放射能は見えないから怖い。たしかにそうだ。匂いも無いし。見えない物への恐怖。心理。当然。
飯舘村の農家の人が言っていた。放射能に色がついていたら、もっと怖いかも。半ば冗談で。
測定した数値は見える。カウンターの液晶画面で。
「正しく測って、正しく怖がろう」。去年、ある講演会での学者の結論。
農家を経営する友人。270万円出して測定器を買った。その測定器は、限りなくゼロベクレルに近いところまで測れるという。彼もその学者の意見に賛同したから。
そこそこ広い農場経営。鶏をメインに扱っていた。独自に開発した餌を使っての鶏。鶏をやめた。今後は、野菜に、それも数百種類の野菜に手をつけるという。「正しく、あらゆるところを測りまくって」。そして、その野菜作りを「実験的」なものにしようとしている。測定器は、自分のところだけでなく、近所の農家の人達にも役立てようと考えている。土壌をさらに研究し、どうやったら改良出来、どんな野菜なら作れるか。
「放射性物質は、たしかに見えないからとても怖い。だけど怯えていただけではどうにもならない。“汚染”されてしまったのだからどうしようもない。だから、どうやったらそこから抜け出せるか」。それが、今の彼の立ち位置。
彼の農場は、農薬はいっさい使わない。これまでも、これからも。そして彼は言う。「土を信じている」と。
数多くの線量計が開発され、輸入され、線量は「可視化」されるようになった。見えるようになった。見えないのは、その“影響”。からだへの。今後の。
・・・が、しかし。見えない放射線への恐怖は、見えるものの恐怖へと変わっているような。
恐怖心は何も生まない。ただ、ただ怖れ怯んでいるだけでは、すべてが衰退に向かう。
いったん、人の心の中に植えつけられてしまった恐怖心。これを取り除くことは至難の業。
恐怖心ゆえに人は立ちすくむ。あらゆる妄想も生む。お化け屋敷も然り。悲鳴をあげ、逃げるか、座り込むか。
暗闇の突然暴漢のような男出現。その恐怖心故に人はどうするか。それと同じように。パニックという簡単に使われる言葉はあるけれど。
見えない放射能、見えなかった物への恐怖。それが見えるようになった。言葉として。いや、文字として。そして書かれた文字は、大方が恐怖をあおるものであり、誇大な表現であり、一種の“商業観念”を伴ったものであり。
時には虚偽であり、デマであり、それは主にネットで“拡散”され“量産”され。
文字として書かれた恐怖。見える形にされた恐怖。それによる“汚染”。
漠然とした表現になるけれど、「見える」から怖い。ずっと続いている人間模様。
この“汚染”にはたぶん半減期はないだろうし・・・。
2012年2月20日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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