「闇があるから、光があるんだ」。プロレタリア作家、小林多喜二が“恋人”の娼婦、田口タキに送った手紙の書き出し。
「そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分るんだ。不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある。そこを忘れないでくれ」。手紙は延々と続く。
震災後、小林多喜二の「蟹工船」という本が、世をにぎわしたという。若い人も買い求めたという。そこからくみ取ろうとするものがあったのだろう。
中学生の時に、この蟹工船は“卒業”していたが、闇と光の言葉の対比は今でもよく覚えている。もしかしたら、震災後、原発事故後のいつか、このブログで書いていたかもしれない。
なぜなら、原発とはまさに「光と闇」という言葉の表現にこれほど当てはまる言葉はないと思えたから。
戦後、闇という言葉が横行した。闇市、闇成金、そしてヤミ米など。ヤミ米か。ヤミ米に関わる我が家の悲しい記憶がある。そこには。思い出した。福島県が微妙にからんでいるのだ。これは、あらためて書く。
原子力発電。その電気は、原子の火と呼ばれ、新聞も論壇もこぞって、もてはやした。未来を明るく照らす火だとされた。
未だあるのだろうか。双葉町の繁華街にあった横断幕。看板の標語。
「原子力 明るい未来のエネルギー」。
そして、その光の裏では「闇」の世界が存在し、闇が光を支え、光が闇を繁栄させていた。
世界共通の大ベストセラーとされる聖書。その聖書にも登場する。闇と光。闇に覆われていた地球に、神は「光あれ」と言い、光が誕生した。
だから、キリスト教の世界では、光は神そのものだ。その光は、心の中にある、内在する闇を救う。例え、それが一本のロウソクであろうとも、光のあるところに人は集い、生きていることを確認する。自認する。
闇に沈んだ人達を小さな灯りで弔い、慰霊する。
文明という名のもとに作りだされた光。一瞬の爆発が、新たな闇を生んだ。いや、もともとあった闇を蘇らせた。その名は「人の心の闇」。
差別、憎悪、忌避、不信、デマ・・・。
他人を不幸な環境に置くことによって、自らの“幸せ感”を確認するという醜悪な感情。
そして、苦しむ人たちにために、いささかなりとも役立とうとする、その場に身を呈しても事を為そうとする、小さな光の心を蘇らせた人々の群れ。
明日から3月。間もなく、あれから1年。光と闇が交錯する海の上を我々は漂っているような・・・。
あの当時の官邸の「闇」。力、識見貧しき人々が群れなしていた官邸。統治機構。それが暴かれ始めている。闇を暴いて、それが光につながればいいのだが。「検証」にしか過ぎない。能力無きものが権力を持っていたという悲劇。闇から闇へ葬られることもあるやもしれず・・・。
2012年2月29日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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