2012年8月18日土曜日

ロンドン五輪の”余韻”

オリンピックの話題が今も続いている。20日には選手たちが東京でパレードをやるとか。

今年のオリンピックは特別なオリンピックだったと思う。選手たちが、大なり小なり、被災地に思いをはせていると思うから。
被災地出身の選手たちも健闘した。「・・・ために」。勝敗が問題なのではない。そこに至るまでにどれだけ努力したかだ。

バトミントン女子の佐藤冴香選手。靭帯損傷と言う大けがをしながらも足を引きずりながらもコートに立ち、シャトルを追った。宮城県出身。被災者と言ってもいいのだろう。

会場のロンドン市民達は彼女に惜しみない拍手を、勝者を上回る拍手を送った。
英国には有名な言葉がある。グッドルーザ。悪びれない敗者。ウインブルドンの観客はそれに心からの拍手を送る。

それは英国の伝統、騎士道につながる。敗者への思いやり。礼義。日本の武士道と相通じる精神を彼らは持っているのだろう。

女子サッカー、なでしこ達は決勝で敗れた。表彰式に臨む時、彼女たちは“むかで競争”のような格好をして満面の笑みでピッチに姿を現した。彼女たちへの拍手は勝者のアメリカを上回っていた。

康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない。他の三選手が誓った男子メドレーリレー。
残り1分で逆転したフェンシング。メンバーの中には岩手出身の気仙沼出身の千田がいた。
彼のためにも他の選手は負けられなかったという。

柔道の松本薫や海老沼、中谷・・。帰国後すぐに駆けつけたのが被災地の子供たちとの交流だった。選手の意志か、協会の指示かはともかく。

被災地の人たちの多くがオリンピック選手に励まされた。精いっぱいの努力をすること、死力を尽くすこと。選手たちは、それを体験してきた選手たちは知っている。いま、この国で必死に這い上がろうとしている人たちがいることを。その人たちと“共有”したいと思ってうることを。

そして、仲間を思いやること。今の日本人が最も必要であるべきことを身を持って伝えたいということを。

さらに笑顔。被災地に必要な本物の笑顔。笑顔からは希望が湧いてくるということを。


なぜ、これほどまでにメディアはメダルの数にこだわるのだろう。今の日本に必要なのはメダルの数ではない。どこまで努力し、力を出し切ったかということなのだ。
メダルは結果としてついてきた“副産物”でいいじゃないか。

メダルの数を言い募るメディアをみていると、敵機を何機撃ち落としたという大本営発表をも思い出す。

戦果は数だけではない。いかに戦ったか。そして、どれだけ敗者を思いやったか。

いっこうに消えることのない被災地の被害の“余韻”。心の傷。それをいくらかでも癒してくれたのなら、2012年のオリンピックは史上にしるされる価値ある大会だったのかと。

“チェルノブイリ”異聞

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