シリアの内戦を取材中に一人の女性ジャーナリストが亡くなった。銃弾に撃たれて。本人は無念であろう。痛恨の念に堪えない。
彼女は時々テレビで見たことがある。柔和な語り口で、自分の仕事を語っていた。
弱者の視点と説き、記録し、伝える人がいないと、戦争は無くならない。拡大を防げるかもしれないと語っていたのを覚えている。
ジャーナリストは、戦地に行く。そして、それが内戦であろうとなかろうと、これまでも多くのジャーナリストが命を落としてきた。
そして、何よりも、多くの“兵士”や市民が、何万、何十万という人が命を落としている。たぶん、今日も。
戦地には必ずそれを伝えようとする人達がいる。どういう立場にたっていようとも。
ただ事実を、戦争の模様を伝えることだけを使命としている人は少なかろう。伝えることが、その悲惨さを訴えることが、それを止めさせうる方法だと信じて赴いている人がいる。
戦場のフリージャーナリスト。取材したものは、伝えなければならない。それも、早くに。一人で撮り、一人で喋り、一人で伝送する。
取材してもそれを伝える手段を持たねば、その取材は達成できない。メディア、媒体という意味でのメディア。それを持っていない。
日本のテレビ局は、戦争取材をフリーランスに依存する。山本美香さんはラジオプレスという“組織・団体”所属していた。そしてそのラジオプレスはテレビ局と契約していた。
大手メディアの戦争報道は、フリーランスの人達によって成り立っていたということ。また、フリーランスにならないと、現場には行けないということ。
大手メディアの支局員、特派員は、その近くまでは肉迫したとしても、最前線には行かせない、行かないということ。
彼女の死によってあらためて見えるメディアの「構図」。
彼女は去年は東北の被災地にいたという。持論である弱者の視点から、その被災地を取材していたという。
原発事故後、大手メディアはこぞってその“汚染地帯”に入ることを自主規制した。記者個人ではない。組織としての命令。
福島第一原発の正面入り口に立ったのは、いわばフリーのジャーナリストだった。
どこか重なる構図を見る。原発事故現場。東電の社員は最前線にはいかない。いかせない。フリーの作業員にその任に当たらせる。
その”フリー“の人達の活動がなければ、伝わらないことが多々ある。
そして思う。山本さんがテレビで言っていた言葉。記録し、伝えることをしないと戦争は無くならない。戦争が“弱者”にいかに大きな犠牲を強いているかという問いかけ。
原発事故も、誰かがきちんと記録し、伝えないと、それはなくならない。記録はあるが公開は出来ないという論理・・・・。
悲惨な出来ごとの前にある、不条理な論理。
ベトナム戦争時、その地を取材しつづけた日本人記者。大森実。彼の取材記、「泥と炎のインドシナ」。その記事は“戦争”というものの本質を最前線からつき、その無意味さをあらためて世に知らしめていた気がした。
それが、やがて訪れた、“べトナム戦争終結”にいささかでも寄与していたかもしれないと。
従軍記者という言葉がある。それは自国の軍隊とともに行動し、その記録を伝える仕事。山本さんらは従軍記者ではない。自分で自分の身を守るしか出来ないかった人達。戦果を伝えるのが仕事ではなかった。
彼女が持っていたビデオカメラが“武器”といえるのか。身を守る手段だったといえるのか。
戦場は狂気が支配している。構えたビデオカメラが相点は武器に見えるかもしれない。
戦争というものが、また一人のジャーナリストの命を奪い、名前も何も伝えられない自国民を殺しているという現実・・・。
山本さんが撮ったビデオには横たわる死体が記録されていたかもしれない。東北の被災地でも、津波に犠牲になった遺体が撮られていたかもしれない・・・。
そして、また、テレビというメディアの“構図”に考えさせられることありと。
2012年8月22日水曜日
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