2012年2月23日木曜日

要するに「何も変わっていない」ということ

今日の朝日新聞の記事。予想はしていたものの、やはりそうだったのか。
愕然とした思い。

被災地復旧、復興のための補正予算。第1次、第2次、執行率は半分だという。
半分の金が使われていない。復旧、復興を急ぐと言いながら。

第1次、2次合わせて6兆7千億円。そのうちインフラ整備に充てる予算に至っては未執行が8割だとか。

記事によれば、地方自治体の職員が足りずに、執行するための資料作成や、申請書類が出来ないという物理的問題があると指摘する。

全国から応援の職員は派遣されているが、目先の住民対応で忙殺されているのが実情だろう。インフラ整備などの専門性を要求される職員なんて数かぎられているはず。

予算さえつければいい。それが間違いだということに国はどれほど気付いているのかと。

さらに言う。行政と住民のニーズとの間にミスマッチングがあり、進展しないのだと。大きな幹線道路の復旧より目先の生活道路を直してくれと住民は言う。

霞が関と被災地との大いなる感覚のずれ。震災直後の支援物資の配分の時も露呈した「ニーズ」と「分配」の考えのずれ。

行政の意識は、震災前も震災以降も、何も変わっていないということなのだろうか。

限りなく「行政サービス」を求める国民、住民。一方で「人員削減」を求める国民。ニーズという言葉ではくくれないこの相反議論。

東京、渋谷で岩手・宮城の震災瓦礫展があるという。写真展。そこに映し出されている写真の、切り取った画像の現状。何も変わっていない。
処理が出来ないから。

未だに「富の分配」を是とし、「負の分配」をかたくなに拒否する一部の声の大きな人々の群れ。それに屈する行政。
意識は全く変わってない。

沖縄の子どもたちに雪遊びをして貰おう。楽しんでもらおう。そんなイベントが中止になった。那覇市の児童施設をめぐる話。いうまでもない。瓦礫と同じ、「放射能」をめぐるたわごと。

これを記事にした沖縄タイムス。沖縄に避難してきている福島の母親たちの声だと。本当にそうなのか。関係者だけへの取材じゃないのかと疑いたくなる。
記事はいわゆる“雑報記事”。なになにがあったという事だけの記事。それに対する論評は無し。こんなバカげた動きを批判し、諭す記事にしてほしかったが。

気温だけではない。こころの温度差。いかんともし難いのか。冗談まじりに亭主は嘆く。風評ならぬ雪評被害だと。

青森はおろか、福島の雪の中でも、子どもたちは喜々として遊んでいる。雪遊びを楽しんでいる。子どもの笑顔に大人は癒され、明日への活力を貰う。

「自分たちさえよければ」。いつの頃からか、この日本という国にも蔓延ってしまった精神構造。

災後の今も、変わっていないのだろうか。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...