志を削ぐだけ・・・。

ばあちゃんとは一つの約束がある。「川内に戻ったら、遊びに行くこと」。ばあちゃんが帰る気になるまで待ちますよ。

かつて川内村にはよく行った。友人の画家がアトリエと住居を構えていたから。
あばら家だった。彼の名前は斉藤隆。面妖はキッカイ(笑)。仙人もどき。描く絵も奇怪。

自宅は郡山の近くの舞木というところ。そこに彼が居る時には変な絵描きがたまっていた。郡山の猪熊克芳。会津の長谷川雄一。みんな抽象画ばかり。
酒ばかり飲み、冬でも裸足で家の中を駆け回っていた。草野心平の秘書をやっていた”ナニワ”サンという女史も我が家のようにふるまっていた。

放浪の画家。震災前に川内を引き払い、天栄村の方に庵を構えているとか。
彼のアトリエがあったあの家はどうなったのか・・・。

絵描きは亭主に言った。「ここは浄土みたいなとこなんだよ」と。彼の絵心をかきたてた川内・・・。

2012年2月1日水曜日

2月1日という日

あっと言う間の二月。雪模様の2月1日。そう、その日も雪が降っていたそうです。1941年2月1日。

はい、きょうはボクの誕生日なのです。満71歳です。だから何だということではないのですが。

足腰はそれなりに弱っていますが、一応元気です。傍目には実年齢より若く見えるらしいです。髪の毛は薄くなりました。

血圧やコレステロールなど健康に特に異状も無いようです。

40になった時も、50になった時も、60になった時も、それ以前はちょっとその年になったら・・・て関心があったのですが、過ぎてしまえば、な~んだって感じ。どうってことない。淡々と過ぎて行く・・。

きょうも特別な日ではなく、なんでもない当たり前の日なのです。お祝い事もしません、やりません。

あと何年生きるのかな。そんな想いにはとらわれます。誰も予測出来ないことなんですが。明日かもしれないし、十年後かもしれない。

震災後、「死」についてより考えるようになりました。もちろん、日常においても、災害や、そう、雪掻きの転落や、交通事故や、事件や。毎日どこかで誰かが亡くなっています。

3・11で突然に襲われた死。整えられない死。数多くの死。
死者も無念だったでしょうが、残された生者も無念です。数多くの無念を見、聞きするたびに、わが身に置き換えてしまいます。

どこでどうやって死ぬかはわかりませんが、せめて段取りだけは決めておきたいと。

これまで、何人かの友人の葬儀を取り仕切ってきました。自分を忘れてはいけない。取り仕切っておかないと。なにせカミサンはそういうことが最も不得手なのですから。カミサンが先に逝ってくれれば楽なのですが、どうもそうはいきそうもない。女の方が長生きってことになってるし。目がかすむ、目が回る、物が曲がって見えるなんてことは時々言っていますが、多分長生きするでしょう。カミサンを困らせないためにも段取りだけは・・・。

今年の課題はその段取りをどこかに記録しておくことなのかとも。

もし病気になったらどこの病院にするかからはじまって。葬儀はどうするか。誰にしらせるか。どうやって知らせるか。
死亡届の出し方や、年金、健康保険などの届。そうそう、銀行の暗証番号や印鑑のあり場所。

友人の葬儀で知り合った葬儀社の宗像くんはまだ働いているのかな。彼にも次第は打ち合わせておいたほうがいいし。

斎場でもいいけど、どんな形の葬儀にするのか。多分、自分の耳には聞こえてこないだろうけど、音楽はどうするのか、墓はどうするのか。ま、墓はカミサンにまかせるとしても。

よし。塾生に担当を割り振っておこう。東京からも人が来てくれるだろうから葬儀の日取りはなるべくゆっくりにして。

そうだ、喪主挨拶も書いておかねば。代筆しとかないと。

人は生まれてくるとき必ず泣いている。赤ん坊は。それを周りは笑顔で迎える。死ぬ時は。自分は笑って、ありがとうと言って。周りが泣いている。
笑って死ねる自信は全くないけれど。
段取り考えるのも結構楽しいかも。想定内のことで。

誕生日に自分の死のことを考える。やはり亭主はオバカなのかもしれません。
そして何事もなく今日が終わり、何事も無い明日がくるはず・・・。

昨夜12時をまわってから、FBの「友達」や、友人各位から、メール貰いました。ところが携帯のメール不調。その対応できょうの午前中はワタワタ。
こんなことやってる老人。まだまだお元気ということなのでしょうか。(笑)。