ふと思い出した話を書く。
もう20年以上前の話だ。その雑誌の名前は失念したが、朝日新聞の国正武重記者(その時の肩書も忘れた。編集委員だったか)と東電の社長那須翔との対談記事を読んだことがある。その中で那須社長はこんなことを言っていた。
「原子力発電に対して、厳然たる反対勢力がある。それは十分承知している。しかし、その反対勢力に絶対負けたくない。だから絶対安全な原子力発電にするのだ」というような趣旨。
その反対勢力とはマスコミではない。当時の野党第一党、日本社会党を指していた。
日本社会党史に触れる気はないが、いわゆる55年体制の基を為したものであり、日本の政治を語る上では欠くことの出来ない存在だった。善し悪しは別にして。
一時、社会党は政権奪取の意気込みを見せていた時がある。しかし、それを止めた。保守と言う自民党に対抗する革新という位置づけに身を置いて、その存在意義を確たるものにしようとした。
結果、万年野党と呼ばれ、何でも反対社会党という“呼称”をたまわった。
与野党対決の構図。マスコミが好んで使った用語。野党とは。共産党もあった、後には公明党もあった。しかし、野党とは、一時期までは社会党だった。総評という労働組合組織と連携し、その影響力は大きかった。
もちろん、政治史の中では、たとえば金丸・田辺ラインと呼ばれるようなパイプと言われるものがあり、強行採決があっても、その裏で筋書き含め“出来レース”と言われるものもあったが。水面下の交渉。これもマスコミが好んで使う用語。
水面下の交渉。これは国会の中だけではなく、たとえば賃上げ交渉にしても、資本対労働の関係の中でも存在していたが。
とにかく社会党の力は強かった。国会では爆弾男が登場し、たとえば三ツ矢研究などという防衛庁の機密も暴かれたし。
だから、那須社長をしていわしめた厳然たる反対勢力。電力会社も無視できない勢力。
やがて日本社会党は衰退の歴史をたどる。その究極が村山富市内閣。政権についた途端に、社会党は怖い存在でもなんでも無くなった。
今の社民党がその系譜の中にあるという。形の上では。でも、もはやそれは別のものであり、社民党も連立を組んだことで知られるように、単なる権力亡者になってしまった。
社会党の衰退と期を一にするように、原発推進がなされ、そこに数多くの瑕疵があったにも関わらず、政治の場で問題視されることがなくなった。ほとんど。
那須氏の言葉を裏返せば、「絶対安全な原発」を作る必要が無くなったというロジックも成り立つ。
政権を持っている党が与党と呼ばれ、そうでない党は野党と言われる。しからば、今の政界にあって“真の野党”とは存在するのか。無い。
政権交代が可能な二大政党。こんなお題目に踊らされ、保身と権力欲だけに支配されたオール与党願望の永田町。形だけの原発反対、脱原発。国家100年の大計にたったエネルギー政策はどこも持ち合わせず・・・。
どこか電力会社の思うがままに原発は命を長らえる。電力会社に見くびられている政界。
もし、もし、あの頃のような日本社会党ありせば。原発事故の様相は変わっていたかもしれない。
総評も無くなり、連合と言う組織にとってかわった。連合は民主党政権を牛耳る。連合の中に電力総連があり、電力会社の労働組合の多くがその傘下にある・・・。
酷暑の中の白昼夢のような・・・。
2012年8月16日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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