2012年8月31日金曜日

「学者」を重用するメディアの劣化

昨夜のNHKニュースを見ていて驚いた。元東大総長が出てきて政治解説をしている。政局解説をしている。結論は・・・。単なる一般論としか聞こえなかったが。
新聞にも政治を専門とする学者が頻繁に登場する。それはそれでいいのだが、学者とは学究の徒。研究成果や知見を「知識として教える」人。と基本的には思う。

なぜ学者に政治を語らせるのか。政治を語る政治家がいないから。大局的に政治を解説出来るマスコミ人がいないから。

マスコミはその日を追うので精いっぱい。政治家のその場の言葉を垂れ流しで報じるだけ。

3・11後、「専門家」という呼称がはびこり、研究者が重用され、大学教授、準教授などの肩書があふれていた。

学者の見解や言説は一つではない。当然だ。以前の学説を否定することから、次の研究がはじまるのだから。

それにしても、いまさら言ってもと思うけど、原発事故後にメディアに登場した「売れっ子学者」とは何だったのか。
たとえば、原子炉や原子力工学のを専門とする人が、専門外の放射線医学を語り、食品安全を語り、健康相談にまで。

専門家という人達のさまざまな言説が日本中を混乱に陥れた。極論だけど。
どの人を使うか。その識別がメディアに出来ていなかったということの不幸。

昭和史の研究でも、そこにある「史実」をどう読み取るかによって、見方は大きく分かれる。

一人の人の学説を見聞きしただけの人はそれが事実、真実だと思ってしまう。

メディアの劣化に伴い、専門家と称する人達は、今、喜び勇んで、勝手なことを言いまくる。
研究成果は世に出てなんぼ。世に出ることを潔しとしている人のなんと多いことか。

メディアには、逆説的な言い方だけど「伝えない勇気」も必要だと。
獣医師が、生態系なんとかで、福島を語った。まさにバカな話し。それが露見すると、「けしからん」と騒ぐ。それを伝えることにどれだけの意義があるのか。

発言内容をボクは書きませんよ。ばかばかしいしい、デマのもとにされるのは嫌だから。

いくら批判し、否定しても、メディアで流されたことは、いいように切り貼りっして使われ、嘘とデマの“拡散素材”となる。

もしかしたら、福島をネタにして受けを狙い、自分を目立たせようとしたのかもしれないし。

これは経験として言えること。講演会などで受け狙いでバカなことを平気でいう学者に何度出会ったことか。

そこに市会議員がいた、彼らが怒って告訴する。だからニュースだというのか。
黙殺するのが見識。事の本質や、伝えることによる影響も考慮できないで騒ぐマスコミのなんと愚かなことか。

3・11以降、この場で何回も「専門バカ」という言葉を使ってきた。それはずっと以前から思っていたことだから。

優れた知識を持った専門家が正しいとは絶対限らない。土のことは農夫の方がよく知っているのと同じ。

昔、自分が患者だった時、若い医者によく言った。「専門バカになるな」と。いくら優れた医学知識や臨床経験を持っていても、死生観であるとか、哲学を持たない知識と経験だけの医者はだめだよと。
彼はボクのベッドの脇に置いてあった本、数冊を「貸してください」と持って行った。たしかその本は“宗教書”だったと思う。それと、誰かの“詩集”だったと思う・・・。

2012年8月30日木曜日

「福島を語る」ことの断片

友人と久しぶりに飲みながら、ゆっくり時間をとって喋った。お互いに今の世情のもろもろについて語り合いたかったから。

政治に始まって、災後のことのいろいろ。お互い、政治についてはもはや絶望という思い。彼は地元のいろいろな選挙に関わってきた、いわば”プロ“。その彼をして言はさしむ。自民党への痛烈な批判。彼は党員。それも熱心な。
そんな人が自民党を否定しているということ。

中央政界から始まって、県知事への批判。そして県議達は「いったい、彼らは何をしているのだ」という嘆き。共に共通の名前を挙げながら。

「じゃ、どうする?解散になったら?誰を立てる?推す?」。
「誰もいない・・・」。

もう一人の友人も加わる。痛烈な県政批判。県民から支持されない県政。
政治と言う観点から言えば、福島県民は、やはり“見放されている”と。

その“不幸”だけを嘆いていてもはじまらない。なんとかしようよ。地味に地道に活動している若者を応援しようよ。

福島県民のありように話が及ぶ。

郡山では“有名”なある婦人。昔、結婚して沖縄に嫁に行った。たしかご主人は会計士だったと。過日亡くなられたが。

その婦人はご主人亡きあとも沖縄県民とした公私ともに活躍している。時々、生まれ故郷の郡山に戻ってくる。かれはその人と会った。そして、福島県から、郡山から沖縄に“自主避難”している人達の実態を聞いたという。

その婦人は那覇で各種の婦人団体に参加している。原発事故後、沖縄に自主避難してくる、自分の故郷、郡山の母子を歓迎し、歓待した。面倒も見た。やがて、どっかに“違和感”を覚えるようになった。いわゆる“ママ友”という人達に電話やメールで伝える。「そっちは危険だから、早く沖縄にいらっしゃい」と。県人会が出来るくらいに増えた自主避難者。
沖縄の県民所得は低い。沖縄県民よりも“優雅”な生活をしている福島県民が生まれる。
そして、行政に対しても要求がエスカレートしているように感じられるようになった。

そんな話だ。

米軍基地で苦しむ沖縄県民に、どれだけの福島県人が関心を寄せてきたか。ほとんどゼロであろう。3・11前の福島の日常には沖縄はなかった。

何十年という歳月を沖縄で過ごしている彼女には、どうしても“違和感”があるし、ある種の哀しさまで感じるという。

なぜ、今のタイミングでの発表か。その意図はわからない。県の推測では30年後には福島県の人口は4割減っているという。数年前までは220万人に人口だった。今は190万人台。その4割が減る・・・。

話は4時間にも及んだ。そろそろ帰ろう。また近いうち会おう。そして3人で笑った。我々の「近いうち」はそのまま実現させるということだぞと言わんばかりに。

先日書いたSL物語。きのうはテレビユー福島がローカル特番で1時間放送していた。あの沿道、沿線で手を振っていた人達に信を置く。
そしてあのような番組が、決して全国ネットの番組にならないことを知っている。

沖縄と福島と。「封じ込め」という共通項があるとボクは語ってきた。そして、新たな、問題にもなりかねない、福島と沖縄の人間模様が出来ることを恐れる。

2012年8月29日水曜日

「テレビの在り方」~無人地帯にからめて~

“無人地帯”と言う映画をみたあと、監督と若干のやりとりを交わした。
映画の1シーン。ナレーションは語る。「そこにはゴーストがいた」と。
幽霊がいたと。その幽霊とは・・・・。

事故後40日経って、瓦礫の中で、行方不明者の捜索にあたっている警察官のことである。幽霊と呼んだのは、その真っ白な防護服やマスクをまとった“姿”のこと。

ここから先は進入禁止だと幽霊が言う。映画を撮っていると、それはダメだという。しかし、その幽霊たちは皆涙を浮かべていた・・・。とナレーションは語る。

津波に流され、岩場にはさまれ、助けを求めながらも、原発事故のよってそれが阻まれた爆発直後の現場。

監督は言う。「見捨てられた人達ですよね」。そう、見捨てられた人・・・。それを遺体とは言い難い。

原発事故で直接被曝によって亡くなった人はいない。しかし、それがなければ救えた命のなんと多かったことか。

罪に問えるかどうかは、問うかどうかはともかく、“間接殺人”だと思う。

テレビが誕生して間もなく、大宅壮一はテレビに対して「一億総白痴化」と断じた。新聞記者からは「電気紙芝居」と揶揄された。NHKの職員だった、小中陽太郎は「機械仕立ての玉手箱」と言った。

民放テレビの揺籃期、テレビに可能性を見た、映画人や演劇人、文学志望者達が、こぞってテレビの世界に身を置いた。日夜、彼らは「テレビ」について議論し、語りあった。生放送を主流とすべきとする人もいれば、それを否定する人達もいた。でも、彼らが出した一つの結論。

「お前はただの現在に過ぎない」。

テレビは、その時を、現在を伝える伝達媒体なのか。現在を記録し、未来に伝える記録媒体なのか・・・。

遺体、あるいは、死体。以前にも書いたが・・・。

8月に必ずテレビが取り上げる「戦争」。そこには白黒の映像の遺体が映し出される。それらの映像はテレビが撮ったものではない。ニュース映画というジャンルがあった。映画館で、映画の合間に流される劇場ニュース。

たとえば日映新社とか。当時のニュースを専門に取材し劇場でかけていた。それらの映像を保管している“会社”がある。そこから借りてくる。ニュース映画フィルムしか当時の動く映像はない。

ニュース映画を見て、昭和天皇の姿を見た。出征兵士に振られる日の丸の小旗をみた。特攻隊の映像も、崖から飛び降りる女性の姿も・・・。

そして、ギャムやサイパンや硫黄島でも、沖縄でも、それは米軍が撮影した映像にしても、多くの遺体、いや、死体を見た。多くの骨も見た。

物言わぬ死体が、実は多くのことを物語っているという事実。

今もたとえばシリアで、アフガニスタンで、死者が毎日のように出ている。それは時々、現在の映像としてテレビに映し出されることもある。

東日本大震災、原発事故。一万数千人の、二万に近い人達が亡くなった。しかし、その“姿”はテレビにも新聞にも載らない。

語らずして死んでいった死者たち。

現在を伝えるテレビが放映しなかった“死者”。未来への、風化させないための“記録”として、それは報道されるべきではなかったのかと。

東京の知人が言った。「人々はあまり、というか、ほとんど、3・11のことは口にしていませんよ。今は」と。

津波で流されていく映像は見た。だれも死者は見ていない。見ないものは忘れる。

「見せるべきものは見せる、伝える」。その“覚悟”がテレビ、新聞にあったのかどうか。もちろん、さまざまな議論があることは承知の上で・・・。

2012年8月28日火曜日

美しいものは美しい

きのう、悲しく聞こえると書いた汽笛が、きょうは希望の音のように聞こえました。

JR東日本沿線スマイルプロジェクト。その福島編。SL福島復興号がちょうど、一月前、郡山と福島の間を走りました。

JR東日本仙台支社の企画とか。すでにJRでは去年、石巻線や陸羽東線でこのSJ企画をやっています。

福島編。5分34秒の動画。「SLに手を振ろう」。郡山駅を大勢の人に見送られたSLは煙を吐きながら、東北本線の線路を福島に向かって走る。車内には子供たちが。沿道には多くの人達が、思い思いのメッセージを掲げ、傘を踊らせ、風船をなびかせ、ただひたすら手を振る、共に走る、声をかける・・・。

沿道に集まった人達は、事前にJRがチラシで呼びかけていた地元の人達です。
沿線沿いには仮設もある。
とにかく皆が手を振って喜びの声を挙げている。それに汽笛が応え、機関士は白いハンカチで声援にこたえる。

この動画は最初、公開されてすぐ、塾生の一人がメールで知らせてくれました。
「泣けますよ」と。
大阪にいる友人も、彼のサイトで紹介していました。「泣きました」と書いて。

きょうは福島の民放テレビが紹介していました。そして、フェイスブックに友人の息子が貼り付けていました。その動画を。

何回見てもいいのです。美しいのです。人も景色も光景も。
美しいものは美しいのです。沿道のメッセージが素晴らしいのです。ありがとう~から始まって、ここにスモウとか・・・。

SL蒸気機関車。いろいろな思い出があります。そして思い出した「鉄路の闘い」というフランス映画。ナチスドイツに抵抗した、鉄道員たちのレジスタンス運動を描いた映画を。

沿道の住民たちも喜んだでしょう。励まされたでしょう。そのSLを運転した人達にとっても忘れられない感動を覚えたでしょう。鉄の男たちの意気込み、鉄路の闘い・・・。

くだらない話ですが、ネットに頻繁に登場する書きこみ。「なんでJRは東北新幹線を運転するんだ。汚染された地域に新幹線を走らせるのだ」。JRにも“苦情”が寄せられているそうです。
そんな「馬鹿」がいるということ。それを“拡散”させるアホがいるということ。鉄道マンにしたら、ある意味、もちろん無視した上での、世の風潮に対するレジスタンスなのかも。

福島県に住むものとして、毎日、嫌な事を聞き、嫌な言葉を見ています。いいんだ。100の嫌な事があっても、一つだけでもいいこと、美しいことがあればいいのだ。

がんばろう福島という垂れ幕もありました。いいんだよ、頑張ろう福島はもういいのだ。頑張らなくてはいけないのは「日本」という国なのだ。福島県からは全国に向けて発信すればいい。「がんばれ日本人」と。日本人であることを忘れたような日本人の心を失った人達を覚醒させるために。

下記のURLにアクセスしてみてください。きっと見られると思います。URLが無理なら「JR東日本沿線スマイルプロジェクト」で検索してみてください。

そこに、7月のある日の、普通の福島県人がいることを、ちょっとだけ思ってみてください。一緒に泣いてみてくれたらうれしいかも。

http://www.youtube.com/watch?v=6ND-IA8MTyU

2012年8月27日月曜日

「ビッグパレット」の今昔

今とは、つい昨日の話。昔とは一年数か月前の話・・・。

ビッグパレット。正式名称は福島県産業交流館。多目的イベントホール。
原発事故後、ここは県内でも最大の避難所だった。30キロ圏内に避難指示が出されて以降、ここには富岡町と川内村から、2,700人の人達が避難してきた。

建物は地震で半壊していた。使えるスペースをフルに使っての避難所。そこは人であふれ、段ボールで仕切られてわずかな空間に、人々が身を寄せ、身を横たえていた。

ビッグパレットが出来たのが10数年前。よくイベントで使わせてもらった。よく、そこのイベントにも通った。

通路にまで人があふれている。ホールの大半が閉鎖状態になってしまったから。地震で。靴のままでしか歩けない狭い通路には人が行きかう。

裏の入り口のドアをあけて入ると、そこは・・・。壁には消息を訪ねる張り紙やお知らせ。犬や猫の一時預かり案内・・・。人いきれ、匂い、埃・・・。3月半ば。まだまだ寒い時期。多くの人が為すすべもなく横たわっている光景。

地獄とはいわないが、人間の尊厳がことごとくうち砕かれるような光景。

狭い事務室の一部が富岡町と川内村に割り当てられた役場スペース。機能するわけがない。

やがて、屋外の広場に仮設の役場が出来、自衛隊の風呂が出来、徐々に「整えられて」いったのだが。

7百台収容できる駐車場も、避難してきた人達の「いわきナンバー」の車で埋まっていた。

毎日のようにそこに足を運んでいた。特別に何をしたわけでもないが。

そこに時々音楽が流れていた。友人夫妻のフォークデュオがいた。友人のフルート奏者は片隅でリクエストに応えていた。

演奏者も、気遣い、気を配り、邪魔にならないように心がけて。

避難場は去年の8月末、そう、ちょうど一年前に閉鎖になった。ビッグパレットの北側にあった空き地と、富田町に仮設住宅が出来たから。

避難所閉鎖と同時にビッグパレットも閉鎖。改修工事に入った。今年の4月に再オープン。

昨日と一昨日、そこを会場にした24時間テレビのイベントが行われていた。土曜の夜はオレンジレンジというバンドのコンサート。

大音響。会場は熱気に包まれていたという。遠くでその大音響を耳にしていた。
そして思う。あの北側の仮設に住んでいる人達は、あの「音」をどう感じているのだろうかと。主催者側はもちろん仮設への連絡はしていただろうが。

きのう、仮設に行ってみた。なんとなく聞きたくて。その光景の印象を。顔見知りはほとんどいなかった。もしかしたら、もしかしたら、どこかに“避難”していたのかも・・・。

その24時間テレビイベントに知り合いがブースを出展していた。子供が楽しめるスペース。近所の子供を誘う。

ビッグパレットには久しぶりに入る。会場のホールに向かう途中、ボクは彼に声をかける。
「マナトくん、ここね、去年の地震の後は大勢の人が寝ていたんだよ」。彼が歩く足元を指さす。
「だって、ここはあるくところじゃないの」。怪訝そうな彼。
「ここにしかいるところがなかったんだよ。遠くから避難してきた人達は」。

その光景を知らない彼は、半信半疑で自分の足元を見つめていた・・・。

「愛は地球を救う」。24時間テレビの永遠のテーマである。番組もいきおい、“被災地”がテーマであった。
多くの人が足を運んでいたようだ。そこを訪れた人たちが、そこが、一年ちょっと前まで段ボールハウスの群れだったことを知っているのかどうか。

会場に向かう途中、どこかボクの足はその運びを躊躇していたようだった。
プレハブの役場があり、自衛隊のテントで作られて風呂があった広場。そこは、何もなく。中継車が一台、すっくと立っていた。

あの光景をマナトくんにもっと話してやった方がいいのかどうか。二言三言のやりとりで彼が何かを感じたか。

きょうから新学期。学校が終わって彼は家の前でバスケットボールに興じていることだろう。

ビッグパレットの東側は線路。貨物列車が停まっている。夕方、時々汽笛が鳴る。
去年、夕方、日の暮れかかる頃、避難してきているばああちゃんと、煙草を吸いながら聞いた汽笛・・・。

形だけは姿を変えている。

2012年8月26日日曜日

映画“無人地帯” no man’s zone

かねてから気になっていた映画、藤原敏史監督のドキュメンタリー映画“無人地帯”を見る機会にめぐまれた。

浪江、いわき、飯舘・・・。被災後40日位に撮られた映像。1時間30分余り。それを見入るのは辛かったが。

そして、その映画を見て、時計の針が逆戻りされ、その光景が再び、「今」と重なる。今を撮ったものとの錯覚に襲われる。

映像を伴う仕事をしてきた元テレビ屋にとっても、この映画はある種の驚きを伴う。そして、映画が持つメッセージ性に改めて感じ入る。

冒頭の映像。それは津波に襲われた浪江とおぼしきところの映像。
いささか“業界用語”を使う。

パーンはなるべく使うな。フィックスだ、フィックスだ。ドリーも使うな。そんな“信条”を持っていた。

冒頭はなんと360度と思えるようなパーン。数分間にわたって。なぜか。パーンを使わなければ、その現状は伝えられない。それだけ広い惨状だということ。
倒壊した建物、打ち上げられた船、傾いたままの車。瓦礫の山。40日後は40日前と光景としては変わっていない。遠くに見える穏やかな海。その手前にあるのは何もなくなってしまった、流されてしまった、かつて「人」がせいかつしていたであろう「場」。

被災した人たちと、彼は時間をかけて話している。被災者も真摯に答えている。
引いた映像でわかる。
ガンマイクを使っていない。カメラはかなり遠い場所にある。
身に付けたワイアレスマイクで音を拾っているのか。

マイクを付きだされると人は躊躇し、身構える。本音は言わない。彼のインタビューは立ち話であり、茶飲み話のスタイル。

監督が、映画製作者が伝えたかったであろうメッセージ。それは外国人女性の英語で語られ、日本語はスーパー。

記録されないものは忘れ去られる。映画で使われている言葉。“消費”。消費されてしまう映像。消費されないための記録。

時々、このブログでも書いてきた。「見えるものを見ない」「見えないものを見る」。そのテーマにこの映画も迫っている。そして自らにも問うているような。「カメラを通して、現実を見ているのか」。正確な文字は忘れたが、「わからない」と答えているようだった。

文明と自然と人間。人は土に生きると言うこと。先祖と一体化した信仰やその場への思い。

Seeing is believing。見ることは信じること。昔教わった英語。百聞は一見に如かず。

Seeing is believing。この映画が問いかけてくるキーワード。それは見る者へも、作った側へもの問いかけ。

「見よ!見て己は何を信じたか」。映画はそれに対する結論めいたことを言わない。

ありのままの姿に何を感じるかと言う問いかけか。その問いかけは、表面上は何も変わっていない、美しい風景の飯舘村へへも続く。住むことが許されなくなった前日の飯舘の人達の姿。

「しょうがない」「困ったもんだ」。その“簡単な言葉”に込められている意味は重い。

文明と自然と人間と。そこに突然生じた、あまりにも不条理な“関係”。それを解き明かす言葉は誰も持たない。

藤原監督は続編を製作中と聞く。その製作費をねん出するために外国に行って上映会をやっている。完成は来年とのことらしい。

そこで彼が、また新たな問いかけをしてくるのか。そこから、見る側は何を見るのか。

伝える力としてのテレビと忘れられえない記録としての映画と。彼我にある映像へのアプローチ。

この無人地帯というタイトル。ボクは勝手に解釈する。単に、福島県の一部が人の住めない、人がいなくなった地帯ということだけじゃないと。
no man’s zone。人をマンという男性名詞にしたこと。“無人地帯”。それは、この国全土を言おうとしているのではないかと。

「男」がいなくなったということだと。

3・11後、他にもドキュメンタリー映画が作られている。でも、それらを見られる機会は少ない・・・。見るべきものは見るべきだと思うのだが・・・。


2012年8月25日土曜日

「私は取材を受けていません」

その記事にケチをつけるつもりもなく、読み飛ばしておけばいいことであり、書いている記者の“努力”を揶揄する気もないのですが・・・。

と言いながら今日も読んでいる・・・。
朝日新聞に連載されている企画。「プロメテウスの罠」。去年の10月から毎日書かれているいわゆる調査報道。

連載当初から“興味”を持って読んだ。時には「おや」と首をかしげたくなるような、特に放射線のくだりでは疑問を感じる時もあったが。

何人かの記者による連載。当然企画会議などでその意図などは検討されているのだろうが。

先月、吹流しの町でーーというようなタイトルのシリーズがあった。原発事故後の三春町のことを検証した記事。爆発後、三春町には多くの避難者が。そして三春町では線量をはかって安定ヨウ素剤を配り、町民に服用させたという内容。その中に登場してくる人物。新聞の切り抜きはしていないので、記憶だけだが。

主人公は深谷副町長。脇役に大熊町から非難してきた人が登場していた。その人は旧知の人である。ある会合で顔を合わすし、震災後のシンポジュウムでも一緒にパネラーをやってもらった。学者肌の人物。

三春に到着後パソコンで、各種のデータを入手し、放射線の飛散具合や飛散方向などを調べ、町に提供し、助言にも努めたという。

そのシリーズに彼は、彼の名前が何回も登場する。いわば“英雄”の一人として。

先日、彼と会う機会があった。30分ほどゆっくりその記事について話をした。そして驚いた。

「あれを書いた記者さんとは一回もあっていません。取材も受けていません」。

彼は”悪く“書かれているわけではない。“良く“書かれている。しかし、彼は憮然とした面持ちで、その不可思議さを言う。

「きっと三春町の誰かが私のことを言い、そのまま記事にしたんでしょうね」。

名前を書かれた人が、取材を受けたことがないという。とすれば、それは伝聞に基ずく記事ということになる。
直接あたる。記者の基本のはずだが・・・。

詳細な経緯は知らないが、この話を隣で聞いていた人がいう。「なんでマスコミは嘘ばかり書くんでしょうかね」と。

そう言われるのが一番嫌なのだ。「嘘ばかり」と言った人は医者。たぶん、去年の原発事故以来、患者との話の中で出てくる放射線量の影響について、彼の知見とメディアの論調に違和感を持っているからだったのかもしれないが。

マスコミに着せられる「汚名」。それだけは無くすような、それが大変な作業であっても、労苦を惜しまずに、汚名をそそぐ報道であるように願う。

ギリシャ神話には「カサンドラ」という女姓が登場する。予知・予見する能力を持った者として。悲劇の予言者ともいわれる。彼女が好き勝手に噂話をばらまくことに怒った神は言う。
「カサンドラの発言を誰も信じるな」と。

それはやがて「トロイの木馬」の話につながっていくのだが・・・。不信は不信の連鎖を生む・・・。

2012年8月24日金曜日

「敗者」への目線

オリンピックが終わり、高校野球が終わり、夏が瞬く間に過ぎて行った。季節としての「夏」ではなく、「時間」としての夏が・・・。

「勝者」がいて「敗者」がいて。何回も書くが、オリンピックでみた美しい“敗者”。それはなでしこジャパンのあの笑顔。

物理的に無理だっただろうが、あのオリンピックのメダリストたちによる銀座の凱旋パレード。オリンピックに参加したものの、数多く敗れた選手たちもいた。彼ら、彼女らも、あのパレードに参加してもらいたかった。
皆、立派な“敗者”だったと思うから。

今日の朝日新聞のスポーツ欄に、広告批評家でコラムニストの天野祐吉さんのコラムが載っていた。抜粋して引用させてもらう。「純粋の再後の砦」と題された高校野球の観戦記・・・。

 「野球留学とか、いろいろ問題はあるんだろうけど、それでもまだ高校野球には「純粋」という言葉がよく似合う。なぜ高校野球に“純粋”のイメージがあるのか。それは“純粋”なものがどんどん失われていく今の世の中で、せめて高校野球くらいは純粋であってほしいという思いが世の中に強くあるからでしょう」
「結局、大阪桐蔭の優勝ということで終わったけれど、ぼくは勝ち負けはどうでもいいんです。哲学者の鶴見俊輔さんが「敗北力」ということをおっしゃっていたことがあるけれど、負けることがその人の生き方の根底を作り出していく力になることがあるんですね。光星学院だけじゃない。全国で3984校が負けたわけでね。その人たちは敗北を自分の力にしてくれたらいいなと思います」。

この一文にうたれた。ボクの言いたいことのほとんどが凝縮されているような。広告批評家として、「文化」としての広告を見て来た人だから書けた一文かもしれないが。

あまりにも“純粋”でない「広告」が多い中で。いや、それだからこそ「文化としての広告」を、天野さんは追い求めているのかもしれないが。

青森、光星学院の選手の半数以上は県外出身者である。大阪出身者も多い。しかし、彼らは東北に身を置くことで、彼らなりに「東北人」になりきった。そう彼らは断言し、敗者であったことを誇らしげに語る。そう、やはり“純粋”なのだ。

極言すれば、東北の歴史は「敗者の歴史」でもある。古くは奥州藤原氏。戊辰戦争。蝦夷征伐と言われ、常に“都”に攻め込まれてきた。
天明の大飢饉もそうだった。飢えて死ぬ人の多かったこと・・・。

「敗者の歴史」が、強い東北人を生んだのかもしれない。敗北を力にしてきたのかもしれない。それが宮沢賢治を生み、太宰を生み、智恵子を生み、寺山修二を生んだ。

日本人は、「原子力戦争」に敗れた。原発戦争、原発競争に敗れた。国として敗れたにもかかわらず、その災禍は東北、福島だけに及んでいる。
福島県民は“敗者”ではない。犠牲者だ。
そして、その敗者では無い人達の犠牲によって、一握りの“勝者”を気取っている奴らがいる。

昨夜、NHKテレビでやっていた、昭和49年入社の証券マンたちのその後。一人の勝者がいた。未だ持って野望を抱き、それこそ世界制覇を目論んでいるような勝者。次の野望に向けて、高級料亭で外国の取引先とカンパイをしていた。
敗れた者たち。亡き同期生の死を悼み、居酒屋の片隅で数人で静かに献杯をしていた。往時を静かに語っていた。

敗者の顔は美しく、勝者のおごり高ぶった顔は醜く見えた。敗者が集った居酒屋の片隅に、ボクも身を置く。心も置く。

「純粋の最後の砦」かあ。うまいこというな天野さん。誰でもいい。その砦を何時までも守り続けてほしい・・・。それは、今を生きる人間の最後の砦かもしれないのだから。

ボクシングのカシアス内藤と主人公にした沢木耕太郎の本。「敗れざるものたち」。そこにもあった敗者への目線。

2012年8月23日木曜日

会ったことに意味はあったのか

夏の全国高校野球。またも真紅の優勝旗は白河の関を越えなかった。
東北にとっての“ジンクス”か。
高校野球にある一つのジンクス。エラーした方が負ける・・・。
残念だが・・・。

すべての高校球児の健闘をたたえたい。戦ったことすべてに意味があったのだ。

嫌な大人たちにことを書く。
“ジンクス”という言葉を敷衍するのはいかがかと思うが・・・。

政界用語の一つに「会うことに意味がある」というのがある。“ジンクス”ともされてきた。外交にもそれはある。
それまで“対立”していたり、物事の進捗を妨げていたことを取り除く手段として。

過日の野田と谷垣の会談にも当てはまる。が、この言葉は政治に手錬た人に当てはまる言葉。政治音痴には通じない。国会運営をめぐるその後の、最近の自民党幹部の発言をみればわかる。結局、「会った」谷垣はコケにされ、問責だの何だのと。

自民党に政権奪還の意思ありや。馬鹿な言辞や行動の数々は、ますます国民をしらけさせ、結果、維新の会なるものの価値を高めさせ、国会議員がよってたかっての橋下詣でのような現象・・・。

橋下維新の会とはいったい何なのか。あてはまる言葉が探せない。自分たちがこの国を変えられるという過信のもとの集団とも思える。

維新の会を支持し、それに期待する国民も多いらしい。週刊誌は好んで書く。その議席獲得予測を。

もし、その会が政党要件を満たし、選挙で第一党になれば・・・。あの、鳩山民主党政権再来といった危惧を覚える。明治維新の時代とは違うのだ。素人集団ではだめなのだ。明治政府が基礎を築いた官僚機構は、すでにして政治家の統治が及ばないものにまで成長しているのだ。

目立つのを好む渡辺善美と橋下が会ったという、会ったことに意味が会ったと言うが・・・。

以上はどうでもいい話。以下本題。

反原発首都圏連合のメンバーが、菅の仲立ちで野田と会った。“会談”をした。まさに“怪談”である。

この会談に何の意味があったのか。
出席者の一人が言っていた。「ドラムを大きな音量で叩くのは、その音で、総理に気づかせたいから」というようなことを。じゃ、会ったのだから、声は伝えたのだから、それで終わりとならないのか。

この市民運動。「フクシマ」が無ければ起きていない。それだけは確実に言える。
しかし、福島の地からそれを見ていると、なにか常に奇異なものを感じる。最初の叫び声は大飯再稼働反対だった。次は原子力規制庁人事撤回だった。

そして、彼らは、ネットで集まってきたという彼らはネットで毎日書いていた。「どこも既存のメディアは我々の運動を伝えない」と。
やがて参加人数が増えてきて、テレビが取材に行くと「どこの局が来た、なんとかいうレポーターが来た、新聞が取り上げた」と。
要するに自分たちが貶す既存メディアに取り上げてもらえるかどうかが関心事。貶していたメディアを一晩にして評価する。
彼らの要求には政府は国民の声を聞けというのはあった。しかし、野田に面会を求めるものは無かった。そして登場する、福島原発事故発生時の最高責任者だった菅直人。

市民団体は市民運動出身の菅を責めない。福島県民からすれば、菅の責任こそ問われるべきものだと思っているのに。

前総理が仲介して現総理と会談させる。前は市民団体に軸足を置いている。何とも不可思議な構図。

会った。何かを得たのか。「承服しかねる」と席を立って行ったという。抗議行動は続けるという。
30分の会談は全部公開だった。だから裏取引はないと思う。手ぶらで帰った代表達。みんなに何というのか。「やはり野田はだめだった」としか言いようがない。

もともとは会うことを目的としていた集会ではなにのだから。
野田の側は言うだろう。「反対運動をされてる方々にも真摯に総理の考えを伝えました」と。

官邸側からすれば一件落着の構え。

最初から、理解しあえるはずもない両者の会談。何の意味があって、何か得るものがあっての会談だったのか。

まさに“怪談”としか言いようがない。全く無意味な話し合い。

飛び交う言葉は「原発」なれど、被災地福島の実情との大いなるかい離・・・。

市民による反原発運動はおおきなうねりとなっている・・・そう一部マスコミは書くけれど・・・。

2012年8月22日水曜日

“フリージャーナリスト”の死に思う

シリアの内戦を取材中に一人の女性ジャーナリストが亡くなった。銃弾に撃たれて。本人は無念であろう。痛恨の念に堪えない。

彼女は時々テレビで見たことがある。柔和な語り口で、自分の仕事を語っていた。
弱者の視点と説き、記録し、伝える人がいないと、戦争は無くならない。拡大を防げるかもしれないと語っていたのを覚えている。

ジャーナリストは、戦地に行く。そして、それが内戦であろうとなかろうと、これまでも多くのジャーナリストが命を落としてきた。

そして、何よりも、多くの“兵士”や市民が、何万、何十万という人が命を落としている。たぶん、今日も。

戦地には必ずそれを伝えようとする人達がいる。どういう立場にたっていようとも。

ただ事実を、戦争の模様を伝えることだけを使命としている人は少なかろう。伝えることが、その悲惨さを訴えることが、それを止めさせうる方法だと信じて赴いている人がいる。

戦場のフリージャーナリスト。取材したものは、伝えなければならない。それも、早くに。一人で撮り、一人で喋り、一人で伝送する。
取材してもそれを伝える手段を持たねば、その取材は達成できない。メディア、媒体という意味でのメディア。それを持っていない。

日本のテレビ局は、戦争取材をフリーランスに依存する。山本美香さんはラジオプレスという“組織・団体”所属していた。そしてそのラジオプレスはテレビ局と契約していた。

大手メディアの戦争報道は、フリーランスの人達によって成り立っていたということ。また、フリーランスにならないと、現場には行けないということ。
大手メディアの支局員、特派員は、その近くまでは肉迫したとしても、最前線には行かせない、行かないということ。

彼女の死によってあらためて見えるメディアの「構図」。

彼女は去年は東北の被災地にいたという。持論である弱者の視点から、その被災地を取材していたという。

原発事故後、大手メディアはこぞってその“汚染地帯”に入ることを自主規制した。記者個人ではない。組織としての命令。
福島第一原発の正面入り口に立ったのは、いわばフリーのジャーナリストだった。

どこか重なる構図を見る。原発事故現場。東電の社員は最前線にはいかない。いかせない。フリーの作業員にその任に当たらせる。
その”フリー“の人達の活動がなければ、伝わらないことが多々ある。

そして思う。山本さんがテレビで言っていた言葉。記録し、伝えることをしないと戦争は無くならない。戦争が“弱者”にいかに大きな犠牲を強いているかという問いかけ。

原発事故も、誰かがきちんと記録し、伝えないと、それはなくならない。記録はあるが公開は出来ないという論理・・・・。

悲惨な出来ごとの前にある、不条理な論理。


ベトナム戦争時、その地を取材しつづけた日本人記者。大森実。彼の取材記、「泥と炎のインドシナ」。その記事は“戦争”というものの本質を最前線からつき、その無意味さをあらためて世に知らしめていた気がした。
それが、やがて訪れた、“べトナム戦争終結”にいささかでも寄与していたかもしれないと。

従軍記者という言葉がある。それは自国の軍隊とともに行動し、その記録を伝える仕事。山本さんらは従軍記者ではない。自分で自分の身を守るしか出来ないかった人達。戦果を伝えるのが仕事ではなかった。

彼女が持っていたビデオカメラが“武器”といえるのか。身を守る手段だったといえるのか。

戦場は狂気が支配している。構えたビデオカメラが相点は武器に見えるかもしれない。

戦争というものが、また一人のジャーナリストの命を奪い、名前も何も伝えられない自国民を殺しているという現実・・・。

山本さんが撮ったビデオには横たわる死体が記録されていたかもしれない。東北の被災地でも、津波に犠牲になった遺体が撮られていたかもしれない・・・。

そして、また、テレビというメディアの“構図”に考えさせられることありと。

2012年8月21日火曜日

きょうは「福島県民の日」なのだ

8月21日。この日は県の条例で「福島県民の日」と定められている。
平成9年に制定された。県民の日を設けよう、それを何日とするか。たしか制定委員会なるものが設けられ、一般県民からも希望者を募り、意見が交わされ、この日に決まった。それは明治9年に、今でいう浜通り、中通り、会津の三県が合併した日、当時は磐前県、旧福島県、若松県と呼ばれていたが。その合併が決まって今の福島県の形が出来たのが8月21日。それにちなんでいる。

この制定委員会には、当時一緒に仕事をしていたテレビ関係者も一般公募で参加していたから、よく覚えている。

廃藩置県に端を発した、明治9年のこの大福島県の誕生。県史を省みて、それの是非をいまさら問うものでもないが、たとえば郡山にもある集まり。郡山にいる人達でつくる「いわき会」「会津会」。

浜、中、会津の三地方は、伝統や風習、言葉もそれぞれ違う。時には“民族性”の違いすら感じさせられることもある。

子供の頃、東京都民の日が制定された。10月1日。その日は学校が休みになり、バスや都電は無料だった。一日中バスと都電に乗っていた・・・。なんかバッジのようなものを貰ったような気もする。

それはともかく・・・・。

県民の日が制定されてから何が行われてきたか。その日に乗っかった名前だけ冠した行事だとか、公共施設の無料開放だとか。

県民の多くがこの日を知っているのかどうかも疑問である。ほとんど意味を持たない県民の日・・・。

「郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごう」。県民の日の趣旨にはこう書かれている。

文字通り読ませていただくなら、今こそ、この趣旨を高らかに謳い上げる時ではないのかと。
県の主催で、盛大な県民大会をやればいい。知事は震災で大きな被害を受け、原発事故で、その「当事者」とされている県民に対して、復旧・復興のために自らが何を為すか、声涙下るようなメッセージを発するべきである。
そして、内閣総理大臣を、関係閣僚を呼び、この国の在り方を全国民に、全世界に訴えさせるべきである。原発被災県として、発すべき言葉の数々があるはずだ。
そして、避難生活を強いられている県民の声を県民の総意として天下に知らしめる日とすべきなのだ。

3・11以外のもう一つの福島県民にとっての祈りと誓いの日であるべきなのだと。

県民の日ということで、知事室を訪れた子供たちに“仕事ぶり”を紹介し、記念撮影したとテレビが報じている。笑顔で写真に収まっている県知事。

きのう、喜多方で開かれた新潟、山形との三県知事会合でも、彼は隣県の支援に謝意を表したものの、原発問題に関しての政治家としてもメッセージは発していなかたようだ。
あげく新潟県知事からは、自助努力というような言葉を使われ、やんわりと、その“怠慢さ”をいさめられていたようにも見えた。

平成23年、平成24年・・・。8月21日の福島県民の日は、もっと、もっと、歴史に残るような「特別な日」であってほしい、いや、あって然るべきなのだと思うのだが。

制定趣旨に書いてあるのだ。「豊かな福島県を築こう」と。

2012年8月20日月曜日

「期待」と「裏切り」と

期待が大きかった時、それが裏切られると、失望は倍になる。

これは、今の民主党政権にあてはめてみれば自明の理。鳩山の普天間発言から始まって、原発事故後の菅の“置き土産”。それの域を出られない野田・・・。

中間貯蔵施設の建設予定地がきのう、やっと“公式”に明らかにされた。原発隣接地域に。細部はともかく予想されたこと、県や関係町村にはそれなりに根回しもあったことだと思うけど。

発表する細野環境相の表情は苦渋に満ちていたようだった。これまでに見えていた自信満面の表情はなかった。やつれているように見えた・・・。

矢面に立っている彼の心中を聞いてみたい。真意を聞いてみたい。

とにかく、国が打ち出す方針は、場当たり的であり、タイミングの逸したことばかり。事故直後のさまざま含めて。

戦後に匹敵する災後。この国がこわれるかもしれないという瀬戸際。中央の官僚たちは相変わらずの縦割り行政のしがらみにしがみつき、省益を優先させている。
各省庁を束ねているはずの官邸は機能不全のまま。

つい先ごろ、避難区域の見直しがあった。楢葉町は計画的非難区域になり、出入りは自由になった。とされる。
もしかしたら自分の家に帰れるかもしれない。疑いの目を持ちつつも、それを期待した人もいる。

その楢葉町の一部も中間貯蔵施設の建設現場にされている。

期待は裏切られた。

町民はそう思ったに違いない。わずかな期待も裏切られたと。普天間がそうであったように、住民感情を逆なでするやり方は、問題解決を至難のことにする。

もった早く出来たはずだ。中間貯蔵施設の建設予定地を示すことは。先送り、棚投げのつけ。

中間貯蔵施設。中間なんて言いたくない。そこはたぶん永久保管場所になるのだ。国中のどこを探したって最終処分場を引き受けるところなんか無い。
30年後・・・・。1年先の戦略を描けないものがどうして30年後を言えるのだ。

仮の町。やめようよ小細工。仮の町をだれが永住の場と思えるのか。そこは“無人地帯”とし、完全移転するしかないと誰もが思っているはずなのに。「仮」を言って当面を糊塗しようとする。

きのうも福島県知事の顔は見えない。いや、顔を見た。テレビで、HISのCMで笑っている姿を。馬鹿か。

コメントとして書かれていたのが「白紙」。国と当該町村との橋渡し。そこにはリーダーとしての知事の姿はみじんもない。国の方針はわかっていたはずだ。それにどう対応するか考える時間もあったはずだ。でも、唐突に言われたような芝居をして。

事故後の県の失態を取り上げたらキリがない。でも、いま、この県が置かれている立場は十分承知しているはずなのだ。

覚悟を持って、県民に対して本当のことを言うべきなのだ。でも、それはあり得ない。たぶん、国も県に対して、県知事に対して、相当の嫌気がさしているようだ。

県民の多くが抱いている「あきらめ」。それを助長させているのが、県知事だということ。

福島県民は、誰に、何に期待を持てばいいのか。繰り返される期待と裏切りの日々。

2012年8月19日日曜日

「僕は高校生に教えられたのです」

去年の3月14日頃から、郡山には原発事故の避難民達が次々と到着してきた。
すでに3月11日の夜からは原発避難民の前に家が倒壊した市民もその避難所に多数身を寄せていた。

その避難所、郡山の開成山球場。多くの人がそこに集まってきた。そこにいた。
損壊した市役所の職務もそこで行われ始めていた。

彼は一人でその避難所に行き、ボランテアの登録をして、支援活動に専念した。

彼の父親はその頃、東京の病院に入院中。大きな手術を控えていた。その手術に欠かせない母親を兄弟や従兄弟が車で大宮に運び、そこで別の兄弟にバトンタッチ。それを見届けると彼はすぐさま避難所に駆けつける。

彼は38歳独身。会社の社長でもある。数十人の従業員を抱えた。社屋も自宅も地震でかなりの被害を受けた。自宅は寝る場所だけは確保。仕事の合間をぬって避難所に通う。

彼は、今になって語り始めた。「ボランティアに行きたかったんです。どこの組織にも属しておらず一人で来る人はちょっと奇異な目で見られたようでしたが。
そこで物資の運搬などを手伝っている時、その場に大勢の高校生がいたのです。市内の。彼らは一生懸命働いていました。彼らの姿を見て、ボクは、今、自分がやるべきことを見つけたのです。学校の指示ではない、自発的な意志での高校生たち。彼らに教えられました」。

彼は今、表で遊べない子供たちにために設けられた子供の遊び場に通っている。こども達のためのボランティア活動に時間を割いている。そこの運営に携わる者として、“指導員”の資格をとり、こども達と触れ合い、共に遊び・・・。

「最近はお母さん達の話を聞いてあげるのが仕事のようになりました。子供たちが遊んでいる間。お母さんたちは皆、悩んでいるし、辛い思いをしているようです。放射線量がそんなに危険な状態ではないと言ってあげると少しは安心してくれます。話をして溜まっていたものを吐き出すとお母さんたちはいくらかほっとして子供と帰っていきます。おかあさんたちにはいろんな情報がどこから仕入れたのかわからない“キケン”という情報が刷り込まれたいます。
それを少しでも解きほぐしてあげれば、明るい表情で帰っていける。明るく元気なお母さんと一緒にいることが、子供たちにとっては一番いい環境なのだと痛感しています・・・」。

彼はあらためて言う。「僕が今日あるのは、あの避難所で働いていた高校生の姿が原点にあるのです」と。

去年、津波で壊された街でも、ボランティア活動に励む高校生たちがいた。夏の高校野球を控えて、仕上げの時期に入っていた野球部員たちも大勢いた。
被災地の人たちは、高校生によって助けられ、励まされ、その健気さと、逞しさに感動した。

いろんな高校生がいる。コンビニの前に座り込んだり寝転んだりして、煙草を吸っている奴もいる。「いじめ」にかかわる高校生もいる。受験勉強に励む高校生もいる。全国各地で被災体験を、避難体験を、住めなくなった故郷を語り伝える高校生達がいる・・・。

甲子園はきょうも燃えている。

オリンピックの事を書いた時にも触れた。本当に苦労してきた者には苦労している人の気持ちがわかるのだ。

38歳の彼の話を聞きながら思う。「俺は何をしているのだろう」と。もっと出来ることがあるのではないかと。惰眠をむさぼっているのではないかと。自責に駆られる。

去年、原発事故で住むところを追われた人達や、その町や、村を撮った「無人地帯」というドキュメンタリー映画のあることを知った。郡山でその上映会をしたい。郡山文化協会に提案してみた。結果・・・自然消滅状態になっている。その映画の監督は、あらためてその続編を撮り始めている。夏編、秋編と撮って行くと言う。

その上映会でも出来たらとあらためて思う。

惰眠をむさぼっていない人達が、回りにいるという事実・・・。38歳の若者に教えられ、映画監督にも教えられる。
「老にして学ばば、死して朽ちず」。そうなんだよな・・・。

2012年8月18日土曜日

ロンドン五輪の”余韻”

オリンピックの話題が今も続いている。20日には選手たちが東京でパレードをやるとか。

今年のオリンピックは特別なオリンピックだったと思う。選手たちが、大なり小なり、被災地に思いをはせていると思うから。
被災地出身の選手たちも健闘した。「・・・ために」。勝敗が問題なのではない。そこに至るまでにどれだけ努力したかだ。

バトミントン女子の佐藤冴香選手。靭帯損傷と言う大けがをしながらも足を引きずりながらもコートに立ち、シャトルを追った。宮城県出身。被災者と言ってもいいのだろう。

会場のロンドン市民達は彼女に惜しみない拍手を、勝者を上回る拍手を送った。
英国には有名な言葉がある。グッドルーザ。悪びれない敗者。ウインブルドンの観客はそれに心からの拍手を送る。

それは英国の伝統、騎士道につながる。敗者への思いやり。礼義。日本の武士道と相通じる精神を彼らは持っているのだろう。

女子サッカー、なでしこ達は決勝で敗れた。表彰式に臨む時、彼女たちは“むかで競争”のような格好をして満面の笑みでピッチに姿を現した。彼女たちへの拍手は勝者のアメリカを上回っていた。

康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない。他の三選手が誓った男子メドレーリレー。
残り1分で逆転したフェンシング。メンバーの中には岩手出身の気仙沼出身の千田がいた。
彼のためにも他の選手は負けられなかったという。

柔道の松本薫や海老沼、中谷・・。帰国後すぐに駆けつけたのが被災地の子供たちとの交流だった。選手の意志か、協会の指示かはともかく。

被災地の人たちの多くがオリンピック選手に励まされた。精いっぱいの努力をすること、死力を尽くすこと。選手たちは、それを体験してきた選手たちは知っている。いま、この国で必死に這い上がろうとしている人たちがいることを。その人たちと“共有”したいと思ってうることを。

そして、仲間を思いやること。今の日本人が最も必要であるべきことを身を持って伝えたいということを。

さらに笑顔。被災地に必要な本物の笑顔。笑顔からは希望が湧いてくるということを。


なぜ、これほどまでにメディアはメダルの数にこだわるのだろう。今の日本に必要なのはメダルの数ではない。どこまで努力し、力を出し切ったかということなのだ。
メダルは結果としてついてきた“副産物”でいいじゃないか。

メダルの数を言い募るメディアをみていると、敵機を何機撃ち落としたという大本営発表をも思い出す。

戦果は数だけではない。いかに戦ったか。そして、どれだけ敗者を思いやったか。

いっこうに消えることのない被災地の被害の“余韻”。心の傷。それをいくらかでも癒してくれたのなら、2012年のオリンピックは史上にしるされる価値ある大会だったのかと。

2012年8月17日金曜日

「神は細部に宿る」と言う・・・

3・11後、折に触れて使われた言葉の一つに「神は細部に宿る」という言葉がある。
どうやら出典はドイツの建築家の言葉らしい。

God is in the details

ゴッドとはキリスト教でいう神とは意味が違うらしい。何事も細かいことの積み上げと解釈させてもらう。細かいことの積み上げ、与えられた場で役割を全うすること。それが結果として、大きな業の結集につながるということか。

安岡正篤のいう「一灯照隅」の考え方に通じる。

この言葉の本意ではないかもしれないが、話は飛躍する・・・。

とかくこの世は声の大きい者たちが、大きな声を出した人が勝ちという風潮がある。
建築現場の職人たちは概して無口である。こつこつと自分の仕事に精を出す。出来あがった立派な建造物は建築家の成果として評価される。ただ、職人に思いを致し、職人に対する敬意を持っていた建築家の作品の方が優れたものとなっているのではないか。

福島第一原発。それを廃炉の持っていくのは、まさに神業かもしれない。この酷暑の中、“完全武装”の作業員たちが、その数2,000人ともいわれる人達が黙々と作業している。東電社員もいれば関連企業の社員もいれば、元請け、下請、孫請けの日雇いに至るまで。

現場の人間はまさに「細部」だと。

作業員の被曝線量隠しがさかんに報道されている。線量を偽ってでも作業員を集めないと収束へ向けての作業は出来ないということか。そうでもして、仕事を得ないとならないということか。これからも原発事故現場ではこうした“絶対的矛盾”がさまざま露呈されてくるだろう。

それを誰かが解きほぐさねばならない。

原発事故は人災であった。もはやこれは衆目の一致した結論。一にも二にも東電の責任は大きい。いまさら言うことではないが。非難されて当然。
こういうと「ひとくくり」の議論が出てくる。東電は悪い、しからば、全社員が悪いのか。あらゆる誹謗中傷の的となるべきなのか。

先日目にした新聞記事。第一原発、第二原発で働く東電社員の多くが、「加害者」として誹謗、中傷、個人攻撃の対象にされている。4割がPTSD含め、心理的に健康を害しているという。さもありなんと思う。
ただでさえ、いまだ、福島県や県民にたいしての、いわゆる“差別”的言辞がさまざまな形で表れている。東電社員に至ってはなおさらだろう。

人は、いわれなき誹謗、中傷に何処まで耐えられるか。「いじめ問題」に似通ったような”現象“。

原発作業。かなりの専門的知識を要求される。現場の人間へのいわれなき批判がつづくと、収束作業に影響が出るのは必至なのだ。事故からの復旧を遅らせること必至なのだ。

もし、現場で働く人がいなくなったら・・・。ぞっとする。
いわれなき個人攻撃は、新たな“人災”を生むかもしれない。

神は、細部であるすべてのひとのこころに宿っていると思うのだが。

歴史の一部を見ても、たとえばローマ帝国の滅亡を見ても、権力者は細部に宿っているはずの神を見ようとしなかった。

これ、東電擁護論には全く非ず。権力者の中には東電幹部が含まれていることは言うまでも無し。

2012年8月16日木曜日

野党とは・・・政党史と原発

ふと思い出した話を書く。

もう20年以上前の話だ。その雑誌の名前は失念したが、朝日新聞の国正武重記者(その時の肩書も忘れた。編集委員だったか)と東電の社長那須翔との対談記事を読んだことがある。その中で那須社長はこんなことを言っていた。
「原子力発電に対して、厳然たる反対勢力がある。それは十分承知している。しかし、その反対勢力に絶対負けたくない。だから絶対安全な原子力発電にするのだ」というような趣旨。

その反対勢力とはマスコミではない。当時の野党第一党、日本社会党を指していた。

日本社会党史に触れる気はないが、いわゆる55年体制の基を為したものであり、日本の政治を語る上では欠くことの出来ない存在だった。善し悪しは別にして。

一時、社会党は政権奪取の意気込みを見せていた時がある。しかし、それを止めた。保守と言う自民党に対抗する革新という位置づけに身を置いて、その存在意義を確たるものにしようとした。

結果、万年野党と呼ばれ、何でも反対社会党という“呼称”をたまわった。

与野党対決の構図。マスコミが好んで使った用語。野党とは。共産党もあった、後には公明党もあった。しかし、野党とは、一時期までは社会党だった。総評という労働組合組織と連携し、その影響力は大きかった。

もちろん、政治史の中では、たとえば金丸・田辺ラインと呼ばれるようなパイプと言われるものがあり、強行採決があっても、その裏で筋書き含め“出来レース”と言われるものもあったが。水面下の交渉。これもマスコミが好んで使う用語。

水面下の交渉。これは国会の中だけではなく、たとえば賃上げ交渉にしても、資本対労働の関係の中でも存在していたが。

とにかく社会党の力は強かった。国会では爆弾男が登場し、たとえば三ツ矢研究などという防衛庁の機密も暴かれたし。

だから、那須社長をしていわしめた厳然たる反対勢力。電力会社も無視できない勢力。

やがて日本社会党は衰退の歴史をたどる。その究極が村山富市内閣。政権についた途端に、社会党は怖い存在でもなんでも無くなった。

今の社民党がその系譜の中にあるという。形の上では。でも、もはやそれは別のものであり、社民党も連立を組んだことで知られるように、単なる権力亡者になってしまった。

社会党の衰退と期を一にするように、原発推進がなされ、そこに数多くの瑕疵があったにも関わらず、政治の場で問題視されることがなくなった。ほとんど。

那須氏の言葉を裏返せば、「絶対安全な原発」を作る必要が無くなったというロジックも成り立つ。


政権を持っている党が与党と呼ばれ、そうでない党は野党と言われる。しからば、今の政界にあって“真の野党”とは存在するのか。無い。

政権交代が可能な二大政党。こんなお題目に踊らされ、保身と権力欲だけに支配されたオール与党願望の永田町。形だけの原発反対、脱原発。国家100年の大計にたったエネルギー政策はどこも持ち合わせず・・・。

どこか電力会社の思うがままに原発は命を長らえる。電力会社に見くびられている政界。

もし、もし、あの頃のような日本社会党ありせば。原発事故の様相は変わっていたかもしれない。

総評も無くなり、連合と言う組織にとってかわった。連合は民主党政権を牛耳る。連合の中に電力総連があり、電力会社の労働組合の多くがその傘下にある・・・。

酷暑の中の白昼夢のような・・・。

2012年8月15日水曜日

もう一つの“敗戦”

毎日正午、郡山市の防災無線からは郡山市民の歌が流される。きょうも流されていた。しかし、それは正午前からであり、正午の時報とともに止んだ。
テレビでは武道館で行われている戦没者追悼式の模様が中継されており、天皇皇后両陛下とともに黙祷が捧げられる。

平成24年8月15日、正午の光景。1分間、すべての物音が途絶えたような静かさに包まれていた。甲子園球児達も黙祷している。

戦没者とは誰を指すのか。軍人だけか。戦の場にいなかったが、戦火によって命を落とした多くの民もいる。それは沖縄でも、そして8月15日以降も例えば樺太での多くの民間人の死も・・・。

天皇陛下、昭和天皇による終戦の詔勅。それを4歳の子供は疎開先と言うか避難先の兵庫県の飾磨というところで聞いていた。大人たちと一緒に。ラジオから流れてくる途切れ途切れのような放送。

終戦まじか、姫路にいた。大空襲。焼夷弾ですべてが焼き尽くされた。逃げまどった。防火用水の中に多くの遺体を見た。火が迫る中、長い列の軍用列車らしいものが行き去るまで開かない踏切で、恐ろしさに震えながら、踏切が開くのを待っていた。トウモロコシ畑に隠れ、そこで過ごした数日。火傷をおった祖母・・・。今でも開かない踏切は怖い。

あの戦争は何だったのか。それを知りたくて数多くの本を読んだ。文学もノンフィクションも。そして、おの年になっても、自分なりの結論を見いだせない。

おそらく歴史というものはそういうものだろう。「聞けわだつみの声」から見えてくる戦争もある。「日本の一番長い一日」から見えてくる戦争もある。

広島、長崎、そして8月15日。八月は祈りの月である。

終戦の詔勅。時運の赴くところとある。詔勅の草案を起草した安岡正篤氏は「義命の存するところ」と書いた。それは入れられなかった。

あの戦争をめぐって、多くの人が書き、語り、映像化もされている。最近も読んだ本。加藤陽子の「それでも日本人は”戦争“を選んだ」。著者なりの総括はされているが・・・。
浅田次郎の「終わらざる夏」。涙を流したが。半藤一利の「昭和史」・・・。

そこから見えてくるもの。日本人はあの戦争を、国としても個人としても、歴史としても、経験としても。どれだけ総括してきたのか。
総括されていないような・・・。

あの戦争の中にあっての大元帥として奉られた天皇の位置づけ。少なくとも言えることは、占領軍のマッカーサーをして「尊敬の念」を抱かしめた昭和天皇の存在。

戦後の日教組教育は天皇制をことごとく否定しようとし、その廃止までも言った。戦争責任にも言及した。責任はその詔勅の中ですでに認めているにも関わらず。

時運の赴くところという言葉でなく、そこが義命のそんするところであったならば、その一語をもってしても“総括”はされやすかったのかもしれないが。
言えることは「時の運」ではなかったということ。

戦後、昭和天皇の行幸というのがあった。それは敗戦から立ち直ろうともがく国民の意志を鼓舞したのではなかろうか。

それを痛感したのは、3・11後の平成天皇皇后による被災地た避難所の慰問。苦しみ、悲しみを共有されようとした姿勢。 陛下と相対したことで、彼らは知る。棄民ではないことを。

戦後も災後も。天皇の存在がこの国を、それでも秩序あるものに保っているのかも。義を重んじることにその意味を感じているのかも。

太平洋戦争という経験を敗戦を経て日本人は何を学んだのか。学ぶところは少なかったのかもしれない。

原子力戦争。それに日本は破れた。それはもう一つの敗戦だ。国策という美名が多くの人の命を奪ったように、国策としての原子力平和利用は、人間の手によって破れ、多くの犠牲者を出した。

そして、その総括は、何もなされていないに等しい。誰が悪い。責任の押し付け合いとなじりとに明け暮れているような。

戦後67年。原発事故から立ち直るために、また、同じような時日を費やさねばならないのだろうか。

考えるべきことの多すぎる8月15日・・・。

2012年8月14日火曜日

続・までいの力

3・11後に出版された「までいの力」。福島県飯舘村を舞台にした物語。物語とは架空のフィクションをいうのではない。人にはそれぞれの物語がある、持っている。
その本は3・11前の美しい村と、そこに住む美しい人達の生活を綴ったもの。

今回出版された続編は、3・11後の村を記録したもの。その本がようやく届いた。

帯に書かれて菅野典雄村長の言葉。
「原発事故から私たちは何を学ばなければならないのか。成長社会から成熟社会の日本のあり様を、次世代にバトンタッチしていくことではないか。その中に、本当の豊かさとは何か、その問いかけは私たち地方からこそ、訴え続けていかなければならないと強く感じます」。

本当の豊かさとは何かー。重い問いかけである。しかし、日本人はそれに真摯に向き合わねばならない。多くの原発事故犠牲者の労苦を無駄にしないためにも。

菅野村長の言葉は講演でも何回も使わせて貰った。
全村避難を決定した時の言。「二年できっと戻ります。戻りましょう」。彼は言う。1年では絶対無理だ。3年では長すぎる。2年ならどうにか我慢して待てる。科学的根拠がどうだこうだという問題ではない。リーダーが生きて行く目標を示す。これが一番大事なことなのだと感じ入った。

現状、飯舘村は揺れている。まして区域再編があってからは。村に踏みとどまっている企業もある。しかも上場をもくろんでいる。もう帰らないという住民もいる。
長泥地区は立ち入り制限のバリケードが張られ、最低6年は戻れない。

住民にもいろいろな意見がある。不満を持つ人も多い。しかし、菅野村長を悪しざまにいう人はほとんどいない。
2年で帰れる。誰も信用していなかったはず。でも、それを“はったり”だと思っても、ありえないと思っていても、責任ある人のはっきりした「言葉」を人々は欲していた。だからだろうか、「あんたはうそつきだ」と言っている人はまずいないと思う。
続、までいの力。それは、この村に心を寄せる出版社が書いて編集した本である。多少の恣意はあるだろう。しかし、3・11後から現在までの飯舘村をとりまく人間模様を素直にとらえていると見る。菅野村長は中学生を外国に研修に送り込み、見聞を広めさせ、人作りを村の再興のための一番のものと位置付けているような。

本の中にこんな一節がある。菅野村長の広報誌に書いたコラム。「うちはみんなが悪いのです」。

「ある子供の作文をコピーして今でも持っています。

きょう私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった。もっと気をつければよかったのに、お母さんが悪かった」言いました。するとお兄ちゃんは「端っこに置いていた僕が悪かったんだ」と言いました。でも、私は、昨日お兄ちゃんが金魚鉢を端っこに置いた時、「危ないな」って思ったのに、それを言わなかったから、私が悪いと言いました。夜、帰ってきてそれを聞いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買う時、丸い方でなく四角い方にすればよかったから、お父さんが悪かった」と言いました。そして、皆で笑いました。うちはいつでもこうです。うちの家はいつも皆が悪いのです。

この作文を引用して菅野村長はこう書いている。

子どもから教えられることはよくあることですが、この作文からも考えさせられ、反省させられます。相手のことを思ったり、気遣ったり、あるいは「お互いさまだよ」ということは、日本人特有の良いところだったはずです。ところが近頃、自分中心に物事を考えて発言したり、行動したりする人を時々見かけることがあります。どのような大変なことに出くわしても、この子の家庭のようであれば、乗り切れるような気がしてきました・・・。

「美しい村など初めからあったわけではない。美しい村にしようと思う人達がいたから、村は出来た」。そんな誰かの、モローだったかな、そんな言葉をまたぞろ思い出して。

2012年8月13日月曜日

「尊厳」とは・・・

オリンピックが終わった。楽しませて貰った10数日間。次回は4年後。ブラジル。4年・・・。長いような短いような。4年後のオリンピック。日本からどんな競技にどんな選手が出場するのか。選手にしても、観客にしても、4年に一度しか味わえないスポーツの祭典・・・。

4年と言う歳月。だいたいからして、書いている本人がどうなっていることやら。
4年後、今回は仮設で見たオリンピックを、彼らはどこで見るのか。見られるのか。
被災地はどうなっているのか、原発処理はどうなっているのか。

そして福島をめぐる様々な問題がどう展開されているのか・・・。

オリンピックの閉会式。ロンドン五輪の組織委員長はオリンピック精神に触れ、尊厳という言葉を使った。その中で、「敗者にたいする尊敬。尊厳」、それをこの大会で見たというような事を言った。

スポーツであっても、いやそれであるから、勝利するために選手は戦う。勝者は喜ぶ。歓喜する。スポットライトは勝者に当たる。でも、勝者があるということは敗者がそこにいると言うことである。

人類の歴史。それは勝者によって書かれたものである。勝者の記録が歴史となる。概ね。

敢えて言うなら、原子力発電は勝者を生んだ。科学の勝利とされた。その勝利の恩恵に多くの人が浴してきた。そして、敗者を生んだ。事故による犠牲者。避難するためにさまよえる民。流民。それは敗者の群れのようにさえ見える。

尊厳死という言葉がある。死に際しての人間としての尊厳。自らの意志を含めて。それは医療の中での意味を持った言葉。

突然大津波で亡くなった多くの人々。彼らの人としての尊厳とは何だったのか。死者への尊厳を理由の一つとして、被災地に突如横たわっている死体の映像はメディアには露出されない。死者の尊厳は、死体を遺体と呼ぶように、守られようとする。

原発事故後の避難所。郡山のビッグパレット。8千人もの人が身を寄せた。それが出来る時の一部始終を見ていたわけではない。それを見た時の現実。畳2畳ほどの段ボールで区切られた空間。そこに身を置いてみた。横たわってみた。見える光景。すぐ脇を土足の人達が行来する光景。ビッグパレットはもともと土足で出入りする場所。靴を脱いであがる体育館とは違う。新宿西口にあったホームレス達の光景。そこには自らの意志でその暮らしを選択した人たちが多くいた。
避難所、ビッグパレット、それは自らの意志による選択ではない。強制された“居場所”。眼の高さにある靴と足・・・。

あの場所に、食事を求めて列をなす人々に、生きている人間としての尊厳は保たれていたのか。人間としての尊厳を失う究極のところまで追い込まれていたのではなかろうか。

それでも彼らは尊厳を守った。維持した。仮設の中にあっても、かつて高度経済成長期、羊小屋と揶揄されたあの小さな家にもとても及びもしない狭い空間で、尊厳を維持しようと“敗者”達は生きている。彼らの中には憲法25条は届かない。無縁の憲法。

だから思う。彼らこそは実は真の勝者なのだと。尊厳を維持している勝者なのだと。人間としての尊厳を限りなく踏みにじられてきた人々。そう、見た目にはそこには尊厳と言うものは無かった。しかし、彼らはそれを保ってきた。

死者への尊厳、死者自身の尊厳。生者の尊厳、いきとしいけるものの尊厳。それへの回答や結論は、たぶん、何年の時日を費やしても導き出されない課題。

原発事故が産んだ“敗者”。それの尊厳を、それへの尊敬の念を誰が語りうるのか・・・。
お盆、死者と生者が対話する日に・・・・。

2012年8月12日日曜日

お盆・・・

1年365日。この季節は「お盆」。盂蘭盆会。「お」という丁寧語をつけて、その季節を大事にする。死者が家に帰ってくるという。魂が。それが帰るばあ所を間違わないように、提灯をともしたり、迎え火を炊いたり。
お盆の時期は里帰り。何にも増して優先されるお盆と言う行事。日本の伝統的精神文化の発露ということなんでしょうか。

帰省ラッシュのニュースが伝えられ、行楽地に向かう人たちの様子が伝えられ。
都心からは人が消え・・・。

郡山では「盆花(ぼんばな)」といういいならわしが。花市が開かれ、多くの人たちが花を買い求め。お線香を手に、墓参にいきます。墓地周辺は人が、人が・・・。

帰って来た死者と対話出来るのか。心の会話があるのか。死者の声が聞こえるのか。もし聞けるなら、3・11で亡くなった、多くの死者の声を聞きたい。突然家族を亡くした方々には、その思いはより強いのでしょう。

盆花を二つ求めてきました。一つは仏壇へ。母や祖母の位牌がある仏壇へ。
そして、もう一つは、先日亡くなった仮設に住む、いや住んでいたじいちゃんの家へ。病院で迎えた死ではあったけれど、川内村から郡山に避難させられ、いわば異郷の地で死を迎えた。彼の思いはいかばかりだったのか・・・。

原発避難区域。先日警戒区域が解除された楢葉町。立ち入り自由。多くの人たちが墓参に帰っています。墓を掃除し、花と線香を手向け。
“田舎”に行けば行くほど、先祖というものに対する思いは強い。その「御先祖さま」に対する理屈を超えた思い。それを、3・11で再認識しました。

位牌だけ持って逃げた人、一時帰宅を許された時に、まず仏壇に行って先祖に詫び、位牌を避難先に持って行く人・・・。

先祖とは何なのか。土着信仰、土俗信仰、土に生きてきた人達の、生者の支えとなるものなのか。

楢葉町の場合、お盆の時期に合わせた警戒区域解除だったのか。それにしても。出入りは自由、しかし宿泊は出来ない。寝泊まりできてこその家。
なぜ、宿泊してはいけないのか。その理由がいまいちわかりません。自分の家に寝て、罪科(つみとが)に問われると言うことか。

「福島の人はなんでもっと怒らないのか」。そんな声をよく聞きます。東北人は怒らない、じっと我慢ばかりしてる。そんな声も聞きます。

怒りを表現するにはさまざまな表現があります。大きな声をあげてデモをするのも怒り。それは形としては大きいものに見えます。
片や静かな怒り、黙した怒りもあります。大声をあげて面罵するよりも、相手の目をじっと見据え、その眼に怒りの感情をみなぎらせる・・・。

お盆に帰ってきた死者の眼には、もしかしたら、その魂に、怒りの感情が込められているかもしれない。

避難してきている人たちと話をした時、話している時、伝わってくるその静かな怒り。

その静かな怒りの方が、あらゆる意味で強い力を持っているのではないかということも。

灼熱の太陽のもと、日本列島を覆っている「お盆」。それは、楽しくもあり、嬉しくもあり、なによりも悲しくもあり・・・。

盂蘭盆会。梵語のウランバナという言葉だという。その謂われ、意味は「さかさまに吊るされて様な苦しみを取り除くための行為」だともいわれる。

であれば、今、吊るされてような苦しみの中にいる生者達のためにも、お盆はあるものかもしれない・・・・と。

静かにそう思う。

2012年8月11日土曜日

「福島の桃」のこと

塾生に須賀川の桃農家の娘がいる。今、福島は「あかつき」という品種の物の最盛期。
その塾生はわざわざ須賀川の実家に寄って持参してくれました。先日の塾の時に。

うまし。ちょっと食べるには早め。熟れ頃の一歩手前だったのですが。

店の大将に頼んで剥いてもらい、みんなで。また、このみんなで食べるっていうのがだいご味。瞬く間に大皿に盛られた桃が無くなっていました。

亭主は熟した、柔らかくなった、糖味のある桃が好きです。たぶん、東京育ちの人はそうかと。
福島に来て初めて知ったのです。固い桃が好まれていることを。

ずるがしこい亭主は、大将に頼んで2個ほどくすねてきました。

すると今度は、伊達の「あかつき」が贈られてきました。伊達の桃農家から。
いえ、そこの息子が元部下でありまして・・・。毎年贈ってくれる“特選”。
この桃には“友情”という味が加味されている。塾生の桃には仲間への“愛情”が加味されている。

そういえば去年も同じ光景だった。伊達の桃農家の息子が「放射能のことってきにしますか」って聞いてきたような。「全然、気にしてないよ」。当然なんですが、気にするわけもなく。汚染されているはずもなく。
こんな美味しい桃が食べられるなんて“逆差別”だと悦に入っていた覚えが。

たぶん、こんな美味しい桃は食べていないだろうと、東京の知り合いの90歳の独居老人、おばあさんにおすそ分け。早速電話。「あんた、こんな美味しいこの食べたことない。いい冥土の土産だ」と。

最近、ネット上で、特にツイッターで、福島の桃の書きこみが多い。どこそこのデパートでゲットしたとか、入手したとか。
リツイートされまくっているみたいで、誰だかわからないのですが、結構の人数。

美味しいとか、きれいだとか、みずみずしいだとかのほめ言葉。もちろん県外、たぶん都会の人たちだと。
福島の桃が出回っている。うれしいことはうれしいのですが。

穿ってみる習性のある亭主。普段はそんな書きこみないのに、なんでわざわざ。桃のことを。
「私は福島に寄り添っている」。あえてそう言いたいのかなってかんぐりたくなるような数。うまいものは黙って食っていればいい。わざわざ天下に公言するようなことではない。

俺って“悪意”の持ち主なんだろうか(笑)。

伊達の桃は「献上品」でもあります。たぶん、陛下の元へも届いているかと。
そういえば、政局騒ぎの、大飯再稼働反対デモの最中だったか、福島のピーチ娘というキャンペーン嬢が官邸に。野田は美味しいと言って食っていた。なんか嫌な光景・・・。脇には県知事さまがニヤニヤしながら随伴してるんだもの。

とにかくネット上で福島の桃の話が羅列されているのがなんか不思議に思えたので。

韓国大統領が竹島上陸・・・。
オリンピック、3位を賭けた日韓戦。イエローカードの連発。
それはスポーツとして観戦するには耐えがたい光景、心境だった。

桃を食べて出かけます。今日は座談会に講演会、そして若者たちとの“勉強会”。
桃パワーで乗り切って。「韓国問題」。話題に供されてはずと。

2012年8月10日金曜日

慕われる監督と、忌避される人達と

なでしこ達のオリンピックが終わった。彼女たちを見ていて思うこと多々ある。
試合には負けた。悔し涙を流した。泣いた。その涙の理由の一つに「ノリさんの首に金メダルをかけてあげられなかった」ことがあるとメンバーの誰かが言っていた。

佐々木則夫という監督が名采配をふるったのか、技術力を向上さえたのか、それはわからない。何よりも彼が優れていたのは、メンバーの選手たちを一つにさせる力を持っていたことではないだろうか。
そして、真のスポーツマンシップを植え付けさせたということでなないだろうか。
一つ・・。それについても選手は言う。「もうこのメンバーで戦うことは無いのが悔しいし悲しい」と涙の訳を語る。

試合後、彼女たちがとった行動。アメリカの選手のところに行き、勝者への祝福を忘れなかったこと。これこそが彼女たちの真骨頂なのだと。それを教えたのもノリさんだったのかもしれない。スポーツは人間を育てる。相手を称える心を持っている。それが日本人の精神なのだと。今はすでに無くしてしまっているこころなのだと。

ワールドカップの時、岩清水が掲げた日の丸には、被災地の人からのメッセージが所せましを書き込まれていた。
アメリカのワンバックもモーガンも、被災地に激励に訪れている。
そんな光景が余計に女子サッカーにのめりこませてくれた。

もちろん多くのスポーツ選手も被災地を訪れていたが。

なぜノリさんが選手を一つに出来たか。それは目線が彼女たちと同じ位置にあったからではないか。千人規模の村民の心を一つにするのは至難の業だが、どこか飯舘村の菅野村長とイメージがダブる。

とにかく、ありがとう。この一語しかない。彼女たちに贈る言葉は。

ロッカールームで泣くだけ泣いて、表彰台の上ではピースサインをしようと話し合い、満面の笑顔で観客に応えていた。うたれる。泣くだけ泣いて、笑顔に。それは、去年避難所で見た光景と重なる・・・。

こんなに慕われたリーダーを見たことがない。

オリンピックを他所に繰り広げられている政争。不信任案案をめぐり、民主党からも“造反者”を出し、自民党も“造反者”を出した。野田も谷垣も慕われてなんかいない。忌避されている。

そして「近いうちに」という5文字をめぐって、マスコミまでもがその“解釈論議”にうつつを抜かしている。ばかばかしいにもほどがある。

政界の話をちょっとだけ。与野党合意。そこにはいつも、自分たちに都合がいいような“玉虫色”っていう解釈がある。足して二で割るという“法則”がある。要は、どうでもいいこと。消費税法案をどうでもいいと言っているわけではなく。

昔、江崎真澄という自民党の重鎮がいた。かれに付けられたあだな。「近メシ」の江崎。「近いうちメシ食おう」を誰彼となく連発。そして、そのほとんどが実現していない。いつしか誰もその社交辞令を信じなくなった。

はい、亭主もその“被害者”の一人でしたが・・・(笑)。

昨日書いた福島県知事の東電への要請。「健康に影響ないと言ってくれ」。県は全面否定している。「知事に発言の記憶なく、職員も知事から発言を聞いたという記憶は無い。文書や記録もない」。

「記憶」。それはその人が体験した、経験したことを指す。無いというのは忘れたということに等しい。なぜなら「記憶が蘇った」ということが多々あるではないか。言葉をめぐるへ理屈のようだが。

ロッキード事件の証人喚問で有名になった小佐野賢治の証言。記憶にございませんの連発。記憶にないということは“嘘”に等しいと皆が思った。そんな記憶がよみがえる。

ならば、東電の福島事務所長が知事の名前を勝手に使ったということか。
福島県知事も、今や忌避すべき対象となってしまった。

なでしこ達は明日にも帰国する。こころから歓迎し、労をねぎらい、この日に至るまでの生々しい記憶も聞いてみたい。

メダルの色は関係ない。やるべきことを一生懸命やったかやらなかったかだ。
金に良しという字を書くと「銀」になる。金に同じと書くと「銅」になる。

為すべきことを為したかどうか。為したことが人に感動や感激、力をあたえたかどうかだ。

オリンピックと高校野球と。まだまだ感動を貰える機会を我々は持っている、与えて貰っている。

2012年8月9日木曜日

この記事をどう見るか・・・

共同通信から昨日配信された記事。少なくとも河北新報には載っている。

「健康被害ない」と広報を 爆発直後、福島県が東電に要請か

こいう見出しの記事。要約すると・・・。

1F3号機が3月14日に水素爆発を起こした直後、福島県が東京電力に「健康被害の心配はない」とする文言を記者発表の資料に記載するよう要請していた。これは東電が報道関係者に公開している社内のテレビ会議の録画映像で分かった。
東電広報班が福島事務所からの依頼として「3号機の爆発に関する発表文に、福島県知事から、『いま北西の風が吹いており、観測された放射線量から健康に被害が出る心配はない』という文言を入れてほしいという話が東電本店の非常災害対策室に連絡があった」というもの。

東電の対策室は健康被害に言及することに難色を示し、心配ないと言い切るのはリスキーだと指摘、「官邸に福島県知事からこういう意見があったと伝える」というような回答をした。結局報道発表はされなかった。

要旨は以上。あの日も風向きは変わっていた。スピーディーの予測データでも明らか。

慌てて県紙を見る。この記事は無い。共同通信から配信されていることは間違いないのに。

この記事をどう見るか。共同通信の“誤報”なのか。録画の見間違いか。それも一つの見方。でもそれはちょっとあり得ない。

とるにたらない配信としたのか。もっと細かいやり取りや、理解の仕方の齟齬があったのか。

なんにしても、その時の風向きは西風だったとしても・・・。

問題は「県知事が東電に対して報道発表文の内容に注文したこと」。これが事実なら、県知事も県も放射線の拡散予測を“隠そう”としていたようにも読める。

爆発後の県の対応。さまざまな検証をみても、そこには多くの問題点が存在している。避難の問題に関しては特にそう。

原発立地県であり、知事いか県の職員は原発に関してそれなりの知見や対策を持っていまければならないはず。

健康被害が無いと言うなら、自分たちが言えばいい。なんで東電に言わせようとするのか。

少なくなくとも、亭主から見ても“指弾”されるべきことだと思うのだが。

県が、この報道に対して、記事に対してどういう対応、反応をしているのかは、いまのところわからない。黙殺するのか。

共同通信に他意はあるまい。しかし、この記事によって、去年よく言われていたことの一つにある「県の人口を減らしたくないから、線量をごまかしているとか、被害を隠そうとしている」とかのデマが、またぞろ生き返ってくるのだ。

この記事に対してさまざまリテラシー力を働かしてみても、「県の対応はおかしい」とう問題点だけは消えない。

政府の対応や東電の対応に対して、多くの県民は怒りの声をあげ、不信感をより強くしている。しかし、“敵は本能寺にあり”、“身内”にもあったという見方。

国会事故調の報告書でも、さまざま県の対応のずさんさが指摘されてはいるが、まさかここまでとは・・・。

健康被害の多寡の問題ではない。健康被害を受けた人はほとんどない。結果的には。

あらためて、知事を筆頭にした、県への検証、そして、そのやってきたことへの真摯な批判が必要なのかとも。

2012年8月8日水曜日

オリンピックと政治家達と

きょうも寝不足です。もちろんオリンピック、サッカーを見ていたから。
出来るだけ早寝を旨としている亭主も、真夜中のテレビ中継にかじりついている。

日本中、いや世界中が今はオリンピックをいうスポーツの祭典に目を凝らし、それを楽しんでいる。そこに理屈はいらない。
オリンピック中継でテレビは視聴率を稼ぐし、さまざまな番組もオリンピックもので埋まる。新聞もオリンピック報道に躍起となっている。

被災地でもオリンピックは大きな関心事だ。郷土出身の選手もいればゆかりの選手もいる。その人達に寝る間を割いて声援を送る。その瞬間は一つになっているという自分たちを確認出来るからであり、そこから何かを得ることで、次のステップに進む足がかりにしようとしているのではないか。もちろん、そんなことを意識しているはずもないが・・・。

オリンピックに国中が躍起となっている時、そう、それは一種の“目くらまし”なのだろうか。政治の世界ではまったく別の“ゲーム”が進行している。
政局ゲーム、政局ごっこ。子供だまし(子供におこられるだろうが)のような愚にもつかない駆け引きと足の引っ張りあい。

絶好のチャンスなのだ。マスコミの目もオリンピックに張り付いているのだから。批判の的がこっちには向かってこないだろうと・・・。

そこには何の因果関係も無い。昔話だけど。もう具体的事象や日にちは忘れたが、たとえば「倉石農相発言問題」なんていうのがあった。国会、予算員会は審議ストップ。そんな時、必ずと言っていいほど、航空機の墜落事件が起きる。
国会で自民党が強行採決をやって大混乱に陥っていると航空機事故が起きる。

政治報道は片隅に。政治記者も事故の応援に。余裕がある方いたら調べてみてください。不思議に重なっていたのです。昭和の時代ですが。

福島県紙もオリンピック報道に精を出している。話題を提供している。原発がらみの報道は“静か”になっているような。

中間貯蔵施設の問題もいっこうに前に進まない。それが解決しないと除染ははかどらないのに。
「仮の町」をめぐる議論もとん挫したまま。
県知事は、県の職員は、何も決めていない。決められない。伝わってくるのは「国に要望します、しています」といった他人事のような言葉だけ。

県知事が、与えられた権限をフルに生かし、いや、たとえ法律上は権限が無いことでさえ、国を敵に回してでもやるべきことは山ほどあるはずなのに。

昨日の塾で、白州次郎の話をしたせいか、今、この国に、いかに「人」がいないかを痛切に感じている。
GHQに乗り込み、怒鳴りこみ、それに関係する時の権力者の前に飛び込み、机を拳で叩いて、この国の将来を危惧して論じた人がいたことを。

戦後にはいたのだ。まだそんな“武士道”の塊みたいな、しかし、それは欧米生活を体験した上での、プリンシプル。ノブレスオブリージュ。位高きものの責務を説き、迫った男が。そう戦後・・・。

災後、震災後、真剣に、正しい意味での、この国の将来を、いや、明日を語った人がいかほどいるのだろうか。少なくも「リーダー」と称されている人の中では皆無だ。
戦後、財閥解体という占領政策があったにも関わらず、国のために物を申し、国論を高めた人物もいた。今はいない。

論壇はどうだ。インターネットというツールというか、優れた情報伝達手段を手にしながらも、そこに飛び交っている言辞は全くの不毛の論争や挙げ足とりでしかない。既存メディアに属さない“言論人”なる人達も、ネットでやっていることは、手前味噌の「自己宣伝」だけ。

オリンピックを目くらましに使うなよ。目くらましに使われるなよ。
“祭典”に隠れるように進行している愚行の数々、不作為の数々。国を論ずるもののいかに少なくなったことか。影響慮力を失ったことか。

日米開戦を阻止すべく身をアメリカに置きながらも、血を吐くような努力と論陣を張った福島県人のことが思われる。朝河寛一。
彼の足跡は、その研究会という場でのみ、時々静かに語られているのみ・・・。

2012年8月7日火曜日

この「矛盾」に、キミ耐へうるや

テレビはオリンピック一色です。新聞とてそれなりに。いいんです。スポーツの世界にも駆け引きや計算、作戦がある。でも、すっきりするし、見ていて楽しい、心躍る、被災地の人達も、この時ばかりは、我を忘れて声援を送り、力を貰うという。お世辞で言っているのではない。こころ打つものがあるから。

なでしこの試合見て寝不足。今夜や塾。そしてそのあとは男子サッカー。せめて寝不足ぐらい我慢しないと、彼ら、彼女らを語る立場にはなりえない・・・。

オリンピックの話題の中で、さて政界は。くだらない、ばかばかしい。そんな一語に尽きる。ここまで落ちたか日本の“民主主義”。五輪選手よ、帰国後、官邸に“報告”なんかにいくな。政府からの表彰なんて拒否しろ。今は彼らは、そんなことをするに値しない堕落した権力亡者たちなのだから・・・。

きょうも赤絨毯の上を廊下トンビたちが右往左往している。廊下トンビ、それはマスコミ。彼らが追っているものは何なのか。

あえて「論理的矛盾」と言おう。消費税法案をめぐる動き。
民主・自民・公明は。いわゆる3党合意をしている。その前提をもって国会論議がされるべきであり、至らぬところがあればそれを質し、問題点を審議していく。それが国会議員のお仕事。

きのうか、おとといか、またぞろ谷垣自民党が訳のわからないことを言い出した。解散を約束しないなら法案に反対する。解散を明言するなら賛成する。
法案の善し悪しや内容ではない。解散がメイン。それによって賛否を決めるなんて馬鹿げた論理がどこにある。これに関しては公明党に分あり。

そして一夜明けたきょうになったらトーンダウンというか、まったく意味不明の言葉を羅列して煙にまいている谷垣や石原幹事長。そして野田の輿石の言辞も意味不明。
小泉進次郎ら若手から消費税反対の突き上げがあったからとか、なんとか。それを開かれた政党なんていうのか。

消費税増税の可否を言っているのではない。政党のありかた、政治の質の問題を言っている。自分たちの論理的矛盾に気づいていないという、あまりにもお粗末な政治。「今、選挙をやれば自民党は200議席以上とれる」。そんな調査結果があるからだとか。なんでも解散、総選挙に結びつける政局馬鹿。

テレビも新聞も言う。「永田町は緊迫の度を増しています」。だから何なの。

「政界一寸先は闇」。言い古された川島正二郎の言葉が亡霊のようにさ迷い。

まともな論理構築も出来ないくらい堕ちた政治。

官邸前のデモの主催者と野田は会談するという。ばかばかしい。会って何がうまれるのか。「会うことに意味がある」。それは政界や外交上でだけ通用すること。

もはや「間接民主主義」は終焉をむかえたかのような。

原子力規制委員会の委員人事が決まらない。もはやそっちのけ。論理的手順としては規制庁あっての大飯再稼働のはずなのに。

国会に提示される前にマスコミに人事案が漏れたからけしからん。それが人事に反対する理由ときてはもはや言うことなし。
委員長候補の「カネ」をやり玉にして一回“審議”しただけ。原子力政策についてどう考え、その信念を徹底的に議論したとは到底思えぬ。

国会事故調の報告書はたなざらし。国会議員にとって、もはや福島の事故は参事は過去のものなのか。この国の根底を揺るがしているというのに。

耐えがたい。耐えがたい。ボクはこの国が好きだ。日本人であることに誇りを持っている。それをあの馬鹿奴らに、この国を貶められたくない。

サッカー女子。キャプテンの宮間は、試合後、喜びを分かち合う間もなく、ピッチに座り込んでいるフランスの選手のとこに歩み寄り、座り込んで何かを話し合っていた。まさに、今の日本人が失ってしまった日本人の精神的支柱、武士道の精神を彼女は体現してくれていた。その姿に、ちょっとしかテレビは映さなかったが、ボクは泣いた。美しかった。

よし、今夜の塾の講義のテーマに入れよう。ノブレス・オブリージュを。このフランス語の意味の一つに「敗者に対する仁は、武士に相応しき徳」と言えるものがある。

「位高きものの責務」。本来の意味。白州次郎が好んで用いた言葉、思想。
国権の最高機関に、それのカケラも見えない。

2012年8月6日月曜日

「原爆」と「原発」、あらためて・・・

きょう朝8時15分、広島の方角にむかって黙とうした。今日は広島に原爆が投下された日、原爆の日。

「原爆」と「原発」。去年のきょうも書いたと思う。そのあまりにも明確な共通性と、その意味とを。

今から67年前。メディアという言葉は存在していなかっただろうし、原爆を報道したのは、報道統制下にあった新聞とNHKラジオだけ。
今とは比べようもないほどの「情報網」。その中でも日本中にいつしか原爆の事は伝えられた。

原爆投下時、ボクはたぶん、姫路にいたと思う。親から「黒い雨」を聞かされ、雨の日の外出を禁じられた。そして数日遅れで配られてくる新聞で、その惨状を知った。子供が理解できる範囲で理解しようとしていたと思う。

後になって知ったことだが、さまざまな流言飛語、デマがとびかっていた。それは正確な情報が伝えられなかったということだけではない。
今、原発事故の後、未だ持って、放射線の放射能をめぐる様々なデマが飛び交っている。これだけ情報ツールが発達し、これ以上は無いだろうと思われる時代にあってすら・・・。

福島原発事故は、それが不作為であろうとなかろうと、人災である。原爆も人災である。上官の、国の命令によって一人の兵士が投下ボタンを押した・・・。

それ以前の問題がある。「科学」である。原爆の製造、実際に兵器として、確実に“成果”を挙げた核兵器。それの“成功”。アメリカの科学者たちは小躍りして喜んだという。しかし、「黒い雨」を含め、その被害の甚大さ、影響の大きさには思いを致していなかった。まさに「想定外」だった。
その「想定外」に長崎以降、アメリカは気付く。

原発事故も、想定することをしなかった、「想定外」である。原発を開発した科学者たちは、それが完成した時の、研究者としての「よろこび」にひたることで満足していた。

原爆も原発も、著しく想像力を欠いた科学技術の進歩がもたらした人類の悲劇なのだ。

核と人間は共存しえない。それをなんとなく理解しながらも、「核の抑止力」という世界を安全に保とうとする、国際政治の上での“安全神話”から、未だ脱却出来ていない。たぶん、その呪縛から逃れることは出来ないのだろう。

「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」という“出発点”を持っているにもかかわらず。

広島には学生時代を含め何度足を運んだことだろう。突き動かされるように広島に行った。原爆ドームの前に立ち、資料館の中で立ちすくんでいた。

被爆によるものではないが、祖母は戦火に巻き込まれ、防空頭巾の上から火をかぶり、一命は取り留めたが、顔や上半身には終生消えなかった「ケロイド」を持っていた。
炎天下の8月から9月。ケロイドを負った祖母の手を引いて小さな子供は多くの人で込み合う医者に通っていた・・・。

原爆と原発。それは、いかに情報手段が発達していようとも、“差別”を生む。
人間と人間の間に「壁」を作る。そして、その差別は年を経るごとに助長されていっているかのようだ。

広島での「平和記念式典」。「祈念」と書きたいが。その式典に参列した野田の言葉のなんと空疎で、無意味なものか。被爆者にも被曝者にも、被災者にも寄り添っていない。

そして・・・。祈りの日であるべき今日。式典の外に大きな音で響いていた、「野田帰れ!」「原発止めろ!」のシュプレヒコール。
福島から広島に疎開している子供の心情が披歴されている中でも、その声は止まなかった。

きょうは祈りの日なのだ。広島だけにとどまらず日本人全員にとっても。原爆の犠牲によって被爆者の犠牲によって、今を生かされている人が多数いることを忘れてはいけない。

福島県民にとって広島は他人事ではない。福島にもやってくる広島化。福島県人が、確固たる信念を持って立ち向かい、生きていかねば、“風化”という次の災いが待っている・・・。

少なくとも、広島、長崎を受け止め、核に対する、あらゆる意味での「総括」をしておけば、福島の悲劇は招来されなかったかもしれないのに。

「科学」とは一体何なんだろう・・・。人を幸せにするための学問・研究だったのではないのだろうか・・・。

2012年8月5日日曜日

オリンピックとテレビと、その他.

武蔵大学の教授に知り合いがいます。武蔵メディアと社会研究会というゼミやっているのか。とにかくメディア関係学部の教授。その人はネットを使って知り合いにメールを送り、テレビに関する「評価」をずっとやっています。

もう何年もやっているようですが、3・11の後も通常通りの「評価」依頼が来たので、つい「くだらんテレビの評価に付き合ってる状況じゃない。評価基準も通り一辺倒だし」とやんわり拒否しました。

今回送られて来たのはオリンピック放送に関する評価。番組構成が適切かどうかとか、演出がどうとか、映像技術がどうか、画面が見やすいとか、解説者やゲストの人選まで、たくさんの項目への5段階評価。

5段階評価は、昔の通信簿風。おとる、ややおとる、普通、ややまさる、まさるって感じの。

ま、自分が見た番組の評価を多少の時間使って協力すればいいのだけど。

そのメールに書かれていた一行。「あたなの一言がオリンピック放送を変えるかもしれません!」。

この「評価」、そんなに影響力あるのかな。あまり的を射ていない単なる学生用の研究資料なのだと思うのだけど。

「あなたの一言が、変える」。いきなり官邸前のデモの雰囲気に引きづり込まれたような気がして・・・。

この「評価」に参加するかどうかはともかく。

オリンピック放送を見ていて腹が立つこと。民放は、タレント総動員。相変わらずジャニーズにはじまってサンマや誰やら。ロンドンに同行。インタビューもさせて。女子アスリートもジャニーズには弱い。見てる方には果てしなき違和感。タレント使ったスポーツ放送のあのたまらない騒がしさ。

NHK.アナウンサーが基本的にはやっているんだけど、余りに多い「間違いの数々」。にわか仕立てのスポーツキャスター。名前は間違える、競技種目は間違える、呼称間違える。スラスラ喋れない。ここでも興味半減。で、実際の競技だけしか見ない事に。

かつてアナウンサーによく言ったこと。「自分の目で見たこと、経験したこと以外は、なかなか自分の言葉では喋れないものだよ。休みの日には福島県内を全部見ておいで。そこで、だれでもいいから顔見知り作っておいで」。

地名の読み間違いはそこを知らないから、記者の書いた原稿だけ読んでいるから起きること。自分がそこを知っていれば、その地名を言う時、そこの光景が多少は浮かぶだろう。例えば飯舘。行ったことあるかないかで、その読み方に気持ちが入っているかいないかが分かる。

この例え、オリンピック放送にも演繹してください。多少なりともその競技に対しての知見を持っているかどうか。

オリンピック競技。映像はほとんど「国際映像」。映像の優劣を論じてもはじまらない。放送に携わる、喋る人達の素養の問題と。

そんな思いを一瞬吹き飛ばしてくれたのが、水泳、男子400メートルメドレリレー後の選手インタビューで松田選手が言った一言。これは凄い。涙出た。
「北島選手には話していないけど、あとの3人で話しあった。北島さんを手ぶらで帰らすわけにはいかないと」。北島の胸に輝く銀メダル・・・。

こんな一言は世の有り様を変える。

原発問題をめぐるパブリックコメント。なんだいそれって。政府が始めた原発割合をめぐる「討論型世論調査」。その結果は生かされるのかい。単なる「アリバイ作り」なんじゃないかとの大いなる疑念。

一つの集団や塊の中で出てきた声が、世の有り様を変えるとも思えない・・・。

声をあげること。それはいわずもがなだけど。勘違いしている人も多い。テレビにも勘違いが連日。お願い、まだ若いアスリートをタレント扱いしないでね。
あなたたちは所詮一過性なんだから。

2012年8月4日土曜日

不作為を“仕事”だと思っている人達

昔、ヤクザ者が“懲りない塀の中の面々”という本を書いていたが、元ヤクザ屋の安部さんごめん、引用させてもらう。“懲りない赤絨毯を歩く面々”。

そういえば、赤絨毯の上にもヤクザ者やそれに類する人達もいたな。懐かしい名前。田中彰冶、浜田幸一、中野四郎・・・。もっといたな。代議士。そして自民党の院外団。

田中彰冶はマッチポンプとしてしか知らないが、他の人たちはなぜか仲良かったな。なんでかしらないけど。耳うちで、よくネタも貰った。

ま、そんな時代は終わったし、身ぎれいな人達が国会議員をやられているとは思うのですが。今の人達、どういう料簡で政治家に、国会議員になったのだろう。

何もやらないクソ役立たず。

何でも政争、何でも政局。それもど素人ぽく。

原子力規制委員に田中俊一と提案すれば、よってたかって「あれは“ムラ”の関係者だ。29万円貰っている」。人事拒否とくる。「ムラ」関係者や、「ムラ」を放置していた政治家達が。

29万円の講演料で人は転ぶのかな。俺なら転ばない。億の「こども手当」を貰った人が、十万単位のカネにケチつけるなんて滑稽だし。有罪無罪はともかく四億円の土地取引やた人までも。そして「ムラ」を育成してきた自民党の人達も。

規制庁出来ても人事が決まらない。仏作って魂入れずなんて格言を引くつもりはないが。

これでは何にも決まらない。

国会事故調の報告書。結局、恐れていた通り、指摘した通りのたなざらし。すべてを政局に絡める。

ここまで地に落ちた政治は見たことがない。

敢えて“生贄の子羊”になることも覚悟している福島県民に、その顔にこれ以上泥を塗ろうというのか。

黒川委員長を国会に招き、報告書を紙ぺらにしてしまうだけでなく、それに血を入れるのが国会の役目。
政府事故調の報告書もたなざらし。

不作為の悪意と断ずる。為さないことがいいのではない。批判を恐れず、政治家の信念として為すことが使命なんだぞ。
この「不作為」を批判、糾弾しないマスコミも同罪かと。

何も終わって無い。そして、むしろ、何かを始めることも難しくなってしまっている。

これまで敢えて書かなかったけど、こうした不作為に水俣病が重なる。水俣病患者の救済遅れ。ひとえに政府の、政治の不作為なのだ。

“差別”という言葉でくくりたくはないが、水俣病患者と原発被害者とは、どこかで重なる。
3・11後読んだ本の一冊。石牟礼道子と藤原新也の「なみだふるはな」。3・11と水俣の多くの共通点。近代文明と自然とを語った現代への“遺言”。

苦界浄土の中で彼女はこう記している。「私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を語り伝えるために(私は)近代への呪術師とならねばならぬ」と。

水俣も一時は「終わり」とされた。福島が「終わり」とされないために、誰が何を為すか・・・・。

不信任案だ、問責決議案だ。それこそ駆け引きを楽しんでいるかのような。
「政局」に血道を上げるのがお仕事だと心得ている、赤絨毯を闊歩する懲りない面々。

物憂い週末・・・。

2012年8月3日金曜日

「ムラ」と「村」と

人は物を語る時に、とかく、ひとくくりにしたがる習癖を持っている。

3・11以降、原発事故以降、「ムラ、原子力ムラ」という言葉が定着し、それは悪の総本山と位置づけられ、さまざまな立場の、考えの人たちが、口々に「ムラ」「ムラ」「ムラ」といい、そこの住人を忌避し、そこにすべての敵意が集中した。

メディアの人間もこの「ムラ」という言葉を好んで使い、定着させ、常に非難の対象にすえた。

いや、過去形ではない。今もそれは続いている。

この「ムラ」の定義。それは一体何なんだろう。「ムラ」である以上、そこには「ムラオサ」がいるはずである。その「オサ」は誰を指すのか。
およそ原子力発電に関わったすべての人、電力会社の社員、関係者、行政を推進した役人、研究に知見を提供した学者、そして推進の、あるいは、「反」を唱えなかったマスコミ人・・・。その「ムラ」には多くの住民がいたことになる。

それらをひとくくりにした「原子力ムラ」という位置づけ。いわば「エリート」と呼ばれ、そう自負もしていたであろう人たちが、敢えて「ムラ」という呼称を、かつては誇らしげに使い、そこの住民以外を排斥し、つとめて「ムラ」の存続を維持しようと腐心した・・・。

なぜ「ムラ」なのか・・・。それについての論考にお目にかかっていない。それぞれの人が「ムラ」をそれなりに解釈し、そこに人を当てはめ、日夜言辞を戦わしている。

少なくとも東京への一極集中の時代。中央政府。東京「都」というところから言う「ムラ」。「ムラ」とは“蔑視”の対象であり、ある種の“差別”であり、自虐的に使うことによって、おのが存在を高からしめようとしていた呼称のように思える。

確かに、原子力発電所は、行政単位として、その場所の在り様として、多くが「村」と表記されるところに多い。
地理学的に言えば、近代日本に於いて「村」とは過疎の代名詞のようなものとされてきたし・・・。

その過疎の村から大量の若者が金の卵といわれ、集団就職で上京し、今の東京の繁栄に“寄与”してきた。

東京の永田町という「町」に巣くう住民。彼らも好んで、いや誇らしげに使っていた「ムラ」という集団、その呼称。今は“派閥”という言葉をあまり使わなくなってけれど、かつては政策決定も含めて、中央の政治の決定権は「ムラ」、派閥にあった。「村に帰って相談してくる」。それが普通の形の政治家の意思決定過程だった。


政治家は、選挙にあたって、その常とう句を今でも使う。票田を耕す、肥やす、田を掘り起こすなど。政界用語。田畑は村に存在する。国会議員とて、多くはその出自は、どこかの県のなんとか村だ。政界とは村の集合体。そんな比喩とて成り立つ。

そして今、「ムラ」が語られる時に必ず付きまとうのが「カネ」。政界の「村」がその存在価値を保てたのも「金」。

反原発を、いわば狂信的に唱える人達。少しでも冷静に原発を見、放射能汚染の事を語る人がいると、いきなり「あなたはムラの人間だ」と、罵詈雑言の類を浴びせられる・・。

ひとくくりで物事を語る風潮、その「定義」も明らかにされないまま、まさに風潮として。

原子力ムラには“隠ぺい”という掟があった。ある。それを含めて、「ムラ」の定義を知りたいと思う。福島県の、被害を受けた「村」はその存亡の危機に立たされている中で・・・。

2012年8月2日木曜日

置かれた場所で咲け、なでしこ!

女子サッカーチーム、なでしこジャパン。去年、震災後、がんばろうニッポン、がんばろう東北。そう書かれた日の丸や垂れ幕を持ってグラウンドを一周する彼女たちの姿に東北の人間は皆、眼をうるませた。ひたすらゴールに向かって駆け回る彼女たちの姿に、そのひたむきさに、被災地の人間は力を貰った。子供たちも。

最近、一つの本が多くの人に読まれているという。

「置かれた場所で咲きなさい」。

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが書いた本。85歳のシスター、聖職者。
3・11で打ちのめされた日本人に対して彼女は訴える。「境遇は選ぶことは出来ないが、生き方を選ぶことは出来る」と。

被災者、避難者たちは、その生き方を選ぶべく苦難の日々を送っている。
「置かれた場所で咲こう」としている。

女子サッカーチームにつけられた愛称は「なでしこ」。花の名前である。選手たちも関係者も、好んで「なでしこ」と呼ぶ。花言葉は、純粋、貞節だとか。

おとといの南アフリカ戦。だれが見てもひたすら前を向き、走り、点をとろうとするナデシコでは無かった。

佐々木監督は正直な人だ。「タネ明かし」をしてしまう。次の準決勝リーグを優位にするため、敢えて選んだ戦術。二位通過。試合会場や相手チームをどこにするかを考えての“駆け引き”だったと。当然と言えば当然。ナデシコジャパンには大きなプレッシャーが課せられている。金メダルという。

それを手中にするには、その目標を達成するためには、駆け引きや戦術は必要なのだろう。彼女たちが首にする金メダルは誰しもが見たい。

しかし、被災地の人たちが見たかったナデシコは、ひたすらに前を向いて走り回る、ゴールマウスを狙う姿だったのではないかと。

なでしこという花は置かれた場所で咲くべきだったのだ。置かれた場所。それは、先の展望ではなく、目の前にある一戦、一戦。そこで全力を尽くすこと。一位通過して強豪と対戦しようとも、そこでも咲こうとするその意気込みではなかったのかと。

駆け引き。それは、言葉を換えれば“策を弄する”ということにもなる。メダルにこだわり策を弄することを咲くとは言えないかもしれない。置かれた場所は、その時、その時の戦い。結果はついてきたものでいい。

「試合を楽しむ」。最近のスポーツ選手がよく口にする言葉。南アフリカ戦で、彼女たちは試合を楽しめたのか・・・。

彼女たちや監督を非難する気はさらさら無い。なぜか女子サッカーが好きだ。苦境を乗り越えて来た彼女たちの努力。それに水を差す気は無い。

「金メダル」という呪縛に翻弄されていると見るべきなのだろう。オリンピック、国威発揚。古いかもしれないが、結果がすべてというオリンピックの在り様。
かつて、「参加することに意義がある」。そう言われてきたのだが・・・。

こじつけのように思われるかもしれないが、原発だって国威発揚の象徴だったのだ。ナデシコと原発を同列に論じる気も無い。・・・・が。

テニスの聖地ウインブルドンの刻まれている言葉。グッドルーザー。悪びれない敗者。観客たちはそれに惜しみない拍手を送る。
オリンピックのメインスタジアム。マラソン。その最終ランナーに観客たちは、勝者にまさるとも劣らない拍手を送る。
今、テレビ中継はそれを放映することも無くなったが。僕にとっては大きな感動の場面だった。

渡辺和子さんはその著書で言う。「どうしても咲けない時には、根を下へ、下へ降ろして根を張るのです」と。

オリンピックも佳境。寝る時間を惜しむかどうかはそれぞれの勝手。これから試合に臨むすべての選手に願う。

「置かれた場所で咲いてくれ」と。

盛夏が過ぎるとすぐ秋・・・。なでしこは秋の七草のひとつにあげられている。

2012年8月1日水曜日

出発点としてのフクシマ

郡山市内で毎月発行されているタウン誌に、5年以上コラムを書いています。この出発点としてのフクシマというタイトルは今月号のタイトル。
きょうそのタウン誌が発刊されているはず。は出回っているはず。だから、ブログにタイトル転用を解禁して・・。

内容は違います。コラムの方は別次元の話ですが。

大手メディアが取り上げるようになってから、ますます“盛り上がって”いる官邸前の大飯再稼働反対デモ。国会議員が登場したり、したり顔の有名ジャーナリストが登場してみたり。

あの集会を否定するものでは決してありません。しかし、そこに感じる、一つの“違和感”。

福島の事故。「フクシマ」があったから、この集会が生まれたのではないかということ。
主催しているのは「反原発首都圏連合」という“組織”だという。彼らは組織ではないと言うだろうけれど。
「叫び」は大飯再稼働反対に限るとされているとか。言いがかりかもしれないが「首都圏」なのだ。

大飯再稼働を決めたのは政府。そこに「抗議」するのは当然。何もしない国会。そこに抗議するのは当然なのだけど。

「ふくしま」はもう過去のものとされているのか。反原発運動の原点は、出発点はフクシマであるべきはずなのに。

福島隊と書かれたのぼりも見た。福島から来たという人がテレビのインタビューに答えているのも、新聞記事になっているのも見た。しかし・・・。

ファミリーコーナーみたいなゾーンが設けられているという。
「福島の子供を守ろう」と声が上がる。子供連れだ。なんで、子供を連れてくる。子供は大人の“運動”のための道具ではない。そこに何の意味があるのだ。

「子供をダシにして」。福島にも現実にある自主避難者の一部の人たちの例。

過日、東京に行った際、デモの現場に行っていた知人の話を聞いた。
「福島の子供を疎開させろ!」。そんな声があったぞと。

どこにどうやって疎開させろって言うのか。ま、すべては政府の責任と言われてしまうのだろうけど。

「福島から首都圏に避難、移住してきた人だという人が言っていたぞ」。

「私たちは移住してきたからよかったです。なんで、あんな怖いところに子供を置いておくんでしょうかね」。そんな人も居たという。

福島県人は200万人余り。いろいろな考えの人がいるのは当然。一言で、福島という言葉でくくれるはずはない。

夏休み。郡山では子供たちが普通に遊んでいる。夏祭りが始まる。子供の出番もある。
それぞれの家庭で、さまざまな配慮はしているが、怖いところではない。

警戒区域、避難区域。そこの子供たちは、避難先の学校に通うなど辛い思いをしている。どんなに辛くても不便でも、この地にとどまりたいと思っている。

そんなこどもたちもいる。

大飯原発がもし事故を爆発を起こしたら、それこそこの国は終わりだ。再稼働反対。同意する。あってはならない。事故は。

でも、あの集まりの中からは、フクシマに対する“思い”は感じ取れない。ダシにされているようだ。

そして敢えて言う。あの運動は権力側に、すでにして、その中身が見透かされている。

フクシマのあらゆる現実を前面に打ち出さないかぎり、自己満足、自己陶酔の運動になりかねない。それを危惧する。

すべての出発点は「フクシマ」なのだと。

今朝の新聞に載っていた。市民運動出身の菅直人が市民運動家の集会主催者と歓談している様子。「野田に取り次ぎます」。

菅よ、お前はいったい何だったのだ。鳩山は原子力規制委員会の人事に抵抗しているとか。「原子力ムラ」の出身だからと。お前だって、言ってみれば、金は貰っていたかどうかはしらないが、「ムラ」の周辺居住者だったはず。CO2削減の話はどうしたんだい。