2012年2月5日日曜日

被災地自治体のこと

郡山も被災地です。市役所の本庁舎は地震で使用不能。そこにあった機能はいろんな建物に分散されています。

先日、用事があって長寿福祉課というところに行きました。もともとはその本庁舎にあったのですが、今はミュージカルがくと館という分庁舎に。音楽練習場として作られたばかりのところ。

そのいわば分庁舎、そこはまさに被災地の役場という様子です。並んだ部屋にはいろんな課が置かれ、狭い部屋の中で職員が仕事。

一階に入って驚いた。なにやら大勢の人が。ボランティアぽい制服を着た人達が大勢おり、その前には市民が・・・。なんと線量計の貸出業務。思ったほど人はつめかけていませんでしたが。

2回はさながらいまだもっての“災害対策本部”。そこには市民からの「苦情」が寄せられるとか。応対する職員は大変らしいです。とにかく「お前ら~~」という怒声で始まるらしくて。

市役所というところは今は市民を「お客様」扱い。昔の区役所は怖かった。

市役所や町役場など地方自治体のありかたについては震災後、いろいろな形で問題視されたり、評価されたり。

以前にも書いた支援物資の件。そこにいる避難民の数だけ揃わないと受付けられないと断られたという話。

役所の平均的感覚は公平、平等なのです。避難民に優先順位はつけられない。やったら後から怒られる。

慣行、規則、指示。それらにがんじがらめにされて、それらの中で動いているのが優秀な公務員。そんな感覚が抜けない人たちが、被災地にも居た。
片や、こんな非常事態だ。市民の感覚で、規則を柔軟に解釈すればもっとできることがある。そんな人たちも居た。両者の中で、目に見えない暗闘があった。そんな感想を持っています。

ビッグパレットの広場には去年までは川内村と富岡町の役場が並列で置かれていました。「帰還困難」が予見される富岡は大槻町というところに役場を新設移転させました。去年の暮。場所はひろくなりましたが。

ここの職員も大変です。休みが無い、夜中まで働く、仮設にいる、みなし仮設に住んでいる町民から苦情がくる。職員は不眠不休の様子。

明らかに体調に変異を起こしているような顔中吹き出物だらけになったような女子職員もいるとか。

三陸地方も当然ですが、役場の人間もほとんどが被災者なのです。そして、長引く避難生活で、いつの間にか、窓口の職員は苦情の吐け口にされてしまう、なってしまう。

この人たちへのこころのケアをしないと、みんな病気になってしまったら、どうにもならない。

復興への長い道のり。それは自治体と住民が一体になっていかないと進まない。
「医者の診断書あれば休めるのでしょうが、僕はそれはやりたくないのです」。かたくなまでの“使命感”を持っている人もいる。

たしかに、他県からの公務員の支援、応援も来ている。しかし、被災者と直接向き合って話せるのはやはり地元の職員なんです。

とかく忘れられがちになる自治体の職員。彼らも被災者なんだけどなあ。

豪雪被害の報、続々。そこも被災地。町や村の役場も大変なんだろうなと。

きょうも日曜返上。彼らの多くは働いています。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...