毎日正午、郡山市の防災無線からは郡山市民の歌が流される。きょうも流されていた。しかし、それは正午前からであり、正午の時報とともに止んだ。
テレビでは武道館で行われている戦没者追悼式の模様が中継されており、天皇皇后両陛下とともに黙祷が捧げられる。
平成24年8月15日、正午の光景。1分間、すべての物音が途絶えたような静かさに包まれていた。甲子園球児達も黙祷している。
戦没者とは誰を指すのか。軍人だけか。戦の場にいなかったが、戦火によって命を落とした多くの民もいる。それは沖縄でも、そして8月15日以降も例えば樺太での多くの民間人の死も・・・。
天皇陛下、昭和天皇による終戦の詔勅。それを4歳の子供は疎開先と言うか避難先の兵庫県の飾磨というところで聞いていた。大人たちと一緒に。ラジオから流れてくる途切れ途切れのような放送。
終戦まじか、姫路にいた。大空襲。焼夷弾ですべてが焼き尽くされた。逃げまどった。防火用水の中に多くの遺体を見た。火が迫る中、長い列の軍用列車らしいものが行き去るまで開かない踏切で、恐ろしさに震えながら、踏切が開くのを待っていた。トウモロコシ畑に隠れ、そこで過ごした数日。火傷をおった祖母・・・。今でも開かない踏切は怖い。
あの戦争は何だったのか。それを知りたくて数多くの本を読んだ。文学もノンフィクションも。そして、おの年になっても、自分なりの結論を見いだせない。
おそらく歴史というものはそういうものだろう。「聞けわだつみの声」から見えてくる戦争もある。「日本の一番長い一日」から見えてくる戦争もある。
広島、長崎、そして8月15日。八月は祈りの月である。
終戦の詔勅。時運の赴くところとある。詔勅の草案を起草した安岡正篤氏は「義命の存するところ」と書いた。それは入れられなかった。
あの戦争をめぐって、多くの人が書き、語り、映像化もされている。最近も読んだ本。加藤陽子の「それでも日本人は”戦争“を選んだ」。著者なりの総括はされているが・・・。
浅田次郎の「終わらざる夏」。涙を流したが。半藤一利の「昭和史」・・・。
そこから見えてくるもの。日本人はあの戦争を、国としても個人としても、歴史としても、経験としても。どれだけ総括してきたのか。
総括されていないような・・・。
あの戦争の中にあっての大元帥として奉られた天皇の位置づけ。少なくとも言えることは、占領軍のマッカーサーをして「尊敬の念」を抱かしめた昭和天皇の存在。
戦後の日教組教育は天皇制をことごとく否定しようとし、その廃止までも言った。戦争責任にも言及した。責任はその詔勅の中ですでに認めているにも関わらず。
時運の赴くところという言葉でなく、そこが義命のそんするところであったならば、その一語をもってしても“総括”はされやすかったのかもしれないが。
言えることは「時の運」ではなかったということ。
戦後、昭和天皇の行幸というのがあった。それは敗戦から立ち直ろうともがく国民の意志を鼓舞したのではなかろうか。
それを痛感したのは、3・11後の平成天皇皇后による被災地た避難所の慰問。苦しみ、悲しみを共有されようとした姿勢。 陛下と相対したことで、彼らは知る。棄民ではないことを。
戦後も災後も。天皇の存在がこの国を、それでも秩序あるものに保っているのかも。義を重んじることにその意味を感じているのかも。
太平洋戦争という経験を敗戦を経て日本人は何を学んだのか。学ぶところは少なかったのかもしれない。
原子力戦争。それに日本は破れた。それはもう一つの敗戦だ。国策という美名が多くの人の命を奪ったように、国策としての原子力平和利用は、人間の手によって破れ、多くの犠牲者を出した。
そして、その総括は、何もなされていないに等しい。誰が悪い。責任の押し付け合いとなじりとに明け暮れているような。
戦後67年。原発事故から立ち直るために、また、同じような時日を費やさねばならないのだろうか。
考えるべきことの多すぎる8月15日・・・。
2012年8月15日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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