2012年8月2日木曜日

置かれた場所で咲け、なでしこ!

女子サッカーチーム、なでしこジャパン。去年、震災後、がんばろうニッポン、がんばろう東北。そう書かれた日の丸や垂れ幕を持ってグラウンドを一周する彼女たちの姿に東北の人間は皆、眼をうるませた。ひたすらゴールに向かって駆け回る彼女たちの姿に、そのひたむきさに、被災地の人間は力を貰った。子供たちも。

最近、一つの本が多くの人に読まれているという。

「置かれた場所で咲きなさい」。

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが書いた本。85歳のシスター、聖職者。
3・11で打ちのめされた日本人に対して彼女は訴える。「境遇は選ぶことは出来ないが、生き方を選ぶことは出来る」と。

被災者、避難者たちは、その生き方を選ぶべく苦難の日々を送っている。
「置かれた場所で咲こう」としている。

女子サッカーチームにつけられた愛称は「なでしこ」。花の名前である。選手たちも関係者も、好んで「なでしこ」と呼ぶ。花言葉は、純粋、貞節だとか。

おとといの南アフリカ戦。だれが見てもひたすら前を向き、走り、点をとろうとするナデシコでは無かった。

佐々木監督は正直な人だ。「タネ明かし」をしてしまう。次の準決勝リーグを優位にするため、敢えて選んだ戦術。二位通過。試合会場や相手チームをどこにするかを考えての“駆け引き”だったと。当然と言えば当然。ナデシコジャパンには大きなプレッシャーが課せられている。金メダルという。

それを手中にするには、その目標を達成するためには、駆け引きや戦術は必要なのだろう。彼女たちが首にする金メダルは誰しもが見たい。

しかし、被災地の人たちが見たかったナデシコは、ひたすらに前を向いて走り回る、ゴールマウスを狙う姿だったのではないかと。

なでしこという花は置かれた場所で咲くべきだったのだ。置かれた場所。それは、先の展望ではなく、目の前にある一戦、一戦。そこで全力を尽くすこと。一位通過して強豪と対戦しようとも、そこでも咲こうとするその意気込みではなかったのかと。

駆け引き。それは、言葉を換えれば“策を弄する”ということにもなる。メダルにこだわり策を弄することを咲くとは言えないかもしれない。置かれた場所は、その時、その時の戦い。結果はついてきたものでいい。

「試合を楽しむ」。最近のスポーツ選手がよく口にする言葉。南アフリカ戦で、彼女たちは試合を楽しめたのか・・・。

彼女たちや監督を非難する気はさらさら無い。なぜか女子サッカーが好きだ。苦境を乗り越えて来た彼女たちの努力。それに水を差す気は無い。

「金メダル」という呪縛に翻弄されていると見るべきなのだろう。オリンピック、国威発揚。古いかもしれないが、結果がすべてというオリンピックの在り様。
かつて、「参加することに意義がある」。そう言われてきたのだが・・・。

こじつけのように思われるかもしれないが、原発だって国威発揚の象徴だったのだ。ナデシコと原発を同列に論じる気も無い。・・・・が。

テニスの聖地ウインブルドンの刻まれている言葉。グッドルーザー。悪びれない敗者。観客たちはそれに惜しみない拍手を送る。
オリンピックのメインスタジアム。マラソン。その最終ランナーに観客たちは、勝者にまさるとも劣らない拍手を送る。
今、テレビ中継はそれを放映することも無くなったが。僕にとっては大きな感動の場面だった。

渡辺和子さんはその著書で言う。「どうしても咲けない時には、根を下へ、下へ降ろして根を張るのです」と。

オリンピックも佳境。寝る時間を惜しむかどうかはそれぞれの勝手。これから試合に臨むすべての選手に願う。

「置かれた場所で咲いてくれ」と。

盛夏が過ぎるとすぐ秋・・・。なでしこは秋の七草のひとつにあげられている。

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