もうとっくに立春も過ぎた。だけど寒い。ちょっと温かいって感じても、また寒く。将軍はいまいけど、冬兵隊さんは、いまだ常駐。北日本を襲った今年の豪雪。どうなっているんだろう。誰もが思っている。
立春を詠んだ句。紀貫之。
「袖ひちて むすびし水のこほれるを 春立つ今日の風や溶くらむ」。
夏、袖をぬらしながら掬った水が、凍っていた冬。立春の風が溶かしてくれないかという願望。
そう、昔はトイレは大方廊下のはずれにあった。手洗いの水、手水(ちょうず)場は表だった。冬の便所。寒かった。セーターの袖を濡らすと凍っていたような。
銭湯の帰り。ぬくもっていた手ぬぐいも家に着く前には凍っていた。凶器になるように固く凍っていた。
暖房は練炭火鉢、練炭のこたつ。隙間風・・・。
全部、ほとんど電気のおかげである。各家には風呂がある。トイレは暖房便座。洗面所の蛇口ひねればお湯が出る・・・。トイレから温かい洗浄用のお湯が出る。
そんな日々が当たり前だと思ってきた。当たり前だと思ってしまっていた。家の中はエアコンだ。
原発はもういいよ。少ない電気で暮らそうよ。照明考え直そう。エアコンはなるべく切ろう。じゃどうする。お風呂やトイレ。そうか、せめて便座の暖房切るか。
昔の和式便所。しゃがんで・・・。汲み取り口から冷たい風が容赦なく尻を冷たくさせてくれていたっけ。
ちょこっとでも春が来ないかな。春の歌を数曲歌ってみるけれど・・・。
原子力発電所が出来始めた頃。世の中の尺度に、国が決めた基準に「標準家庭」「標準世帯」という言葉があった。夫婦とこども3人。一家5人。それを基準にいろんなものが決められ、建てられ、数字が出されていた。電気代、標準家庭では月いくらと。
もうこの標準家庭という尺度は誰も言わなくなった。それを決めた役人はとっくに定年。
厚労省の「古文書」引っ張り出してみれば、その言葉に出会えるかも。
その頃作られた標準家庭用の団地。3DK。団地族はもうほとんどいないという。一人暮らしの老人だけが住んでいるという。
今、この時代の標準家庭って家族何人???。
2012年2月15日水曜日
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