8月21日。この日は県の条例で「福島県民の日」と定められている。
平成9年に制定された。県民の日を設けよう、それを何日とするか。たしか制定委員会なるものが設けられ、一般県民からも希望者を募り、意見が交わされ、この日に決まった。それは明治9年に、今でいう浜通り、中通り、会津の三県が合併した日、当時は磐前県、旧福島県、若松県と呼ばれていたが。その合併が決まって今の福島県の形が出来たのが8月21日。それにちなんでいる。
この制定委員会には、当時一緒に仕事をしていたテレビ関係者も一般公募で参加していたから、よく覚えている。
廃藩置県に端を発した、明治9年のこの大福島県の誕生。県史を省みて、それの是非をいまさら問うものでもないが、たとえば郡山にもある集まり。郡山にいる人達でつくる「いわき会」「会津会」。
浜、中、会津の三地方は、伝統や風習、言葉もそれぞれ違う。時には“民族性”の違いすら感じさせられることもある。
子供の頃、東京都民の日が制定された。10月1日。その日は学校が休みになり、バスや都電は無料だった。一日中バスと都電に乗っていた・・・。なんかバッジのようなものを貰ったような気もする。
それはともかく・・・・。
県民の日が制定されてから何が行われてきたか。その日に乗っかった名前だけ冠した行事だとか、公共施設の無料開放だとか。
県民の多くがこの日を知っているのかどうかも疑問である。ほとんど意味を持たない県民の日・・・。
「郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごう」。県民の日の趣旨にはこう書かれている。
文字通り読ませていただくなら、今こそ、この趣旨を高らかに謳い上げる時ではないのかと。
県の主催で、盛大な県民大会をやればいい。知事は震災で大きな被害を受け、原発事故で、その「当事者」とされている県民に対して、復旧・復興のために自らが何を為すか、声涙下るようなメッセージを発するべきである。
そして、内閣総理大臣を、関係閣僚を呼び、この国の在り方を全国民に、全世界に訴えさせるべきである。原発被災県として、発すべき言葉の数々があるはずだ。
そして、避難生活を強いられている県民の声を県民の総意として天下に知らしめる日とすべきなのだ。
3・11以外のもう一つの福島県民にとっての祈りと誓いの日であるべきなのだと。
県民の日ということで、知事室を訪れた子供たちに“仕事ぶり”を紹介し、記念撮影したとテレビが報じている。笑顔で写真に収まっている県知事。
きのう、喜多方で開かれた新潟、山形との三県知事会合でも、彼は隣県の支援に謝意を表したものの、原発問題に関しての政治家としてもメッセージは発していなかたようだ。
あげく新潟県知事からは、自助努力というような言葉を使われ、やんわりと、その“怠慢さ”をいさめられていたようにも見えた。
平成23年、平成24年・・・。8月21日の福島県民の日は、もっと、もっと、歴史に残るような「特別な日」であってほしい、いや、あって然るべきなのだと思うのだが。
制定趣旨に書いてあるのだ。「豊かな福島県を築こう」と。
2012年8月21日火曜日
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