2012年2月11日土曜日

「知る」と「分かる」と

何かのコラムで懐かしい言葉に出会った。ジャーナリストから政治家に転身して、フランスの首相になったジョルジュ・クレマンソーの名言。

「ポアンカレは何でも知っているが、何もわからない。ブリアンは何も知らないが、何でもわかる」。

ポアンカレはクレマンソーに首相を乞うた大統領。ブリアンは彼の後の首相。

日本の政治家にこの言葉を当てはめたことがあった。
「宮沢は何でも知っているが、何もわからない。田中角栄は何も知らないが、何でもわかる」と。

宮沢は東大出身の大蔵官僚。毎朝読む新聞は英字紙。知識は凄かった。しかし、政治のことは分かっていなかった。

田中角栄は宮沢を評して言った。「所詮は公家の学問」と。

片や田中角栄。中卒の土建屋あがりの政治家。学問の無い事の”コンプレックス“を見せつけられたことがしばしばあった。内容は書かないが。

何もといえば大袈裟だが、知らなかった角栄は政治のことは分かっていた。その要諦を。決断と実行。彼の信条だった。

今の政治家にこの言葉をあてはめる気はさらさら無い。例えるのもはばかられる。

だから代わりに当てはめる。

「専門家は何でも知っているが、何もわかっていない」と。そして続けたい。
「農民は何も知らないが、何でも分かっている」と。

何も知らない、知らされていないけど、生きる術は分かっている。土のことは、作物のことはわかっている。

わかっているがゆえに苦悩している。

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