原発事故をめぐる被害者。農家はもちろん被害者であり、前を向きながらも“苦悶”の日々を送っている。そして、避難している人。県内・県外。賠償問題などをめぐって“差”がうまれているような。紛争処理センターなるものもほとんど機能していない。解決した件数はひとけただとか。とにかく東電の姿勢はかたくななように見える。
町役場や村役場とともに避難してきた自治体住民。仮設住宅に住む人たちには、それなりの“行政サービス”がある。ひとまとめにいるためになにかと“情報”含め、コミュニケーションが取りやすい。
決して悪い意味でこの言葉を使うわけではないが、いわば「囲い込み」の人達には、それなりに平等な支援や援助がある。
民間アパートなど、仮設に入らなかった人たちには、それらが届きにくい。情報も伝わりにくい。ある意味、「避難民格差」が生まれているような。
既存の行政サービスの枠組みでは、問題は解決していかない。行政も手一杯なところもあるし。みんな“苦悶”している。
囲い込み。ブルペンの中での投球練習は監督はじめ、注目が集まるが、自主トレには目がいかないような。
もちろんメディアはこの実情を知っている。しかし、論調や関心は、すでにして、事故の検証や、原発そのもの論。なぜ原発が出来たか、その過程でのカネの問題、原発立地地域への電源3法のもとずく、交付金の話などに目が行き始め。
そして、原発再稼働の是非論に、国論に視点が移り始めている。要は原発が無ければ困るか困らないかという議論。生活に欠かせない、経済活動に欠かせない「電力」「エネルギー」論に。
6万人と言う「流民」を生み、それがほとんど解決していないのに。
原発が無いと、立地地域の経済は成り立たない。たしかにそうだろう。400億円もの金が入ると入らないでは、その自治体のありようは変わる。
「一回捲かれた餌。餌に囲いこまれてしまっているから」。
電気が無いと、エネルギーが無いと成長は成り立たない。それも正論だ。しかし、正論必ずしも真論にあらず。
固定観念にだけ立って物が論じられている。その論議の中では6万人の流浪の民の存在は片隅に追いやられている。
思考が、自分の思考の囲い込みにはまってしまっている。
前提を変えて考えてみようよ。電気を確保する手段に血道をあげるのではなく、「無い」という前提に立って考えようよ。
原発はもう無い。3割減るエネルギー。その中でどうするか。それを考えるのが人間の知恵。国をあげての問題。だから、その指針、大原則を国が明確に示し、原発無しでも生きていける、繁栄が出来ると言う方途を官民一体になって考える。それが「原発事故」がもたらしたせめてもの“恩恵”。
“チェルノブイリ”異聞
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